5.ピンチはチャンス!
俺は窮地に陥っていた。
思えばそもそも今だけじゃなく最初からずっとピンチな気もするが、それはともかく俺は今、部屋に備え付けられた巨大ソファの上で正に崖っぷちとも言える、重大な危機に瀕していた。
――落ち着いて一旦、状況を整理しよう。
俺はソファから身動ぎすること無く、ただ目だけを伏せる。
滞り無く侵入を済ませた俺達は、半ば自動的に昨日俺が使用していた部屋に降り立った。ただでさえ切羽詰まった状況である以上、本来なら早速探索に入るべきなのであろうが……不法(許可は取ったから合法?)侵入に気が張っていたせいか、俺は部屋に置かれたソファを見つけるや否や、まるで吸い込まれるようにそこへ腰を下ろしてしまった。
さぁ、そこまでは別に良かったのである。
傍らで部屋を見回す探偵に不審がられぬよう細心の注意を払いつつ、俺は伸びをする振りをして体重を動かすことでケツの感触を確かめる。
「……やっぱり、クッションの下になんかあるんだけど」
「ん、何か言いましたか?」
「いやいやいやいや、別に俺は何も言ってないよ?」
やばい、動揺のあまり思わず口から零れてしまっていた。俺は手をブンブン振り回しつつ、探偵の質問をはぐらかす。
探偵が訝しみつつも俺から視線を外したのを確認した後、今度は逆方向に伸びをする振りをしながら再度ケツの下のブツを確認する。
隠されているそれはやけに重い。具体的には現金二千万円と拳銃一個分くらいの重さである。
形は箱型だろうか、さほど大きくはない。具体的には現金が二千万円分くらい入るアタッシュケースみたいな形をしている。
更に一端へ体重を掛けることで箱を傾けてみると、中では紙のようなザラついたものの上を小さくも硬い別の何かが動く感触もある。具体的には並べられた紙幣の上を拳銃が滑るような――
「もう絶対ダメなやつじゃんこれ」
「やっぱり何か言いましたよね」
「いや全く、全然、ノットアットオール」
「……はぁ、そうですか」
流石に二度目ともなると探偵の意識を逸らすのもお手の物で、俺は不自然さ皆無の完璧な受け答えで探偵の追及から逃れる。しかし、状況は依然として最悪のままであった。
防犯カメラの存在に、金庫の暗証番号に、拳銃の入手経路。
ただでさえ状況証拠は誰がどう考えても俺としか思えない状態なのである。その上で探偵にコイツが見つかるのは本当にシャレにならない。昨日この部屋を使用していたのが俺であるという揺るぎない事実がある以上、尻の下のコレは探偵や警部が今最も欲していると言っても過言ではないほど決定的な物的証拠であり、そして同時に文字通り俺への死刑宣告となるものなのだ。
一方で、いつまでもここに居座る訳にも行かないのも事実。八方とまでは行かずとも、六方塞がりくらいにはマズい現状であった。
「……な、なぁ」
「なんでしょう?」
随分と声は震えてしまったが、切り出してしまったからには腹を決めるしかない。俺は精一杯声を絞り出した。
「帰らねぇか?」
「は?」
その言葉に、探偵は酷く困惑した。
そりゃそうである。俺だって逆の立場ならば間違いなく困惑するし、なんなら一発くらいぶん殴ると思う。
しかし俺としても、もはや後に引くという選択肢は残されていなかった。
「よく考えてみればよ、天海が死んだ時に現場は警察が捜査しまくったんだろ。遅れて呼ばれたお前だって何回かは捜査に当たったはず。って事は、この館から手に入る情報はもうないって訳だ」
「……」
苦しい、か。
俺はポーカーフェイスも忘れて必死の形相で探偵を見る。しかし彼は意外なことに、一理ある、と言わんばかりにその提案を顎に手を遣り検討し始めた。
「なるほど、そうかも……いや」
だが無慈悲にも、数秒後の探偵は首を横に振る。
「確かに天海氏の部屋は警察が調べ尽くしましたが、たとえば貴方達の部屋なんかはまだ調べていない。警察がそれらを調べ始めるよりも前に、私が解決してしまいましたからね」
「……」
「つまりそこにはまだ手掛かりが隠されているかもしれない。そうですね、今日は現場以外の箇所を重点的に捜査しましょう。ではまず手始めにこの部屋を」
いかん、仁徳陵古墳みたいなサイズの墓穴掘っちまった。俺は心の内で深く頭を抱える。
どうしてこうもアホは扱いにくいのか。それともアホを上手く扱えない俺自身がドアホなのか。後悔は自己嫌悪に結び付くが、今はその時間すらも惜しい。俺はまた頭脳をフル回転させて、必死の制止を試みる。
「い、いやいやお前、こんな小部屋に何があるってんだよ。家具なんてタンスとソファだけだぞ。それともなんだ、まさか俺が今座っているソファの中に拳銃や金が隠してあるとでも言うつもりか? 三流映画じゃあるまいし時間の無駄だろ」
「……」
一か八か、逆に敢えて真実を嘘っぽく並べる作戦である。もはやここまで来ると、頭の良さどうのこうのでは無く完全に時の運だ。口内が緊張で乾燥しきり、心臓はその乾燥しきった口から飛び出しそうな程に暴れ回る。それでも、俺は探偵の前で蛇に睨まれたカエルの如く毛先一本も動かせずにいた。
長い長い沈黙の後、探偵は口を開く。
「――ははっ、それもそうですね」
「……え」
「いくら何でもそんなチープな展開、あるわけが無い。三流映画じゃあるまいし」
