7.史上最悪☆ブレックファスト
大広間に点けられた巨大テレビには朝の賑やかな東京が映し出されている。お天気リポーター曰く、今日は一日中快晴らしい。
俺はテレビの中で喋る彼女と、そして目の前に広げられた朝食を交互に見る。並べられたハムエッグを始めとする色とりどりの料理は、まさにセレブの優雅な朝といった様子だ。
「……いただきます」
しかしそのゴキゲンな朝飯とは裏腹に、俺達の空気は暗い。それはそうだろう、田辺と森本は俺からしてみれば所謂『友達の友達』である。逆もまた然りだ。共通の友人が文字通り存在しない今、微妙な空気になるのは当然のことであった。
だが決して、それだけがこの居心地の悪さの理由という訳ではない。
大広間の中心部に備え付けられたテーブルには、向かい合う形に二席のソファがある。だがその一つをベッドとして陣取っていた探偵が、未だ熟睡したまま目を覚まさないのだ。
揺すろうが叩こうが、一向に彼が夢から覚める気配はなく。仕方なく俺と夫人、そして田辺と森本の四人は探偵と向かいの席に横一列に詰めて座り、そうしてそこで朝食を摂るという運びになったのである。
「……あの、じゃあ。いただきます」
もう一度、手を合わせるも返事はない。料理を持ってきた執事の鷹崎とメイドはどこかに行ってしまっていた。
この探偵と一緒に来たというだけでただでさえ居辛いというのに、その上でTシャツGパンの俺とトレンチコートの探偵以外は全員喪服なのである。アウェーどころの話ではない、朝食が出てくる前にさっさと自分だけ帰れば良かったと俺は猛烈に後悔していた。
『さて、ここからはニュースの時間です』
俺達から見て左に位置するテレビの中には、スーツを着た男性が現れる。と同時に安っぽい効果音が鳴って何やら見覚えのある建物が映し出され、僅かにそれに遅れて男性が口を開いた。
『えぇと、これは一昨日杉並区で起きた貿易商殺害事件ですね』
「――ごふぇっ」
珈琲を吹き出したのは俺ではない。森本と言ったか、俺の右側に座る女性であった。整った小顔を歪め、口元からはポタポタと黒い液を零しながら、それを拭うことすら忘れて彼女は必死に取り繕う。
「す、すみません! その、私猫舌で」
「あぁ、はい……」
全員が嘘だとは分かっていたが、誰も敢えて触れなかった。空気こそ死んでいたが、この机には何故か奇妙な連帯感も生まれていた。
というか、誰だよテレビ点けたのは。まだ二日しか経ってないんだからこうなることくらい分かってただろ。
俺は心の中で、その誰かに向かって毒づく。しかし今からわざわざリモコンに手を伸ばして消すというのも、またかなり勇気のいる行為であった。
「……」
「……」
「……」
「……」
沈黙の中、ただ各々がひたすらに目の前の飯を口へ運んで行く。緊張のせいか味はどれひとつとして分からない。救いがあるとするならば、あまりにも緊張し過ぎてもはやテレビが何を言ってるかも聞き取れないことくらいだろうか。
「……島村さん、と言いましたかな」
「え、ああ。はい」
今度は左隣から出し抜けに声を掛けられる。
トースト片手にそちらを向くとスキンヘッドの強面と目が合い、俺は一瞬小さな悲鳴を上げて掴んだトーストを取り落としそうになる。しかし田辺はそんな俺の失礼すぎる反応には特に反応を示さず、代わりにその顔には重すぎる沈黙に耐えられない、とはっきり刻まれていた。
「……どうも、島村幸次郎です」
「どうも、田辺慎一郎です」
多分、思わず話し掛けてしまっただけで話題そのものは何も用意していなかったのだろう。口ごもる田辺に、俺は助け舟のつもりでとりあえず自己紹介する。するとすかさず、ほっとした様子で田辺もそれに乗った。
「ええと、島村さんは……」
おいおい続けるのかよ、と内心驚愕するも流石に口には出せない。しかし、やはりと言うべきかそこで田辺は言葉に詰まり、そして数秒不自然な間が開いた後に苦しそうに質問を捻り出した。
「……昨日、何を食べられたのですか?」
食事中に聞く質問じゃねぇだろ、と俺は喉まで出かかったツッコミを必死に抑え込む。とはいえ無視する訳にもいかず、せめて俺は笑いを産もうと明るい声で言った。
「いやぁ、最近忙しくて何も食ってなくて。これが久々のまともな食事っす。ハハ」
「ははっ、いけませんな。身体は大切になさらないと」
嘘ではない。少なくとも昨日は取調べの後から何も食えていないのである。とはいえその回答は意外にも空気の浄化に貢献してくれたようで、俺の自虐に釣られて田辺も薄く笑みを浮かべた。
「……では、一昨日は何を?」
「かっ……」
管理栄養士かよ、と自分でもよく分からんツッコミの欠片が思わず口から漏れ出る。なぜこの男はそんなに俺の飯に食いつくだろうか。というか、今のは完全に続かない流れであっただろうに。
「か?」
「か……カレー、っすかね。確か」
「なるほど、そうですか」
ヤケクソで適当に答えると、田辺は頷きながらハムエッグを口に運ぶ。流石に三日前は、とまでは尋ねないようであった。
『次は打って変わって、明るいニュースです』
田辺との会話が済んだところで、一際明るい声が耳に飛び込む。それに誘われ画面を見ると、ドレスを着た女性の写真がキラキラのハートマークで囲まれていた。
『先日、女優の里原石美さんが一般男性の方と結婚されたと所属事務所より発表がありました』
その声と共に、テレビカメラはスタジオに戻る。そこにいた関西弁の芸人が何かを大声で喚き、泣き真似をして周囲の笑いを取ったところで、俺はまたトーストに齧りつこうと――
「――結婚!?」
不意打ちの大声に、今度こそ俺はトーストを取り落とした。幸い皿の上に落下したことでそれは一命を取り留め、俺はほっと胸を撫で下ろす。
だが直後、俺はその声の正体に気付きまた背が凍りついた。恐る恐るその方向へ視線を動かしながら、俺は天に向かって必死に願う。
やめろ、頼む。確かに早くこの空気が終わればいいとは思ったが、何も空気を壊せとは言っていない。お願いだから、お前はじっとしていてくれ。
しかしその願いは、残酷なまでに粉々に打ち砕かれることとなる。
「嗚呼、愛しの石美さん……うん?」
声の主はソファの上で、絶望の表情を浮かべながらガックリと項垂れていた。だがその悲哀の感情も長くは持たず、傍らにいる俺達に気付くや否や、今度は不思議そうな表情に変化する。
「おっと。どうされましたか、皆さんお揃いで。というか……」
そうして彼が放ったセリフは、正しく最悪としか形容出来ないものであった。
「どうしてそんな、窮屈な座り方をしているのです?」