17.急転
「――なあ」
頬杖をつきながら俺は言った。ひとつの疑問を胸に。
「今更だけどよ。なんで俺達屋外席に居るんだ?」
「……」
探偵は答えない。ただ玉のような汗を流すのみであった。仕方なく俺は俺は言葉を続ける。
「昨日はよ、殺人だ強盗だって発言聞かれたくなかったし、春日商事が良く見える。だからここにしたんだよな?」
「……中へ行きましょうか」
「遅せぇよ」
やはり何も考えていなかったらしい。俺は思わず頬杖から頭を落とし、テーブルに突っ伏した。
一応、レストラン内での勝手な席移動はマナー違反とされることが多い。とはいえ、今の慌ただしく駆けずり回っている店員達に許可を取るため声を掛けるというのもまた、何やらはばかられる雰囲気であった。
さてどうしたものやら、とゴシゴシTシャツで汗を拭いながら考えていると、いきなり右側から涼しい風が吹く。向けば、ちょうど先程の大学生店員がスパゲティを二つ手にやってくる所であった。
「お待たせ致しました。カルボナーラと――」
「あー、すみません。やっぱり中の席に移動させてもらってもいいですかね?」
「ニョ?」
一刻も早く戻りたかったのだろう。とてつもない早口で商品名を読み上げる彼に俺が手を挙げて言うと、店員は奇妙な相槌を打った。ニョッキと言いたかったらしい。
「あぁ、ああ。それはもちろんこちらとしても有難いところ――じゃなくて。ええと、ではこちらに」
思考がダダ漏れである。もっとも俺達もさっさとエアコンの涼しい風に当たりたいのは同感であったから、特に何も言う訳でもなく彼からスパゲティをそれぞれ受け取って席を立つ。
……なんだこれ。
真夏にコートを着た男と、TシャツGパンの男がそれぞれ大皿のスパゲティを大事そうに抱えて歩く様は、なかなか滑稽なものであった。
「……あ」
しかし店員は、扉を開けたところで突如立ち止まる。早く行け、皿が熱いし背も暑いと内心言いたくなったが、全力でそれを押しとどめて彼の言葉を待つ。
気の毒そうな表情でゆっくり振り返った彼は、俺達に残酷な事実を突きつけた。
「すみません。中、満員です」
**
物凄い速度でパスタを平らげた俺達は、そそくさとプレリュードを後にした。なにせお冷のお代わりを頼む度に皆ガックリした様子でやってくるのである。流石に申し訳なくなってしまった。
「あんま食った気しねぇな」
「まぁ、所詮カフェ飯ですから」
それは理由になっているのだろうか。
まだ昼と言うこともあり、日差しの強い中も人通りは絶えることが無い。ジリジリと熱で景色が歪むのを感じながら、俺は一つ伸びをした。
「さて、じゃ留置所まで……って頼みたいところだけども。コーヒー飲みたくなったから先に飲み物買ってくるな」
「なぜ喫茶店で頼まなかったのですか……まぁ分かりました、自販機なら春日商事の裏ですよ」
「知ってる、いつもそこで買ってるからな」
言いながら、俺は向かいの春日商事へ道路を渡って走る。脇の細っこい路地へ入って右へ折れると、昼なのに真っ暗なそこには自販機の姿があった。
「毎回思うが、なんでまたこんなジメジメしたところにあるんだよ。案の定今日も地面ぬかるんでるし」
昼間でもビルの陰に隠れて日が差さないせいか、路地はまるでスラム街みたいな光景である。自販機よりさらに奥の暗闇では、こちらを見る金の双眸がニャーと鳴いて消えた。たぶん黒猫だろう。
「しかもエナドリ系だけやたら品揃えいいんだよな……これ。なんか自販機も春日商事の社員に見えてきたぞ」
手際よく小銭を差し込み、豊富なラインナップのエナドリを全て無視してコーヒーをタッチ。ガシャガシャポンと吐き出されたそれを掴んで振り向くと、俺はそこに人が立っていたことに気付いた。
「おっ……と。失礼」
ここに人が並ぶのは珍しい。俺はその脇を手刀を切りながら抜け、それからそいつに背を向けた状態で缶コーヒーのプルタブを開ける。
俺はその黒色の液体を、大きくひっくり返して一気飲みした。
「ふーっ、マッズ。だが缶コーヒーはこのマズさがクセになる。味わって飲むもんじゃねーけどな」
「――島村幸次郎、だな?」
「ん?」
自分でもよくわからんことを口にしながら、何となく缶コーヒーの成分表示を読んでいると背中から声を掛けられた。
振り向き、声の主を見る。
それは先程俺の後ろで順番待ちしていたはずの人間であった。自販機の音はしなかったような気がしたが、そいつは何故かこちらを向いている。
「あれ、もしかして社員の方……」
現場に追悼でもしに来たのだろうか、と俺はそいつに挨拶しようと明るい声で尋ねる。だが、途中で違和感に気付き、そのセリフも自然止まった。
フードを目深に被り、まるでどこぞの探偵の如く暑苦しいコートで体のラインを隠しているそいつ。日陰とはいえ真夏にその格好は、暑苦しいことこの上ないだろう。
そして何より。奴はこの場に似つかわしくないモノを握っていた。
スパナである。いや、モンキーレンチかもしれない。要はその類。それは普段ボルトなどを締める際に使われるが、しかし――
――時に凶器としても、充分な威力を発揮する。
直後、襲い来る衝撃。
左から訪れたそれは、一撃で俺の意識を霞ませた。
「がっ……あっ」
「……警告」
痛みに耐えきれず、膝から地面に崩れ落ちる。
傷口を抑えて藻掻いた俺の耳に、声が響いた。
流れ出た血液のせいか、もはや前は見えない。しかし声の主がそれ以上、俺に追撃を加えるつもりはないらしかった。足早に、去っていく音が聞こえる。
――なんなんだよ、畜生。
吐き捨てるような悪態を、水溜まりか血溜まりかも分からない液体に顔を突っ伏したまま思わず呟く。
それっきり、俺は意識を失った。