29.探偵vs真犯人
「――いきなりお呼び立てしてしまい、すみませんね」
俺達が昨日立っていた、無機質な留置所の面会室にて探偵は深々と一礼する。それは三日前、探偵が館の大広間にて推理劇を披露する際に切り出した言葉と全く一緒のものであった。
警部、夫人、田辺、森本、鷹崎、神原、そして俺は、唯一櫻木のみを隔てるガラス壁に対して半円状に立っていた。その円の中に立つ探偵は、一言ごとにくるくると向きを変えつつ語る。
「お集まり頂いたのは他でもありません。皆様に、三日前の真実をお伝えしたいと思いまして」
「……探偵。謎が解けた、というのはどっちの話だ?」
最初に口を開いたのは警部であった。探偵ではなく対面に立つ俺を睨めつけながら、しかし言葉だけで探偵に尋ねる。探偵はそれに変わらぬ調子で答えた。
「両方ですよ。三日前天海聡太氏が殺害され、そして春日商事にて強盗事件が行われたあの日。何があったかを、全て明らかにします」
「ち、ちょっと待つザマス」
探偵の言葉に面食らった様子で手を挙げたのは夫人であった。自分の耳が信じられない、と言った様子で彼女は困惑する。
「夫の殺人事件についてはまだ分かるザマス。けれど、春日商事の事件とはどういうことザマス」
「おや、ご存知ありませんか。三日前の丁度昼、渋谷区にて天道光一社長と……」
「それは知っているザマス。白昼堂々の犯行にも関わらず未だ犯人が捕まらないと、連日ワイドショーでも大騒ぎザマス」
探偵の言葉を遮って夫人は言う。苛立っている、と言わんばかりに彼女の両耳に付けられた巨大なイヤリングが揺れた。
「……私が聞きたいのは、それと私達になんの関係があるのか、ということザマス」
「簡単な話ですよ、強盗事件もまた、あの日天海館にいた人間の仕業ということです」
瞬間、場の空気が一変する。正しく、絶句という言葉がふさわしい沈黙であった。衝撃のあまり、尋ねた夫人ですらもパクパクと乾いた口を動かすのみである。
「あ、今のやっぱりナシで……コホン、犯人はこの中に居る!」
探偵はどうやら決め台詞の機会を逃したことが気に入らなかったらしい。随分と気合いの張った声で、人差し指を立てつつ彼は言い直した。
ザワめきは無い。ただただ、全員が顔を強ばらせて沈黙するのみであった。
櫻木珪人、彼一人を除いて。
「あの、探偵さん」
重苦しいその沈黙を破り、櫻木は手錠で繋がれた腕を頭上に掲げる。鎖がジャラリと軽い音を立てたが、天海館の人間は明らかに意識して誰しもがそちらを見ようとしなかった。
「なんです?」
「いや、大したことじゃないんですけどね……探偵さん、貴方が謎を解くんですか?」
不服そうに、櫻木は探偵ではなく俺を見ながら言った。
しかし警部や天海館の人間は、その意味を理解出来ないといった様子でただ眉を八の字にする。なんとも言えない、微妙な間が開いて、それから探偵は困ったように口を開いた。
「ええとですね――」
「探偵、悪い。やっぱり俺がやっていいか」
ニコニコ笑顔を崩さずに言いかけた探偵を、俺は挙手で遮る。元より推理の披露を探偵に任せたのは俺自身であったが故に、探偵は少し驚いたような表情を見せた。
「いいのですか? 口下手だから代わりに話してくれ、手柄はやる――そう言ったのは貴方でしょう」
「ま、頑張るよ……なんせ御指名は俺のようだからな」
分厚いガラスを通して、俺と櫻木の視線が絡む。それは決して、敵対のものでは無かった。むしろ晴れやかな、それこそ昔通りの友情を感じさせるようなそれであった。
「待ってたよ、島村」
「おう」
それだけ言って、櫻木は俺を見たまま面会用の丸椅子へとゆっくり座る。それはまるで映画の始まりを待つような、無邪気な子供のような姿であった。
「えー、と。改めまして、島村幸次郎です」
まず彼に背を向け、それから探偵が先程見せたよう半回転しつつ今更ながらの自己紹介を行う。誰しもがそれに反応することは無かったが、とりあえず俺は深く一礼をした。
「すみません、それじゃあ」
不思議と緊張は無い。少なくとも、この場の空気の方がよっぽど緊張しきっている。
だからこそ、だ。
俺はとびっきり、間抜けに弛緩した声で口を開いた。
「――推理、始めまーす」
**
どこまでも静かなものであった。
その場にいる全員が、各々の姿勢で俺の言葉に耳を傾けている。そんな中、俺は頭を掻きながら切り出した。
