ーふたつめの星の章ー
前回の続きです。
へぼな星読みの男三郎と五郎さんのお話です。
【な】
やっ「うーん。」
ぱり、どうも三郎にはそれらを理解することが出来ない。
小夜の左脇に五郎が座って、出されたほくほくの焼き芋を前足で器用に掴み食べている。
「・・・それって、星詠み達の自然の叡智や呪術の奪い合いって事ですか?」
三郎が、また薪をくべる師匠に向かい言った。
「・・・あ?」
「だから、 ・・・奪い合いって・・・って事になりますか?」
「いや、そんな簡単に奪えないぞ。」
切れ長の目がより一層細くなり、浅い眼尻の皺が師匠の経歴に深みを与えているようだ。
「何よりそれは神の叡智なのだ。人智を遥かに超えた所の。だからこそ・・・。」
師匠は静かに星が瞬く夜空を見上げ、三郎は手持ちぶたさに小石を拾い焚き火の揺らめく炎の中へ投げた。
「我々人は神の叡智の継承はすれど、全てを網羅する事はできない。しかし、それを利用する事は出来るのだ。上手く伝承していければ子々孫々我らの国は栄えていけるという事なのだがなぁ。」
師匠はにっこり微笑んだ。
「だから・・・前回、ここに来た時、星詠みと祓い屋集合せよと??」
「確かそんな事も言ったなぁ・・・。」
師匠はまた小枝を火にくべた。
「 だがな。」
と、師匠は言った。
「わしの気持ち的には、集合して頂きたいがクソッ、単独で行動する者ばかりであろうな。」
「それなら、まっ。都をいや、それ以上広い世界感で見た時、神よりもたらされし、この世の自然の叡智、呪術を皆で守るだなんて、人の良い事をする人があるか、ボケ。・・・と、言われているようですね。」
三郎が静かに背筋を伸ばし隣に座る師匠をふっと見た。炎を操りいじる師匠。
「この世は、ありとあらゆる術を使い、奪い合う世の中であるのに・・・そんな皆が力を合わせて立ち向かうという事はしない。」
「いや、そんな事はないだろう。」
そう言うと、師匠は三郎を見つめた。
「お前はどうする?」
「お、俺・・・!!」
今一瞬、師匠が若い女人のように見えた。
「師匠、それは俺がその術や呪いを手にしたら「自らのもの」だけにするかと言うことですか?」
師匠は目くばせした。
「・・・良いものに使え。」
もしかしたら、焚き火の煙に巻かれて目がしみたのかもしれないが。
「は?師匠?良いものにですか?しかし、師匠。それでは、僕が何か斎王が残していこうとしている術や呪いをすでに手にしているような言いぶりですね。」
「三郎・・・。何か難しく考えているのではないか?」
「難しく考えているな、と、言われると。逆に難しいです。」
なんか、頭が痛い。
「その、頭の痛さだ。超えるところにそれはある。」
師匠は意味深に腕組みをして顎をかいた。
「それって、俺の死んだ先って事ですか?」
「・・・。」
師匠は言わない。
「ふむぅ。」
本当に頭が痛い!
「ふふふ。言ったところで分からないだろう。もう、今日はお休み。ほら見てみなさい、小夜も三郎お前に寄り添い隣で寝ているじゃないか。ありったけの愛情をかけて、守りきりたいのであれば・・・摂津国へ行くと良い。」
三郎の肩に寄りかかりながら小夜は小さな寝息をたてていた。
「しかし、斎王が持つ術や呪いの力は・・・」
と、言ったところで次の薪をくべようとした師匠の手から薪が落ちた・・・。
「三郎・・・!ほら、後ろを見ろ!」
三郎が振り向くと、闇の異空間からポッと白い霧を纏い大きな白い獣が現れ隣にいた小夜をパクリと咥えて闇の中へ消えて行ってしまった。
ほんの一瞬の出来事であった。
(・・・なんと、言うことだ・・・)
「多分、あの獣は五郎・・・だ。」
三郎が呟き、うなだれた。
ポン。
師匠が三郎の肩を叩き言った。
「・・・今回の神送りは、きっと三郎お前一人で行けと言う事だと思うぞ。」
「は?」
「・・・どこからそんな!こんな状況で、そんな事を言えるのですか??」
「・・・ふふふ。」
苦笑いして頭をかきつつ師匠は言った。
「だって、お前、屋敷が燃えたその時も、五郎はいち早く小夜を逃したであろう。・・・お前の一番大切なものを守ってくれている。わしはそう思いたいぞ。」
ぶっちゃけ、三郎は五郎の事はあまりよくわからない。三郎は少し涙ぐんだが。
言葉にできずに手を強く握った。
「・・・。師匠。それでは、私は何をしたら良いでしょう?」
「・・・はぁ。」
前髪をかきあげながら師匠は三郎を見おろしてはいないが見つめて言った。視線はその先に。
「もう、何度も言っているが。・・・三郎、お前は少しでも後世に神の叡智が残るように手を尽くすべきだ。・・・きっと、君を妨害するやからも出てこようがな。」
「師匠。」
地面にひざまずき、師匠を見上げ叫ぶ三郎。
「師匠!・・・ならば、どうすれば摂津国にいると言う神送り後の星詠みの方々に会えるでしょうか!この僕に教えてください。」
「・・・まず、住吉三神、住吉大社へと行くのだな。・・・俺も行けたら行きたいのだが。」
「住吉大社へ、ですか?。」
「・・・いいから行ってこい。そこの、裏の木に栗毛の馬を繋いでおいたから、行けるところまで馬で行け。その馬は三郎、お前にやる。」
「わしは、君が帰って来るまでに、しなければならない事があるから、それをしているぞ。
もう、多分、この山には来ない・・・。わしも・・・この間、女を抱けて良かったよ・・・。」
「・・・?抱けて良かった?まるで、もう、終わりのような事言わないでくださいよ。師匠!」
師匠が手を前面に押し出して、
「何を言うかと思ったら!ほんに、鈍感な男だなぁ‼」
「わしに神秘的な力を送ってくれた女神様あっての働きをする事が出来ると言う事さ。」
「・・・あっ。」
(あぁ、性的力・・・)
「ふふ・・・・・・。」
「あぁ!そっち・・・の。」
男女が交わる事で得られる力。性的力の顕現。その力を用いて強力な呪術を施したりする。
「フンフン。」
鼻歌交じり師匠は笑顔で掘っ建て小屋へと向かって行ってしまった。
三郎は師匠に言われた通り、栗毛の馬にまたがり、師匠に何も告げずに摂津国へ向かい馬を走らせた。師は掘っ建て小屋の中。大きな薄い一枚岩の上にカラフルな石を転がし、
「わしも、わしの早馬が居なくなったんで、もう、一夜の女人は抱く事もないだろう。」
「・・・それじゃあ、何度も女人を抱きに行っていたみたいに聞こえますよ。」
暗がりの藪の中から小夜と大犬に化けた五郎が現れた。
「いやぁ、君たち。わしは結構、女人にモテるのでな!毎晩引く手数多じゃ!!それにしても、三郎のやつ。やっと行きおった。」
「・・・お師匠様。本当に、三郎様に出来るでしょうか?」
師匠は短い枝をもって何かを描き始めた。
「出来る、出来ないじゃなくて。やるっきゃないのだ。それが三郎のお役目だ。」
「でも。」
小夜が不安交じりに叫ぶが、師匠は続けた。
「ほんとはな、お役目なんて誰にもないのだ。」
(ただ、心に、心のゆくままに・・・)
「・・・それでは、何故だか・・・」
そこで、小夜は言葉を失った。小夜は師匠に今までのお礼と三郎の無事の帰還の見守りを深々と頭を下げてお願いすると、暗い夜道を五郎に先導され都へと戻っていった。
「・・・なんて事ない。この世に起こる現象なぞ。」
「神の起こす事も。人の起こす事も。・・・本来はなんて事ない事なのだ。そして、なるようになるが、どのようにしていくかで・・・物事は変わっていく。」
【ら】
三郎は師匠から頂いた栗毛の馬を途中で降り、摂津国へ行くのを断念していた。
馬で行けなさそうなわけではなく。
駆けているうちに、師匠の言葉を思い出し、きびすを返し、都へ戻ろうとしていた。
「・・・別に、僕は摂津国へ行かなくてもいいんだ!なぜなら、師匠が摂津国の星詠みの子孫だからだ!!」
三郎はとうに忘れていた。師匠の出生の秘密を。
・・・ワイルドな彼が、なぜ、過去に貴族だったのか・・・
師匠はあの時「もう、わしはこの山にはいないだろう。」と言っていた。
・・・今、戻っても、もう、師匠は居ないかもしれない。と言うか、今まであの山に師匠がいた、という事でさえ、ある意味奇跡だったのだ。十数年前に初めて師匠とあった時、そして数年間師匠の元に弟子入りしていた時、師匠と三郎は日本各地を転々としていた。
そこかしこで、星詠みをしたり、祓い屋の仕事をしたりして生計を立てていた。
常々師匠は三郎にこう言っていた。
「星詠みも祓い屋の仕事も、いや、どんな仕事だって、腹八分目で良いんだよ。と、言うかのめり込みすぎは身体に毒だ。・・・わしは常にそう思っている」
師匠の信念がそうだったので、弟子として側に居た時三郎は決して疲れすぎることはなかった。それから、身体への負担もそうなかった。
逆に独立して、斎宮の星詠みの執務室に通い、斎王に仕えるようになってから―の方が肉体的にも精神的にも三郎を疲れ果てさせていた。
師匠は三郎が星詠みや祓い屋の仕事を失敗しても決して怒らず、微笑んでいた。
「・・・君が失敗したと言うことは、そうなる因果だったのだ。もし、これからも君がこの仕事を続けたいのであれば、今日の失敗を恐れずまたの機会を逃さぬように。」
優しい言葉だけれども厳しい言葉だった。今、思い出すと、
(・・・守りたいものがあるならば・・・)
みたいな言い回しだったけれども。
師匠に馬をもらい駆け出してから半日が経っていた。太陽が真上に登っている。
師匠が十数年間住み続けた掘立小屋がある!あの場所まで三郎は帰ってきていた。
「師匠!」
三郎の野太く高い声が山の谷間に響く。
「師匠ー!」
(・・・もう、次会う時は山にはいないだろう。)
そう言っていた師匠。
(もしかして、本当にもう居ないのか・・・)
三郎は後悔ばかりが残る。すぐ、側に居たのに。
(・・・・・・でも、しかしあの師匠の事だ。「・・・別にやらなくても良いんじゃないか?」的な事をいつも、三郎が物見遊山で星詠みをしていたりするといつも言っていた。イノシシに襲われて命からがら逃げてきた時なんて、いつもの微笑みが苦笑いになっていたし。)
「「・・・だから、別にやらなくとも、と言ったのだ。でも、そんな君がわしは好きだ。」」
「「がっ、はっはっは。」」
と腹の底から笑っていた。
三郎にとって、師匠は、父でもあり、母でもあった。いつでも、三郎を受け入れてくれる広い心を教えてくれた。そうやって、育てられたから三郎は貴族?ではあるが、誰とでも分け隔てなく付き合えるようになったのかもしれない。
(・・・どんなに大切な事だとしても、やり過ぎる必要なんて何もないんだ・・・)
それが、師匠から三郎への重大でかつシンプルな教えだった。
(だから・・・だから、こそ、きっと・・・)
「今回も・・・。」
掘立小屋の中へ入ると師匠の足が見えた。
(?隣に誰か寝ている女人か??)
「・・・しまった!」
三郎は(見てはいけないものを見てしまった)と思い、すぐに掘立小屋から離れると、いつも、師匠が焚き火をする場所で薪をくべ、炎を灯した。三郎はもう、無心で炎を見つめ、炎が小さくなるとまた薪をくべた。その途中で、
(もしかして、あの女人の足は小夜だったのではないだろうか?でも、着物は小夜が着ていたものとは違って見えた。・・・でも、師匠からもらったのかもしれないし・・・)
(「それならば、戻って確かめよう」)
・・・とは、ならなかった。
(その目で確認して、もし、やっぱりそうだとしたら・・・立ち直れそうもないだろうし。)
長い時間火の前にいたのだか、あたりが暗くなっても、物音一つしない掘立小屋が気になって、仕方なく三郎はもう一度、見ることにした。そぉーっと、見ることにした。
中に入ると、やはりまだ、師匠と女人は寄り添うように薄い岩の板の上で寝ていた。
暗くてよく見えないが、女人の顔は・・・。
【む】
山中の夜の闇とは本来、これほどまでに深くて静かなものなのだ。少し霧が足元まで出ていて寒い。山に抱かれている、そんな安心感は何故かあるのだが。三郎が起こした焚き火の薪のはぜる音が三郎の耳に響いてくる。
三郎はつい、まじまじと師匠と女人を見てしまった。彼女の顔は若く美しい、どこかほわっとした柔らかな視線で師匠を見上げみつめている。
「!」
今より、少なくとも二十歳は若いであろう師匠の姿がそこにあった。 薄い岩の板の上に二人の残像思念か?が、ぽわっと写し出されていた。すると、三郎の頭に響いてきた。
「私達は永遠に愛している、君がこの映像に気がついた時には、私達はきっと君たちに贈り物を都に残しているだろう・・・君が受け取ってくれないか?」
( うむむ。)
残留思念?と脳裏に響く言葉は一瞬にして消えた。 後に残ったのは、薄い岩の岩盤とカラフルな小石数個と、何かが、ある炭で書かれた文字?または絵だった。
(都に贈り物?あ、これ、・・・やっぱり、あの師匠の事だ(斎王と師匠は特に)こういった回りくどい言い方をする。そうかと、思いきや・・・だし、そのまま情報として受けとるのは、馬鹿げていそうだな⁇ 何か必ず何か裏がある。)
女人は、小夜でないのは確かだった。
(ひと安心だ。ともかく、ここに師匠が居ないのは確かなようだし、都へ行けと言っているようには聞こえる。)
一瞬、慌てて栗毛の馬に乗って行こうとしたが、谷間の山道は馬より歩きで行った方が早い!
(・・・それにしても、印象に残る女性の顔だったな・・・ま、師匠も若かったけれども・・・)
( もしかして、師匠が昔結婚していたお相手さんと言うことかな?そういえば、子供もいたとか言っていたしな・・・。)
「・・・三郎、お前は優秀な俺の子だなぁ!」
「可愛いなぁ!」
「可愛いなぁ!」
何かある度に、いや、何が無くても師匠は三郎にそう言って頭を撫でてくれた。
それ程の事なんか、三郎はしていない。そう思っていた。
(星詠みも、祓い屋の仕事も、あの頃も、今も、僕には師匠のように上手に出来ているとは思えない)
・・・別れてしまった、彼女と子どもを思うと辛かったのだろう。
「・・・ちょっと、気持ち悪いよ師匠。」
なんて、真剣に思っていたりした。
(懐かしいな。)
師匠と三郎が初めて出会ったのは三郎が四歳の時だった。
三郎は両親が生まれた時から居ず、そこいら中の大人に愛情貪るように求め歩いていた。
斎宮の祭祀が滞りそうなほど、やんちゃし尽くした。小さなことで言えば、祭具を壊したり、鏡を埋めたり、斎王の首から勾玉を取り上げあげ、床に投げつけバラバラにしたり、榊の木を数本燃やしたりした。何より斎王の膝の上に乗って甘えたりもした。そんな三郎だから、周囲の大人は三郎を持て余していた。
・・・あの時すでに若々しく凛と輝く斎王は斎王の玉座に座り、そこにいた。
初夏のその日、初めて会った男人の官僚に連れられて、斎王の前で師匠と引き合わされた。師匠は、きっちりとした正装の束帯に身を包み斎王に深々と頭を下げ、すっと、こちらを振り向き両手を広げた。
「斎王から聞き及んでおるぞ。お主には、恐れと言う観念がないのだな。」
師匠は、苦笑いしながらそれでも、優しく爽やかな微笑みを湛え俺に話しかけて来た。
何も言わずともがな、三郎は師匠の胸の中へ飛び込んでいった。師匠の広い胸は硬いが柔らかく暖かい。優しそうな微笑みをくれた。それが初対面での印象だった。
十歳まで、師匠と三郎は都で暮らしていたものの、師匠の都合で(女人関係で)都を捨て、山の掘っ建て小屋に住むようになっていた。それから、本格的に星詠みと祓い屋の修行の為に全国行脚へ。
「・・・師匠。彼女のこと、子供のこと大好きだったんだな。だからって、俺のこと可愛いとか言うの、気持ち悪かったよなぁ。しかしまぁ、見せつけちゃってさ。小夜と俺の件で、少なからず。いや、確かに!(俺にだって!愛する女はいるんだよ!!)を、見せつけたかったのだろうなぁ。」
普段が荒々しく力強い師匠だけに。
(こんな、手の細かい細工を残し、消えるなんて!ほんと、いつまでも挑発的な師匠だなぁ!!)
((それでこそ、俺の師匠!))
(都に、三郎に渡したい?もしくは受け取ってほしい何かがあるらしい。 ・・・のかなぁ。)
(やっぱり、分からない。師匠はとても挑戦的で挑発的だから(いつものことだけど))
都へ向かい山道を歩いてると、深い睡魔に襲われたので、仕方なく道の脇の草はらにごろ寝することにした。
(深夜に行進か?)
三郎も、何となく長細いそれらが一斉に山を降りてゆくような気配を感じた。だが、深夜に普通それらは動かないし、気配がするだけで姿も音も聞こえない。なので、逆にそれらに襲われぬだろうと、たかをくくって眠りにつけた。師匠に教わった中の一つに時たま、ある種の動物たちが山から姿をくらます事がある。とかなんとか。難しく考えるのも今の三郎には困難なので、秒殺で深い眠りについた。
((・・・その頃、都では・・・))
わかよたれそ つねならむ
「我が世誰そ 常ならむ」
(この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。)
「是生滅法」
【う】
「にゃーお」
妙、やたらに猫のよく通る鳴き声が聞こえてくる。
深夜の濃い霧の中、濃い緑色の影が揺れ動く。霧がかき消され、白装束を身にまとい、赤々と静かに燃える雰囲気の男人が斎王と神が住まう斎宮の奥殿を見下ろしていた。
三郎が目を覚ましたのは、あれから半刻過ぎてからのことだった。山道に濃い霧が立ち込めている。胸の上にずっしりとした重みを感じたので、それをどかした。それは艶やかであり、体温を感じた。
(しかし・・・?この深夜にそれが起きているとは少し考え難いのだが。)
まだ、ぼやける目をこすり、こすり、その長いものをじっと、見つめた。
「こんな寒い、・・・深夜に漆黒の大蛇ときた!」
丸太程もある、大蛇が鎌首をもたげ三郎を見据えていた。暗闇の中でもその赤い瞳が潤んでいるのが判る。どかした後に、背筋にジンワリ悪寒と怖さが走り、一気に目が覚めた。
「・・・君、だけじゃ、ないね?そこに、居るのは。」
濃い霧の中ではあるが、確実に蛇以外誰か・・・居る。言葉を発すると、怖さが半減する。
本当は、その先を見ない方がいいのだが、三郎の好奇心が勝ってしまう。歩き始める前に、ふと、目線をあげると、やっぱりな、霧の中に若い女人が一人佇んでいた。
「あの方を止めてください」
「 ・・・は?」
(いきなり?)
「誰のこと?」
(まぁ、こんな、登場の仕方をする女人はきっと・・・)
「 ・・・貴方の・・・」
丸顔で小顔。優しそうで若く緑色の微妙な雰囲気を纏う若い女人は三郎をゆび指さした。
三郎はその場に胡坐をかき、頭をかくと、上目使いで彼女を見上げた。
「なんとなくだが、師匠の事か?」
「 ふぅ。」
「・・・はい。」
彼女はにっこり微笑んだ。
「あぁー。」
(そんな事言われても、師匠が何処へ行ったのか・・・俺だって知りたいよ。)
「まぁ、僕は都へはこれから行く予定だけど。」
(都に、居て欲しいな)
「・・・行ってやってください。」
コソコソっと女人が耳打ちした。
(もにょ、もにょもにょ・・・して下さい。カナタにはきっと、会えますよ。)
逢えると言われた瞬間、細長い舌でぺろりと耳たぶを舐められた気がした。
「・・・えっ。あー。まぁ。それ、出来なくはないかもですが・・・大変難しいです。」
女人はふふふっと笑うと、大蛇もろとも霧の向こうへ消えて行った。 謎の女人が消えたと同時に霧が晴れた。
(・・・だよなぁ、もののけか山の神か、奴らが去れば霧は自動的に晴れる。もんだ!)
