第2話理由を解き明かしたら――二人でやり直そ?
入学式に遅刻しまいと、やや早歩きで道を歩く。
早歩きする俺の横には未来で妻となった相手が居る。
それも、15歳という若々しくてあどけなさが残る可愛い姿でだ。
「さっきから、人の顔をじろじろ見てるけど、何がしたいのよ」
「いや、可愛いなと思って」
「ふーん。そうやって、褒めた所で私が簡単に落ちるとでも思ってるんでしょ」
「いいや。単純にこれは俺の気持ちの問題だ。お前を褒めた訳じゃない」
実際問題。褒める気はなかった。
本当にあふれ出した思いを口にしただけで、別におだてて好きになって貰おうだなんて思っていない。
なにせ、俺は胡桃が外見を褒められたところであまり喜ばないのを知っている。
「そ、そう」
ん?
なんか反応が違うな。まるで外見を褒められたかったみたいだ。
ここは一つ、試してみるか。
「いいや、やっぱり褒めとく。肌がつるつるで、髪の毛も綺麗で、可愛いぞ」
「馬鹿ね。私がそんな風に褒められて喜ばないのは良く知ってるくせに」
「ああ、そうだな」
何となく分かった。
二人で39年間を積み重ねて来たからこそわかってしまう。
そうだなといった後、俺はちょっと風景を眺めて顔をずらしている胡桃の顔を覗き込んで笑って言ってやった。
「54歳で可愛いと言われる事なんて、全然ないもんな。そりゃあ、嬉しいよな」
「っく。そうよ。それの何が悪いのよ……。昔は可愛い、可愛いと言われてたけど、いつの間にか言われなくなった。また、可愛いって言われたら、にやけちゃうのはしょうがないでしょ」
頬を赤らめてあたふたする胡桃。
一度目の時は、外見を褒めても人は中身が大事なの、と嬉しい素振りなんてあまり見せなかった。
「そうかそうか」
「すかした顔をしやがって……。あんたこそ、はしゃいじゃってる癖に。なによ、俺、俺、俺、って。子供みたいに自分の事を俺って呼んじゃって楽しい?」
「っぐ。いやいや、この年で私は……っての方がおかしいだろ」
「あんたこそ、はしゃいじゃって可愛いわよ」
などと互いに若返ったことで変わってしまったことをぶつけ合う。
54歳で関係が冷めきっていた時にはもうできなくなっていた。
離婚届を突きつけたあの時点で、再びこのように言い合いを出来るようになったかと言われれば、絶対に出来なかった。
本当に若返りに感謝しかない。
「お前とこんな風に話すのなんて何年ぶりだ?」
「この世界では別に私とあんたは会ってないんだから、初めてよ」
「初めてなのに初めてじゃないか……。意味がわからない。にしても、初めてと言えば、これからどうするんだ? 一度目と同じように人生を送るのか?」
「そうね。せっかくだから前回とは違う事をしたいわ。例えば、茶道部じゃなくて、運動系の部活にでも入ってみるとかね」
前回は茶道部を経験した胡桃。
おしとやかで、お茶をたてる姿は誰よりも可憐だった。
「へ~、意外だな」
「年を取ってやっと気づいたのよ。運動って若いうちにしかできないってね」
「ババくさいな」
「それはそうよ。だって、54歳まで経験しちゃって、もう老人一歩手前まで予習済みなんだから」
若さに引っ張られ、目を輝かせて今度は違う事を意気込み楽しそうにする。
それが堪らなく、俺の心を痛めつけた。
「お前が楽しそうで良かった」
「急に何よ」
「いや、久しぶりにお前の楽しそうなとこを見れたから、反省してんだよ。そう言う顔をさせてあげられなくなった俺にさ」
「気が付くのが遅いのよ。もっと早くに気が付きなさいよ……」
か細く今でも消えてしまいそうな声。
楽しそうな顔を出来なくなっていた胡桃。それに気がつけなかった。
「本当に悪かった」
謝れば許されるとは思っていない。
だけど、謝らないのはもっとクズだ。
俺は横で複雑な顔をして歩いている胡桃に謝るしかなかった。
胡桃と通学路を歩くこと、10分。
気がつけば、これから3年間を過ごす学校へと辿り着いていた。
クラス分けの紙を在校生の人から受け取り、各々のクラスに向かう。
俺と胡桃は1年5組だ。
教室に向かう際の廊下で、胡桃にあふれ出す気持ちを漏らす。
「胡桃。ワクワクするな。お前は?」