「で、本題に入る前に。ひとつ言わなきゃいけないことがありまして」
主に天海館の人々へ向きながら、俺は言う。一体この場においてどのような表情を浮かべるべきかわからず、結局ぺこり頭を下げることで曖昧な顔を誤魔化した。
「ずっと黙っていたんですけど、今の俺には春日商事強盗事件の犯人であるという疑いがかかっています」
その言葉に、天海館の人々は皆怯んだように一歩退いた。反応は予想通りのものであったが、やはり目の前にするとなかなかショックを受けるものである。俺は慌てて手を振った。
「も、もちろん俺は冤罪を主張しました。それで真実を明らかにするという条件の元、それには三日の捜査が許されました」
「……拳銃のことを私達に尋ねたのは、そういう理由だったんですね」
「えぇ、まぁ」
俺が言うと、脇で探偵と警部が軽く頷く姿が見えた。問うた森本とその傍らの田辺、それから天海夫人はそれに複雑そうな表情を見せる。
「それで、今から話すのは俺がその三日間で辿り着いた推理です……つっても、どこから話せばいいか」
元々探偵に丸投げするつもりだっただけに、俺は脳内で慌てて段取りを構築する。折角ならば見せ場やヤマも作りたいところであったが、実際にはそこまでの余裕もなくただ、持つ情報をいかに整理するかだけを考えるのみであった。
「……まず、真犯人の正体は櫻木です」
熟考の果て、最初に口から出たのはその言葉であった。
本来ならば最後の最後に持ってくるべき犯人の名前に、天海館の人々だけでなく警部すらも面食らう。俺の他にはただ二人、探偵と櫻木本人だけが冷静な態度を保っていた。
「ま、待ってください」
森本が声を震わせながら手を挙げる。そうして放たれた疑問は、恐らく彼らがみな抱いているであろうものであった。
「犯人、というのはその――」
「春日商事強盗殺人事件の犯人です。天海さんの事件ではなく」
「けど」
「えぇ、分かっていますよ。二つの事件は同時に起こっています。つまり二つの事件が同じ犯人であるというのは有り得ない」
分かっているのなら何故、と彼女は尚も言い募る。それは田辺や天海夫人も全く同じ様子であった。俺はそれに努めて笑顔で、しかし真犯人の正体は全力で隠しつつ答える。
「簡単ですよ、彼もまた冤罪だった。櫻木珪人は天海聡太を殺害してはいません」
「……」
誰も、何も答えない。しかし疑問は山ほど各々の胸の中に募っているのであろう。
そして、櫻木も無言のままであった。
「さて、ところで俺が春日商事の犯人として目された理由についてですが……ここについては非常に状況証拠の側面が強かった」
従って頷くのは探偵である。事実、その状況は誰がどう見ても犯人が俺であるとそう指し示していた。
「強盗犯は、春日商事の内情にとても精通していた。そこに勤務している俺が疑われるのは当然です」
「しかし、銃は。この日本において銃を入手するというのは、そうそう簡単なことではないと思われますが」
次に尋ねたのは鷹崎であった。嗄れた、しかしハッキリと通る声で彼は尋ねる。待ってましたと、俺は即座にそれに応えた。
「いいや。むしろ、凶器が銃であったことこそが、俺の容疑者としての座を確固たるものにしました」
一歩、俺はおもむろに足を出す。銃の持ち主は今この場には居なかった。いや、もはやこの世に彼はいない。
「……天海聡太。天海館のオーナーである彼は、拳銃を不法所持していたそうです」
「ああ。やっぱり、あの時見つかったアタッシュケースの中の拳銃は夫のものだったザマスか」
夫人を見詰めて言うと、意外にも彼女はあっけらかんとした声で言った。むしろその背後に立つ鷹崎や神原の方が、よっぽど驚愕の感情を露わにしていた。
「知っていたんですね」
「なんとなく、そんな気はしていたザマス。私が銃好きだから、プレゼントにでもくれようとしたザマスかね」
少しだけ罪悪感を感じたのだろうか。彼女は目を伏せて言う。その瞳から雫は見えなかったが、声はやや湿っぽくなっていた。しかし彼女に手で促され、俺はその続きを述べる。
「……あの日、拳銃を入手でき――すなわち天海館にいて。そして春日商事の内部事情を知り得た人物。その条件に該当し得るのは、この世界中でたった一人、俺だけだった。だから俺は最有力容疑者となった訳です」
が、しかし。俺は指を立てて言葉を区切る。それは探偵の真似事のつもりであった。効果は抜群のようで、事実その場にいる皆が俺の指へと集中する。