「ふぁあぁ・・・んんん。」
せっかく起きたのだしと伸びをすると、三郎は歩き始めた。かの、女人が言っていた事。
(あれは・・・とっても難しい。)
そう、三郎は思えた。
斎王が玉座を構える斎宮に、灯がともされ、日本中から集まった星読みの長達が一同に集まり俯いていた。斎王が言葉を発さないのも不思議な雰囲気を醸し出してはいるが、それ以前に、何故、日本中から長が集まって来ているのかが異様なのだ。
「はぁ。・・・あの、一件以来こうしてそなた達とあいまみえるのも、星の巡りというものであろうのう。」
「 ・・・はい。」
斎王が言うと、一番そばにいた初老の男が答えた。
「斎王どの、回りくどい言い回しはもう、必要ないかと存じますが・・・?」
きつくよく通る低い声で口火を切った男人がいた。
普段、暗いと思われるほどに大人しい三郎の師匠だった。
先ほどまでメラメラと赤く静かに吠え燃える雰囲気を発し、斎王が住まう斎宮を見下ろしていた髪を振り乱し今にも何かをしそうな男人そのものである。
「・・・そのようだな。」
斎王は答えた。
「妾にはもう、時間は残されてはいない・・・。」
「おい、何の時間だ!」
誰に言うまでもなく、三郎の師匠が叫んだ。静まり返った斎宮に師匠の叫び声に似た独り言がこだまする。
「・・・と、言うことは神と共に「天津国へ行かれる時」が来たと言うことでよろしいのでしょうか?」
初老の男が斎王のピリピリとした気迫と三郎の師匠の凄みに少し引き気味に小声で言った。
「・・・。」
斎王は口に出さずにうなずいた。
「それでは、摂津国の都の時のように、我らに秘技、秘術、いえ叡智を伝承してはくれませぬか?」
初老の男がそう言うと、今まで静まり返っていた星詠みの長らがざわめき立つ。
「 ・・・ふぅ。」
斎王はため息を吐くと扇をすっと持ち上げ前方に開いた。
すると、大地が揺れ突き上げる激震が斎宮を大きく左右、上下に揺れ動かす。
「んんんああああああ!」
地震の揺れが苦手な星詠みで最下層の若者を震えあがらせる。頭を抱え左右に激しく揺さぶられる。星詠みの長らは揺れる斎宮の屋敷とは裏腹にすっくと何事もないかのように姿勢を正しその場に整列している。
「この、短い期間に神がこの都にもたらした叡智を知る事が出来たものだけに、秘技は受け継がれるであろう。」
斎王は揺れにも動じぬ玉座に座り、その男達を見据えていたが、すっくと立ち上がると奥殿へと歩いて行こうとした。
「斎王!それでは情報が少なすぎであります!」
「ごめん!」
三郎の師匠は少女のように体の小さな斎王を抱え込むように抱きとめると、サッとざわつく群衆の中を走り抜け、斎宮の屋敷廊下のすぐ脇に繋いでおいた馬に斎王を乗せ、夜の闇の中へと消えてしまった。
「カナタ・・・、貴様妾に何をするのじゃ・・・。」
「ほほほっ。」
からかい交じり、楽しんでいる。この状況をまるで幼い少女のような笑顔を浮かべ楽しんでいるその斎王の顔をそっと見、静かに、頭を撫でた。出来るだけ落ち着いた声で斎王を諭すように師匠は言った。
「斎王、・・・俺が何をしたいか、知らぬわけ、ないはずだが?」
斎王が斎宮から消えると、また、大きな地震が起こった。
「神め、少し怒ったようじゃ!」
カカカッと斎王は口に手を当て笑い、腕を伸ばしうーんと伸びをした。都に住まう人々は神の怒りだと口々に言ったが。 斎宮の殿奥、斎王が住まい上空に斎宮屋敷をぺろりと飲み込む程巨大な虹色に輝く光の玉が出現した。今まさに、その玉から降り立つ神が、その騒ぎに気がついたような振る舞いをし、腕を振り上げるのをやめた。都の遠くその先を静かに見つめる。
「・・・斎王。」
金髪の神の子はまた何かをせわしなく叫んでいるが、神自身は、動じずに。ただ、ただ、斎王が起動したであろう、都の少しの変貌に目をつむっていた。
・・・あの、無理難題をふっかけてきたこの世の女人ではない女人が告げた場所に三郎はすでに到着し、 彼を待ち構えていた。
暫くすると、遠くから早馬で、駆けてくる馬の蹄の音が聞こえてくる。風を切り、草を薙ぎ払い、初夏の生暖かい夜の空を駆ける。 初夏の夜明け・・・赤紫色の光、朝焼けはなんとも美しいものだ。 斎王を片手で抱き抱え、あの雄々しい師匠が馬を鐙で強く蹴っている。
「 ・・・師匠!」
三郎が路地裏から上ずった声を上げ師匠と斎王が乗る馬の前方に飛び出した。
いきなりの事で、びっくりした馬がいななり、前足が空を蹴ったが、さすが、馬の扱いに慣れた師匠、斎王を抱きしめたまま、動揺し息遣いが荒い馬を落ち着かせてみた。
そして、びっくりしたのか、しないのか、あの、いつも通りの優しく爽やかな微笑みを三郎へ向けてくれた。
「三郎!お前にわしは摂津国に行けと申したであろうが。だが、やっぱりお前は都に戻ってきおったか!」
「 がっ、はっはっ!」
「・・・っ、師匠!がっ、はっはっじゃ、ないですよ。僕は貴方が心配で・・・、んあ?その腕に抱えている女人は斎王様ではありませんか?!」
「・・・三郎。」
師匠は小さく呟いた。
斎王は三郎に手を伸ばし、三郎は斎王を、馬から降ろした。 しばらく三郎の胸に抱えられていた斎王だったが、道端ではなんだと言うことで、師匠が昔都で住んでいた時に使用していた屋敷へと連れて行くことにした。師匠は斎王を抱きかかえる三郎の成長した背中を見つつ、自ら乗って来た馬の手綱を引き二人の後を追従する。
師匠の屋敷は何年も人が寄り付いていないので、塀や、屋根が所々崩れかかっている。
「・・・二人とも、わかっていると思うが。」
ヒンヤリとした地下水が今でも滾々と湧き出ている井戸から、三郎は釣瓶を落とし手繰り寄せ水を汲み汲むと素焼きの器に注ぎ入れ、少し疲れたご様子の斎王に飲むように勧めた。
斎王は急ごしらえの古い畳を敷いた上座に静々と座ると一口、二口それを飲み、しっかりと師匠を見つめ、ため息交じりによそ見をして言った。
「早めに、妾は神のもとへと戻らぬと、お優しいあの方でも・・・」
それに、答えるようにだが、じろりと睨みつけるように斎王を見つめると胸の奥底から湧きだす想いを絞り出すように師匠が言葉を発した。
「斎王。そのような事、須らくわしには判っております。それゆえに私は、三郎に貴女の叡智をほんの、だが、少しでも多く残してやりたいと思っております。手ほどきよろしくお願いします。」
師匠が背筋を伸ばしその場に座るとキッと斎王を見つめ深々と頭を下げて言った。
「・・・よろしい。それでは。」
斎王は動きづらそうな着物の裾をたくし上げるように立ち上がり、三郎に近づいてきた。
「 叡智のイロハを・・・。」
三郎の頬にか細く小さく白い手を伸ばす。
(へ、へぇ・・・)
一瞬、よからぬ妄想をしてしまう三郎。正座し握りしめる拳に汗がじわりとにじむ。こらえようもない、抗えない性が暴走してしまいそう。三郎の深い所に潜む変化に気が付いたのか気が付かないのか、少し斎王が微笑んだ気がした。斎王の若く白く透けるようなやんわりとした肌。細かい、興奮して震える息使いが聞こえてくる。
【ゐ】
「 いっ!」
痛いほど、三郎は斎王にぎゅっとあごを掴まれ、斎王の細くたおやかな足が三郎の太ももに割り込んでくる。
アッと思い、高ぶるアレに気が付かれまいと腰を引くし顔も力を入れて振り払おうとした。
「フン」
とばかりに、斎王は真っ赤な唇をうっすらと開き、三郎の唇をペロッと舐めると、半ば強引に三郎の掴み、頬に手を滑らせ、三郎の困惑し真っ赤な顔を引き寄せ唇を重ねた。
「ふぁ ・・・ふぐぐ!」
あまりにも、突然だったので、隣にいた師匠さえもあっけにとられている。
「・・・さい・・・そのようなやり方で!」
半ば立ち上がり、少し悔しそうな表情は浮かべずに、いかにも重低音な小声でつぶやき、座りなおすと視線をそらし片手で顔を覆った。もちろん、三郎も驚いていた。
(・・・まるで、あの時の小夜みたいじゃないか!)
「ちゅ。」
「ちゅぱ。」
(・・・いや、これは!小夜以上だっ!)
うまく舌を絡ませ、糸を引き離れたかと思うと軽く何度か接吻をして。三郎の胸元をぎゅっと掴むとまた、ちゅっと。斎王は存分に三郎の唇を味わうと、胸からそっと手を放し三郎の出来上がってしまった下半身を軽くひと撫ですると身を外した。
(にゃ!)
もう、全身で身もだえしてしまったみたいだ。いつの間にか、力いっぱい斎王の細い腕を掴んでしまっていた。もしかしたら、三郎は熱い吐息を漏らしてしまったかもしれない。
三郎は、つい抱きしめてしまった。上目遣いが可愛い斎王。
(あぁ、ダメだ!こらえきれないかもしれない‼)
そんな三郎を着物の上からすすっと人差し指でなぞり言った。
「・・・三郎。私が伝えられる究極の奥義は・・・。」
にこりと微笑むと、師匠の名を呼び、先程乗ってきた馬に乗せるように怒鳴った。
( ・・・やはり。斎王は怖い女人だ・・・。)
三郎はまだ、熱い自分自身を恥じて頭を掻き、師匠と斎王を俯き加減、気配で見つめた。
前方から、多量の馬の蹄の音と、斎王を呼ぶ声がする。
「 ・・・そりゃ、そうだろうな。俺の居所なんて、ここぐらいなものだ。」
苦笑。だがしかし、と。 師匠はさっと立ち上がり怒鳴る斎王をしりめに、彼女を馬から降ろすと、馬で押し寄せる彼らの前に進み出た。
「今宵、斎王が叡智を我が息子・・・いや、息子と呼ぶにも忍びないが三郎にもたらされた!!我が孫々に叡智をもたらさん!!」
師匠が天へ向かい剣を高々と上げ宣言した。同時に黒雲が立ち込め、一筋の稲光が師匠の持つ剣に落雷した。・・・したのだが、間一髪で、紙一重?で、巨大な黒蛇が次元の歪みから渦巻くように飛び出ると師匠を口に咥え絡めとり、何もない空中の次元の狭間へ消えた。主を失った馬は再度振り向くこともなく暗闇へ走り去ってしまった。
「・・・無鉄砲・・・すぎるからですよ。師匠。」
あの、不思議な女人に言われてはいたが・・・。目の前でそれを目撃してしまうと、心臓がばくばくしてしまうし痛いし怖い。馬で駆けつけた、星詠みの師匠たちも、嘶く馬をなだめ、どんな状況であっても、表情すら変えない斎王を見つめるばかり、 言葉が出ない。
静まり返る空間、風すら凪いでいる。斎王は自ら、彼らの前に立つと、
「ここに長居はすまい。早々に立ち去ろう。」
と、言い、あの、一番はじめに「はい」と答えた初老の男の馬に乗りこむと、三郎を一人残し斎宮へ戻って行ってしまった。
三郎も慌てて、星詠みの師匠たちについて、歩いて行こうとしたが、一番後列の師匠に、
「・・・君は、しばらく都にいるかい?」
と言われ、
「 ・・・はい。そのつもりでございますが・・・。」
それしか、答えられなかった。
「 ・・・そうか。」
星詠みの長らもそれだけ言うと去って行ってしまった。 三郎もそれ以上話しかけられず。
流石に師匠階級の長らの大群には入って行けず。大路地に一人ポツンと残されてしまった。
仕方なかったので、師匠のボロ屋敷にしばらく居座ることにした。暫く、居ることにした。
日が完全に登ったら、
(多分その頃には斎王の一件も・・・治まっていて、欲しいな。)
淡い期待を抱き、口元に手を持っていっていた。
(それにしても、思い出す、あの派手でかなり深めの接吻だったなぁ。)
「・・・あの、斎王にキスされた!!」
それだけでも興奮してしまう三郎ではあったが、それにしても眠い。
近くにあった古いゴザを綺麗に敷くと横になって瞼を閉じかけた・・・。
「三郎!三郎!」
「ん?」
聞きなれた、いや、聞きたかった声が!
「小夜!!」
ぺかっと、崩れかけた襖を鼻先で押し上げ入って来たのは、 白い山犬の五郎だった!
「五郎・・・!小夜は?」
五郎の背後から小夜が四つん這いになって這い出してきた。
「三郎さん!五郎さんてば、なかなか三郎さんの居場所を教えてくれなかったんですよ!」
悲鳴に似た声で叫ぶ小夜に向かって五郎は言った。
「・・・仕方ないのだ。これには大人の理由があったのだ!」
( 大人の理由⁉)
「ブハッ。」
ついつい、三郎はふいてしまった。小夜は何かに気がついたか?一瞬、小夜の幼く可愛い瞳の表情が雲った気がするのだが。いや、気が付いては居ないようだ。三郎の気のせいか。
(良かった!)
((僕の憧れの斎王に接吻されて、息子をチョメチョメされていたなんて、気が付かれたら、きっと、そこで試合終了。延長戦?無しになってしまう。いや、でもそうなったら、そうなったで、きっちり落とし前つけて・・・僕から去るしかないだろう。))
((これは現代の私だったら・・・こう思うのかな。))
ほっと、三郎は胸をなでおろしつつ。
「おい、五郎。・・・大人の理由って言うくらいだ、先程の件については、お前なんか知っているか?」
五郎はお座りをして、後ろ足で耳の穴をかきつつ、ぺっと、何かをほおった。
「・・・三郎、その態度、人様にものを聞く態度じゃねぇーなぁ!三年寝て待てば良い!
・・・わふわふ・・・」
「くっ!」
五郎的にかっこよく言ったのだろうが、
「かわいすぎるぞ!五郎!」
( あーかわいい!あーかわいい!)
抱きしめられて、撫でまくられ、歓迎されて苦笑い。
「・・・わ、悪くはないがな。 それでは、」
すっと、三郎の腕から逃れ、すたっと、三郎と小夜の目の前に威風堂々と立ち座り。
「斎王から頂いた叡智とやらについて・・・」
五郎は語りはじめた。
【の】
小夜が屋敷の隅から盃を3つ用意した。三郎が瞬きした瞬間に盃は何かの液体で満たされた。
「三郎よ。これは、わしからの前祝じゃ・・・わふわふ・・・。さぁ。酌み交わそう!」
そう、五郎は言うと盃に口をつけようとした。
「 なぁ、五郎。」
三郎も小夜も何かの液体で満たされた盃を手に持ちまじまじと見つめ、た。三郎は一体何の液体なのか知らぬものを飲めないでいた。小夜に視線を向けると、瞼を軽く閉じ、盃に口をつける瞬間だった。
「これは、一体?なんのマネだ?」
色んな意味で飲んだらイケナイ物のように見えるし、何も、説明もないまま口にするのは怖すぎる。
「・・・そうだなぁ。」
そう言うと、五郎はストンと三郎の姿へ変身し、三郎をきっと見つめた。
「三郎、君は、斎王から神たる叡智をじかに受け取ったのだ。」
「 ・・・神の叡智?」
(じかに?接吻のことか?)
「・・・神の叡智を、どうこれから使っていくかは三郎お主にかかっている。だから、こそ、わしらは誓いの盃を交わそうと思ったのだ。」
「 誓いねぇ。」
と、三郎は思った。
「・・・三郎さん、斎王と接吻なされた・・・のですか?」
小夜はキッと三郎を一瞬睨んだが、同じ顔が二つ面と向かい居並びこれまで以上に真剣そうに話をしているので、そんな彼らに免じ、今回の件は追及しなかった。軽く瞼を閉じて口の中に広がる不思議で少し甘い甘露と言えばそうだと思うお酒の味に酔いしれた。
「勝手に、じかに?頂いた叡智をどう使っていくかについて?誓いの盃を交わすだと?うむぅ。」
(何かを頂いた、なんて言う感覚は俺には無かったが。)
「・・・三郎、貴様の有無を言わせず、斎王と師匠からの貴様への贈り物だな。」
「・・・師匠は自ら、罪を犯してまでも三郎、貴様へ残してやりたかった叡智の伝承・・・。 三郎、貴様にその志がわかるであろうかな?」
しみじみと言いつつ、腕組みをした。
「・・・むう。」
そうは言われても。あれよあれよと言う間に行われた事。
(そして?あの接吻が叡智だと???)
「あぁ、そりゃ、そう簡単には信じられないであろうな。まぁ、今後の展開をゆっくり眺めていると良い。さぁ!飲め!三郎。貴様と二度目になってしまうが、これからもこの五郎と共に歩んでほしい!」
くいっと一口飲むと、三郎に盃を渡してきた。
「・・・なんだか、薄緑色だそ?」
(匂いは・・・ない。が、やっぱり、 酒なのか??)
飲んでみたら、酒だと分かったが、見た目とは裏腹に透き通るのど越し爽やかな飲み物だった。
しいんと静まり返った斎宮の頭上に、まだ停泊していた七色に輝く光の玉が、この世の音とは思えない雅楽の音色を奏でながら浮遊している。 その真下に、この世の物とは思えない純白でいて夜光貝のように虹色にキラキラ輝く着物を着ている斎王と、その斎王を背後から軽く抱いている威風堂々たる神が姿を現していた。二人の前では、先ほどの騒動に慌てふためいていた星詠みの長、師匠達も頭を上げられずにただひれ伏すだけであった。
「我が愛しき、君たちよ。先ほどの斎王への無礼は斎王のわしに望んだ唯一の望みだった。だから、今回ばかりは叶えた。」
一番前に列していた初老の星詠みの長が顔を上げ、うやうやしくお礼を述べる。
「神よ・・・恐れ多い事でございます。」
「 ・・・それでは。」
神は一言そう言うと。哀しげにほろほろと涙する斎王を抱き寄せ、どのような術を使っているのか、ふわりと宙に浮くと、七色に光り輝く玉の中へと吸い込まれ入って行った。
『 ビィイン!』
空を切り裂く爆音と共に、光の玉は瞬時に消えた。後に残されたのは静けさを取り戻した斎宮と全国各地からやってきた星読みの長達だけであった。
「・・・今回も、かなりあっけなく終わってしまったな。」
口火を切ったのは、太郎だった。二郎も隣に居たが、何も言わない。 斎宮の奥から、黄金髪の男がそっと覗いていて消えた。
「・・・太郎。奴は帰らなかったんだな。」
二郎がしんみり呟いた。
「・・・あぁ。あいつも居残り組か。」
太郎もつぶやき、その場を離れた。
その頃には、斎宮はいつも通りの静けさを取り戻しつつあった。全国各地からやってきた長達は、馬に乗ったり、歩きで宮を後にした。
次の日には、皇室からあらかじめ選びぬかれていた姫君が斎王の玉座につき、斎宮に勤めを果たす為にやっては来たが。前回の斎王ほど、神気が感じられない。
((・・・まぁ、な。))
と、言わんばかりになんとなく星詠み達の雰囲気はしらけていた。
前回の斎王が扇を開いた時に地震があったが、そのせいなのか、都の所々に地割れと、地割れにより岩が露出しているが都の街人に被害は無く、いつも通りの日々がまた続いていく。
あの時、結局、五郎の勧めで、緑の液体を飲み干した三郎も都の、斎宮の奉仕にせわしない日々に戻りつつあった。三郎はしばらく師匠のボロ屋敷に住まわせて頂くことにしていたが。小夜が下女や下男を現住所に呼んできてボロ屋敷は日に日に修復され、人が住まうのには何ら問題なくなってきた。三郎と五郎も、毎晩の星詠みの仕事にも戻れた。
今夜も風が穏やかで気持ちのいい月夜の晩だ。
「 なぁ、三郎。」
三郎に変身した五郎が伺うように言った。
「なんだ?五郎。」
「 三郎は斎王に頂いた叡智を使ってみたいとは思わんのか?」
「 ・・・あぁ、その事? 」
三郎はふっと立ち止まり、大通りの地面をそして、位の高い貴族が住まう屋敷をみすえた。
「・・・なんとなく、『それ』が何だかは分かるんだけど・・・。」
(それを、頂いたが叡智を使うとなると話は別なんだよな。)
「はっはっはっ。三郎、良く理解出来たようだな!」
五郎はあの、斎王との接吻時に斎王はとてもとても小さい叡智の種を三郎に植えつけたと三郎に告げていた。それを告げられてから、三郎はさもありなん。と言う風に、この世界の現象の捉え方や物事について(・・・そう、いわば、神の叡智を・・・)
まるで、湧き出る泉のように、様々な自然の叡智、呪術が頭の中に浮かんでくる。時折り斎王の囁き声が聴こえてくるような・・・気がするのだ。
「そう、それを使うって事だけれども。」
「あぁ、どうした?使うのは怖いか?」
ニコニコしながら三郎を見つめる五郎。
「いや、使うも何も、もうこの叡智とやらは他の星詠みいや、術やまじないを持つ部族が使っているではないか、とも思うのだ⁉なぜ、今更?俺が使うって事はないだろう?」
「・・・はっははは。」
「そうだな。」
五郎は頭をかきつつ言った。
「その叡智、今は普通に使われている至って平凡な叡智ではあるのだが。先の斎王と神が天へ登ってしまい、たぶんな・・・たぶん、時代がくだれば、色あせてくると思うのだよ。」
三郎は五郎をちらり見、唸った。
「・・・まぁ、世の常であろうな。そのような事は・・・。」
軽い笑みでにごす三郎。
「きっと、・・・我らを感じる叡智もついえるかもなぁ。」
五郎がボソッとなげいた。
「・・・んぁ?」
(びっくりした。つい、変な声が出てしまったじゃないか!)
「五郎、お前を感じる叡智??」
「 はははっ。自然の気配を感じるってぇ、言うことも、あまりにも平凡すぎて気にも止められないであろうが。後世では・・・それさえ稀な事になる気がするんだ。」
(気にも留められない事に、か・・・・・・。)
「ま、全ての現象が神ゆえに全てを愛する君にとって忘却こそ恐れなのか??」
そんな‼稀な事ってさ。こんなに感じやすい、まとわりつく風の君を忘れる⁈
少し三郎にとって不思議な現象かも、しれない。
「・・・まぁ 別に。 忘れられたって良いんだよ。」
五郎がふぅっと、ため息をついて言った。
「 しかしだ。有益な叡智は子々孫々に伝える利益はあるであろう?」
(それって・・・結構お節介なんじゃ?僕に、叡智を伝えるなんてこと出来るだろうか?)
