27.ブレイクスルー
空は雲ひとつない晴天であった。
天海館の周囲に植えられた木々は夏の暑さを和らげ、ゆるり吹く風は自然の香りを運んでくる。
自然と調和、なんて陳腐な形容がしかし最適のようにも感じられる光景の中、一際浮いた存在である金ピカのインターホンを俺はゆっくりと押し込んだ。
「出ねぇな」
「出ませんねぇ」
ため息と共に、俺は呟く。別に扉を開けて歓迎しろとまで言うつもりは無いが、せめて反応くらい欲しいものだ。
「中に人は居るんだよな?」
「えぇ、電話口ではそのように。それに車は揃っていましたし……おや」
探偵が指差した先はインターホンであった。ザザザと機械音がなった後、明らかに若い女の子の声が聞こえる。
「どうぞぉ。開いてますのでぇ」
「ありがとう、神原ちゃん」
「……」
へんじはない。どうやら言うだけ言って速攻切られてしまったようだ。
「ははっ、嫌われてますねぇ」
「多分お前もだけどな」
他人事のように笑う探偵を軽く睨む。もしかすると反応が鈍かったのも、無視すべきかどうか迷っていたからなのかもしれない。
インターホンの脇を抜けて真っ直ぐ歩き、巨大な正面玄関の前へと立つ。見るからに重厚そうな扉を体全体で引くと、ギギギと音を立ててそれは開いた。
「島村でーす」
「服部でーす」
大広間まで聞こえるように、気持ち大声で名を名乗る。なんだかギャラリーがいないという所まで含めて絵面が若手芸人コンビの自己紹介みたいだが、まぁ気にしないでおくことにする。
「返事、ありませんね」
「まぁ許可取ったんなら入っていいだろ。すみません、お邪魔しまーす」
先程より更に大きめの声で叫び、俺は館の敷居を跨ぐ。探偵もそれには賛成のようで、特に何も言うことなく俺の背後についてきた。
そのまま大広間へ繋がる扉を一気呵成に開け放つ。少し勢いが強すぎたようで、扉はドアストッパーにぶつかり鈍い音を立てた。
「まぁ、いらっしゃいザマス」
「っと、いらっしゃったんですか。どうもお邪魔してます」
大広間には夫人が立っていた。夫人だけでは無い、田辺も森本も、果ては執事の鷹崎やメイドの神原までもがそこには揃い踏みであった。
ただよく分からないことに、夫人以外は皆何故か、俺達へは微塵の興味も示すことなく円を描くようにテーブルを覗き込んで難しい顔をしている。その異様な光景に俺は気圧されつつ、恐る恐る夫人へと口を開いた。
「えぇと、お取り込み中ですかね。館の捜査に当たりたいんですけども……」
「どうぞ、自由に捜査して頂いて構わないザマスよ。何か持ち出す際だけ教えて欲しいザマス」
それだけ言って、夫人すらもまた円の中へと戻っていく。彼らには何やら有無を言わさぬ迫力があり、俺達はただ困惑しつつ共に顔を見合わせるばかりであった。
「えっとじゃあ……すみません、始めますね」
「はいザマス」
もはや顔すら合わせてくれない。少し疎外感を感じつつ、俺はとりあえずアタッシュケースのあった部屋へと向かった。
「……探偵、なんだったんだろうな、あれ」
「さぁ、セミの羽化でも見てたのでは。夏ですし」
絶対に違う、と言いながら俺は例のソファへと向かう。どうやらブツが取り出された時のままの状態でソファは放置されているらしく、丁度アタッシュケースのあった箇所のみクッションのファスナーは開いていた。
「いやはや、あの時本当に島村さんの下にアタッシュケースがあったとは。すっかり騙されてしまいました」
諸手を挙げてやけにオーバーリアクションな態度をとる探偵に、俺はソファに触れつつ苦笑した。その点については彼を馬鹿にするつもりはない。実際俺も逆の立場だったならば、そんな所にあるはずがないと切り捨ててしまうだろう。
それっきり、部屋は静まり返る。どちらともなく、俺達は真面目な捜査モードに切り替わっていたらしかった。
**
しかし。そうしてまさぐり続けること早五分。
結論からいえば、手掛かりらしい手掛かりは何一つ見つからなかった。
当然といえば当然である、この部屋もアタッシュケースが見つかった際に警察の手で隅から隅まで捜査はなされているのだろう。むしろ、ソファが残されているだけ奇跡というものであった。
「――ダメだ。こりゃここも空振りかね……ん」
一向に手応えを感じない俺が弱音を吐いたと同時に、硬質なノックが扉から響いた。ソファのクッション片手に俺が振り向くと、開いたドアの影からはそれに負けず劣らず大きな巨体が現れる。
