24.夜を駆ける
「認めたくない話だが、櫻木が犯人で決まりだ」
車の後方へカッ飛んで行く街灯の光を眺めながら、俺はぽつり呟く。隣で運転している探偵は何故か鼻歌を歌っていた。
「そうですか、ローラー作戦の手間が省けましたねぇ……まぁ私は、未だに貴方が真犯人だと思っているのですが」
「……そうかよ」
それがひっくり返るとまで期待はしていない。分かっていたさと俺はため息を吐く。分かってこそいたが、少しだけ残念な気持ちであった。
「しかし、櫻木の様子に違和感があったのは事実です。嘘発見器の正体に気付いたところで、何も関与していないのならば知らないふりをして自分が有利になるよう立ち振る舞えば良かっただけの話」
「わざわざ指摘するのは不自然だ、ってか」
「ええ」
俺は頬杖をついて窓へ視線を固めたまま、相槌を打つ。反射して映った探偵は、鼻歌に加えて人差し指でリズム良くハンドルを叩いていた。
――断言して良い。
春日商事襲撃事件の犯人は、間違いなく櫻木である。
傍目には完全なる失敗に終わったニセ嘘発見機作戦であるが、しかし俺にとっては大成功であった。過程はどうであれ、結果として俺は事件を起こした真犯人を知ることが出来たのだから。
あの時、彼が放った最後の言葉は、紛うことなき俺への宣戦布告であった。まるで気取った推理小説によく出てくる読者への挑戦状の如く。あの時彼は、親友である俺にしか分からない表現で、謎を解いて自分を捕まえて見せろとそう言ったのである。
その思考は口にせず、代わりに俺は軽く舌を出してみせる。
「……ま、トリックは何も分からねぇんだけどな」
「それでは意味がありませんよ」
「うるせぇ」
それ以上に分からないのが動機だ。品行方正で生きてきた奴が、なぜこんな犯行を犯したのか。あいつはそこそこ稼いでいたはずだ、それこそ愛車のRX-8を嬉々として乗り回すくらいには。俺ならともかく、彼にとっちゃあ二千万なんて微々たるものだろう。
ましてや、狙った先が何故春日商事なのか。
「まさかあいつ、金はついでで本当は俺を狙ってたんじゃ……」
「仮に櫻木が犯人だったとしても、それは無いでしょう。貴方は天海館にいたのですから」
「あ、そうか」
ポンと手を打って納得する。だがそうなると本格的に理由が思い浮かばない。俺が櫻木に春日商事の実情を喋ったことなど一度も無いはずなのだ。
信号が赤へと変わり、車はゆっくりと静止する。目の前で車が行き交う様子を眺めつつ、俺は探偵に言った。
「ま、何にせよトリックを見破って奴に直接訊けばいい話だがな……探偵、春日商事の名簿くれ」
「名簿? なぜ今更」
「暇だからだよ、案外櫻木珪人の名前がひょっこりあるかもしれねぇ」
実は従業員だったから防犯カメラも暗証番号も筒抜けでした、なんてことになったら拍子抜けもいいところである。もっとも、そもそも彼は大学教授と言っていたから流石にそんな可能性はゼロに等しいであろうが。
「どうぞ」
「サンキュ」
手短に礼を言い、探偵が懐から取り出した書類の束を片手で受け取る。折れ目ひとつないA4の紙束がどうやって彼の胸に入っていたのか、マジシャンに化かされた気分になりながら俺はその書類へと視線を移した。
「うへぇ、ほんとに知らねぇ名前ばっかだな。同じ部署にすらこんな奴いたかって名前があるぞ」
「貴方、嫌われていたのですか?」
嫌味ではなく、真顔で探偵は俺にそう訊ねる。そんな彼の遠慮ない言葉に辟易しながら、俺は首を振った。
「一般企業に勤めてないやつにゃ分からねぇだろうよ。同じ部署だろうが名前なんていちいち覚えねぇんだ……と?」
書類に視線を落としたまま、次のページをめくろうとした所で手が止まる。一瞬、知った字があるような気がしたのだ。
「――あぁ、なんだ田中慎二郎かよ。紛らわしい名前しやがって」
てっきり田辺慎一郎がこの会社にいたのかと驚愕したが、どうやらただの空目だったらしい。残念がりながら、顔も知らぬ田中とやらに悪態をつくと探偵もそれに反応した。
「……林本」
「ん?」
「林本美貴に、桜木圭人。果ては天見聡介まで。偶然だとは思いますが、その名簿にはあの日館にいた人間と同じような名前がいくつかありますよ」
言われて、俺は該当者を探そうとページをめくる。大量の文字列の中から彼らを探すのにはしばらく格闘したが、やがてなんとかそいつらを拾い出すことに成功した。
「企画部の林本、清掃員バイトの桜木、同じく清掃員バイトの天見……すげぇ、総務部には鳥村幸太郎なんてのもいやがる。どいつもこいつも名前だけ見たらパチモンみたいだな」
「流石にパチモンとまで呼ぶのは可哀想ですが……まぁ、似てますね」
探偵も前を見たまま頷く。奇妙な偶然もあるもんだ、と俺は誰に向けるわけでもなく呟き、書類を閉じた。
「おや、まだ読んでいる途中だったのでは」
「酔った」
「なるほど」
いつの間にやら、ガンガンと頭が痛んでいた。車酔いにはそこそこ強い方ではあるのだが、流石にこの数の文字とにらめっこしながら頭を働かせるというのは無茶だったようだ。
探偵は窓を開けたらしい。東京の夜風が室内を冷やし始めた。包帯越しにこめかみを押さえつつ、俺は口を開く。
「助かる」
「ええ。車内で吐かれても困りますしね」
車は走り続ける。
流れる街並みは、歩く人々まで巻き込んでどれもこれも輝いていた。
「しかし、島村さん」
「ん」
一秒と記憶に留まらないその光景達を見ながら、事件に巻き込まれる前の平和な生活を思い出して感傷に浸る俺へ、探偵は一言問うた。
「……この車、どこに向かえばいいんです?」