「・・・うーん。」
なかなか、頷けない三郎なのだが。
【だからこそ、神の怒りを買うとわかっていても、三郎と斎王をあの時、あの場所で逢わせた師匠の勇ましさ。】
五郎と三郎の意思が一瞬、疎通しているような変な感覚がそう言っている。
「 その勇気を買って!その志に!そえるような星詠みになれ。なんとなくだけれども。」
そう、思えそうな気がしてきた三郎。
「なぁ、三郎。お前は水に興味はあるか?」
((ねぇ、五郎さんちょっと、いきなりここでそんな話を切り出すのはなぜ?うふふ。それって、五郎さんが水に関係あるエレメント(精霊か御霊だから?)なのかなあ))
(「さぁて、それは、どうかな?」)
【お】
斎王と神が都を離れ天へ登り、師匠が大蛇に飲まれてから十年の月日が流れた。夏も終わりに差しかかる残暑の残るこの季節。三郎と小夜は本当に仲睦まじく二人仲良く暮らしていた。いや、五郎を入れて三人仲良く師匠から譲り受けた?屋敷で暮らしていた。
三郎は三か月かけて作っていた勾玉の首飾りをやっと今、一つ作り上げられた。もう、すでに夕日が沈みそうだ。縁側に座っての作業、いつの間にか気が付けば何時間も経っていた。夕凪に、秋の虫の音が草の葉のこ擦れる音と共に大きく聞こえてくる。
「今宵は良い満月だあいつの好きな酒の席で、渡そう!」
三郎は出来上がった首飾りを夕日に誇らしげに掲げ、唸った。
「 南蛮わたりの輝く紅玉も幾つか入れてあるから、きっと小夜に似合うし可愛いと思う。」
(喜んでもらえるはずだ!)
三郎は新しい斎王の元でも、毎日毎日、星を詠み慎ましやかな生活を送っていた。小夜はそんな、夫を支えつつ。小夜も斎宮に女官として勤めていた。 三郎の仕事を見よう見まねで覚え、それ以外は五郎から小夜は秘伝の?奥義を伝授して頂いているようで・・・。
三郎は決して小夜がそれをする事に賛成していた訳ではなかった。
男が主導してやってきている仕事なので、女人にとって決して楽な仕事ではない。
危険、厳しい、きつい。全て揃っているのだから。主に星詠みという仕事は理性で動かなければならない。感情で動く、いや、働く小夜にとって不得意な分野でもあるはずなのだ。
その為、よく、詠み間違えたりもするし、不安が勝るのか、余りにも同僚の星詠み達に質問をするので煙たがれてもいた。多分、こうなるのではないのか、と思いながら彼女を眺めていた三郎だったが逆にその小夜に最近は、三郎の仕事をニヤニヤしながら見つめられていた。いらぬお節介をしてくるものだから、つい、言ってしまう。
「うるさい!ちょっと、黙ってて、な!」
と、覗き込む小夜をわきに押しやるのだが、これが、どうしてだか?結構な率で小夜の判断は正しかった。
(俺は・・・斎王から、神の叡智の種を頂いたはず・・・なのだが・・・)
何度となく、そう言う事があったので、小夜に直すように言われた時は、なんか違和感があるのだが一応、確認を怠らないようになっていた。この小夜の「仕事」のおかげで、仕事は、はかどるし正確さが増すのだが。どうも、どうも、どうも・・・男の俺としては。
(戦場のような、場所に女人は入り込んで欲しくないし、長年星詠みとして活動してきた三郎より感情で軽率な働きをする小夜が自分より優秀だとは考え辛い、いや難いのだ)
もちろん、斎宮には、と言うか星詠みの執務室には小夜以外にも女菅もいたのだが、どうしても三郎にとって小夜の存在は目の上の瘤だった。勿論、小夜はとても可愛いし、愛してもいる。山より高く海より深く愛しているのだ。でも、あっちの方がめっきりおろそかになって、しまっているような気がする。
出会って、妻に迎えて早、十年。小夜を嫁に迎えてすぐ、三郎の星詠みの仕事に付いてくるようになったが。そう。お察しの通り!夜の仕事を終えて屋敷に帰る頃には、疲れ果てていて二人とも食事もとらずに布団になだれ込む。
((それに、無言の圧力。に、負けそうになっている俺・・・あ、世間一般のところでいう子供いないの?の圧力ではなく、小夜の方が仕事が出来るって言う事をさ。僕の威厳は全くないのだ。そもそも元から威厳なんてのは僕には無いけど。小夜は一応、表向きでは俺を立ててくれていて、星詠みもいつも二人組になって行動しているから、周囲は、星詠みや祓い屋の仕事は僕たちの手柄となっている。))
そんな毎日。仕事と研究?熱心なのは夫婦気が合っているのだが。三郎が小夜を引き寄せ口づけしても生返事でそっぽを向いてすぐに寝息をたてる。
最近特に、女の美しさが滲み出てきた小夜。
(そんな、小夜に欲情しないはずがないだろう?)
小夜は、知ってか、知らずか、そんな時程、ふふふっと笑って寝ちゃうのだ。
満月の夜の彼女の胸元の妖艶な艶やかさは尋常じゃないし。
(こちとら、気が気でない!いつも、瞼を閉じて考えてしまう、小夜が他の男に手籠めにされてしまう事・・・あの、いやらしい二郎なんかは、(まだまだ若い!)小夜とたまたま一緒に昼の照りつける太陽下で働いていると、小夜が胸の谷間の汗を拭いたら、嫌らしい眼で二郎は小夜を見ていたんだ!俺は見ていたんだ、すぐそばで! ・・・ふぅ。)
ジロジロいやらしい目線で見てきたと小夜が震えながらこちらへ駆け寄ってきて僕に報告していた。
(だからお前は美しいと言うのに、その色気が存在しているはずだと思うのに、なのに。)
二人は出会った当初少しあった程度で今は完全にご無沙汰だ。小夜を妻に迎えた日以来、
「子供ができたら!僕、どうしているかなぁ!今以上に賑やかになってきっと大変だな!」
(そう、考えていた過去の自分が・・・ちょっと。早とちりしすぎだったな。)
ぽつりと暗く、燃ゆる土のねっとりと粘着く様な考えに浸ってしまう時もある。
(・・・出会ったあの頃のように、少しでも。小夜の欲情を引き出したいところなのだが。 それで、思いついたのが、(遅すぎる気もするが)贈り物作戦!そして、今夜決行するのだ!! いつも通り仕事はあると小夜にだけ言っておいて、仕事は二郎へ回し、下女に宴の用意をするように伝えておいたしなっ!)
「伝えて・・・おいた。」
(僕の計画は完璧なはずだ。)
にやにや。三郎はにやけてとろけてしまいそうだ。考えただけでも嬉しくなってしまう。
・・・小夜は酒に酔うと途端、甘えた声ですり寄ってくる。
(いつもは、素っ気ない。うるさい。そんな小夜だけれども。)
・・・すり寄ってきたら、抱きしめて!
「 ふぅ。」
三郎は逝きかけていた気持ちを落ち着けるために深呼吸した。そんな三郎の元に、
「 ・・・抱きしめて、どうするのだ?」
五郎の声がした。暗がりのふすまの前から白い山犬の五郎と、五郎よりひとまわり大きな黒い山犬が頭を絡ませあいながら。ケラケラ、さも楽しそうに三郎の前にやって来た。
五郎と黒い山犬の声に気がつき顔を上げる三郎。
「・・・あぁ。有希子さんじゃ、ないですか・・・?。」
有希子と呼ばれた黒い山犬は、
「きゃはははは!」
と口角を上げて笑うと、前足を伸ばして伸びをした。
「えぇ。三郎さま。お久しぶりですの。」
空を切る様な、高く抑揚のある有希子夫人の声はとても美しい。
「・・・その美しい毛並みと声・・・。有希子さん。少し・・・撫でさせてはくれないか?」
「ほほほほ。冗談おっしゃらないで下さいな!五郎は三郎さまに触れさせたとしても、私は嫌ですの。」
気高い黒い山犬は低いうなり声をあげると、白い山犬の五郎の後ろに後ずさりした。
「いつになったら、俺に懐いてくれるのか・・・。有希子さん。俺は君の綺麗な毛並みを楽しみたいのだよ。」
すかさず、三郎は両手を伸ばしたが、有希子はパッと小夜の姿に変幻すると、さも、汚いものを払いのけるように三郎の手を払った。
「おなごの身体に触れたいだの言う、男の子は私は許せませんの!」
( ・・・皆さま、お気づきであろうか。)
五郎と有希子さんは、三郎が小夜を嫁にしたあの日、五郎も三郎が寝入り端に見た、狐の嫁入りがあったあの山で双方の一族総出で黒い山犬の有希子さんと結婚していたのだ。
有希子さんは五郎の嫁さんなのだ。 あちゃぁ!と、言わんばかりに前足で顔を覆う五郎。
「・・・まぁ、仕方なし。三郎が変態なのであるからな。」
すっと、五郎は三郎に変化した。半べそかいて有希子が五郎の胸の中に転がり込む。三郎はため息をつく。
「ああー。あなた方ご夫婦はいつまでも仲の良い事で。」
(見せつけないでくれ。俺たちだって仲良い・・・はずだ)
「・・・たぶん。」
三郎の視線が泳ぐ。
「まぁ、あまり、嫉妬するなよ。三郎、お主だって今夜、小夜と良いことをするんだろ?」
「・・・良いこと。」
(あぁ、まぁ、いや、それはそれで。)
三郎は小さく微笑むと両手を振り、二人の顔を覗き込んで言った。
「そう言えば・・・君たちが婚姻したあの日、俺、君たちが祝宴を挙げたと言う山で狐火が点々と頂上へ向かい点滅しているのを見たぞ!」
「・・・あまり、気にはしないようにしていたが君たちは、お狐・・・さまか?」
そう、言われ、五郎と有希子は見つめ合うと、
(言った。)
「俺たちは、三郎、そして小夜を邪気や火事、災難から護り、未知へと誘う者たちなのだ。」
「だからな?そう、抽象的に言われても分からんぞ。」
今まで五郎の胸に抱かれていた有希子がすっと三郎の目の前までくると、手を取りすっと
闇夜の闇より明るい漆黒の瞳で三郎をキッと見つめると、三郎の膝の上で結ばれた手を取り、有希子にしては低くゆっくりとした口調で言った。
「三郎さまは、大口真神・・・大神をご存知ですか?」
「・・・ああ、なんとなく。」
「日本武尊伝説に出てくる、武蔵国の三峰神社に守護眷属として祀られている。」
「狼。」
「そうです!けものへんに良いと書いて、狼。我ら、古の昔より人とより良く共生共存してきた獣の狼のような、人により、神格化された、自然の叡智とも、自然の恵みとも言える気。大自然の気であり・・・狼のような存在でありますの。」
少し自分語りが恥ずかしそうにはにかむと袖で顔を隠した。
「・・・より良く、三郎さまと共生共存できれば良いのですが。」
「しかし、我ら夫婦の仲良き姿を見ただけで「狼狽」なさるようでしたら、まだまだ、三郎さまには我らの真の力「大口真神」の底力を見せるわけにはいきませぬな。」
少し、不満げに愚痴ると五郎の胸に抱かれに戻り、五郎のほほをツンツンしている。
「貴方は、とっても偉い大神なのに〜、まだまだ、三郎さまを立派な紳士に仕上げられないのですの?有希子、少し失望しました!」
有希子の真紅に光る瞳がまじまじとこちらを見据えた。
(先ほどと、瞳の色が変わってはいないか?)
「・・・有希子!そうは言ってもなぁ。」
「お前だって、この十年、子育てで大変であったろう?こっちに来ずに山に籠っていたろうに。俺だって、小夜を一人前の星詠みに育てたり、育てたりで大変だったのだよ。」
五郎もツンツン仕返しをする。
「と、言うことは〜!小夜さんが好きすぎて、三郎さまは・・・⁉」
「ほう・・・ち?されていたのですか⁇」
「あぁ、もう、やめてくれ!」
(それ以上、言われると、傷をえぐられるようで切ないっすよ。俺だって、いや、俺もなんとなく、いや、確かに感じていた。小夜の飛び抜けた星詠みの感度の良さと、感度を生かせるように、いろはを教えている五郎の気配を・・・)
うなだれている三郎の元に、三郎の星詠みの支度の着物や荷物をまとめて持って小夜がやって来た。
「あら!五郎さんと・・・私?がいる・・・?貴女は・・・?」
ふわり
有希子は霧に包まれると、元の黒い山犬の姿に戻って見せた。
「・・・小夜さま、貴女が三郎さまに嫁いだその日に私、有希子も五郎に嫁ぎました。」
「よしよし。」
三郎に化けている五郎が有希子の黒く艶やかな頭を撫でる。
「あっ!・・・あの時の、美人なお姉さん!五郎さんの奥さんだったのね!」
フンとばかりに鼻で笑うと、五郎にお腹を見せ撫でつけられている。小夜は撫でつけられている有希子を覗き込み、微笑むと手を出し、有希子の足を握ろうとした。
「どうぞ、よろしく有希子さん!」
「フン!」
嫌ッ、と言わんばかりに、起き上がるとさも、身体がかゆいかのごとく左右に揺らした。
「あぁ!もうっ!有希子ったら!すみません。コイツ、結構、嫉妬ぶかくて。」
「・・・五郎さん。」
出した手を引っ込めながら小夜はつぶやきつつ、三郎を見やった。 三郎は苦笑いし、両手を広げ、こちらにおいでと構えた。 小夜は胸に手をあて、持ってきた三郎の星詠みの道具をその場に置くと、すっと立ち上がり、隣の部屋へと行ってしまった。
「・・・小夜。」
小夜はショックな事があると一人どこかへ消えてしまうのだ。
【く】
夜もふけ、小夜と三郎が用意した宴の酒もすすむ。小夜の姿に化けていた有希子だったが、酒に酔うと変化がほろけてしまい、髪の毛の一部が先の尖った黒狼耳に、モフモフの黒尻尾がふさふさと床を左右に百八十度掃き清めている。酒がなみなみと注がれた盃を真っ赤な口紅が映えるプリっとした唇に運び、漆黒の瞳を潤ませ、有希子の思う「叡智を授かりし者」について、語り始めた。
屈強な若者と、それを見守る白と黒の複数の狼の眷属。 山野をめぐり、そこかしこに眠る太古の技術や呪術。そして、そこそこに伝わり続ける永遠の脈略とした叡智を探りそれを書簡にしたため、これはと言う場所に納める。
「なぁんて!このくらいはして欲しいの。ふにゃ、ふにゃん♡ねぇ!ご、ろぉ〜さぁん!」
お酒と美味しい魚を食べ、てろんてろんに酔っ払ってしまった有希子は人の姿を保てず、黒い山犬に戻り、静かにお酒を飲む夫の五郎の胸になだれ込んだ。
「・・・仕方ないなぁ。有希子は本当に酒に弱いのに酒好きだから。小夜、今夜の宴、我らの分も用意してくれてありがとう。・・・とても嬉しく思う。」
しみじみと五郎が言った。
「・・・いえいえ。」
小夜は口元に手をやるとニコニコと微笑んだ。
「・・・遅かったくらいです。私達家族をどうぞこれからもお守りください。」
五郎と有希子はお互いを見つめた。小夜は、軽く挨拶程度に言ったつもりだったのだが、五郎も有希子もじっと小夜を見つめる。見つめ、暫く動かなかった。言いにくそうだが、口火をきる。
「苦しいことは、したくないか?」
五郎が言った。
「?どう言うことだ?」
三郎が伺うように聞く。
「三郎、わしからお前をみると、苦しいことから逃げているように思うのだよ。」
「・・・はぁ。」
(もち。ええ、僕はそんな男ですよ。)
「それは、叡智を使わないと言うことですか?」
何も言わずに五郎は三郎を見つめている。
「だって。俺が・・・斎王から頂いた?種?叡智は普通にそこかしこで使われている、なんてことない事ではないか!それを、わざわざ俺が・・・使ったり、集めたり残したり、する必要があるとは思えんが。」
「・・・ふふ。君はまだ、わからないのだな。そのような叡智を持ちながら。」
(僕が、叡智を持っているのにそれに気が付いていない?だから、どんな事をだ?)
「ならば聞く。なぜ、師匠は命をかけて、斎王から三郎お前に叡智を残すように仕向けた?
斎王は・・・なぜ、自らの命をかけて願いを・・・願いの種をお前に植えつけた?」
五郎が残りの酒をちょびちょび飲みつつ話す。
「・・・えっ、はぁ?・・・師匠はともかく、斎王が命をかけたって?どう言うことか?」
「ふむ。」
胡坐から正座に座り直し、姿勢を正し、三郎にきりりと向かいぽつぽつと話だした。
「斎王は神と契約した。斎王の願いを神が叶えたら斎王は神の願いを叶えなくてはならない」
「神の願いはー愛する女と天津国へ登ること。天へ昇るとは、神の伴侶としてその永遠の時の旅を住処とする事。神と人とは、身体の構造が元々違う。神が天の世界で永遠の時間と呼べる時間を天で過ごせたとしても、人の身体の斎王では毒が充満しているような天では決して長くは過ごせない。逆に寿命を縮めてしまう事になりかねんのだ。」
「神がどんなに斎王を好きでも・・・。神がどんなに神のみぞ知る叡智を使い斎王の身体の構造を変化させたとしても、それは賭けのようなものだ。なんせ、今まで何度となく連れていかれた斎王はみな、天津世界に慣れることなく短い命の花を散らしたらしいのだ。」
「・・・あぁ、だから、命がけだと言うことなんだね。」
身を乗り出して聞いた三郎は腰を落ち着け座った。奥歯がキンと痛く頬に手をあてがい。
「そう。だからこそ、その叡智を大切にして欲しいの。・・・なんとなくではあっても、この十年で三郎あなたも叡智について、なんとなく「やって」きたのではありませんか?」
有希子が横から口を挟んできた。
「なんとなく、やってきた・・・か。ああ、多分その一つがあの、斎王が去る前に時を良く見計らって起こった地震で隆起したあのものについての事か・・・。」。
( ・・・俺が、やってきたこと。もうすぐ、全ての全容が明らかになる。 そうは思っていたけれど。それをそこまで、後世に残すとか考えていなかった。星詠みの仕事と並行してやっていた。そんな所だ。)
「 この世はどうせ、予定調和。」
「それを言うなら、三郎、お前は未来に祝われているよ。」
五郎がパッと見て言った。
「・・・予祝か。もう未来は祝われている状態だって?」
「だから、とも、言いづらいのだが。そろそろ、重い腰を上げた方が良いと思うのだ。
有希子も・・・俺たちの子供達もいるし。みんなで支援するぞ。」
「 ・・・はぁ。」
力無い、返答。で返す三郎。アレをどうして、こうすると言うのはなんとなく、判ってはいるのだ。それでも、おおっぴらに何かするって、かなり、大儀なことじゃないか。
「何かを人前で成す事はなんでも気合と勢いだ!そろそろやってみないか?」
五郎がそれを促す。
「 ・・・人目より何より。」
隣に座っていた小夜を見つめた。
「俺には無理・・・嫌だ。」
【や】
向こうの山の稜線が赤紫色になった頃。 三郎は小夜の柔らかい胸の中で目覚めた。
(昨晩は、久しぶりに抱き合い。度が過ぎて少し疲れたな)
小夜も、三郎が身体を離したので、ゆっくり目を開けた。流石に年の割に元気な三郎に付き合わされて疲れてしまったのか、朝食を作らなくて良い日々に慣れたのか、また、布団を被り眠ってしまった。二人が休んでいた布団のわきには、白い布の上に大切そうに美しい翡翠と赤い南蛮渡りのガラス玉の首飾りが置かれていた。
(・・・遅くても昼になったら起こすとするか。)
三郎は優しく微笑むと布団の中で丸まる小夜をぽんと布団上から軽く叩いた。
「そこに、五郎、居るんだろう?」
三郎の背後、右後ろに気配を感じ見たが、艶やかな黒い山犬姿で現れた有希子さんだった。
「三郎さま。」
「あぁ、有希子さん。あれ?五郎は居ないのですか?」
「五郎は今、我が子・・・達を呼びに行っておりますの。もうすぐ、到着するかと存じます。」
鼻先を宙にキョロキョロ、少し落ち着かぬのか三郎を見やって言った。
「くれぐれも、子供達にびっくりしたり、怖気付いたりしないで下さいね。」
「有希子さん?・・・え?君たちの子供達であろう?そんな、びっくりとか怯えたりするものか?・・・一回子犬を撫で回してみたいと思っていたところなのだかな?」
もちろん、冗談なのだが(きっと、有希子さんの事だ、警戒して触らせてはくれないだろうし)でも、良かったら、ぜひ触らせてもらいたい。
「・・・はぁ、三郎様。我ら二人とは違い、齢のまだ浅いもの達。我ら、五郎と二人なんとか三郎様が生きている間に引き合せようとこの十年苦心して参りましたが・・・まだまだ、幼子。下手をすると、三郎様のお命が危うくなりまする。」
有希子は斜め下を向き、すまなそうに答えた。
「・・・そんな、大げさな!大丈・・・。」
言いかけた瞬間、地響きとともに空間をつんざく金切り声!・いや、雄叫びが三郎の頭の中にガンガンと響き渡る。かなり、速度を上げて走って来たのかスライディングするとそこいらの埃が舞い上がった。かなりの圧迫感ににじり寄る複数の大きな影。三郎は不意を突かれ怯え動けず、あと一歩で小夜をその大きな足で踏み付けられそうになってしまった。
「母さん!何この弱そうな人間!お父さんとお母さんの守護する人間って言うから期待していたのにガッカリです。」
一番三郎よりにいた、白黒のブチの大山犬が不満気に吐き捨てるように言った。
「・・・ん?俺が弱そうだと?」
これは、聞き捨てならぬ。
「わかった。」
三郎は袖をふいっと整え、姿勢を整え準備万端!殺る気もりもり!三郎はわぁっと覗き込む白黒の大きい存在に力を放とうとした瞬間、彼らの背後から更に大きく濃密な圧力が襲いかかり威圧した。
「こら、お前達。カミとしてあるべき姿をとりなさい!三郎。すまない。我が子達の無礼をお許し願いたい。」
「ふふん。」
流石に、我が子を消されたくないと見た。三郎の姿に変身した五郎が三郎の前に進み出た。
仔犬達はそれぞれ、人型に姿を変えて五郎と、騒ぎに気が付き逃げるように起き上がった小夜の目の前に現れた。先程の白黒のブチ色の仔山犬はそんな小夜に気が付き見ると一瞬で身体を小さくし頭を撫でられに身体をすり寄せた。小夜もそれに気がついたのか、臆せず、頭を撫でると、仔山犬は腹まで見せて撫でられている。
「あら・・・この子。とっても人懐こいのね。」
小夜もまんざらではない。
(あぁ!いいな‼)
俺にはあんなに、威嚇していたのに。
(こんにゃろ・・・後で、たっぷり、もふらせてもらうぞ!)
