21.対面、櫻木珪人
「プレリュードのパフェ、気に入っていたのですがね」
「……悪かったよ」
またも追い出され、パフェを食い損ねた探偵はコンビニの前で不満を漏らす。確かに直接的な原因が俺であるのは明白であったが、しかし探偵にも非はあると思う。そう言いたくなった俺は代わりに憮然として吐き捨てるように、謝罪の句を述べた。
「にしても、そんなにパフェが気に入ったんだな。だからわざわざ警察署近くの喫茶店を軒並み無視して、ここまで車飛ばしたのか」
「半分はそうです」
半分、とやけに強調して探偵は言う。その含みを持たせた言い方が鼻について俺は無視しようかとも考えたが、やや考えて結局は探偵の思惑通り大人しく尋ねることにした。
「じゃあ、もう半分は」
「――貴方、正直なところ一日延びたところで真犯人を捕まえられるとは思っていないでしょう」
「うぐっ……」
いきなり図星を突かれ、俺は思わず顔を顰める。完全に諦めているという訳では無いが、確かにもはやこれ以上打てる手は持ち合わせていなかった。
「ですから、手伝ってあげようと思いまして」
「……手伝う?」
「えぇ。とはいえ勿論、貴方の主張をまるっきり信じた訳ではありませんよ。そういう意味では、アイデアを貸すと言った方が正しいかもしれません」
探偵はしつこく念押しをする。なんだか楽しんでいるというか、遊んでいるように見えるのは気の所為なのだろうか。彼に縋るしかないとはいえ、不安でたまらなかった。
「さて、ということでまずはホームセンターに行きましょうか欲しいのはそうですね、防犯ブザーとヘルメットと……」
「防犯ブザー、ヘルメット……?」
羅列をオウム返ししつつ、そこでようやく俺はここまで探偵が車を飛ばした理由を知る。確かに警察署の辺りにホームセンターは無かったような気がするが……それにしても、果たして防犯ブザーでこの男は何をするつもりなのだろうか。
「ははっ、上手く行けばよいのですが」
買い物メモを取りながら探偵は不敵に笑う。
だが俺の目には、その表情が悪巧みのそれにしか見えなかった。
**
重厚な留置所の銀扉を開けると、ドラマの中でよく見る分厚いアクリル板が鎮座していた。
実物を見るのは初めてである。もっとも明日にはこの向こう側へぶち込まれることになるのかもしれないが、それは今考えたくない話である。
さて、宝くじ売り場にも似たその壁は、しかしそんな呑気なものでは無い。あくまで似ているのは形だけであり、留置所のそれには冷徹且つ容赦ない断絶があった。
「よお」
断絶の先へ、声を投げる。
と、同時に向かいで櫻木は痩せた童顔をゆっくりと上げた。シャープなデザインの眼鏡が、明かりに反射して鋭く光る。
「……やぁ。大丈夫かい」
「それは俺のセリフだな。お疲れか?」
「まぁ、ね」
ユーモアを込めて言うと、櫻木は力なく笑う。隠しているつもりなのだろうが、その疲弊は手に取るようにアクリル板を通して俺に伝わってきた。
「というか、僕の質問は君の頭の包帯についてだったんだけども」
「ち、ちょっと転んでな……まぁそれはいいだろ。それより聞いたぞ櫻木、認めたんだって?」
「うん、そろそろ限界になっちゃった。本当はやってないけどね」
「分かってるよ」
俺がやったからな、とまでは言えずに不自然なところで黙り込む。しばしの沈黙の後、今度は櫻木が口を開いた。
「それに、君こそ。警部さんから聞いたよ」
「あぁ。勿論俺じゃないけどな」
「分かっているさ」
お互い、主語を欠いたセリフが飛び交う。心の通じあった友人だからこそ成立し得る会話が、俺を感傷にどっぷりと浸からせた。
「どうだ、やっぱりメシは臭かったりするのか?」
「それは刑務所だろう。留置所のご飯は冷たいけれど、味自体はまだマシだよ。もちろん嫁の料理の方が遥かに美味いけれどね」