「ええ、悔しい事にあんたの言う通りよ。正直、凄く楽しみ」
互いに二度目の高校生活。
年を取ってから○○しておけば良かったと思ったことが何度あったか。
それが後悔するだけではなく、やり直せるのだ。
もう、ワクワクとドキドキが止まらない。
そして、胡桃と俺は1年5組の教室に再び足を踏み入れた。
踏み入れた先にあった顔ぶれは懐かしくてしょうがない。
よく一緒に昼食を一緒に食べたやつ。
部活が一緒だったやつ。
そいつらの顔を見ると、ぞわっとした一言では表せない感情が体を駆け巡る。
ほぼ同時に足を踏み入れた胡桃はと言うと、
「あ~、だめね。何よこれ」
感極まって泣きそうになっていた。
いつまでも教室の入り口で立ち止まっていられるわけもなく、俺と胡桃はそれぞれの席へと向かった。
そして、入学式はあっという間に終わり、教室での軽い自己紹介を済ませ、学校生活1日目は終わりを迎えた。
1日目という事もあり、周りは静かで仲を深める余裕もない。
明日からが本番だしな。
さて、一度目の事を思い出そう。
車から轢かれそうになった胡桃を助けたお礼がしたいと話しかけられるも、入学式の後、学校に残るのは不自然で目立つ。
だから、二人でちょっとしたカフェに入ってお話をした。
そう、高校での初めての友達と呼べる友達は胡桃なのだ。
だがしかし、今回は車に轢かれそうになったところを助けていない。
お礼もされれる必要がない。
今日はこれでお別れだと思い家へ向けて歩き出して数分が経った頃、
「はあ、はあ……。なに、勝手に帰ろうとしてるのよ」
息を切らして俺を追って来た胡桃に呼び止められる。
「ん? 別に何か用でもあったか?」
「一応、お礼させなさいよ。あんたさ、朝から私が車に轢かれそうにならないように、横断歩道で見守ってたでしょ?」
「助けてないのに?」
「助けようとしてくれていた。それなのに、お礼をしない方が失礼でしょ? だから、まあ、あれよ。お茶でも奢ってあげる」
「有難く奢られるとするか。色々と積もる話もあるしな」
話したい事はたくさんあった。
俺は誘いに乗り胡桃と喫茶店へと向かう。
高校生時代によく二人で待ち合わせ場所としてだったり、勉強場所としてだったり、色々と使わせて貰った胡桃の叔母がやっている個人経営の喫茶店だ。
カランと入り口に付けられた鐘がなる。
聞きなれた音が心地いい。
「おばさん。奥の席を借りるわ……じゃなくて、借りるね!」
「ええ、ご自由に。と言いたいんだけど、後で横に居る子について聞かせて頂戴ね?」
「あ、あはは……分かった。あと、コーヒー二つお願いしても良い?」
「承知しました。出来上がったら運ぶわ。ごゆっくりどうぞ~。そこの君もね?」
姪が男の子を連れて来たら、そりゃあ色々と疑うよな。
一度目はめちゃくちゃ、ドキドキしたが二度目はそうはいかない。
と思ってたんだけどな。普通にドキドキする。
ったく、54歳までの経験を積んで来たのに情けないったらありゃしない。
二人で店内の奥の席。
ほとんどの席から死角になっている落ち着ける席へ。
そこに腰掛ける俺と胡桃。
「は~、疲れたわ」
「やっぱり、俺の前だとそっちなんだな」
「そっちって何がよ」
「口調だ口調。一度目の時はお前、そんな口調じゃ無くて、おばさんに言ったように、もっと砕けてただろ」
「え~そう? そうじゃないと思うんだけどなあ……って感じだったっけ?」
「そうそう。一馬くんにお礼をさせて貰いたいな~、なんてね? って感じだ」
一度目の胡桃を真似てみたら、もの凄く睨まれた。
そんなに気持ち悪かったか? とか思っていたら胡桃が俺に言ってくる。
「あんたこそ、よく昔みたいに喋れるわね。仕事一筋で家でもず~っと敬語しか使わなかった癖に随分と砕けちゃって笑えるわ」
「仕方ないだろ。なんかこの若さで敬語を使うってのがな……。お前こそ、その口調、絶望的に今のお前と似合ってないから気をつけろよ」
あどけなさが残りマイルドフェイスな胡桃。
本当に今の口調が似合っていない。
「じゃあ、こんな感じで良い?」
「お、おう」
「動揺しちゃって可愛い。あんたが私がこっちの口調の方が似合うって言ったから、直しただけなのにね」