「そ、そうだよ。三流映画じゃあるまいし」
ハハハ、と俺も同調して乾いた笑みを漏らす。と同時に一気に体が弛緩し、今度こそ俺は体をソファに沈みこませた。
「いやはや、全く面白いことを言いますね。言われてみればまさか今幸次郎さんのお尻の下に、たとえば強盗に使われた拳銃と奪われた現金二千万円がアタッシュケースに入って隠れているなんて。そんなことあるわけが無い」
「……は、はは」
畜生、こいつホントは全部知ってるんじゃ無いだろうな。
衣服の下はすっかり汗でぐちゃぐちゃである。無論それは決して、熱帯夜のせいではない。
「さ、改めまして行きましょう。現場百遍というくらいですし、やはり現場である天海氏の部屋と、皆の集まっていた大広間の二箇所を重点的に洗い直すのが良さそうだ」
「おう、そうだそうだ。こんな部屋はさっさと出ちまおう」
跳ねるように素早く、しかし何かの間違いで異音を立ててしまわないよう細心の注意を払いつつ、俺はソファから立ち上がる。それから探偵を急かすように扉の外へと押し出しながら、俺達は小部屋を後にした。
**
『捜査』の間、俺の意識はずっと例のアタッシュケースに傾いていた。
当然だが俺はあんなもの知らない。つまり、誰か……恐らくは強盗事件の真犯人が置いたものであろう。
探偵に不審がられないよう手だけは天海の部屋をまさぐるが、思考はそれとは関係なしに際限なく膨らんでゆく。先程までは紛れもないピンチであったが、それを乗り越えた今アタッシュケースの存在はむしろ、大きな手掛かりに変化した。
犯人が一旦現金を手放した理由は明白だ。犯人は天海が殺されたのを知って、これから訪れる警察の前で現金を手元に残すのは危険と踏んだからである。
では何故、隠し場所が俺の部屋なのか。こちらも明白だ。万一見つかった際に、天海商事の強盗犯として飛び抜けて適正の高い俺に罪を擦り付けるためである。
しかしそれはつまり、犯人は俺が春日商事に勤めていることを知っていた、ということである。
勿論隠していた訳では無いから全員知る機会自体は存在し得るが、天海の仕事上の友人二人はかなりシロ寄りに見て良いかもしれない。嫁の天海紗栄子や執事、メイドは天海から聞いている可能性もあるが、こちらも低い。また天海本人は強盗発生時、俺に殺されていたのだからこちらは百パーセント有り得ないと断言出来る。
……となると消去法で一番怪しいのは、櫻木か。
ふと、旧友を疑っている自分の存在に気付き俺は手が固まる。しかし首を振って、俺はその悪い考えをすぐに払った。
いや、それはあくまで可能性の話だ。
犯人はそれすらも承知の上かもしれない。何度も言うが俺は別に勤務先を隠している訳では無いのだから、全員が知り得る可能性自体は持っているのだ。
なんなら犯人の春日商事に対する防犯カメラや暗証番号の知識を考慮すると、そもそも犯人自身が元々春日商事に精通している可能性が高い。そうであるならば俺との直接の交友が薄くとも、名簿を見ればさして多くない従業員の中で俺の存在を知ることだって簡単である。
だけど……いやしかし……だが……。
様々な可能性が浮かんでは、即座に消えていく。いつの間にか眉間に皺が寄っていたことに気付いてそれを揉みほぐしていると、探偵が口を開いた。
「そういや、貴方と天海氏、それから櫻木は大学時代の友人とお聞きしましたが――」
「……え。悪い、聞いてなかった」
「いえ。天海氏と貴方達は、どうして知り合ったのかと」
「ん? なんだよ藪から棒に」
「大した意味はありませんよ。強いて言うのならば……敵を知りて己を知れば百戦危うからず、というところでしょうか。随分とタイプの違う三人ですから、何故知り合ったのか少々気になりまして」
俺に話している間も、探偵の手は忙しなく動く。こういう所は流石本職というべきか、と俺は半ば感心しながらその問いに答えた。
「サークルだよサークル。所属してる人数が少なかったから、そこで自然と仲良くなったって訳だ」
「ほう。ちなみに何のサークルかお聞きしても」
探偵はまるで就職試験の面接官のような口振りで俺の言葉に食いつく。そして俺はその問いに、待ってましたと言わんばかりに即答した。
「フィーエルヤッペン」
「はい?」
予想通りの反応に、俺はわざと一切の情報追加無しで繰り返す。
「フィーエルヤッペンだよ」
「……知らない単語ですね。何かの競技ですか?」
「ああ、棒高跳びの川を渡る版みたいなもんだ。まぁ知名度は高くないが」
「でしょうね」
実際ロクに人が集まらず、サークルの活動は飲み会が七割を占めていた。それでも名誉のために言っておくと年一回開催される大会には毎年参加していたし、なんなら俺と櫻木はそれぞれ一度だけとはいえ表彰経験もあるくらいには、きちんとフィーエルヤッペンの活動も行っていたが。
「よくそんな珍妙な競技のサークルを選び……いえ、お似合いですよ。貴方自身もかなりの変人ですし」
屈託のない微笑みを浮かべながら、探偵は俺にさらりと皮肉を言う。見え見えの挑発にカチンと来た俺は少し荒い口調で言い返した。
「ほぉん? そんなに言うならお前の大学時代のサークルは何だったんだよ。どうせヒョロいのが数人集まった謎解きサークルとかだろ?」
「いえ、チュックです」
「国内競技人口千人のドマイナースポーツじゃねぇか」