「けどそれは、先程も言った通り状況証拠という脆弱なものだ。もし天海館の中にもう一人、たとえば社員が隠れていたならば。俺の疑いはそれだけで半分になる……そうだよな? 櫻木」
「まぁ、そうなんじゃない? 僕は違うけれど」
自分が疑われているのにも関わらず、彼にとっては情報のおさらいに過ぎないせいか、とても面倒くさそうに答える。その他人事のような態度は、俺が疑われた際とは面白いほどに好対照であった。
「さて、ここからが肝心です。先程はたとえばと言いましたが、実はあの日天海館には本当に、もう一人春日商事の社員が隠れていた」
「……」
櫻木は何も言わない。ただ、彼の瞳は猫のように細く見えた。
「それがお前だよ、櫻木」
「……僕、一応大学教授なんだけども」
「私学のだろ? 私立大学じゃ副業が認められている所もあるらしいじゃねぇか」
「馬鹿言うなよ。副業といっても公演会だとかそういう話だ。一般企業の社員だなんて、そんな副業は体力的にも時間的にもできるはずが無い。それは働いてる君が一番分かっているだろう?」
そこでようやく、彼は真剣に反駁した。それが何故か嬉しくて、俺は思わず笑みが込み上げる。
「あぁ。でも……たとえばフロアの清掃員とかならどうだ?」
「話にならないね」
呆れたように彼は首を振る。それから俺の尻ポッケに刺さっている社員名簿を目敏く指すと、彼は言った。
「まぁ、副業として清掃員を選ぶのが普通かどうかはさておき、理論上ならそのくらいは出来るかもしれない。でもだからどうしたと言うんだい? そこに僕の名を見つけたとでも?」
「そうだよ。見付けたんだ」
予想通りの問いに、俺は準備していた言葉そのまま即答してやった。
しかし、櫻木は怯まない。むしろ苛立つように指で窓をトントンと叩いた。
「……見せてよ」
「ほらよ」
俺は彼にそれを突きつける。赤ラインの引かれた箇所を一瞥して、彼はまたヤレヤレと首を振った。
それから彼はアクリル壁に息を吐くと、そこへ乱暴に書き殴ってみせる。
「これ、見える? ……天海館の皆さんも見えます?」
怒っているのだろうか。彼はそう訊いたものの、しかし返答を待つことなく即座に続けた。
「櫻木珪人、これが僕の名前だ。それに対してこの名簿の名前はなんだい? 桜木圭人って……確かに彼はどうも清掃員の一人らしいけど。でも、誰がどう見ても別人じゃないか」
「そうか?」
「そうだよ」
言って、彼はまた憮然と黙り込む。一方の俺は苦笑しつつも、また皆の側へくるりと向き直った。
それからまるで首振りの扇風機の如く。ゆっくり半回転しながらその場の全員へと訊ねる。
「――ところで皆さん、檸檬ちゃんって女の子にあった事ありますかね?」
「……は」
余りにも予想外の言葉だったのだろう。半ば反射的に、森本はボソリと呟いた。俺はすかさず、彼女に手を差し出す。
「どうです、佐藤檸檬ちゃんとか、山本檸檬ちゃんとか、ジョン・レモンとか」
「いえ、特に」
渾身のボケはピクリともせずに流される。代わりに彼女の背後で鷹崎が吹き出したため、俺はとりあえずホッと胸をなで下ろした。
「檸檬ちゃんが無ければ、薔薇ちゃんなんかでもいいですよ。どうです、出会ったことありませんか?」
手を挙げて、俺は何度も何度も回りつつ尋ねる。けれど誰もが、それに反応しようとはしなかった。
「ふーむ。居ないようだ。じゃ、次」
俺の大根演技にいい加減シビレを切らしたらしい。警部が声を掛けようと肩を揺らし、それを探偵が宥める。しかし恐らく、突如始まった俺の奇行に困惑しているのは警部だけではない。探偵を除いた全ての人間が、眉をひそめて俺を見詰めていた。
「――珪人くんって、出会ったことありますかね? 王へんに土二つ、さっき彼が書いて見せた方の珪人くんです」
もちろん彼以外でね、と俺は背後を指しながら付け加えた。しかしそんな言葉をわざわざ足さずとも、檸檬や薔薇と変わらず皆の腕は上がる気配がない。
「ま、でしょうね。だって――」
たっぷり一分、反応を待って。
俺はゆっくりと息を吸う。
それから。
俺は思いっきりその一枚を引き裂くと、宙に放り投げながら櫻木へ振り向いた。
「この字、名前に使えねぇもん」
彼は口を開かない。
ただこの期に及んでも、まだ静かに微笑むのみであった。
「……そうだよな? 桜木圭人」