くすくすと笑われる。
そして、胡桃は俺に言った。
「うん。せっかくだし、こっちの喋り方が良いかな? だって、周りとはこっちで話した方が仲良くなれそうだしさ。それに悔しいけど、なぜか最近ではこんな話し方をして無かったのに、こっちの方がしゃべりやすいし」
気さくで柔らかさを感じさせる口調だ。
夫婦生活の途中までは今みたいに優し気だった。
しかし、会社で役員待遇になった時、妻を連れての接待が増えた。
そうしていく内に、いつの間にか口調は固くなっていったのだ。
「ああ、そっちの方がお似合いだぞ」
「まあ、あんたの前じゃこっちで行くつもりよ? だって、私、これ以上、あんたとなんて仲良く成りたく無いもの。ふふっ、悪かったわね?」
俺に残念ね? と言わんばかりにクスリと笑う胡桃に、大人になったら似合いそうな口調で言われてしまう。
気がつけば、ぽろぽろと涙が出ていた。
「何で泣いてるのよ」
「お前とまた、こうして他愛のないやり取りが出来るのが嬉しいんだよ」
「私もしたかったわよ。でも、いつの間にかあんたは必要なければ、私に話しかけなかったじゃないの」
「そうだ。ああ、そうだよ。本当に悪かったって思ってる」
「ま、まあ。別に反省したならゆる……って、これだとチョロい女と思われるから言わないでおくわ」
「ああ、そうしてくれ。俺は許される必要なんて本当は無いんだからな。さて、そろそろコーヒーを運んできてくれるだろうし、この話はやめとくか」
外野からしてみれば、俺達のしている話はとんちんかんだ。
流す涙を無理矢理止めて無表情に戻った。
表情を戻した後、俺は気になっていた事を聞く。
「俺の事をあんたって呼ぶのはわざとなのか?」
「……痛い所を突いてくるわね。ええ、そうよ。いきなり離婚届を突き付けて来たんだもの。そんな相手を名前でなんて呼びたくなかっただけ。でも、まあ。ちょっとは反省してるようだし、名前で呼んであげるわ」
「お、おう」
「越ケ谷くんってね」
「それって俺の名字じゃ……」
「あら? だって、私があなたの事を一馬さんだなんて呼ぶ必要無いもの。普通にクラスメイトだし、こんなものじゃないかしら?」
「確かにそうだが……」
「随分ともの欲しそうな顔をしてるけど、まだ一馬さんとは呼んであげないわ。許してないし、そもそも付き合って無いんだもの。だから越ケ谷くんって呼ぶだけ。まったく、そんなもの欲しそうに下の名前で呼んでほしい顔をするくらいなら、もっと私を大事にすればよかったじゃない」
ぐうの音も出ない俺は低姿勢で胡桃に謝るしかなかった。
しかし、久々にこんなにも話したせいか、しっかりと胡桃に名前を呼ばれたくてしょうがない。
「一回だけで良いから、一馬さんって呼んでくれ。ほんと、一回だけで良いから」
「嫌よ」
「そこを何とか……」
「まったくもう。大人になっても、その可愛げがあれば私だって愛想を尽かさなかったのよ?」
「いや、お前が、さすがに良い年なんだからって言うから……我慢するようになっただけだぞ?」
「はあ? なによ。私に言われたから、辞めたってわけなの?」
「そうだが?」
「そ、それに関しては私が悪かったわ。まあ、そうね。私も色々と悪かったのは分かってる。だから、もう一度はっきりと言わせて欲しいの。というか、なんかこの口調は喋りづらいからやめるね……」
年相応に物腰柔らかな口調に戻す胡桃。
俺と同じで、若いというのに年不相応な話し方に違和感しかなかったのだろう。
「今の胡桃にはそっちの方が似合ってる」
「そう? まあ、私も華の15歳だしね。そりゃそっか。ありがと、越ケ谷くん。そう言われると、あんなに冷めきった夫婦になっちゃったのに、やっぱり嬉しい。さてと、ちょっとだけ大事なことを言わせて?」
「ああ、なんだ?」
胡桃は肩が動くほど深く息を吸っては吐く。
そして、静けさを放つ喫茶店の片隅で声を上げた。
「私達がすれ違って冷めきった関係になった理由を解き明かしたら――
二人でやり直そ?」
こうして、俺と胡桃の冷めきった関係になった理由を解き明かす日常は、始まりを迎えるのであった。