三郎と小夜とのこの態度の違いにはびっくりした。
(しかもだ!こちらを見つめる目が何かをねだるような瞳ではないのか?)
「お母さん。僕・・・この女人好き。僕、この子を守るよ!」
何食わぬ顔をしてさらりと言ってのける。小夜はいきなりの事でびっくりし、その白黒ブチ色の山犬を見た。彼はちょこんとお座りすると、瞼を閉じ下を向いた。五郎達の様に霧もやにまかれたかと思うと、見たこともない色の髪色であり、若草色の瞳の若い青年へと変化した。見たこともない色とは真っ赤に燃えるような赤紫色の時間を超えた先の穏やかな空色と残りかけたボタン色の空色なのだ。
彼の微笑みこそ、これからの始まりを告げる爽やかさ。穏やかで優しく色男なのだが、その気配と同じく純白の白装束の下には筋骨隆々とした身体を伺える。そもそも、この男、の気配が尋常じゃない。白黒ブチの山犬姿でいた先ほどまでは、それでも抑えられていたようで、小夜の肩を掴み、真剣なまなざしで見つめてくる。それだけで、小夜は少しいや、結構、おびえて縮こまってしまった。
「・・・僕にはまだ、名前がないんだ。君、僕の名前をつけていいよ。・・・僕と誓って。そして、ずーっと一緒にいようよ!」
今にも、良い漢が怯え震える小夜にほおずりしてきそうな勢いだ。
「あっ!」
三郎が叫ぶ。
「こらっ!」
「旭丸!!」
すかさず、有希子は叫ぶ。
「小夜さまは三郎さまの・・・えーっ!君、あの、おぢさんの奥さんなんだぁ!僕の方が絶対、絶対、幸せにしてあげられるのに!」
(いやいや、幸せにしてあげられるって。そりゃ、カミだものね?俺よりも小夜の願いを叶えてあげられますでしょうに。)
少しだけ、ひねくれてしまいそうになった。
俯き加減にいじいじしている、三郎を見てクスッと笑うとすまなそうに有希子は言った。
「もう。旭は、最近そんな事ばっかり言うの。やっとお勤めを始められる年齢になったからかしら。」
有希子がため息をつく。
「それでだな。三郎、君にわしから提案があるのだが、わしら夫婦が君たちを守護しているように、この子達とも一緒にお互い切磋琢磨していける仲間にしてはくれないか?」
五郎が有希子と並び、目くばせして言った。
「ちょっと、待ってくれ!この・・・人数をか?」
三郎は息をのみ、見回した。
( 数えきれないくらい居る!屋敷の中に入りきらずに庭にまで、いや、塀の上にまでいる。このぶんだと、屋敷の外にもいるな?)
ため息をつく三郎。五郎は静かに頷いた。ざわざわと、男女ひしめきあっている。
有希子はその中でも十二人を選び、他は今のところ元いた山の屋敷に帰ってもらった。
選抜された 十二人の中には、あの白黒ブチの男もいた。相当、小夜のことが気に入ったのかまだ、諦められずに小夜の隣に座って小夜の手を握っている。五郎にも有希子にも手を握られる事もなかったし男性の姿でぴっとり寄り添われると小夜は密かにドキドキしてしまっていた。うつむき、三郎を見る瞳がキョロキョロしている。
「・・・う・・・っ。」
(何、頬を赤らめているんだ!・・・いや、相手はカミ。カミと人は違うぞ!)
「・・・あ、小夜さんもまんざらでは無いようですね。」
すかさず、旭丸は小夜の腰に手を回し、顎を引き寄せた!
「「ちゅー・・・ううううう。」」
容赦なく接吻をする旭丸。・・・なされるがままの小夜。
「!!」
それは、一瞬の出来事であった。あっけにとられ、三郎は腰を上げ、そこで立ち止まってしまった。 旭丸はそのままその場に小夜を押し倒そうと覆いかぶさる。
「・・・人とカミであっても・・・愛し合えるのだよ。」
なんて、ロマンティックな事をいけシャーシャーと言ってしまうのか!
小夜の細い腰に手をまわし、軽い口づけをかわす。寝巻き姿の小夜。はらりと、白い胸があらわになった。
「おいおい、ちょっと待て!」
三郎が叫ぶ!さすがに、一部始終見ていた、五郎と有希子、三郎に十一人の子供達は小夜から旭丸を離した。
「・・・有希子さん。・・・この子達は僕の想像以上でした。この、荒ぶるカミを僕らの側にいて貰うには少々難儀な事だと思うのです。」
(まぁ、旭丸が出すぎているだけなんだけども!いや、そもそもだ。・・・五郎だって勝手に俺に憑いてきたのだが・・・ちょっと、旭丸は違った意味でよろしいとは思えないのだ。)
隣にいた有希子に俯きながら目を伏せて三郎は半ば怒りを露わにしつつ低い声でゆっくりはっきり伝えた。
「・・・すみません。我らのサガなのですの。一度この人と決めたら、全力で愛し抜くのです。しかし・・・旭丸にはきつく言い聞かせますので。」
妹と弟に手足を縛られた旭丸はウンウン言いつつ、それでも、小夜から目を離さなかった。
「僕は、守護するなら、小夜がいい!」
興奮して犬耳と犬尻尾が出ている。
「・・・ふぅ。」
五郎は深いため息をついて頭をかいた。小夜に一目ぼれをし取り乱し、本性を露わにしている・・・旭丸。
「貴様に小夜は護れるのであろうかな?」
(いや。ほんとはそういう事を言いたいんじゃ・・・ないけどさ。)
「三郎。不安であると思うが、我ら夫婦の沢山産んだ子供の中でも旭丸は屈指の力を持つ狼なのだ。いっそのこと、護らせてみてはどうかな?そうすれば落ち着くはずだ。」
やっぱり、にやにや笑って腕組みし、三郎を見つめている五郎たが三郎に睨まれて視線をそらせた。
「・・・はぁはぁ。」
あらい息遣いで縄を呪いを解こうとしている。今にも俺に小夜をくれぇと言い放ちそうだ。
(・・・アイツ・・・正気ではないんだぞ!)
「三郎よ、そんなに心配であるならば・・・いつ何時も小夜と一緒に居れば良いではないのかな?・・・わしも今まで以上に貴様の側にいよう。」
「・・・。」
もう、三郎は何も言えずに居た。
「はぁっつ!」
旭丸は雄叫びをあげつつ、縄を呪を解き、小夜の側に床板をバリバリ壊しながら近寄り愛おし気に寄り添いに行った。
寄り添い際に小夜ごと優しい霧を纏い二メートルほどのブチ白黒の山犬に姿を変えて小夜に頬ずりをした。
「旭丸。小夜さまは三郎さまの奥方さまです。その一線を超えてはだめですよ。・・・それでも小夜さんを護れますか?」
すかさず、有希子は言った。
(カミと人とは身体を重ね、愛を語らうことなぞ本来であれば出来ぬこと。わかりますね?唯一、出来るとするならば、それはカミとしてもっとも注意しなくてはならないカミと人との融合・・・)
有希子は旭丸にだけテレパシーで伝えた。旭丸は答えて、
「・・・僕は小夜を小夜の気持ちを護りたいよ。」
「はぁ?」
(どこの口が言う!今、お前は小夜を今犯そうとしていたではないか!いや、もう、犯した!犯した!犯した!おか・・・)
「・・・三郎。」
「そもそも、カミは乙女につくものだ。」
ぼそっと、五郎が呟いた。
「いや、小夜は乙女なんかじゃない。もう、俺の妻だろ。」
何を言うかと思ったら。
「旭丸・・・。俺に誓え!小夜の貞操を守ると誓えるか?」
「・・・。」
旭丸は少し考えてから、頷いた。
「・・・そうか。ならば、信じるぞ。」
「・・・わかった・・・」
旭丸は小夜の背後を守るよう、きちんと背筋を伸ばしお座りするとすっと三郎を見つめた。
「小夜を守るのだぞ。」
(いや、本音はそんな事せずとも良いのだ!ただ・・・あらぬ方向に進んでほしくないからな!五郎、よろしく頼むぞ‼)
腕組みして佇む五郎に視線を向ける。五郎も頷いてくれた。
「・・・はい。」
旭丸は耳をぴんと立てて声高に吠えた。
「ウォオオオオオ~ン!」
こうして、五郎の息子旭丸は小夜の護りになったわけだったが、いつのまにか小夜から名前をもらっていた。新たな名前は、
『嵐丸』だった。
(・・・嵐のような剛力をもっているかららしいのだが・・・)
嵐丸のほかの十一人の子供達は女の子が六人の男の子が五人だった。 嵐丸ほど荒々しくはないが、それでも、彼らは自然の脅威そのもの。三郎はまだまだ、全てのカミを上手く駆使するには修行が必要だった。いや、そもそも子供達から教わる事の方が多かった。
なにぶん、最近生まれた子供のカミとはいえ、その叡智と神力は計り知れない。
逆に、向こうが、三郎の呪いに合わせて力を駆使してくれているように思うのだ。それは、まるで、今まで嫌だった小夜の助力の在り方と同じような感じだった。
三郎は、やっぱり、カミにも人にも助けたくなる、助けられる存在なのだ。きっと。
「いや・・・。」
小夜はあれから、いつ何時もへばりつく嵐丸から逃れたいようで、それでも、逃れられず
ノイローゼぎみになり屋敷に引きこもってしまった。そんな小夜を介抱するために小夜の側にいてあげたい三郎だが、そうはできず、あの日以来ずっと、一人で山野を巡り星詠みにでていた。女人禁制のお山であるから里に、都に小夜を残してくるしか他無いのだが・・・。そう、それに、斎宮とは別の勢力、族の住まう山だから、なおさら女人は危険なのだ。連れてくることなんて出来ない。歯がゆい。 初対面で小夜を犯そうとした嵐丸と小夜を二人にしておくのは本当に心配だった。とぼとぼと、あぜ道を歩いていたら、狼が一匹目の前を通り過ぎた。
(・・・珍しいな。)
「 五郎。あの話は本当か?」
「カミでも、人と交われると言うことか?」
「・・・。」
五郎は少し、空を見上げ想いを巡らせるようなしぐさをした。三郎に変化した姿でそれをやるのだから、まるで自分の高尚な姿のようにも思えてしまう。今までだって、何度となく見てきた姿の筈なのだが、いつ見てもやっぱり、五郎は自然の現象の力だけあってその身体に纏う空気感が空を突き抜けるように高い。
「・・・出来ないわけではないが・・・。」
意味深に答える。
「もし、二人がそんな状況になったとしたら?」
そんな言い方されたらとても不安になるじゃないか。
「・・・なったとしたら?」
そこで、五郎は言葉を濁した。教えてくれない。つい、うっかり、畑作業していた街人のわきを通り過ぎた時に五郎と話していたので、ひそひそ話をされ気持ち悪い人をみるような瞳で見られたが、それより、なにより、五郎の言葉が頭の中で反芻していた。
三郎の足は師匠が住んでいた山に向かい、来ていた。
(・・・師匠は・・・この山の蛇のメガミに見初められ、間一髪で助けられ?たのだが・・・カミの願いにより連れ去られた。あれは、食べられたんじゃない・・・よな。)
そう思いたい。師匠もまた、前斎王と同じく。お山の蛇カミと契約していたのか、
( ・・・俺のため・・・に。)
師匠は・・・カミの贄になった。
「・・・師匠。」
「小夜さま!」
布団を被り出てこない小夜に嵐丸が語りかける。
「 小夜さま!」
「・・・私がお守りしますから、今夜こそ星詠みに行きませんか?」
「私、それが、怖いと言っているの!あなたは隙あらば何をするかわからないじゃない!」
「・・・僕は、三郎さまと約束致しました。貴女の貞操は守ります。ですから、行きましょう!」
「本当に・・・そうなの?」
小夜はそろそろと布団をよけて起き上がり嵐丸を見ると、そこには全裸の嵐丸がいた!
『これは・・・一体!!』
小夜は絶句した。
(その姿で星詠みへ行くと、言うのですか?)
叫び声を上げようとしたが身体がこわばって声に出せない。暗がりに浮かび上がる鍛え抜かれたそのたくましいその身体。そして初夏の朝を思わせる色合いの瞳に髪。願いをこうようなもう、どうしょうもない目線ではだけた寝間着姿の小夜を見つめる。
「・・・あなたは巫女・・・カミと巫女がどのような関係であるのかは、あなたも良くご存じのはずであります。」
(いいえ、私は巫女じゃ、ありません。だって、私は三郎さんのものですもの)
「僕は貴女が大好きなのです。今宵こそ、僕に抱かれてください!」
(貴方が私の事を大事に思ってくれているのはわかりますが、それは・・・それだけは出来ぬものでございましよう?)
「あの、嵐丸・・・。」
小夜が調伏しようとして手を上げたが、その広い胸に捕らえられ、押し倒され・・・あれよあれよと言う間に二人は一つになってしま・・・った。
「・・・小夜。愛しています。この気持ちに偽りはありません。もう、この場を離れ我らのみで生活できる新天地へ行きましょう。」
しっとりと、汗で濡れ、嵐丸の愛撫に痙攣し縮こまる小夜をそっと抱きしめ嵐丸は言った。
「こんなこと、だめ・・・。」
嵐丸を押しやろうとしたが、嵐丸は微笑みもっと強い力で小夜を抱きしめた。
「・・・私は、三郎さまを夫と思っております。貴方がカミだとしてもそれに変わりはございません。」
(むしろ・・・僕は小夜さん。全ては貴女と・・・三郎さまの為・・・)
嵐丸の視線は遠くを見つめた。
「・・・そうか。・・・もっと、僕の誠意が伝わるよう、僕は努力致します。」
嵐丸はその胸を熱くする情熱は明かさない。次の瞬間嫌がる小夜の鼻に指を入れて脳みその構造を書き換えた。たらりと滴る血がそれを証明し、小夜はおもむろに着替えると、嵐丸と連れ立って夜の都のどこかへと消えてしまった。
三郎はそんな事はつゆ知らず、 頭の中は消えた師匠と山のメガミの存在について考えていた。
【神も恋をする。 その為、時々神隠しにあう。】
斎王も、師匠も。もしかしたら、嵐丸に好かれた小夜もいつかは神隠しにあってしまうのではないだろうか。・・・師匠がいたら問いたい。どうしたら、嵐丸が小夜の事を諦めてくれるか。もう、遅いかも知れないが。
山は夜の静けさに静まり返り、三郎の心はどうしても鎮まらなかった。 山は教えてくれる。
「・・・教えてくれる、はずなんだ。」
結局日の出まで、山にいて御来光を拝み、そそくさと下山した。屋敷に戻ると、下女や下人が血相を変え三郎に飛びついてきた。瞬時に下女たちの声は三郎の中からは消え去ってしまった。
「・・・あ。・・・・・・。」
「小夜。」
小夜が居ない。屋敷中、隅から隅まで調べた。もしかしたら、嵐丸の存在が怖すぎて呪いの結界を張るために普段は使わない隠し部屋に行っているのではないかと思い、そこも、調べた。だが、居ない。枯れ井戸の秘密の受け道も、隅から隅まで、果ては小夜が行きそうなご近所さんの屋敷まで半狂乱になりながらガンガン扉をたたき門番の静止を振り切りお友達すべてを当ってみた。上位の貴族や、下人、下女、童、果ては野良猫にまで話しかけた。三郎が知る、都のそこかしこ、機密の抜け道。鬼道。多分、都の半分は探し回っただろう。しかし、居ない。
(こんな人生・・・も う い や だ。)
三郎の大事な人に限って。三郎の行けない所へ行ってしまう。・・・生まれてこのかた、
三郎の大切な人は、目の前から居なくなった。
親だって、わからない。斎王も天へ登り。師匠だって、神隠しにあい。・・・愛妻小夜だって消えた。
多分、神隠しだ。
「ああ・・・もう・・・・この世なんて、どーでもいいや!」
いつの間にやら暗くなり、誰一人歩いていない都の大路地に力なく崩れ落ちるように座り込んだ。もう、気力も体力も底尽きた。目尻から止められない涙の雫がぽたぽたと零れ落ち、闇より暗い雫の跡を都の大路地に記している。
(男なのに・・・泣いちゃだめだ。)
知っているし、わかっちゃいるけれど手で拭いぬぐい不安や小夜を見つけ出せない怒りを蹴散らせようとするのだが。なかなか難しい。歩かなければ、師匠の、今や自分の屋敷にすら戻れないから、仕方なく起きて歩き出した。
主人を心配し、下人が何か優しい言葉を発しているが何を言っているのか分からない。
「・・・三郎?」
唯一、ずっと、側にいる五郎のすがすがしい初夏の森の霧のような気配は感じる。
五郎はさっと、小夜がいそうな所に意識を飛ばし、先ほどから探しては見たが・・・。
「・・・小夜は・・・。」
嵐丸はそれすらも計算していたごとく。全く見あたらなかった。
五郎は首を横に振るしかできなかった。
「・・・なんだ?お前も、俺から離れたくなったのか?」
涙でぐちゃぐちゃな、情けない男が空に向かって甲高い声で叫んだ。
「・・・三郎、お前!」
( 感じているくせに、何故、わざわざ叫ぶ。三郎、おぬしの気持ち、わしが判らぬわけないだろう!痛すぎるぞ‼)
「ん?なんだよ?」
五郎の存在は感じてはいるが、何を言っているのか少し今の三郎には、判別できない。
「・・・ちょっと。」
五郎が耳元で囁いたのだ。
【ま】
小夜が師匠の屋敷から消えたと知ってから一日半過ぎていた。三郎はまた、師匠の住んでいた山へ戻り、近所の小高い山の上浅く突き出た岩が印象的な洞窟の中で儀式をする準備をしていた。洞窟の入り口をふさぐように注連縄を張り、祭壇を設け、五穀と山菜、尾頭付きの川魚をお供えした。これで、洞窟と外との境界が出来、祭壇の奥は三郎とカミの閉ざされた空間になった。小脇に抱えた薪を燃えやすいように組むと、火種を作るために火打金を火打石を持ち、火口を火打石の上に乗せ、種火を麻へ移し薪がじんわりと燃え出した。
「ちょっと。」
と、五郎は言う。焚き火の炎が揺らめき、洞窟の中にこもった熱が一陣の風によって外へ掻きだされてしまった。
『ちょっと』
それが、五郎の口癖だと知ったのは最近になってからだ。焚き火の灰が巻き上げられて三郎の鼻に入ってしまったのか。三郎の目も鼻もグチグチしていた。
(小夜・・・。)
不思議なもんだ。あんな事があってもイヤイヤながらも手は動くし、少しではあるが瞼を閉じれば眠れだってする。
「俺は・・・。」
冷淡な奴なのかと思う。もう、忘れたかのように、星詠みの仕事に戻っている。
今頃、小夜はどうしているだろう。実年齢よりも若く見えるし、話言葉もまだまだだし、華奢な身体に可愛い笑顔。嵐丸だけではなく・・・人間の中にも危険な奴はいくらでもいる。盗賊や、族に。前のように襲われて売られてしまっているかもしれない。
(悔しい。)
俺が星詠みの仕事なんて放棄していたのならば、このような事にはならなかったはずなのだ。・・・つまるところ、斎王から頂いた叡智だって、それを使うとか、おおっぴらに子々孫々に伝える気も伝えようとも思えない。腑抜け野郎なのだ。
(俺は小夜を失った?いや、ただ、少しばかり何処かへ遊びに行っているだけだ。)
何度もその二つの相反する言葉が脳裏をよぎる。冷静に、それでも冷静に今後の生きていく、生き様を考えなくてはならない。
さて。
焚き火の炎が小さくなる瞬間に集めておいた小枝や薪をくべる。そうすると、また、じわりじわりと薪の隅から炎が上がってくる。一連の作業をしていくうちに喪失の切なさ、無駄な不安や苛立ちが揺れる炎に浄化されていくように感じた。
その間に、人数?いや、カミの数だけ依り代を作成し、用意炎の前に置いた。
「ひ・・・ふ・・・み・・・よ」
「あ。」
一つ目の依り代は、嵐丸の為に作ったんだった。
怒りと憎しみと・・・悲しみが織り混ざった依り代となっていたが。
「ちょっと、ぢゃ、ねぇ~!」
ふつふつと怒りが瞬間的に湧き上がって来た。(今、気が付いた!)