「お疲れ様です」
「おや、田辺さん。どうされたのです」
「用がある、という訳ではありません。ただ挨拶しそびれていましたので」
探偵の問いに答えつつ、田辺慎一郎は俺達にぺこりと丸い頭を下げた。
まったく図体はデカい癖に腰の低い男である。その右手には何やら辞書らしいものが抱えられていたが、体格差でそれはまるで文庫本のように見えてしまっていた。
「どうも、これはご丁寧に。ところで先程の皆はどうしたんですか、揃って眉間にシワ寄せてましたけど」
「あぁ……実は、メイドの神原さんに妹が出来るそうで」
俺が尋ねると、田辺は微笑みながら首筋に手をやる。窓から差し込んでいた日光が、彼の指輪に反射してキラリと光った。
「それでですね。せっかくなので、我々にも名前を考えて欲しいと」
「ほぉ、それはおめでたい」
「ええ。神原さんは高校生で、産まれてくる妹さんとはかなり歳が離れていますから。彼女にとっては、本当に大事な妹さんでしょうね」
その大事な妹の命名を任せるということは、どうやら神原流華は田辺や森本には相当気を許しているらしかった。それに引き替え俺達と来たら……自業自得とはいえ、少し寂しい気分である。
「どうです、お二人もせっかくですし考えてみては」
「え。あ、あぁ……」
そうやって誘われるとこちらとしても断り辛い。曖昧に反応をすると、すかさず彼は腕の中の『命名辞典』と題された辞書を俺へと向けた。小説家以外の人間は一生に一回か二回しか使わなさそうな書物であるが、果たしてこれはどの層に需要があるのだろうか。
「えぇと……じゃあ、まぁ。せっかくですし」
まさか、本人と険悪な仲だとここで暴露する訳にも行かない。仕方なく当たり障りのない名前を選ぼうと、俺は田辺の命名辞典を受け取り適当にパラパラと捲る。一方の探偵は特に興味が無いようで、タンスの方を何やら熱心に捜査し続けていた。
「なんかこう良さげな名前……へぇ、女の子は果実の名前が結構多いのか」
何やら巻末のコラムらしい箇所を眺めながら、なんとなく独り言を呟く。すると田辺はそれに反応して恥ずかしそうに笑った。
「実はですね。私も先程果実から名前を出したのですが、神原さんから叱られてしまいまして」
「それはそれは。どんな名前だったのです、ドラゴンフルーツとか?」
「ドラゴンフルーツて」
全クリ後に暇を持て余したRPGの勇者の如く、空っぽのタンスを開け閉めしながら放たれた探偵の一言に、俺は思わずツッコミを入れる。流石に田辺も困惑したようで、眉を八の字に下げながら続けた。
「いえ、流石にそこまで突飛なものでありませんが……檸檬ちゃん、なんてどうでしょうと提案してしまいまして」
「はぁ、檸檬ですか。いい名前だと思いますけどね」
ドラゴンフルーツとまでは行かずともそこそこワイルドな名前を期待していた俺は、肩透かしを食らったように間延びした感想を漏らす。
確かに漢字こそ難しくはあるが、決して悪い名前というわけでは無い。もしやすると神原はただ檸檬が苦手だったのだろうか、と首を傾げていると、田辺はまたも恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いえ。決して響きそのものが悪い名前というわけでは無かったのですが」
言いにくそうに、彼は俺の元へ歩み寄る。それから失礼と呟いて命名辞典を俺から借りると、コラムのページを更に数ページ進めて再度こちらへと向けた。
「まぁ、こういう理由でして」
刹那、電撃が走る。
「……」
「島村さん?」
「すみません、ちょっと」
言うが早いか、俺は田辺の腕から命名辞書をひったくる。それから更に数秒ページに視線を落とし続けると、俺はそこから目を逸らすことなく口を開いた。
「――探偵」
「はい?」
「すまん、今から俺の大学に車飛ばしてくれ」
「……はい? 大学?」
あまりにも急な依頼に、さしもの探偵も面食らう様子を見せる。俺はそんな探偵のことは無視して、代わりに目の前の田辺へと辞書を突き返した。
「島村さん、いきなりどうしました。どこか具合が?」
「いやいや、むしろ絶好調ですよ。なんせ――」
巨躯を屈めて俺の様子を伺う田辺へ、思いっきり口角を釣り上げてみせる。それから俺は、自分の晴れやかな気分を精一杯アピールすべくサムズアップを決めた。
「なんせ、お陰で謎が解けましたので」