28.ヒラメキはハーフ&ハーフ
「待ってください、島村さん」
館を飛び出した勢いのまま、バタバタと慣れない全力ダッシュで駐車場へと向かう俺に探偵は後ろから息切れしつつ尋ねる。彼の静止に俺は速度を緩めて、痛くなり始めた脇腹を抑えつつその問いに答えた。
「はぁ、はぁ……んだよ」
日頃の運動不足が祟っているのだろう。立ち止まるや否や、急に膝は疲労に震え出し、体はずしりと重くなる。天海館から駐車場まではほんの百メートルちょっとであったが、そこそこ急な登り坂になっていることや、真夏特有の容赦ない猛暑により道半ばで既に体力はガッツリと削られていた。
「急に大学へ向かえって、どういうことです」
「言ったろ、謎が解けた。その証拠を取りに行くんだよ。別に大学じゃなくてもいいが、候補の中じゃ大学がいちばん近い。ここから数分で行けるからな」
息絶え絶えに俺は説明を続ける。興奮しているのも相まって油断すれば朝に飲んだコーヒーがせり上がってきそうで、焦りながらも俺はゆっくりと足を踏み出した。
「はぁ、きついな……車はもう見えてるんだが。」
「島村さん、それでは説明が足りません」
俺と同じくらいに苦痛の表情で探偵は言う。いや、この期に及んでまだ暑苦しいダッフルコートを着続けているあたり、もしかすれば彼の方が地獄かもしれない。それでも未だにそのボタンに手を掛けないあたり、彼の高いプライドがひしひしと伝わってきた。
重たい足を引きずりつつ、俺は口を開く。確かに勝利へと向かっているはずなのに、その姿は誰がどう見ても敗残兵のそれであった。
「島村さん、犯人は結局誰なのです」
「ずっと言ってるだろ。櫻木だよ」
彼と会った時から、既に俺は彼が真犯人であると決め打ちした上で捜査を続けていた。櫻木が俺に『挑戦状』を叩き付けてきたあの瞬間から、既に俺にとってこの事件はフーダニットからハウダニットへと変化している。
「……だが、半分だ」
「半分?」
「俺が解けた謎はまだ半分だけ。もう半分は、わからんままだ」
しかし、その半分が解けなければ意味は無い。俺は思わず顔を歪めた。
櫻木は、俺よりも遥かに頭が良い。
たった半分だけの推理で、俺が奴を追い詰められるとは思えない。そして何より、今現在も俺が春日商事の犯人であると信じきっている警察や探偵を納得させるのにもまた、半分の推理では到底足りないのだ。
探偵はそれ以上尋ねるつもりは無いらしい。まだ意味が分からないと不服そうな顔をしているが、どうやらそれ以上に暑さと疲労が、彼の発声を阻んでいるらしかった。
「はぁ、やっと着いた……っと」
BMWの扉を開け、俺は助手席へと転がるように座り込む。それから背もたれへ体重を預けようと仰け反ると、俺はそのまま水平になった。
「――イテッ」
そういえば、着いた時にリクライニングを倒したままであった。勢いよくヘッドレストへと頭が直撃し、柔らかく跳ね返されて俺は反射的にそう呟く。反射的に零れただけで、実際はさして痛くも無かった。
「……大学で良いのですね?」
「おう。推理はその道中で聴かせてやる……と」
手でレバーを引き、俺は素早く背もたれを起こす。一気に引き上げてしまったせいか今度は前のめりになり、ぐぇぇと思わず呻き声が出た。
「んだよこれ、加減効かねぇな」
「加減が効かないのは貴方の力では……おやおや」
どうやら、俺は自分が思っている以上に慌てているらしい。またも力が入りすぎ、俺は後ろにぶっ倒れる。俺の視線が下がったことにより、フロントガラスにはBMWの低い天井に隠れていた天海館の屋根がニョッキリと現れた。
「もう先に動かしますよ。調整は走りながらやってください」
「いや待て、探偵」
シフトレバーに手を掛けた探偵の腕を、倒れたまま俺は掴んで静止する。それからまた前を見つつ乱暴にリクライニングを起こし、もう一度倒した。
バスンとクッションが乱暴な音を立て、キュイイと金属が小さく声を上げる。それから更にもう一度俺は椅子を起こし、また倒した。
「……傷むので、やめて欲しいのですが」
「あぁ、悪い。それよりちょっと待っててくれないか?」
誰もが口先だけと分かる適当な謝罪を述べつつ、レバーを引いて今度こそ丁寧に体を起こした。それからドアを開けて砂利だらけの駐車場へ降り立つと、準備運動がてら屈伸と伸脚を行う。ポキリポキリと、股関節が小さな音を立てた。
「あー、そうか。身長差、角度。だから……」
「島村さん?」
「ああいや、なんでもねぇよ。それより」
ブツブツ呟きながら、俺は最後にぐいと大きく背伸び。それから俺は車内でエンジンを吹かし続ける探偵に、ひとつ大きく指を鳴らした。
「――すまん、忘れ物取ってくる」
**
探偵を待たせ、走り着いた先はまたも天海館の門前であった。先程とは違い下り坂であったため、疲労感も幾分かマシである。
勢いのまま扉を開けようと手を掛け、しかし俺はそこで思い留まってゆっくりとインターホンを押しこんだ。
「はい、どちらザマスか?」
数秒の間。意外なことにも、インターホンに出たのは夫人その人であった。
「すみませーん、島村ですー」
「あぁ、島村さん。先程は何やら急に飛び出して、慌てている様子だったザマスが……忘れ物ザマスか?」
「あ、ええとっすねー」
ぐちゃぐちゃに乱れた息を整えて、通話時独特の間延びした声で答えると夫人は不思議そうな声で尋ねる。そんなインターホン越しの彼女に、俺はあっけらかんとした調子で答えた。
「ちょっくら証拠品を、取りに来まして」