櫻木の言葉に、自然と俺の視線は彼の細い指へと移る。ハリーウィンストンと言ったか、目玉が飛び出るほどに高級なその指輪は彼が愛妻家である何よりもの証左である。
「嫁さんはなんて?」
「なんにも。相当ショックだったみたいでさ、今は実家に帰ってるよ」
表情こそ笑みのままであるが、その声からは苦痛が強く感じ取れた。会えないこと以上に、最愛の人を傷付けたことを悔やんでいる声であった。
「だから正直、心配でさ。もし良かったら様子だけでも見てきてくれると嬉しいんだけども」
「……俺、お前の嫁さんに会ったことないんだが」
「あれ、そうだっけ」
意外な事実、という風に櫻木は目を丸くする。俺はウンウンと頷いて、補足がてら言葉を付け加えた。
「なんなら嫁さんの顔すら知らねぇぞ。俺達がお前の家に遊びに行く時も、毎回嫁さん外出してたし」
「あぁ、そういやそうだったね。一応あれは本人曰く、空気を壊さないようにするための気遣いらしくてさ。感じ悪いからやめろって言ってるんだけど……どうにも人見知りというか」
「ま、人見知りなら避けるのは正解だな。俺ら全員酒癖悪かったし」
「ははっ、それはそうかもね」
「他人事のように笑ってるが、お前も含めての話だぞ? 大学時代なんか酔ったお前がやたら俺に抱きつくからって、一部からはホモカップルだと思われてたらしいし」
小気味よいリズムで、俺達は目の前のアクリル板すら忘れて談笑する。
会話のたびに押し寄せてくるぬるま湯のような感傷は、いつまでも浸かっていたい程に心地良かった。
「ま、それじゃあまた今度紹介するよ」
「あぁ。また、な……」
会話の締め括り、その一言に含まれた意味を見逃したくなくて。俺は思わず、また会話を広げそうになる。
けれど、時間はあまり残されてはいない。
面会時間は限られているし、俺にも期限がある。俺は少し緩んでいた表情をまた締め直すと、真っ直ぐに目の前の"容疑者"を見つめた。
「……っと。話が逸れたな櫻木、そろそろ本題に入るぞ。今日俺は冤罪を晴らすためにここへ来たんだ」
「それは、どっちの冤罪?」
「そっ……」
ニコニコ笑顔のまま訊かれ、一瞬俺は詰まる。
もちろん、決して俺は彼の冤罪を晴らしたくない訳では無い。一人の友として、俺は彼の自由を取り戻したいと思っている。だがしかし、それと同じくらいに、俺は真実に蓋をしたままにしておきたいのである。
多分きっと、彼のその質問は他愛ないものなのだろう。もしも仮に俺のためだけと返したところで、彼は惜しみなく協力してくれる。そういう男である。
けれど、だからこそ。
俺は嘘をついた。
「――そりゃあ、両方だ」
「そっか」
取り繕った笑顔を向けると、櫻木は微笑む。
見透かされたのかもしれないが、それを尋ねるわけにもいかなかった。
「協力、してくれるか」
「それは構わない。けど……」
そこで初めて、彼の顔に陰が差す。
視線は俺の背後を見ていた。そして俺は、振り返らずともそれが何に対するものなのかを把握する。
「気にするな。あの探偵は俺の味方だ」
「……そっか。君がそう言うなら、そうなんだろうね」
おう、と俺は力強く頷く。彼は少しだけ安堵した表情を覗かせた。
「で、協力って具体的に何を――」
「そう構えるなって。お前はただ、質問に答えてくれればいい」
言いつつ俺は敢えて乱暴に、一台のノートパソコンを机へと置いてみせる。櫻木はその勿体ぶったアイテムの登場に、流石に面食らった様子であった。
「……なんだい、それは」
「なに。大したもんじゃねえ」
俺の合図と共に櫻木の背後から現れた刑務官が、何本もコードを生やした白ヘルメットを彼へと無言で差し出す。
櫻木が戸惑いながらもそれを両手で受け取ったことを確認して、そこで俺はようやく彼に最終兵器の名を紹介した。
「ただの――嘘発見器さ」