10.聴取、森本美樹
「わたしは一昨日、朝の七時に愛車であるポルシェ911に乗ってここへ訪れました」
森本美樹と名乗った、もう一人の貿易商の事情聴取もほとんど同じような始まりであった。金持ちはいちいち車種を言わねば死ぬ病気にでもかかっているのだろうか。アルティメット大根……じゃなかった、スーパーカブが愛車の身としてはそんな病気には死んでもかかりたくないものだ。
「わたしが到着した時には、既に田辺さん以外のみなさんはお揃いだったようで。メイドさんから連絡を受けて、そこからは部屋に居ました」
喪服に身を包んだ彼女は、ハーフアップの髪を撫でつつ言う。初対面の時から小柄には思っていたが、それは決して田辺という巨漢が隣にいたからという訳では無いらしい。身長は恐らく160に満たない程度だろう。
彼女の語った行動は、田辺とほぼ同じである。というか、到着が少し彼らよりも早かっただけで俺や櫻木がとった行動だって全く同じだ。この調子では、彼女から新たに手に入る情報は大してなさそうであるが。
「それから十一時に食事会が始まって、ええと……終わったのは」
「十一時五十分ですね」
「あ、そのくらいでしたっけ。そこからは紗栄子さんに誘われて、大広間でパッチワークをずっと一緒に」
「ん、パッチワーク?」
随分年寄りじみた趣味であるが、一応見たところ二人ともまだ三十路には差し掛かっていない。いや、別にパッチワークに年齢制限があるという訳では無いが。
それよりも重要なのは、彼女と紗栄子夫人には強盗事件の時間帯にアリバイがあるということだ。俺はキュッキュと二人の顔に心の中でバツ印を付ける。
「ちなみに、その時間に玄関を出た人とかは」
探偵は尋ねた。言われてみればさっき俺達が大広間にいた時、執事である鷹崎が玄関を開ける音は俺達の耳にまで届いていた。もしかすれば、強盗に出発したタイミングが分かるかもしれない。もっと言うなら、誰が出たのか、もだ。
しかしそんな期待を打ち砕くように、彼女は即座に首を振る。
「いえ、ずっと耳を傾けていた訳ではありませんけれど……でもそんな音はしなかったと思うので、多分誰も出ていないかと」
「そうでしたか、ありがとうございます」
探偵は特に肩を落とした様子もなく頷く。もっとも犯人だって、ドアの音に細心の注意を払っているのは当然だろう。そもそも、玄関を経由しなくたって今日の俺達のように自室の窓から出入りすることも可能である。
それから一瞬探偵は考える仕草を見せ、問うた。
「ところで関係のない話をしますけれど、貴方拳銃を扱ったことはありますか?」
「……へ?」
「おまっ……」
キョトンとする彼女の前で、俺は慌てて探偵の口を塞ぎにかかる。しかし彼はそれを首を傾けるだけで回避して、続けた。
「どうでしょう? たとえばハワイの親父さんに教わったとか、そういう」
「いえ……両親共に文京区在住ですし。拳銃も扱ったことは無いです」
「そうですかそうですか」
探偵は満足気に頷く。なるべく捜査の目的を知られたくない俺としては、探偵の行動はあまりにも厄介すぎるものであった。というか、彼女は既に容疑者から外れているではないか。今更拳銃の扱いなど聞いて何になると言うのか。
「ちなみに、一昨日に他に気になったこととかは」
「ありません……あの、もういいですか?」
探偵の言葉で自分が疑われていることを悟ったのだろう。警戒を隠すことも無く、彼女は端正な顔を曇らせながら言う。田辺に比べれば聴取に使った時間はほとんど無いようなものであったが、しかし尋ねる彼女これ以上付き合ってくれるつもりは無いようであった。
「えぇ、えぇ。結構ですよ。それでは失礼」
「……すみません森本さん。失礼します」
「はい」
気付けば捜査の主導権を完全に探偵に握られてしまっていた。俺はややそれに苛立ちながらも、仕方なく探偵に倣って彼女の部屋を去る。
右手で扉を閉めながら、俺はふと何となく彼女の手を見る。
その細い指に、指輪は見えなかった。
**
「……いやはや。あそこまで警戒されてしまうとは」
「ホントだよ。何やってんだお前」
まぁ、あの調子で進めても新たに得られる情報はさして多くなかっただろうから、正直なところ大した痛手という訳ではない。事件前後の大広間の詳細な様子だって、同じくそこに居たらしい夫人から聞けば良い話ではある。ただ、それとは別にして俺にはこの男の行動が理解出来なかった。
「なんだよ、拳銃の経験って。仮にあったとしても既に容疑者からは外れてるだろ」
「もう櫻木の例を忘れましたか、アリバイなんて簡単に作れます。そういう意味では拳銃の扱いというのも重要な捜査項目なのですよ。特に華奢な女性陣にはね」
サラリという探偵に、そのために聴取打ち切られちゃ意味ねぇだろと俺は吐き捨てる。それから俺は嫌な予感がして、また探偵に質問を投げた。
「……お前、紗栄子夫人にも同じこと聞く気か? また警戒されたらどうすんだよ」
「いいんですよ。というより、警戒という反応も重要な情報だ」
探偵はまるで講義を行う教授のように、俺に向かって手を広げる。言葉の意味を計りかねている俺としては、その動きは鼻について仕方がなかった。
「警戒、というのはすなわち疚しいことがあるということでしょう。そういう意味でいえば、先程の彼女の反応は極めて怪しいとも取れる」
「じゃあなんだ、夫人とのパッチワークはアリバイトリックの影武者で、本物はその頃渋谷区で拳銃をブっ放してましたってか?」
「その可能性だって捨てきれません。まぁ私自身は未だに貴方が犯人だと思っていますけれどね」
無駄に後半を強調しつつ探偵は言う。しかし、そう簡単にアリバイトリックが成立するものだろうか。声を聞いただけとかならともかく、夫人と彼女は顔を合わせてパッチワークという共同作業を行っている。いくら何でも、影武者やらのトリックでどうこうなるものとは思えないのだが。
「……ま、美人が真犯人って展開が燃えるのはよく分かるけどよ」
「ほう、分かりますか。いい趣味をしていますね」
そこだけは全面賛成の姿勢を見せながら、俺は煙草を取り出して探偵に休憩の誘いを送る。
燃えるが、出来るもんなら美人を逮捕する真似はしたくないものである。もっとも、俺は手錠を掛ける役では無く。
――むしろ、掛けられるべき方なのであるが。