そうだッ、三郎は大元自体を憎むべきなのである。
「そう。」
炎が揺らめく中に彼は白い山犬の姿でいた。
「五郎、お前、そこで何をやっている?お前は炎の属性ではないのであろう?・・・そんな暑いところにいて大丈夫なのか?」
「・・・。お前、俺がここにいた方が良いと思ったから、俺はここにいる・・・。」
(ああああ。そうだな。お前なんて炎で浄化し空の彼方へ蹴散らしてやりたいと思ったさ。)
「それも、俺の修行だからな。」
「その、言い方だと、しばらくそこにいてもらう事になりそうだ。」
にやりとほほ笑むと細かい枝を手でしごき、地面にばさっと落とし占ってみた。もう暗い気持ちが少し軽くなっていた。星詠みも占のうち。占も星詠みのうち。身体が勝手に動く。
「・・・あぁ、三郎よ。それはお許し願いたい所だ。お前の気持ちもわからんでもないが・・・。」
「自然の気の我らは・・・」
「感じるまま、赴くままなんだろう?」
すかさず三郎が嫌味ったらしく。
「感情の赴くまま。その結晶がお前達の合いの子となり小夜を襲ったと言う事だな。・・なんとも、因果とはこのような形で俺に牙をむく。小夜とお前を逢わせない事は出来なかったろうが小夜を星詠みへと誘わなければよかった。五郎お前にも、言われていたしな。」
「俺は、全く人に流されやすい。そして、五郎お前たち自然にもてあそばれているだけのようだ。」
「・・・もてあそばれている。」
『カミはそう。大いなる叡智。それを持って人間を誘い・・・じゅうりんする。』
メラメラ燃える炎の中で目をかっと見開き、こちらを見据える五郎をそのままに三郎は
呪文を唱え始める。
「ひ、ふ、み、よ、いつ、む・・・」
「あ。」
そうだ。
「なぁ、五郎。」
「なんだ?三郎。」
「俺、思ったんだけど。」
「なんだ?」
「・・・呪文ってさ、お前たちに俺の心が届くように話しかけるわけだろう?」
「・・・あぁ。そうだが?」
「・・・だったらさ、」
嵐丸以外の十一人の山犬姿の仔狼達の一人が三郎の前に進み出てきてお座りをした。
三郎は依り代を渡そうと差し出したがふと、頭をかいた。
「・・・もしかして、君たち、俺が「山犬」と思ってイメージしているから山犬なのか?」
「ええ。もちろん。」
瞬時に人型になって、依り代を受け取った。
受け取った。・・・受け取って、眺めている。三郎はその姿を眺めた。
「君たちは、僕に強制的に呼び出された、というわけではないから依り代は必要ないのか?」
炎の中から五郎が飛び出し、火の粉を払うと山犬のままの姿で三郎の前に座った。
「君の考えている通り。なぜ依り代が必要か?と、言うことだな?小さな力で大きく作用させる時や依り代にとどまらせたい場合には有効。そして、そう、嵐丸のような荒ぶる力も依り代にとどまらせる事によって、小夜への影響も制御できたはず・・・なのだがな。」
「だったら。そこまで、知っているのであればなぜ?初めに俺に言ってくれなかったのだ?」
(三郎。術とは、あみだすものだからだよ。)
「は?それは?いかに?」
首を傾げ、腕組みする三郎。
「確かに・・・ヒトガタに霊を引きよせ身代わりにするとか・・・は師匠に習ってはいたがそんな事も出来るのか?」
「第一、俺は星詠み。(そもそも、カミを崇めるとかカミを使役するとかって、師匠のような祓い屋のする事であろう?)」
「・・・なぁ、三郎どの。」
五郎は伏せて前足の肉球を舐めながら言った。
「貴様は、俺と出会ったその時からすでに祓い屋なのだよ。亀の姫の時だって、わしまでも払っていたろうに。」
「それも、そうだけれど。あれは、星の流れ、波動に自らを合わせて放つ気によって払っていたわけで、君たちのような、カミに力をかりてやっていたとは思っていなかったぞ。」
「まぁ、さもありなん。」
「・・・貴様は頭だけで祓いをやっていたからな。だから、尚更、小夜とわしらは感度が良かったのだ。小夜は感覚でわしらと話し、わしらの意図を読む。体質からして、違うから仕方のないことではあるがな。」
五郎はそこまで言うと、鼻をあげ遠くの空を見上げた。
「なあ、三郎。そろそろ、斎王が残したと言う叡智を使ってみてはどうだろう?」
「・・・は?」
「あれは、書物などに書き記して残すだけで良かったのではないのか?」
「冒険しない男だなぁ。三郎よ。記することも良いが使ってみるのもこれまた一興。」
「あ、それより!ちょっと、まてよ。俺は五郎、お前のことを許してはいないぞ。俺はそんな事をする気になんてなれないんだし。」
「は?またぁ。今更?」
五郎が犬顔でケタケタ笑った。いつの間にか、三郎が作った依り代を十一人全てが大事そうに抱えていた。その光景が微笑ましく、三郎は一人微笑んだ。儀式?を終えた三郎は、祭壇に供えた五穀と山菜、尾頭付きの川魚を手に取ると料理し始めた。
山菜はみじん切り、川魚は五郎や子供たちの要望を聞き、半分は焼き魚に半分は山菜がゆの中へ投入した。魚が焼け、粥が炊き上がってくると良い匂いが空腹の鼻孔をくすぐる。
五郎も子供達も嬉しそうにごちそうが出来上がるのを待ち望んでいる。
そのうち一人が三郎の前へ進み出て、
「・・・我らを受け入れてくれて、ありがとう。三郎、君に助力するよ。」
手を伸ばしてきて、三郎の握手をした。芋ずる式に全ての子と握手をした三郎だったが。
本当に複雑怪奇な心境だ。
(・・・この子達は、何も悪くない。もしかしたら、五郎さえも何も悪くないのかもしれない。だって、僕が斎王から叡智を預かりさえしなければ斎王は天へ行かなかったであろうし。あ―でも、それは、斎王の意思だ。俺に託すなんて。なんて馬鹿な事をしたんだろう。それさえしなければ、師匠も神隠しにあわずにすんだ。師匠も斎王もどうかしているよ。)
(そして僕は、判断を誤ってしまった。小夜の事だって、五郎に任せていなければ・・・いや、小夜に一方的に惚れた、五郎が嵐丸が悪いと思う。どの道、俺が悪いのか、やっぱり俺が悪いのか)
(だから、どうどうめぐりになってしまうのだが。でも、星読みとして斎王いや、都いや、神に使えてさえいなければ。・・・師匠に育ててもらわなければ。星詠みはしていなかったな)
(五郎に会っていなければ)
後悔ばかりしても仕方がないのだが、自分の人生を呪う。
「なぁ、三郎よ。君は今人生の岐路に立っている。浄化の炎を見てもなお、過去ばかり悔やんでいられるか?」
五郎が、三郎の姿に変化して出来立ての粥を受け取る。子供達も、見習って粥を魚を受け取る。すきっ腹に粥の甘さがしみわたる。
「美味しい。」
(そうだ、僕が小夜を星詠みの仕事を愛さなければこんな事にはならなかったはず。)
鍋をどかした焚き火の炎が小さくなったので、また薪をくべ、もごもご何かを唱える。
「もう、こんな仕事は嫌だ。やめてやる!」
「・・・それでも、こうやって続けているではないか?」
五郎がチャチャを入れる。確かに、そうなのだ。今やっているのは、これからやる仕事についての祈願だった。ごちそうを頂いて満足した子供達、ご馳走し、自らも満たされた三郎。師匠が事あるごとによくやっていた。カラフルな石をカラカラとかち合わせて投げた。
三郎はただ、ぼぉっと眺めているだけでも精神統一できる。
すると十一人の若者達の士気が上がってくるのが三郎にも読み取れた。感情の波と抗い淡々とこなす三郎の姿を見、また、普段の白い山犬の姿へ戻ると前足を組み、五郎は白い鼻面をこちらに向けて微笑んでいるように見えた。
三郎はやめてやると、何度思っても。なお、体だけ勝手に動く。洞穴の壁に依り代を立てかけて、少し痺れた足を奮い立たせ洞穴を後にした。清浄な冷たい風が背後にある山からそよぎ、山へ目を向ける。もう、日が沈みそうな頃合いになっていた。
目線を向けると、四肢でしっかりと立ち頭を下げて見つめる五郎と目があった。
「・・・なぁ、五郎。」
「なんだ?三郎。」
「・・・俺はお前を許さない!そして、今ある状況も許せない!この世の摂理と言うものがあるとするならば!その叡智で破壊尽くしてやる。」
「お前は、まだまだだなぁ。」
へぇへぇ言いながら笑ってる五郎。
「は?五郎、お前・・・。俺を・・・。馬鹿にしているのか??」
五郎はほくそ笑むと
「まだまだだと言っているだけだ。」
(五郎のまだまだはきっと死ぬまでまだまだだろう。いや、死んでもなお・・・か。)
足元の小石を蹴る足に力が入る。俺には小夜が必要だったんだ。やっと、俺に家族ができた。師匠だって家族だった。斎王だって家族だった。なのにもう、彼らはいない。 ただ、叡智だけが残ってしまった。
(こんなモノのために・・・君が叡智を使えと言うならば使ってやろうじゃないか。)
「はっはっ・・・俺がどう使ってもいいんだもんなぁ。」
「興奮して身震いするぜ!」
身震いついでに、尿意が。崖っぷちに立って小便をした。三郎は知らなかった。崖の下に白い毛むくじゃら人型のもののけが居たことを。もののけ自体は大自然の気で異空間に確かに存在する何者かである。白い毛むくじゃらもののけは頭っから尿を浴びてしまった。手元に頭からつたう尿がしたたり落ちる。白いけむくじゃらもののけはただそれを見つめていた。
((肝心の叡智とは?何ですか?))
私は、三郎さんに問う。
(まず、待って、な。この時は、叡智と言うモノが確かに古来より日本において普段より広く一般に使われているこの世の叡智である事をただ、ただ、知っていた、何となくぼやけ、頭の中に浮かんでは消え何度も現れるそんな、感じだった。)
【け】
三郎は山脈を尾根づたいに歩き、急こう配を半ば滑り降りながら木々の間を歩いていた。あれから二、三日師匠が時々ねぐらにしていた、もう1つの山小屋で仮寝をしていたのだが、徐々に行動範囲を広げるために幼いころの記憶をたどりつつ歩きまわっていたのだ。今朝は、特に霧が深い。崖を下りきり沢に出た。ここ、楽しいんだ。沢は水深の浅い川なのだが、水底が少し硬い岩盤で出来ているようだし、水の流れも穏やか。
その為か、水底の岩には古の時代に掘られた暗号のような絵文字や図形が残っている。
それ以外にも、ここら一体の山は古代の叡智に彩られた岩が無数に存在している。
師匠曰く、星詠み、祓い屋の叡智がぎっしり詰まった此処は聖地なのだそう。
(だが、師匠はこの程度であれば、日本であれば何処にだって転がっていると言っていた。)
三郎はつい、最近まではこの山以外そんな多数を垣間見た事がなかった。しかし、後々知った斎王が扇を振り、カミの力を発動させ出現した巨石群それらにも、ここの岩と同じような絵文字や図形が描かれていたのを発見したのだ。だので、カミの叡智とは如何様に発動し利用できるのかを知るためにも今一度調査してみようと思った。見あげると三郎の目線の先に緩やかな雑木林が見えてきた。
その雑木林はあの頃と変わらず所々に岩が大地から突き出るようにゴロゴロしている。
三郎はその1つ1つをじっくり見て回っていた。岩に掘られている暗号のような絵文字。触れれば、思ったより深く苔むしている。三郎はそれをなぞると、すぐに他へ興味が移り離れる。三郎は気が付いていないがなぞられた絵文字から薄明るい光が浮かびふっと消えてゆく。一つ、また一つと。
三郎の背後を数人?白い毛むくじゃらの、もののけが追う。三郎が目移りすればするほどその数が増えていき、さすがの三郎も、背後にざわつく気配に気が付き、はっとして振り返るが三郎が振り返った瞬間煙のように消えてしまった。
「・・・深山のもののけの類か。」
一呼吸、置いて。落ち着けて好奇心に燃えるその気持ちを置いていく。きっと、三郎のその(気持ち)が奴らの好物なのだろうから。
見回りながら、痛む頬を撫でため息をつき、つき、雑木林の中をそよぐ風の音に耳をすませ考えていた。風は五郎達の囁きだったりもするからだ。少しでも多くの情報を手に入れたい。 斎王から頂いた、叡智のタネと言うものが多分奥歯を痛くする。
(痛みの先に何かあると・・・)
そう、思っていた。しかし、師匠の小屋の中で師匠が使っていたもの経ちと一緒に眠っていたら素晴らしい事に気がついたのだった。 痛みは痛みでしかないと言うこと。
本当の幸せはきっと、幸せの木々の木漏れ日の中にあると思う。
木々の間から柔らかな光が差し込み、木々から発する穏やかなエネルギーにあたると心も身体も痛みが和らぐのだ。
師匠のモノたちと過ごす事によって子供時代の師匠の木漏れ日のような暖かさを肌で感じられたからだった。昨日の昼から何も口にしていないが不思議とお腹が空かない。
袖口を探ってみると、干し飯がほんの少しだがあった。味噌も用意していたのでそれを少し口に含んだ。でも、ほんの少しだけ。奥歯が痛いのでいつもより、大きくもごもごしていたら、そんな時に限って、岩陰から紫色に艶光りする短髪の見目麗しい女人が顔を覗かせた。師匠が好みそうな、活発なタイプの女人かと思った。
(・・・あぁ。めんどくさい。)
『あぁ、めんどくさい。』
こんな、時には誰にも会いたくないのに!しかも、なんだ、この女人?めんどくさいって?
(・・・な!なんだよ??)
『な?なんだよ?ねぇ。』
女はふふふっとからかうように笑うと、三郎とすれ違った。すれ違いざまに女は三郎の心臓のあたりを人差し指でとんとついた。 つかれるか、つかれないかの瞬間に三郎は強烈な風圧を感じ後ろに倒れた。
「最近、ここいらをうろつく男人がいるとは聞いたがお前の事らしいな。女人でも探してうろついているのかとも思ったが、そうでは無いようですね。」
女人は振り向きざまに吐き捨てるように言った。
「んな、」
三郎は一瞬悶えたが、瞬間に師匠から教わった受け身ですんでのところで死をまぬがれた。
まともに食らっていたら死んだだろうと思うと怖いじゃないか。この女人。
「その、かわし方はあいつと似ているな。・・・もしかして、お前、あいつの弟子か?
ならば、ここいらをうろついていてもおかしくはないな。」
女人はクスリと笑うと、近くにあった岩の上に座って言った。
「なぁ、そういえば、十年ほど前、本来都を守護する神は高い山の上に降り立ち、高い山の上から飛び立つと聞くが先の斎王の時は、斎宮の上に降り立ち、飛び立って行ったな。同時期にあともう一人、その・・・神の裁きにあい男人が雷にうたれたらしいがおまえ、知っているかい?」
(十年も前の事だが?何故、今頃になり俺に聞く⁇その言い方だと、まるで現場を見ていたかのようだな。あやしい女人だ・・・。)
「・・・知っていると言えば知っている。」
でも、と言いかけて、三郎は言うのを止めた。
「・・・ああそうか。」
噛みしめるように女人は言った。
「神の裁きを受けたのはお前の師匠だな。が、突然現れた大蛇に食われ神隠しにあった。」
「・・・そうですが・・・。」
(別になにも話さなくても良い気がするが・・・なにやら、いわくありげな女人であるから素直に山の大蛇のカミと師匠、斎王が天へ昇った話しをしてみた。)
「なぁ、男人よ。私が座るこの岩、そして、この森にある岩は過去幾人かの斎王が神力を使い出現させたもの。」
女性は静かに話した。
(あー・・・。奥歯が痛い。)
この巨石群はやはり古から斎王が残した叡智((古代呪術))か。改めてそう想う三郎だった。
・・・前斎王が扇を一振りした時に地震があったが、あの時に各地になぞの地割れと岩が出現していた。出現じたいが謎なので十年経った今でも人々に放置されている。祓い屋や星詠みのなかでは、時々話題に上がるが、星詠みや祓い屋の中でそれらの文字を読むことは出来てもどのようにそれら古代の叡智を発動させる原動力になっているのかが不明とされているのだった。読めると言ってもその情報は斎宮の中でも最重要機密なので三郎のような師匠クラスではない星詠みにはまだ、全貌を明らかにされてはいなかった。
それでも、その叡智へ繋がるのかは不明だが、ほんの少しだけならば、師匠から、詠み方を三郎は教えてもらっていた。
(俺も、扇で奥義なんちゃって!)
左袖の中にひそかに隠し持っていた扇を取り出して宙に掲げると、すっと口元に寄せて、先ほど、なぞった岩の絵文字を小声で読み上げ扇にふっと息を吹きかけるとスッと男舞をそれとなく舞って魅せた。三郎の切れ長の眼尻がキラリと流れるように光る。
「・・・その通りだ。男人よ。」
ぱちぱちと拍手した。
「ああ。めんどくさい女人だな。」
三郎は言った。ちょっと、ここまで悟られると恥ずかしいじゃないか。
「・・・だが。」
三郎は自分自身に語りかけるように呟く。
「その舞の先の詩を、知っているようだな。」
女人が薄ら笑いをする。
「僕が?・・・知っているか、かぁ・・・」
それに、返答する。
「俺が・・・言いたいのは。」
(そろそろ)
「 あ、いや。 俺は、斎王が叡智。それを使おうと思うのだ。」
「それも、よかろう。その時期だろうしな。・・・どうだ?おぬし、一人で仕事をやるより、私と一緒にやらないかい?・・・最近、一人で仕事をするのがつまらんくてなぁ。」
「えっ。」
思わず、三郎は後ずさりした。
目の前にいる、高飛車なこんな女人とともに星詠みの仕事をするなんて・・・。
(興奮するじゃないか!(イライラしそう‼)仕事になるだろうか?)
小夜と同じく、神隠しにある日突然なったりしないだろうか?(せっかく出会えたのにまた、居なくなるとか。いや、なんとなくだか祓い屋の師匠と交流があったのであろうから、そうやすやすと、神に神隠しにあったりはしないだろう。)
(・・・二人でする・・・)
言葉をかみ砕いて、思う。
(いつも・・・二人で??)
頭をかきかき、少しにやけてしまう良い申し出だとは思った。
「 ふふふっ。面白い。おぬしは師匠に性格が瓜二つであるしな。良いぞ。・・・これから、いつも二人で居ても。」
「誠か・・・!!」
(おねぇさん!!)
三郎は心の中で歓喜の声を上げていた。
「ちょっと、まて。先程から、高飛車女だの、おねぇさんだのと言うが・・・、私は・・・」
言いかけて、女人はおし黙った。
「まだ、誰も相手がいらっしゃらないのであれば、僕と、いや・・・共に。」
こんな時、どう、言葉を選んでいいのか!僕と、共に。とはどうしようもなく、思うのだ。
(一生一緒に居たいなぁ!僕の前から消えないで)
少年のような、らんらんと輝くその瞳の男を前に少し引き気味に頬を赤らめたじろぐ女。
「・・・お前!こちらにも選ぶ権利はあるのだぞ。」
ごもっとも。でも。
(できれば、一緒に居てくれないか?)
「・・・そうだな、一緒にいるくらいならば。そうさせてもらうぞ。」
短髪のキリリとした女人は三郎の前に立ち左手を差し出した。三郎も右手を差し出し握手した。三郎は握った手を暫く離さずに女人の瞳に魅入ってしまった。このまま、胸に引き寄せ唇を重ね合わせたい。女人は見つめられるまま、何も言わずにうろたえもせず静かに呼吸を合わせていた。
【人はなぜ、強く叱咤激励された方が心に、強烈に残ってしまうんだろう】
より、本音で話された方が話してくれた相手を好きになってしまう。いや、心を見透かされた恐怖はあるが、心を理解してもらえる安心感。これはいかに。いかなる、ものより、安息をそして切なさを与えてくれる。
二人は誰からと言うことなくその場を後にし、師匠が住んでいた山小屋へ行った。
本日の星詠みの成果を巻物に簡潔に記すと飯の準備を二人でした。
取り留めない、師匠についての昔話をして盛り上がったりした。その日の夜も、そのまた次の日も。あの、狭い師匠の山小屋で背中を突き合わせるように添い寝をしたが、
・・・二人には何もなかった。男ざかりの三郎にとって、この仕打ちはもう。
(ひどい!)
本当に、本当に僕は死にものぐるいなんだ。こんなに側で寄り添い寝るのに、触れない、触れさせない。ふて寝するものの、寝れない。隣をみれば、上掛けさえかけずに少し手足を丸めて寝ている。・・・その穏やかで柔らかそうなほっぺたに接吻をして、柔らかいふくらみをキュッキュッと握りながら優しく囁き、足元から着物の裾をたくし上げ柔らかですべすべな太ももに手を這わせたい。太ももにも接吻しながら舌を這わせ、たどり着きたい。かの女人の秘めたる領域まで。小さなその吐息が荒くなって行くのを楽しみながら君の身体が火照りだすのを一緒に感じてみたい。そして、僕が君の中へ入るんだ。君の柔らかなふくらみが僕を、僕のすべてを吸引するように包み込む。僕はどんなに、その行為に対してどんなにだって疲れたっていい。君が、僕をその優しさの中に受け入れてくれるのであれば。( なんたって、)僕らは起きている間中、山野を駆け巡り本来の星詠み、祓い屋の仕事をしつつ、斎王が残した叡智。あの岩を遺跡を巡り回った。何をするにも、罵詈雑言浴びせかけられながらだけど。絵文字を読み間違えるだけで、岩の上から蹴り落されたりもした。もちろん、頭から落ちないように受け身もとるから大事には至らないが、無傷ではすまない。切り傷、打撲がその壮絶さを三郎に知らしめている。
(ま、女人の蹴りをかわすことの出来ない俺も悪いけれども・・・。)
「今 夜こそ!」
とは、思うのだが、なにぶん、星詠みの仕事と祓い屋の仕事は心身ともに鍛え抜くため?
とても、疲れるらしいのだ。・・・確かに男の俺でもへとへとになるのだから、男人より体力のない女人が疲れないはずもないのは理解している。
あの、女人、いや女師匠は罵声と右ストレートを放ち三郎に言った。
「よく、覚えるのだ三郎!私の名は、白城、白い城と書いてシラキだ‼」
結局仕方ないから、三郎は夜は一人、白城から離れ、師匠の小屋からも離れ、調査を終えたお気に入りの座りやすい岩の上に胡坐をかいて眠れない夜の時を瞑想という名の迷走をして費やす。三郎が座る岩の周りには背の低い草が生えるだけで、夜空を見上げれば、木々の間にぽっかりと空間が抜け星がキラキラと瞬いている。
「・・・こう、毎日が辛いのか幸せなのか、分からないと、小夜がどれだけ優しく俺に接していてくれたのか、俺を愛して俺自身を受け入れてくれていたのかが・・・わかるよ。」
(小夜は俺より、遥かに若い女人でおっちょこちょいで、見ているとハラハラするけれど。実は俺より、しっかり、していたし、俺を愛してくれていた。・・・白城にしごかれるとほんと良く分かるんだ)
俺は、とても幸せだったのかもしれない。
(僕らに、子供はいなかったけれども。あまり、小夜は抱かせてもくれなかったけれども)
「さて。どうするか?」
俯いた顔を上げて暗がりの何も言わぬ藪を凝視する。
このまま、白城と一緒に活動していて、いいのだろうかと思う。
もしかしたら、もう、遅いかもしれないが今からでも、また、探せば小夜と師匠を救い出せるかもしれない。 そこまで考えた時、背後に迫る気配に気がつき三郎は振り向きみた。
今までに感じた事のない、冷気と山の下から湧き出る濃い霧が駆け登ってきた。
あっという間に三郎は深い霧に包まれてしまった。三郎は気が付いていないが、霧の発生源の沢の中に白い毛むくじゃらの人型のもののけが大勢で、立っていて、谷の上に居るであろう三郎を静かに見上げていた。
【ふ】
山の谷間から登り上がってきた霧にまかれてしまった三郎。この霧は喉を締め付ける。
よく、幼いころから師匠が言っていたな。山間の窪地の谷から上がってくる霧には気をつけろ。たとえ、肉体錬成していても抗えようもない神の作用があるものだと。
「・・・聞いてくれ、五郎。君は確か、水の属性で水を司るカミだったはず。」
喉が痛い。
「・・・この霧から逃れるための道案内をお願いしたい。」
白城と過ごすようになってから、しばらく五郎が三郎の元にやって来ない。小夜が好きだった五郎。三郎が今、小夜以外の他の女人といるのが嫌なのか?だから、来ないのか。心で念じてみた。だが、五郎の気配は感じられない。喉の痛みとともに意識まで朦朧としてきた。でも、なんとか、ふらふらになりつつも 山を登りきり尾根にたどり着くと、霧から逃れる事が出来た。 大変疲れたのでそのまま、その場に横になり眠った。
三郎が眠りにつくと濃い霧は山頂の尾根までも飲み込み空高く昇って行った。
「三郎・・・。三郎、起きろ。」
五郎の声にせかされて三郎は薄くなった?霧の中で目が覚めた。
辺り一面うっすらと霧に覆われているような気がする。
「どうした?五郎」
鈍痛のような眠気に引き戻されてしまいそう。
「どうした?もない。お前、時空の鍵を発動したな。」
「鍵?」
「・・・しばらく、歩いていればきっとそれがなんだかわかるだろうな。なぁ、三郎よ。」
五郎の声だけが霧の中でも響いてくる。
「・・・??」
キョロキョロ見回して五郎を探したが見あたらない。三郎はしばらくそこを歩いてみた。
三郎は手でそれをすくってみた。霧というか赤い炎がたちこめていた。
(不思議だ熱くはない。)
触れてみても、熱くはないし、まるで三郎がその場にいないかのように揺らめきもしない。
(一体なんだろう。)
三郎はふと、思うのだが、心の何処かでここが懐かしいような・・・少し悲しいような気がしてきた。三郎の心とは裏腹に、前面に立ちこめていた炎の揺らぎが消え、巨大な緑色の蛇と淡い紫色に光る艶やかな髪を後ろで一つに結び、髪の毛を振り乱しながら互角に争っていた。
「 あー・・・。」
三郎は何か、見てはいけないものを見たような気がした。
(あの、女人は白城・・・俺の女師匠じゃないか!)
巨大な緑色の大蛇を相手にして、何かを問いかけているように見えてくる。カミは白城の要求に応じる気がないらしく何度となく白城を地面に叩きつける。何度、打たれようともめげない白城。
「なんど打ちのめされようと、自分の想いを貫き通すために立ち上がる貴女に免じ・・・その願い叶えてしんぜよう。」
「・・・」
それに、答えない若い女師匠。その光景が、ふっと、少しだけ見えて、ふっと、意識が遠のいた。肌寒さに身震いし、薄明かりの朝日の中で三郎は目を覚ました。すぐ隣に五郎が三郎の星詠み装束で胡坐をかき、座り起きかけの三郎の顔を覗き込んでいる。
「・・・大丈夫か?うなされていたようだが。なぁ、三郎。」
三郎は、その問いに答えられず。唸った。
「・・・っう。イタタタ。」
頭が痛い。優しい五郎の眼差しに答えなければいけない。そう思うのだが、もどかしい。
「・・・情愛とは?」
突然、何を言い出すんだ。五郎。
「は?な、なんだよ。五郎。」
(・・・いまさっき、見た夢・・・。あの、緑色の大蛇は多分、師匠が神罰を食らわないように、俺に止めてくれと言った奴だった。それは、分かったが白城と大蛇がなぜ、争っているのかは分からんが・・・。そして、今、五郎がなんて、言ったっ?情愛?へ?)
「わしはまだまだ理解できん。」
何故か、堪え切れない瞳を潤ませ、起き上がり、頭を抱え振る三郎をのぞき込んで言った。
「はぁ?」
(何故、五郎よ、泣きだしそうな顔をしている?)
「情愛かぁ・・・。情と?愛?相反するような状態を言っているような気がするのだが・・・五郎、何故、お前はそんな小難しいことを考えているのだ。」
五郎は立ち止まり、感極まり、三郎の肩に手を置きつつ止まらぬ涙をぽろぽろ流している。
「・・・五郎、お前にも理解できないことがあるんだな・・・。」
三郎は嗚咽を漏らし泣く五郎の頭を撫でた。撫でた瞬間、五郎は白い山犬姿に変化が解けたのだ。
「わしだって理解したなんて思っていないし、情愛、いや、愛とは理解しがたく、今もってわからんのよ・・・。」
「・・・ふむ。」
三郎は瞼を閉じて、暫く考えこんだ。五郎が寄りかかってきたのか、モフモフの毛がじんわりと暖かくなってきた。気持ちいい。少し冷え切っていた体の芯まで癒されていくよう。
(あ、もしかしたら、その時々にかける想いがもしかしたらそうなのかもしれないな・・・)
瞼を開くと山犬の真ん丸の瞳がキラリと光り、口元がゆるみニコニコ笑っているようだ。
「・・・五郎。」
五郎は、三郎に呼ばれたから立ち上がったのか、立ち上がるタイミングだったから立ち上がったのか、立ち上がり、前足を伸ばし、後ろ足と尻尾をうーんと伸ばしあくびをかきつつ朝靄が残る湿った山頂を尾根づたいに歩き始めた。時折、三郎の方を振り向き振り向き歩いて行く。
【こ】
三郎は、師匠の小屋に戻るとすやすやと眠る白城の隣により添いまた再び寝た後、白城がご飯の用意が出来たと呼びに来るまで夢の一つも視ずに深く眠っていた。ありがたく、ご飯を頂くと、一人、また叡智で出現した岩を、岩に書かれた絵文字を探しに解読しに行ったが、踵を返し帰って来た。
「師匠!面白いことがあったよ。」
白城はまた、竈に薪をくべていた。今度は、夕食の様で美味しい粥の匂いが周囲に漂う。
「 三郎、岩からこれが生えてきたとな?」
三郎から渡された小物、太さは中指程、白くて鋭く細長い物を手に持ち、まじまじと見つめてから、三郎をまたきりっとした瞳で見つめた。
「ええ、師匠と初めて会った時にあなたが座っていた岩を今日も視に行ったのですが、その下から、数本生えてきました・・・それが生えてきた時、奥歯が痛くて咄嗟に噛み締めた瞬間に、岩からすぽっ、すぽって出てきたのでそのうちの一本すっこ抜いたんだ。」
「ふむ。良く分からん、報告だな。要は、三郎、お前の奥歯が痛んだのでつい、噛み締めたら、その瞬間、近くの岩が感応して生えてきた・・・と。まぁ。よくある事だ。」
「え。・・・よくある事?」
「なぁ、三郎、こんな話は聞いたことがあるか?乳が出ない母親が岩に願掛けをしたら岩から乳が出てきたり、質問すると、答えてくれたりする岩があると。」
「・・・いや、僕は聞いたことがありませんが。」
「・・・それならば。」
女師匠白城は続ける。
「良い、機会だ。三郎。世にも不思議な話だが、聞いて損はない話をしよう。まずは、カミと人の婚姻でな、ある、沼や池の主の大蛇や龍が娘に恋をして夜な夜な通う・・・もしくは、男女逆になったりな。そこらへんは自由に。その逢瀬の果てに、子を宿したり、愛し合う二人で天へ登って行くとかなぁ。」
うふふふっと、白城が笑った。
「・・・それは、まるで前斎王と神のようではありませんか。」
「あぁ、そうだな。」
「と、言うより・・・前斎王や神のような存在はもともとこの日本、この日本の国土に沢山いたのだ。」
「・・・いたのだ?ですか?それじゃあ、まるで、それがいかにも、どこにでもあったかのようではありませんか?」
斎王や神のような存在がそこらへんにゴロゴロ居られたんじゃたまったもんじゃ。なんて、反論したくなってしまった。
「まぁ、最後まで聞いてくれ。・・・そして。」
白城は言葉をつまらせ、下を向いた。
「・・・そして?なんです?」
聞いてくれと言われたから、魅入るように白城を見つめているのだが。三郎を白城は三郎を見つめ返し、
「・・・無論、斎王・・・ひめこと神の子も居るわけだ。」
(ひめこ?・・・何となく、秘めたる子と言う意味なのかな)
「そりゃ、なんとなく。そんなお話をされると、居てもおかしくはないと、思いますね。」
苦笑する。
(白城が言うとそれらしく聞こえなくもないが不思議過ぎて。確かに前斎王の事を神は愛しているようだったが。神は人間のそれとは姿形もさることながら、人智をはるかに超えた何かなのだ!そんな二人に、いや、そんな夫婦?に子供なぞ、出来るものなのだろうか?)
それもそうだが、このような話題になると、
(俺には子供なんて居ないけどな)
・・・どこか、心の片隅でいつも突っかかるこの話題。そして思う。小夜との子供が欲しかったな。と。瞬く間に色々と心の中で言葉が湧き上がってくるが。
そんな、三郎をしりめに白城はにやりと温もりのある微笑みを向けると言い放った。
「三郎・・・。お前もその一人。いや、この際だ。はっきり言おう。三郎、お前は前斎王の息子じゃ!」
「・・・。」
「・・・は?」
ちょっと、待って下さい。あんな、若い・・・。
(もしかしたらそれも、神の叡智によるものなのか⁈)
「僕は、そりゃ、物事ついた時にはもう既に斎宮に居ましたけれども。本当に・・・斎王の子だとしたら、今こんな下級な星詠みをやってはいないでしょう?それに、母が側にいたという事になるのであれば、なぜ?僕は母を、父を、求め歩きさまよい、独り寝の枕を涙で濡らしたのでしょうか?」
三郎なりに、真剣に実直に女師匠白城に訴えたのだ。
白城にその半分も通じて居るのか居ないのか。
「・・・ふっ、はっはっは!!」
ゲラゲラと笑われてしまった。
「おぬし、母が居ないと、涙で枕を濡らしたのか⁉」
「今の、そのような、日に焼けたごつい顔をしているお主を見ると全く、想像できんわ。そのぉ、幼き日のお前の姿を見てみたいな。」
三十過ぎの大人の男人としては小さな三郎の頭をよしよしと撫でる白城。
「・・・からかうのは、やめてください。」
半ばキレ気味に女師匠の手を振り払った。少し、ひねくれてみせた。(愛されたいから)
(いや、楽しげに笑うあなたは美しく可愛いが僕はあの時、真剣に悩み苦しんでいたんだ。)
(・・・どうして、僕には父母がいないのだと・・・。)
「大蛇に食われた!!!あの師匠だけが、僕の親だと思って今まで生きてきました。師匠と交流があった白城、あなたであれば俺の知らない師匠の事など僕に教えてくれると思っていましたが。僕はあなたにおちょくられて終わりだけだという事でしょうか?」
「・・・ははは。」
白城は声高らかに笑ってみせる。本当にこの女人には魅せられてしまう。
本当に美しい女性であるが。
(冗談はよしてくれ)
「まぁ、この話を今は、信じられないのもわからぬではないがな。」
(言い方が、師匠そっくりだ!)
三郎は思った。
「またまた、簡潔に話すぞ!」
(なんだよ・・・また何かとんでも話か?)
聞いても良いが、聞かなくてもと思った瞬間次の言葉に息をのんだ。
『太郎、二郎も前斎王の息子達だ。』
「えぇ?ふぇ!!?」
つい、三郎は変な声を出してしまった。
「太郎も二郎も??俺の兄弟⁉奴ら俺と顔貌も違うのに・・・は?兄弟???太郎も二郎も前斎王の子ども⁉・・・そして俺も??」
全く、種類の違う人間じゃないか。太郎は頭もよく、ガタイも良い・・・あっ、神の子と言われると、父である神にそっくりと言われればそうかもしれない。二郎は?三郎より、華奢で細身だがそれでも、背が高いな。よく、見れば前斎王に横顔が似ているかもしれない。
(おっ、俺は・・・⁉)
「・・・それでだ。」
妙に低い声で白城が続けて言った。
「私はお前の師匠が念を込め練り上げ仕上げた白気の化生だ。長年、お前の師匠と共に過ごし、師匠の寵愛を受けてきた。おぬしの事もいつも傍で見ておったし、助けてもいた。」
「え・・・化生⁉」
「白気のな。」
(ぶっちゃけ、師匠が使う式神なんて多々あってわからなかったが、あの中の一人だったのか・・・)
「でも、僕はあなたの事を見たことがないが・・・。じゃなくて!」
普通に、僕は貴女に触れたりもしたし、(手が少しだけ触れた!)俺だって、師匠に式神と生きた人を見分ける術は教えてもらったし、完璧に区別出来ていたはずだったが。どうして、白城が師匠の式神だと、気がつかなかったのだろうか???
師匠の白気を練り上げたものだと言っていたが。
「ここいらのお山の気に、似せた気を君程の時にカナタは研究していてな。その化生が私なのだ。・・・三郎、カナタは、君に私を気が付かせぬよう苦労はしたが、あのお方のすぐ側で齢を経られた幸せ。それだけ、あの方の愛を受けたと・・・私はそう思っておるぞ。」
しおらしく、胸に手をあてがうその姿は乙女そのものだった。
師匠の側に使え、長年使われ続けたお陰で、より、念力の練られた式神となり、なおさら力をつけられたとでも言うのだろうか。
(・・・愛を受けた?式神が愛という概念を持っているのか?)
まあ、師匠の気を錬成された式神とそう言われると、とても容姿が師匠にそっくりのような気がする・・・祓い屋の質素な風合い服装や装身具。
よく見ればよく見るほど、師匠をそのまま女人にしたような姿に見えなくもない。
「それでな、私はあまりにもお前の師匠、カナタに愛されるものだから・・・カナタに恋をしてしまった。いや、勿論、側に居るだけしか出来な・・・い。いや、出来んかったが・・・とても愛していた。なぜならカナタには妻もはるか昔いた事もあったし、この山中のメガミにも愛されていたからなのだよ。」
特に私は、この山神の緑の蛇のメガミと日々競うように愛していたよ。
「ふふっ。本当に、懐かしい。私はあの方の練られた気の式神。カナタに頼まれた仕事の力くらべではいつもメガミに勝てるはずもなく・・・負けていたけれども、いつもすぐ側にいられた。それが、嬉しかったし楽しかった。」
(あぁ、もう、こりゃ正真正銘の乙女だ。・・・なぜ、俺の話をする時とこうも、態度が違うのだ。・・・僕は悲しいぞ。)
「師匠・・・式神にまで愛されるとは。さすが、俺の師匠だっ。」
ゲラゲラ。腹を抱えて笑えない。
「人外に・・・師匠も愛されてたのか」
あの師匠にこの弟子あり、みたいな、言わばそんな感じで俺の人外に好かれる素質は師匠譲りだったのか。だ、そうだぞ。五郎!念を五郎へ向けて飛ばしてみたが、三郎のセンサーに反応が無い。白城が三郎の側に居る時は本当に全く気配がしない。白城は(人外)と言う言葉に反応したのか、キッと、こちらを睨んだような気がした。三郎も人外に好かれすぎるので、師匠の内心穏やかではなかったろうな、と思ったりもした。
(人と違い、直接的に気持ちが伝わる人外へは三郎の優しさや愛が直に伝わる為に、人外に勘違いされる事が多々あるのだ)
またすぐに、胸に手をあてがい、瞼を閉じ、思い出すように師匠との昔話しをし始める白城は本当に美しい乙女だ。
十年前のあの日も。
いつもみたいに、蛇のメガミと競うように師匠を見守って居たらしい・・・。
【え】
エレクトロニクス
電子の動きを応用した素子、およびそれらを利用した通信、計測などの科学技術の総称。
電子工学。(ウキペディアより)
白城が十年前の話をしようとして、そこで三郎に止められた。
(師匠への白城の恋心を聴くなんて、今の俺にはお腹いっぱいだ。僕には抱かせてもくれない女人なぞ、例え式神でも・・・本当は式神でもいいから僕に抱かれてくれればいいのに)
「・・・そう・・・。」
白城は、少し不満げに三郎を見つめたが、嫌と言うのでそこで話すのをやめた。
白城は持っていた、三郎が岩から引っこ抜いたものを三郎に返すと、
「⁉」
不意に三郎の股間を握りつぶさん勢いでにぎにぎしてきた。しかも、無表情で。
三郎はあまりの事に動揺と、その痛みと心地よさに悶え、その場にうずくまってしまった。
渡された物が手から滑り落ち、地面にさくっと突き刺さる。
「・・・行為の最中ならともかく‼」
なんの色気も感じていない時にコレは痛いだけだ。
「・・・何がお腹いっぱいなのだ?私はお前の下心に今日までお腹いっぱいだったのだ。」
そう、捨て台詞を吐き、師匠の小屋に戻って行った。 三郎はすぐに白城の後を追っていこうとしたが痛みと快感の入り混じった不思議な感覚の余韻と悶絶で立てない。
「くぅ。」
目線を白城から外すと、地面に突き刺さった物がすうっとロウソクのロウが溶けるように溶けるとそこに初めから何もなかったかのように消えてしまった。
三郎は慌ててその物があった場所を撫でてみるが穴も溶け出したものの感じもしない。
まるで、初めから、アレが突き刺さっていなかったような感じだな。
「ふぅむ。」
術を器用にあやつる三郎ではあったが、コレは初めての体験で首を傾げてしまう。
「はて?」
三郎の大切な部分の痛みと少しばかりの快感が癒えかけたので、改めてあの、岩から引っこ抜いた物について、白城に聞いてみようと思い、師匠の小屋へとそろそろと入って行った。扉代わりの暖簾を上げて頭を少し入れ人の気配がする方向へ視線を向けた。
「・・・。」
白城の白い肌と、流れるような曲線美、ふっくらとしているであろう膨らみが三郎の目をひいた。それは白城の裸の背中であり、きゅっと引き締まったくびれにその先を見てみたい割れ目。女座りの彼女を抱え込むように日に焼けた男のすね毛の生えた硬そうなすねが目に飛び込んで来た。
「えっ!」
衝撃的だった。
引き気味な三郎にはお構いなしに男の胸の上にまたがる白城。白城を下から抱きしめ、今度は押し倒している。その相手の男性は師匠ではないか! 愛の囁きと愛の行為は徐々に激しくなっていく。白城の張りがあり重量感のある胸が上下に揺れる。
『師匠!』
三郎は思わず、声を上げてしまった。
三郎の存在に気がつき、快感を感じ荒い吐息をあげていた白城だったが、息を少し整えて三郎を見据え、上に乗っていた師匠をどかした。
「ああ、三郎。そこにいたの。・・・私も少し、そんな気分になってしまったのだ。」
全く悪びれもせず。その場に座ると、上目使いで三郎を見上げた。
「・・・は?そんな気分って、どんな気分なんですか。」
三郎は突っ込んで聞きたくなったが、そこは落ち着きはらってまぶたを閉じた。
白城は、少しあくびを上げて脱いだ着物に目をやったが着なかった。
「・・・三郎、この男人は君の師匠ではないぞ。私が作り上げた式神だ。その証拠に。」
「えいっ!」
白城の気合と共に、紙のヒトガタがヒラリと宙を舞った。
(式神がまぐわいをするために式神を作った・・・⁉そこまでして、したかったのか⁉)
(・・・式神同士でまぐあい出来るもんなんだな??)
白城は、ウルウルとした瞳で三郎を見上げ、始めて着物をよせた。
(・・・じゃなかった。交わりたいほど、君は師匠を愛していたんだな。)
白城は何も答えず、着替えを済ませると何事も無かったように三郎を見つめてきた。
「あの」
どう、白城に話しかけて良いのかわからずに居たが思い切ってきりだした。
「ふふふ。なぁに、三郎。・・・聞きたい事があるんだね。いいよ。話してごらん。」
「さっきの、アレが土に突き刺さったんだが、何事もなかったかのように消えたんだ!!」
「うふ、ふふふっ。」
三郎が子供の告げ口のように話すものだからつい白城は笑ってしまった。
「それは、君が術を発動させたからじゃないの?」
「ふふふっ。」
「術なんかじゃありません!!勝手に消えたのです」
「あら、そうかしらねぇ。・・・斎王から、受け継いだ古代叡智が一つ。」
「君の感性と思考よる物質の変化。」
「潜在意識より来るものでもう既に術は発動していたのだ。君の股間の痛みが癒えた、もしくは溶ける様に消えたと思った時周囲にあった土に突き刺さった、アレがお前の感性と思考に反応し、土の素と岩の素が混じり合って、その場と同調したものと考えるのさ。」
「話は前後するが、三郎、お前が奥歯が痛いと感じた時、ズキズキする痛みを想像したと思う。それが、そばにあった岩の構成を少し変え岩の造形を変えたのだ。そして、痛みは抜けると感じたからすぽっと抜けたのも、その術の一つさ。」
「これらは、古代神より斎王が神からもたらされた叡智の初歩的な利用の仕方だな。」
「??」
「ん???」
「なに、難しい事ではないさ。君が使っている術もそのようなものであろうがな?」
何となくだが、この周囲にゴロゴロある奇妙な絵文字が描かれた岩の近くであれば、三郎が考えた事や、感じた事が現象化されやすいと言う事だろうか。叡智の初歩的な利用の仕方と言ったと言う事はさらに上をいくような事が出来ると言う事なのだろうか。
「ふむぅ・・・。」
星詠みの仕事も趣があって良いが、この様な事が出来るのであれば斎王から頂いたこの奥歯の痛みがもたらす叡智なるもの達を顕現化させるのも楽しそうだと三郎はこの時思った。
【て】
白装束にハチマキを巻いた複数の男女がゴツゴツした岩山の岩の上に立ち静まり返った深夜の都を見下ろし、にわかに、殺気立っている。彼らは小夜をさらった嵐丸以外の十一人の五郎の子供達だ。 三郎に言われて、彼らも斎王が出現させた都中にある筋状の岩を調査していたのだが戦の匂いを嗅ぎつけたのだ。
「・・・三郎さんにお伝えせねば・・・。」
そのうちの一人、緑丸は言った。皆は頷くとさっと、岩から飛び降り三郎がいる師匠の山小屋を目指し風に乗るように都をかける。五郎と同じく、時空間転移は出来なくもないが、道すがら戦の匂いを嗅ぎ別け行く方が後々下調べに来ずとも良い利点がある。
二度手間にならないと言う点だけではなく、戦とあらば、我が主人三郎をお護りしなくてはならない。出来るだけやれる事を済ませてから向かいたかったのだった。
師匠の小屋の中で、 三郎はまぶたを軽く閉じ静かに座っていた。
目を閉じて静かに座ってるせいか、先程の白城の裸体が脳裏に浮かぶが浮かぶ・・・。
「なぁ。師匠。」
「なんだ?三郎。」
三郎の心の内を先読みしたのか、ニヤニヤ女師匠白城が小悪魔に見えて仕方がない。
手を出しそうになるが理性で抑える。抑えるしかない。
(相手は・・・人外だ。そして、鬼だ。)
そう言い聞かせて。
「あぁ~そんなに私の身体が気になるのかい?見たいかい?ホレ。」
と、躊躇なく着物の前衣を開こうとする。三郎を挑発するのがとても楽しそうである。
「・・・ああっ。もう!やめて、下さい。」
「キャハハ‼三郎、君は煩悩まみれじゃないか。君の師匠は私の裸など見ても、なんとも反応しなかったぞ?」
(師匠は自分が練り上げた式神に毎晩挑発されていたのか!)
「・・・それは。」
三郎が目を細め、わざと咳払いし、にこりと笑う。
(見慣れていたんじゃないのかな?でも。(俺はたとえ見慣れていても!)見たいし、触りたい。ムフフ。)
いつも漢らしいアソコが反応してしまいそうだ。チラリと白城を見つめる。
「・・・ははは。あまり、笑えぬからその先は言わんでよろしい。今、やりかけている事があるのだろう。さぁ、続けなさいな。」
「そ、そんな。集中を途切れさせたのはあなたのせいなのに。」
中断させておいて、続けろと言われると。途端にやりたくなくなる俺。今は、五郎の子供達より来る情報の感知より、白城と身体を重ねたい。そんな想いがふつふつと湧いてくるが。仕方がない。性だもの。
目の前に居る、小悪魔系美人をほっておけないじゃないか。やるかやらないか。
(さぁ、どうしたものかなぁ。まったく。)
腕組みしてうなだれる三郎の情けない姿ったらない。
「ゲラゲラ。三郎、お前は!まったく。」
「なんだ。五郎じゃないか。」
暗がりから、三郎の狩衣姿で現れた五郎。
それとなく、白城の胸に触れ、白城のパンチをかわし、そっと、三郎の側に座った。
「五郎!お前、なんて事をするんだッ。・・・なぜ、今まで、白城が居る時は姿を現さないのだ?」
三郎が叫びながら上ずった様に聞く。
「もうすぐ、わしの子らが来るようだぞ。」
自分の顔で悪びれもなく爽やかに言う五郎。 それは、
「それは、わかっている。」
三郎が答える。
「ならば、なぜ、もっと真剣に聞き耳を立てようとは思わぬのだ?みんな、お前の為に頑張っているんだぞ!」
五郎に低い声で怒鳴り返され、
(・・・お前の為に。俺の為に、誰かが頑張ってくれている。)
言葉が三郎の頭の中で反芻し、ぼぉ~と立ち尽くす。昔の師匠や今の女師匠、それに、小夜や五郎や有希子さんならともかく・・・。五郎の子ども達とはまだ知り合ってからそう、話した事がないので俺の為にと言われても少しピンとこない。それに、今までの人生の中で、「お前のために」と言われると。何だか、切ない気持ちがよぎる。
あの、斎王も「俺のために」後世のために叡智を俺に残してくれた。
師匠も、そんな、「俺のために」禁忌を犯してまで斎王を僕の所まで連れて来てくれた。
(うへぇー。)
僕みたいなろくでもない人の為に、みんなの想いが重すぎる。だから、三郎のためにと言われてしまうと思考回路が停止してしまう。三郎の弱みなのだが。
三郎は思い入れがある人など、だと、相手の心境や情報を第六感で感じ取れる。
(感情などの波動を繋ぐという人もいるよね?)
「今は、それより、あんな姿を見せられたら、漢たるものやっぱりそれしか考えられんだろ?」
分かるだろう、俺の気持ち。五郎さん。
「三郎。自分で出来ないと言うのならば、わしが見せてやろうか?」
にやにや嫌な微笑みを浮かべる五郎。
「いや、君は、“全て”を魅せて(見せて)くれるからなぁ。やっぱり、自分でやらないと。いや、ここはそれが出来ないと、示しがつかぬしなぁ。」
「残念。」
「うんうん。頑張ってみるんだな、三郎。」
「それでは。」
瞼を閉じて五郎の子供たちを想像してみる。
(実際は、瞼をとじなくても、瞑想しなくても彼らの情報は入ってくるときは入ってくる。
逆に瞼を閉じて、静かな場所で彼らから伝えられる情報が来るように想像すると、雑念が湧いて来て、それが雑念なのか、声なのか精査が難しくなるときもある。)
五郎に見せてやると念を押され、それは、ご遠慮願いたく思いに至り(全て見るのは怖いから)三郎の暑ぐるしい煩悩は半分近くなくなった。
(白城を一度抱けば一気に冷静になれるんだけれども。実は煩悩があってこそ、波動を合わせられたりする。それこそ、現世次元的な(相手の状況を知りたいと言う次元段階)だからなのかもしれない。)
下手に煩悩無くなると、そういった、欲得の願望すら無くなり、願いすらしなくなる。
ようは、頭空っぽになるわけでそうなると、声や情報を感知するのが難しくなってしまう。加減が難しい。そもそも、煩悩が無かったら、何かを望むとかないでしょう。
五郎のような、願望実現の為に手助けしてくれそうな、カミには届かない。
何故ならば、五郎は大自然の気。大自然はいつでも三郎を生かせたい。と手助けしようとしている。三郎も自然の一部であるのだから。欲をなくすと言う事は生きる生命活動を停止させると同義。この様なことを高次元の存在に接触するとか言う巫女や巫覡もいるであろうが・・・な。三郎の様に地味に生きていると、ほぼ生活に根ざした願いに自動的になるが。だから、この様な時は・・・どのように、どのくらいどうしたいかをはっきり想像して高次元の存在達に伝える事が最重要な気がする。 例えば、今の三郎の現状で言えば、
五郎の子供たちに、斎王が都に出現させた岩群を調査してきてほしいと願ったわけで。
調査結果待ちであった今現在。今現在どう言う結果とか経過をしたのかを、教えてほしいと願う。今回の場合は、全て教えてもらってもいいと思うのだけれど。
(まぁ、そんなところだろう。)
五郎が答える。
「世の中、手助け、人助け。」
五郎がぼそっと言った。
「五郎、お前は俺を助けるだけなのか?」
三郎が言った。
「五郎、お前は誰かに助けてもらうと言う事はないのか?」
五郎はその問いに、にっこり微笑む。その笑顔が三郎にとっては怖い。顔が能面みたいではないか??だって、見返りを望まないという事だろう。あるだろう、何か見返りが。
「あのな、わしは三郎お前が好きで憑いているだけだ。・・・別に、お前を助けるとか助けないとかではなくて、好きなお前は俺そのものだと思っているただ、それだけなのだ。」
「俺は助けたい欲があるから助ける。お前の意向と、わしの意向が合致すれば、それに見合った答えや望みが叶うであろう。と、言うことはだよ、五郎。お前が望まぬ意向を望んだとすればそれは叶わぬと言うことでわないか?」
もう、十年来の付き合いで、このお題は何度も考え答えを探してはいたのだが。
「はっはっはっ!お前はまだまだだなぁ。わしがお前を好きなようにお前もわしのことが好き。わしらは表裏一体・・・。どこかの次元で噛み合わぬ想いはないのだよ。」
男人、いや、俺自身の姿でその言葉を吐かれても。だが、何となくだが分かる気がする。
「うむ。」
( で、五郎の子供たちが、何故だかざわついているようだけれども。)
「ふふふ。何故かわかるか?」
「いやぁ・・・なんだ?この?ざわざわ感。」
落ち着かない。
「何処かで何かをやってきた感じだな。」
「・・・もう少し。」
五郎が都の方を見据える。
「何か、わかったのか?」
三郎がとっさに聞いてみた。
「はっはっはっ!何か分かっても、教えるか。まずはお前一人で考えてみろ、そして、感じてみるんだな。」
(なぁに、今更。知らぬ中ではないはずではないか。この、けちんぼめ。)
再び瞼を軽く閉じ、感覚の耳を研ぎ澄ます。
「・・・う・・・ん?」
「あれ?」
小夜が近くにいる感じが、気配がする!三郎が山手藪側を見つめる。何故だか「そちらを見よ」そんな気がする。 多分、今、川辺にいる。こちらへ向かい崖を登って来ている。
三郎は思わず次の瞬間には師匠の掘立小屋を飛び出していた。久しぶり過ぎて、想いが飛んで行ってしまいそうだ。小夜のそばには嵐丸の気配はしない。
(何故だろう???)
『ここに居るからさ』
「嵐丸‼︎」
三郎がビクっとして振り返ると、しばらく見ないうちに立派に・・・太古の樹木のように巨大で威風堂々、四肢を大地にそっと下ろし霧をまといつつ、静かに呟いた。
間髪入れずに三郎が叫びあげる。
『小夜はどうした!』
三郎が言上げをするように叫んだ!嵐丸に向かって叫んだのではなく山へ、山の茂みに向かって叫んだ。どうしても、そちらにいる気がするからだ!
「・・・落ち着け、三郎。」
(これが、落ち着いていられるか‼)
「まずは、僕の話を聞いてくれないか?」
「はぁ‼・・・小夜を連れ去り・・・。」
(くぅっ。これ以上は口が裂けても言いたくない!そんな、お前に小夜より先に会わなくてはならないなんて!どんな試練だ。)
(・・・でも、怒っちゃいけない。怒っちゃいけない。彼は五郎の子どものカミ。何かしら、訳あっての事だろう。って言うか、ここでカミに怒りをぶつけるほど、馬鹿な事は無いだろう)
「ふふふ。怒らないのか?三郎どの。僕は今でも、君以上に小夜さんの事が好きだよ。」
その光景を見ていた五郎が右手をあげた、
「あーぁ、あーぁ。まあ、まて。お二人さん。」
割って入る五郎は笑いを堪えている。興奮し今にも強烈な念波を出しそうになるのを抑えている三郎に五郎が耳打ちする。
((嵐丸はまだ若い。わしに免じて許してやれ。若気の至りだ。))
((いや、今、若いとかそれ、関係ないだろう!))
「いいや、許せん。許せる事では、ないだろう??」
はぁはぁ!
歯を噛みしめ必死に浮かび上がってくる呪いの言葉を押し殺す。
「三郎、お前もまだまだ若いな。」
五郎は目をつむり、斜め下を見つめた。
「・・・俺はまだまだ若いのにゃ、それで許したら人じゃないだろ。」
ゴツン。
五郎はさっと飛び上がると嵐丸の頭を殴った。
「痛いよ!親父⁉」
「・・・ふう。」
すたっと、五郎は三郎の隣に着地した。 三郎と同じ顔。
左右対称で腕を組み、三郎と五郎は茂みから出てくるであろう小夜を待った。二人の背後で嵐丸がお座りして待っている。ふっと、そんな時、風が・・・。穏やかな深山の匂いを巻き込んだ風が三郎のほほをかすめ去る。 軽い風なのだが。 三郎にとってそれは・・・これから起こる。何か言い知れぬ。 予感を秘めていた。強い風がばっと、髪の毛を踊らせる。
藪の中から、髪も結ばずボロを身にまとい呻き声を上げ暗がりの彼方よりその人は出てきた。
うゐのおくやま けふこえて
(有為の奥山 今日越えて)
「この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて」
生滅滅已
【あ】
藪の中から出てきたのは、ぼろぼろになってはいたが確かに小夜本人だった。
まだ、意識が朦朧としているのか三郎がそっと顔に触れて抱きしめても声ひとつあげない。
「小夜・・・。僕のせいだごめん。」
小夜を抱きしめ、小夜を目の前にして猛省しか出来ない。情けない男が僕だ。 師匠の小屋へ連れて行って湯を沸かし、汚れた身体を拭いてあげた。ばさついた髪もとかして、結い上げた。朦朧とした意識でもなんとなく三郎を見あげる小夜の瞳が麗しくも愛しい・・・。
これまで、三郎がギリギリの所で抑えていた感情が溢れ出す。ぎゅっと無抵抗な小夜を抱きしめ声を殺して泣いてしまった。一部始終を三郎の背後につき、見つめていた五郎は白城が、そっと小屋から外へ出るのに気が付き声をかけた。
「白城、お前どこへ行くのだ?」
五郎が不意をつくように問うた。
「・・・何処って。何処だろうね。・・・お前、三郎と同じ顔をしてそのような事は聞かないでほしい。」
「 あっははは。」
五郎がさも、可笑し気に笑った。
「白城よ。おぬしは師匠を愛しておったのではないかな?・・・鞍替えしたのか?」
「変な冗談はよしてくださいな。」
ふいっと五郎から目線をそらすと藪の中へ消えていこうとした。五郎が追いかける。
二人が藪の中で争っている、そのような音がしたのをなんとなく感じとってはいた三郎だったが。 もう、三郎の腕の中でまるまる小夜を、抱きしめる事で頭がいっぱいだった。
「・・・もう、君を離したりはしない。」
三郎は深く口づけをすると、何が起こっているのか動揺する小夜をしりめに押し倒してしまった。物陰からそっと小屋の中を覗いていた嵐丸だったが、少し後退すると、宙返りをして消えた。
五郎の子供たちが三郎の元へやってきた時には小夜もおぼろげにだが三郎がそこにいるという事を理解してくれるようになった。まだ片言しか言葉が出てこない小夜の頭を撫でながら子供たちの報告を聞く。
「教えてくれてありがとう。それでは、俺たちもそろそろ始めようか?」
三郎が、立ち上がろうとした。小夜も戻って来てくれたのだ、安心して・・・普段の星詠みの仕事をがぜん、する気になったのだ。
「・・・始まりだが、終わりではない。今、すぐに立つ事は無い。」
すがりつく小夜。三郎は仕方なく座った。
「どうした?小夜。それは、俺が前斎王から頂いた叡智を使う事についてなのか?」
「うーん。」
まだ、瞼をこすりこすり、縋り付く。
(寝ぼけて、言ったのか?)
三郎は小夜をちょうどよい大きさの漬物石に座らせて、自分も脇の地面に座り、瞼を閉じた。五郎の子供たちの報告を整理し考えを巡らせてみる。
「どのみち、 まずは、我らが大将を立てるのが良いだろうな。」
三郎が言う。
「あ、この件については影で動くのだぞ。」
五郎がすかさず言う。いつの間にか五郎は隣に来ていた。
「私は・・・。」
小夜が言う。さっと、小夜の前に嵐丸が山犬姿で飛び出し鼻先を上げた。
「小夜は僕が守ります。」
はっきりとした発音でそう、答えた。
【さ】
頭上に上弦の月が輝き放つ。
三郎はよく、師匠が火をたく場所で師匠の姿を真似るように、今だに残る炭を少し脇によけ、新しい薪を組むように置き、その脇にあぐらをかいて座ると一陣の風と共に、五郎やってきた。その姿を確認すると、瞳を閉じてしばらく、たゆたう時間の匂いをかいでいた。
(お前になら出来るはずだ)
「いいや、俺はふぬけなんです。僕にはそのようなことできません。」
「えぇ、できません。できません。」
三郎がブツブツつぶやきながら、術の準備をするために、目を開け薪をまた一段組む。
斜め横でその姿をお犬様の姿で薄目をあけて、後ろ足を舐めつつ見ている五郎が言った。
「なんのことやら。わしにはわからぬなぁ。三郎よ。」
「ええ・・・俺にはできません。ええー!出来ませんとも。」
三郎は続ける。
「だ、か、ら。わしには、三郎、貴様ができないと言う事がわからぬのだ!」
こくびをあげて、ぺろっと舌を出しはぁはぁ言っている。
「・・・いえ。本当に、僕にはできないのです・・・。」
最後の一言が消え入りそうで。いつもの威勢の良い三郎の背中が丸まって小さく見える。
「ふぁあぁ・・・あっと。」
五郎は大あくびすると、すたっと、三郎の目の前に立った。
「・・・それでは、答えてみよ。何が、そんなに出来ないのだ?」
らんらんと光るそのぎらついた瞳、頭を低くして見上げる視線は荒ぶる神そのものだ。
決して、何か物事を頼める相手ではなさそうに見えるのだが。
「答えてみよ、と言うので答えるが、僕に大将などできやしない!・・・ブツブツブツ・・・」
「あっはっは!腹がよじれる!三郎、貴様?この期に及んで、わしに嘘をつくのだな?」
術の進行につき、火種を作るために火起こしを始める三郎。
木の板の溝に木くずを置いて枝をさし、くるくる回して摩擦を起こす。
「・・・?嘘・・・だ。 嘘だと言うことなのだな?」
三郎は言った。
「 大将は俺の役目か・・・。」
五郎は前足を目を細めて舐める。
「だが、やはり、俺にはできない事がある」
「・・・またまた、何を言うのだ?三郎よ。」
「 やはり、僕にはできない。どうしても、できないのだ。」
「だから、何が出来ないのだ?答えてみよ。」
三郎の背後の闇から小夜がそろそろと三郎に近づいてきた。左横に座ると三郎も小夜も背筋を伸ばし頭まで、地面にぴったりつけて伏せている五郎を見つめた。
「僕たちには、子が出来ません。」
「はふぅ。」
五郎が深いため息をつく。
「お前たち、聞くカミを間違ってはいないかい?」
「・・・不明か。」
三郎はため息をついた。
「小夜。」
「言わなくとも、わかっております。」
一言、言うと小夜はまた、暗がりに消えていった。夜空を眺める、五郎が空を駆ける。
三郎は瞼を閉じ、種火を起こすのをやめて、その場を後にした。すでに、師匠の小屋に太郎と次郎と、十二人の五郎の子どもたち、小夜がひしめき合っていた。
「・・・うわ。」
三郎は覗いただけで、入るのをやめた。どうも、大勢ひしめき合っているのは苦手だ。
三郎はまた、師匠の特等席野外で行う焚き火の場所まで来て、師匠がやっていた通り、薪をくべ、小さな炎の前にすわり、揺らめく炎を見つめる。 小さな炎の周りには、もののけの気配が包み込んでいる。白いふさふさの毛で覆われ霧を纏う体毛に二本足、顔は確認出来ないが、人間に体毛生やしたような姿。こんな、間近で見たのは初めてだ。正しくは、顔を見上げずに気配をビンビンに感じていた。
「・・・人の子か?カミの子か?まじりものか?ここはカナタという人の男が住まい。カナタはどこじゃ?カナタはどこじゃ?」
三郎は不意に話しかけられたので顔を上げると、
「まじりもの?とは俺のこと?・・・師匠と俺、昔はこうしてよく火を囲んだものだ。」
・・・ざわつくもののけ一同。
「たしか・・・に、もう一人いた気がするが・・・おぬしだったのか。」
「いやいや、カナタが気の結界を張っていたから・・・こいつの気配は薄かった。」
「だから、気づかなんだ?」
ボソボソ話し声がする。
(師匠、結界を張って俺を守ってくれていたんださすが師匠‼)
俺、気がつかなかったよ。
「師匠は、多分、ここの山のメガミの大蛇に食われたよ。だから、もう、居ない。」
出直してこい、とまでは言わないけれど。
( 俺だけじゃ、無いようだな人外にもてる奴は。ふふふ。)
笑いをこらえて、出来るだけ冷静さを保つ。
「そうか・・・。それであるならば、仕方なし。」
「わしらの声が聞こえるのであれば・・・」
「わしらを助けてほしいのだ。」
「今回・・・山の上の沢から助力を願いたくここへ来たのだ。」
(なるほど。山の上の沢からか・・・。)
「それこそ、俺より、山のメガミ様にかけあった方が良いのではないだろうか?」
「山のメガミは今いない。だから、こうしてカナタに会いに来た。カナタなら、すぐにでも直してくれるはずなのだが。声が聞けるそなたに頼みたい。我らを助けてくれないか?」
たどたどしいがはっきり話している。なんとなく、気配が五郎や有希子さんとそっくりだ。
三郎はそう思って俯いたまま前方にいる気配を見つめていた。
五郎がさっと、集団の気配を掻き分け三郎の前にやってきた。
「三郎、今まで勉強してきた事に関連する仕事だぞ。気合い入れてやるんだな。」
「な!」
五郎から、何かをしろと言ってくるのは珍しい。
「・・・ちょっと、まて!」
三郎は顎を撫でつけつつ考えてみた。
(斎王の叡智について勉強してきたがそれを使うと言う事か?五郎も山の気の様な存在。・・・そして属性は水、気・・・天。)
(今、何となく、思ったんだが・・・下手したら雷撃とか出来るんじゃ??)
(何を言う。三郎、わしは雷撃は・・・。)
(俺を取り囲むもののけも、水、気・・・に関わるなにかのような気がする。)
(まあ・・・、山の上へ行ってみればわかるんだろうけど。)
ふう。
「だが、今、俺たちは子作りで忙しい。後にしてくれないか?」
「・・・⁈」
もののけ達がざわつく。
「ならば、わしらも、おぬしの望みを叶えよう・・・。」
「うむむ・・・。」
そう、言われると。弱い。三郎が返答に困っていると、
「まあ、いい。お前、我らの頼みを引き受けてくれそうだな、我らが知恵をひとつ授けてしんぜよう。」
「昔、お前と同じような、まじりものが不思議な身体を持つ人間の女人と恋をした。だが、お前と同じように子に暫く恵まれなかった。それは、なぜかというと、身体の作りや波動がなかなか噛み合わぬせいであった。」
「我らには・・・そのように見えた。」
(ま、そのように見えた程度の情報か。でもしかし、本当に僕が本当にまじりものであるならば、子をやどすのも難しいのはなんとなくわかるような気がする。白城が言っていた。僕が・・・前斎王の子だと、それならば、俺は斎王と神・・・の?息子だよな。)
(斎王のお相手は誰でもない・・・神だ!と、すれば、俺はまじりものだと言う事だな⁉)
【神は天からやってきて天へ登るもの。】
そりゃ、地べたに住まう我々人とは違うよな・・・。
(身体のつくりや、波動がかみ合わなかったようだった・・・か。)
【き】
まだまだ闇が深く暗い深山の深夜。一度、師匠の掘立小屋に集まったみんなには帰って頂いた。
「三郎っ、どうして皆を帰した?」
五郎がブスッと呟いた。
「・・・もう寝たい。」
師匠の小屋の中、粗末なゴザの上でうつぶせでごろ寝する三郎。そっと、小夜が隣に来て、座った。相手に悟られぬようにそっと、起き上がって小夜を抱きしめようとしたがふいっと身を起すと避けられてしまった。
「小夜どの。そう、避けられては出来るものも出来ないではないのかな?」
「はぁ?三郎さん。・・・子供達のお話を私、よーく聞いたのですが、現斎王がお困りのようですよ?前斎王より賜った叡智を使いお護りするのが星詠みである貴方のお役目なのではないでしょうか?」
「小夜ちゃん・・・。」
「お役目?俺、星詠みでも、下っ端だにゃん?星詠みが斎王をお守するとするならば
長達の上の方のお役目だにゃ。」
「で、あるならば、山のカミ達の願いを叶えに行ってやれば良かったではないのか?」
五郎が二人の真ん中に割り込んできて正座した。
小夜の方を向くと抱きしめて口づけをしようとした。
「おまっ!」
「・・・あーこりゃ、失敬。わしも小夜が好きなんでな。」
(こいつ、堂々とやり始めた。ほら、嵐丸の殺気が!酷い、親父だな)・・・俺だって、そんなの認められないぞ。)
嵐丸は外に控えているように、三郎に言われたので小屋の中に入って来ないが、その殺気に似たような鋭い気配だけだがひししひと伝わってくる。
「五郎、俺たちは子作りに忙しいのだ、ちょっと、外へ出てくれないか?」
「は・・・くれないか?んな、俺は今既に三郎お前の護の気だから、お前が望めばお前の波動調整の役をかって出でても良いのだぞ?」
五郎は引き下がらない。
小夜は五郎をどかして三郎の前に擦り寄り座る。
「あの、三郎さん。あの白い毛むくじゃらのもののけにも言われましたが、私たち子供を持つのが難しいのであれば子づくりは、現斎王をお護りし、山のカミを助けた後で良いじゃありませんか?」
「小夜ぉにゃん・・・。」
情けない三郎がため息をついて、肘をつきゴロゴロしている。
「何を言うかと、思ったら、今出来る事は今するにゃん⁉」
「・・・だってだにゃん。現斎王の事は智栄に勝る師匠達がどうにかしてくれるであろう、だにゃん。にゃん、にゃん、にゃにゃん。ニャーン。」
身振り、手ぶりにゃんにゃんゴロニャーモード全開な三郎。
小夜に構って欲しくて手を伸ばしたが、あっけなく振り払われてしまう。
「あたしは、三郎さん、貴方にやって、ほ、し、いのよ。」
やって欲しいと言われるとまんざらでもないが、色々思考した上で低い声で三郎は言う。
「それに、五郎も現斎王の件については影でやれって言ってるではないか。」
確かに今夜にでも、都へ繰り出し、やった方がいいのかもしれん。もう、現斎王のお命を狙うものどもも動いているような気もするし。いや、動いている。子ども達の話ではうっすらと敵の呪いの気配が都中にあるそうな。
今度は五郎の方へ行き、五郎の頭を撫でてみた。自分と同じ顔で斜め上を向いて睨む五郎。
男を、いや、自分自身を撫でてるようで。
(・・・不思議な感覚だ。)
「・・・なぁ、五郎、一体俺はどうしたら良いのかの?何から手をつけて良いのだろうか。影で動くとはいえ、いつ命ついえるかもしれん。それなのに、今、子作りしないとなると、本当に子を残すことが出来なくなってしまうような気がするんだ・・・。」
撫でていたら、お犬様の姿になって気持ちよく撫でられている。
二人を見て視線をそらす小夜。
「・・・まあ、三郎さんのお気持ちもわからないではないですが・・・。」
小夜がため息をついて言う。
「そうだろ!そうだろ!小夜!前斎王ならともかく、現斎王を小夜より真っ先に護るとかありえんにゃー。」
『・・・意気地なし!!』
「あれ?」
どっかから、聞いたことが無い女性の声が聞こえてきた。まぁ、三郎もまだ現役で星詠みとして斎王にお仕えする身。意気地なしと言われてしまえばそうなのかもしれない・・・。〈職務放棄〉なのだから。
「なぁ、小夜。だったらほんの少しでもいいから身体を重ねさせてはくれないか?そうしたら、すぐに行くから」
「・・・あー。あなたのすぐいくは信用出来ません。あらあら、いつの間に、お酒も飲んでいるし。・・・」
三郎は、伏せをして次のそれを待ちわびる五郎の目の前の素焼きの器になみなみと注ぎ入れた。五郎はペロンと舌なめずりすると、ぺちゃぺちゃと飲みだした。三郎も乾杯とお猪口を掲げグイっと飲み干す。何故か、小夜の顔が硬直している。
小夜はこの展開の先がどのようになるか想像し、横を向きため息をついた。
「本当にしょうがないのだから。」
ねっとりネバネバ~一度引っ付いたら離れない。今日はもう、すでに一度抱かれた小夜だ。
「三郎さんあたし、今日はもう、子作りしなくて良いと思います。さ、行きましょう。」
「・・・えー・・・。小夜ぉ、君はなんて!冷たいんだ~まるで、雪女にゃ~。」
「小夜ちゃん~。俺の真の髄までしゃぶりつくしてくれぇよぉ~。」
ボコッ。
いや、俺は小夜にボコられるのは分かっていた。でも、小夜がまた、俺の元に戻って来てくれてとても嬉しかった。だから、これから死ぬかもしれない、戦場かもしれない所には行きたくなかったのだ。
「・・・まぁ、でも。」
ちらりと、隣に寄り添う小夜を見つめてみると、不意に見つめられドキッとしたのか、ふふふっと口元に手をあてがうと微笑んだ。
(死ぬときは一緒ですから、何も心配はありませんわ。さあ、行きましょう!)
・・・そう、言われた気がした。二人は師匠の掘立小屋からでた。三郎は、小夜をチラチラ見ていた。さっき、感じた、小夜の頼もしい気配、いや、「気」だけどな。
(俺、お前を護りぬくよ小夜!)
小夜の夜風になびく黒髪を愛おしそうに撫でる。
(はぁー。)
のほほんと想いにふけっていた三郎だったが、小夜にケツを叩かれ仕方なく一歩前に進み出る事にした。人としては、小夜と三郎の二人きり夜の山道を駈け下る。五郎が先陣を切って雄叫びをあげると、ぞろぞろと有希子さんと子ども達が空間から飛び出し、三郎達の後に続く。五郎と有希子さんが先頭だ。彼らの様子を見ていた、あの白いけむくじゃらのもののけ達も後に続く。声さえ一つとしてあげない。三郎と小夜だったが、冷たい夜の闇の冷気を割いて
「あ。そう言えば・・・なぁ、小夜。」
「んッ?なぁにッゥう・・・きゃ。」
不意に声をかけられ、前のめりにつまずき倒れそうになった小夜を三郎が受け止めた。
三郎の広い胸にしばらく抱かれていた小夜。三郎はずーっと先の前方都方面を見、物思いにふけるようにぽんぽんと、小夜の頭をなでている。
「最近、大きな建物が増えたと思わんか?」
山間からでも、朱塗りの巨大な建物が目に入る。
「夜目だと言うのに・・・なんて、鮮やかなんだろう。」
それは、はっきりと都の低い屋敷群の中で、ひときわ目を引く高くそびえる建物なのだ。
天皇・・・が居る御所をもしのぎそうな勢いがある。
「思えば・・・時は過ぎていた。そう・・・感じるな。」
建物が大好きな三郎にとって、小夜が寄り道を許してさえくれるのであれば、いつか、その建物たちを見て回ってみたいと思っていた。都の門をくぐり入ると、いつのまにか先頭を行く五郎がたてがみの毛をぼっと立て、鼻先低く、前足で地を掻いた。
明らかに、戦闘態勢だ。
「三郎、気をつけろ!俺たち星詠み以外の術者が俺と同じようなカミを伴いこちらへやってくるぞ!」
「小夜、いつ何時、何が起こってもこれだけは忘れないでおいていて欲しい・・・。」
三郎は、小夜の耳元で何かを囁いた。それは聞き取れるかとれないかぐらいの小声であり、かなり早口で何かの呪文のようだった。
「・・・汝が、好きだにゃ。」
「・・・三郎さん。」
小夜がほぅっと、見つめる先の三郎は今まで小夜が見たこともない顔をしていた。
・・・三郎のまとう雰囲「気」が一気に下がる。言うまでもなく、コレは命をかけた争いになりそうだ・・・
都の大路地、三郎達の視角からはまだ見えぬ先の闇に、三郎率いる一軍をじんわりと飲み込むほどの大きな術の気配を発する男の気配がする。
小夜も、その男の気配に気が付いた。嵐丸が男で白装束を着た姿で現れると小夜の左側に立ち「小夜、貴女を護ります」と言いカミ(神気のオーラのようなもの)を逆立てた。他の子供達も、人の姿に変化し三郎の周囲に陣形を整える。
【ゆ】
草木も眠る丑三つ時。全ての生き物が眠っているように感じるがそうではない。
三郎の目に一筋の光が差し込む。三郎は担いでいた弓矢を五郎に投げ渡した。五郎は宙で上手に受け取り口に咥えると、急いで小夜に差し出した。
小夜はその弓矢を受け取ると「その男人」から見えぬよう、嵐丸と共に後退し、四辻の壁際に身を潜めた。山から全速力に近い速度で走り下って来たので荒い息を整えなければならないのに。出来ずに心臓の鼓動が爆発してしまいそうだ。
三郎と五郎、子どもたちは素知らぬ顔をして前進する。前方、十五メートル程の所に佇むその男人は壮年の男性らしい。見た目は斎宮に居る位の高い官位の師匠達と大差なく重厚な闇に似た色合いの狩衣が男のある種の異様さを倍増させるようだ。長く黒い整えられた顎髭が綺麗に伸びている。彼を取り巻くようにそれらカミはいる。
「・・・鳩??」
彼を取り巻くカミは鳩だった。あと、猫も数匹いる。後は、三郎が心眼を凝らして視ても見えない。三郎の波動域に干渉してくるので、そこに「居る」事はなんとなくわかるが。
三郎と髭男の威圧感が空気の相反する圧力となって今にも摩擦から火花でも飛びそうだ。
すれ違いぎわに、髭男は言った。
「わしは、貴殿に興味がある。今宵、都にて相まみえられた奇跡、この奇跡を起こせる者は前斎王が側近である星詠みであるに違いない。前斎王が御霊代を去られてから今までわしは貴殿が成長する事を、そして、今宵この場に来ることを心待ちにしておったのじゃよ。」
「・・・はぁ???」
「一体何をおっしゃられているのか、僕にはとんと、検討がつきませんが。」
そのまま、三郎はその場を去ろうと思ったが、瞬時に、それをさせぬ雰囲気が三郎の背筋を凍らせる。仕方なし。
(間違いない。これは。戦!俺は接近戦・・・あまり、得意ではないのだが。)
三郎はさっと、後ろに飛びのくと短刀を取り出し髭男に斬りつける。斬りつけるフリをしたつもりだ。これで、びびって逃げてくれれば御の字なのだが。
「若造め!人の話を聞け!」
すぐさま応戦すべく髭男も短刀を取り、三郎に斬りかかった。
「そもそもじゃ、我ら闇夜に生きる者は、接近戦は得意ではないじゃろう!我らは闇夜に生き、遠方の星を滅するだ。」
「ガチャ‼」
っと、鈍い音を放ち二本の短刀がかち合い、どちらも退かずそのまま静止して見える。
「あの。すみませんがねぇ。俺は闇夜になぞ、生きていませぬ。」
三郎がもっと、力を短剣に込めると壮年の髭男が先に力を緩ませたので、三郎もゆっくり力を抜いて刀を収めた。
「・・・何を言うかと思ったら。闇夜の星を詠み、この世の闇に生きるのが、星詠みの仕事。おぬしはまだ、その域に達しとらんと言うことだな?」
(・・・闇夜の星を詠む・・・域・・・か。)
「私は、ただお空に輝く綺麗な星を詠むだけですよ。」
「ほう。」
そりゃ、面白い。そう言わんばかりに髭男はわざとらしく腹の底から笑った。
「あっはっはっは。」
「カナタの弟子とは、そなたの事だな?」
壮年の髭男はどうやら、敵意を示すのをやめたらしい。
あれ程までに威圧していた雰囲気が解かれ宙に舞う鳩や、地を這う猫が消えた。
「ほれ、そこの辻に隠れている姫は誰か?わしは君らをもう、襲いはせぬ。だから、出ておいで。」
髭男の背後から猫が一匹ひょっこり現れて、そろそろと小夜の前までやって来くると、ちょこんと座り、また、トテトテと歩き三郎と男人の前まで導いた。導かれるままに小夜は二人の男人の前までやって来てしまった。
「あー・・・。」
(なんで、小夜ちゃん、お前・・・出てきちゃうのだ⁈)
「なぁ、五郎。ちょっと。」
「なんだ、三郎―。今わざと、呼び出したな。お前の影の中で今まさに眠ろうと思っていたところだったのだぞ。」
さも、ムカついたようにその場の地面を少し掘った。
「わざと、とか、言うなぁー。」
「だってさ、この状況で、眠ろうとしたわしを呼び出すとは(わざと)としか言いようないだろ?」
ハアハア、荒い息を整え、しゃんとお座りをして三郎を見上げる白い山犬五郎。
「は?カミは眠らないだろう。あ、そんな事なんでもいいが、あの、髭オヤジのお相手してくれ。」
『我が生涯に一片の悔いあり!』
何だか、気合の入らぬようなアンニュイなイントネーションで声高らかに叫ぶ三郎。
「なに?三郎さん、あんた、なに言ってんの?」
小夜自体、敵のカミに誘われるままに三郎達の前へ寄ってきたのも不思議だった(一瞬意識が飛んだような気がした)が、この期に及んで、三郎が敵に背を向けるとは。
三郎は御構い無しに小夜の動かぬ背中を押す。
「さ、さぁ!急いで!逃げるんだ。」
「五郎、後でこの件のご褒美あげるから、どうにかまいてくれよ??」
「くっそ!」
白い山犬姿で四肢をがしっと地につけて瞳を閉じた。
「なんなんだよ!たくっ。ホレ、爺さん・・・。」
「あ、いやぁ、きっと、わしは爺というには若すぎるぞ。」
髭男は冷笑する。
「可愛い~三郎がそう言うんでさ、まぁ、わしと手合わせ願おうか?若造よ。」
五郎が、冷たい霧のような色の瞳を魅せ言った
三郎と小夜と子ども達が元きた道へ駆け出した。
「いやぁ、わしはそんなつもりは無いと申したはずだがの。」
今度はふっと微笑んだ髭男の切れ長の眼尻が光る。
「その声、その顔・・・‼おぬしは!三郎の師匠に見えるのだが?悲しいことだ。白城にしても、おぬしにしても。」
山犬の五郎は喉元まで出た言葉を引っ込めた。
「はっはっは!五郎、お前こそ大自然の鋭気だというのに感性豊かじゃのう。」
「ワン!」
「五郎・・・流石にお前には、バレてしもうたか??」
髭男は俯き加減で五郎に背を向けた。
「まぁ、よい。日を改めて、ここからでも良く見えるあの朱塗りの建物まで、三郎と、小夜をつれてくるのじゃ。宵の宴の席を用意してまっているぞ!」
サッと髭男は朱塗りの壮麗な建物を指さした。
「ふむ。」
五郎が首を意味深にかしげてみた。
「・・・宴とな?・・・秋刀魚は用意してくれるか?」
「あぁ、五穀の飯に秋刀魚に、極上の酒を用意して待っておるぞ!よいな!連れて来るのじゃぞ!」
「よし!分かった。ちゃんと、用意しておくのだぞ!」
五郎は壮年の髭男に見送られ、夜空へ消えていった。
小夜と三郎は眠気をこらえつつ、走り朝日が昇った、まだ肌寒い時間に、またあの師匠のいた山の掘立小屋へ戻ってきた。
「どうして、あの時、逃げ出したの?三郎さん?」
「いや・・・、それは、生涯に一片の悔いがあったからさ。」
あっけらかんと言う、この男人の神経がわからない。現斎王を助けに行ったのに。何もせず、しょっぱなから、尻尾巻いて逃げ帰るなんて。小夜には考えられなかった。
「五郎さんや嵐丸に力を借りれば、どんな窮地だって脱せそうな気がするのに・・・。」
「どうして、この問題から逃げるの?」
「ううう・・・ん。」
唸るしかできない三郎。
「三郎さん!」
小夜の厳しい声が朝靄を切り裂く。その声が三郎にとって頭に響いて痛いのは痛いのだが、反論できない。あの場に、あの時居たくなかったのだ。
((君子は争いを起こさずして国を治める。そして、逃げ時を知り、逃げる。))
「あの・・・さ。小夜。」
何となく話してしまうのは不本意なのだ。
「いやぁ、あの髭男が師匠のことを知ってるなんて、と、思ってな。・・・俺の師匠のような気を放つ奴だったから斎宮に居そうだと思ったんだ、気だけで判断するならば。だが、あのような優美な髭を生やした男人なんて、斎宮で見かけたことなぞ無いのだ。それなのに、俺の師匠の事を知っているなんて相当の力を持つもののけ・・・もしくはカミか、俺のまだ会った事のない星詠みの長か。星詠みはこの都以外の小国にもいるのだからな。」
「しかも、あの感じだと、最上階級のジジイだぞ。ある意味、歩いて居るだけで、そこら辺のカミやもののけより恐ろしい存在なんだ。」
「なぁ、小夜。俺が近寄るだけで、そんなにおどおどしないでくれ。」
「あの時は・・・逃げるが勝ちだったと、思ったんだよ。」
上目づかいで同意を求める。中年の三郎に小夜もどう、反応すれば良いのか分からなくなってしまったので。三郎の太い首に細い腕を回すと抱きしめた。
第二章も呼んで頂きありがとうございます!