11月編 第6話 妙な噂
風子が入院してきてから約1週間が過ぎた11月の中旬ごろ、俺は病棟内に広がる妙な噂を耳にした。
『俺が狙われている』
単純なものだった。
遼子に聞いても何も答えてくれないが、明らかに俺に対する扱いが変わっている。
「なあ玲衣、噂話を聞かなかったか?」
玲衣ははっとした様子でおどおどし始めた。
「もしかして、玲衣も聞いたのか?」
無言で頷いた。
「……てことは本当に俺は狙われているのか」
「私も本当かは知らないの。だけど面会が中止になったりしてるから少しは気になるの」
やはり玲衣も気になっていたか。
「風子さんは何か知ってるか?」
俺が聞くと風子は自分の棚からパソコンを取り出してキーボードをカタカタと叩き始めた。
「これじゃないかな?」
そう言ってパソコンの画面を俺たちに見せる。
『今スぐ治験を行エ。さモないト治験者を殺ス』
新聞の切り抜きが無造作に貼られた一枚の紙の写真が映っていた。
「ま、まさか……」
「うん。洋一くんや玲衣さんが聞いた噂は本当だよ。ところで、治験ってどういうこと?」
風子には話していなかったな。
今のこの機会に話しておこう。
「実は、この病気の治療薬が完成したから治験を行うことになったんだ。それで俺が治験者になったんだけど、その薬の中に本来は入っていないはずの幻覚作用を引き起こす成分が入っていたんだ」
「どうして?」
「国立難病治療研究センターからこの病院に持ち出されるときに何者かによって治験薬がすり替えられたんだ。その結果俺は錯乱して暴れたよ」
俺はあの日のことを思い出した。
幻覚に惑わされ、笑顔まで失ったあの日を……。
「それで病院で開催された秋祭りにセンターの社長さんが来て、俺にそのことを打ち明けた。脅迫されているということも」
「きょ、脅迫!?」
「そうだ。幻覚作用がある薬を使って治験をやれってな」
風子は驚きのあまり手で口を覆う。
「そんなの……非人道的過ぎます」
そうだ。非人道的すぎるんだよ、奴らは……。
「だから今は、奴らから見たら危険な治験を継続してるように見せかけているんだ」
そうでもしないと俺がどうにかなってしまうんだ。
「じ、じゃあ今使ってるのは……」
「本物の薬だよ」
風子は安心したのか胸を撫で下ろした。
「だけどこれによって本当にあの薬を投与せざるを得なくなるかもしれない」
玲衣の言った通りだ。
あの薬を投与すればまた俺は錯乱状態になり暴れ出すだろう。もう玲衣や遼子、そして新たな仲間である風子を傷つけたくはない。
「とりあえず、遼子さんに事実かどうか聞くのが先だな。どうして俺たちには何も言わないのかも……」
「それは簡単だよ。洋一くんが不安になって治験を辞めるとか言い出したらそれこそ犯人の思うツボだよ」
そんなことするわけないじゃないか。
俺の成果によっては救える命が少なくなるんだぞ。
俺は玲衣を……同じ病気で苦しんでいる人を少しでも多く救いたいんだ。
だから治験を降りるなんてことはしない。
「私、呼んできます!」
玲衣が走って病室を飛び出した。
数分後、遼子が慌てた様子で病室に入ってきた。
「遼子さん、俺たちに本当のことを教えてください。この脅迫文について……」
俺は風子のパソコンを画面を遼子に見せた。
「やっぱり風子さんには敵いませんね。いいでしょう、お話しします」
私がその脅迫文を目にしたのは1週間前のこと。
朝からみんな慌てていた。
「どうしたんですか?」
私は同僚の看護師に何があったかを聞いた。
「これ……」
看護師が持っていたのは洋一たちが見せたあの脅迫文だった。
最初は誰かのいたずらだろうと思って脅迫文を信じなかった。
だけどすぐにそんな考えは打ち消された。
ナースステーションに一本の電話が届いた。
私は震える手で電話の受話器を耳に当てる。
「……も、もしもし?」
『俺たちの作品は見てくれたかな?』
声は高い。変声機でも使用しているのだろう。
「あ、あなたは誰なんですか!?」
『まあ、そんなに慌てるな』
「今の状況で慌てられるわけないじゃないですか!」
『じゃあ手短に話すぜ。俺は脅迫文を送った犯人だ』
「は、犯人?」
電話の相手が何を言っているのか一瞬わからなかった。
『そうだ。この脅迫文はホンモノだ。おとなしく要求を受け入れな』
「そ、そんなことっ!」
『要求が受け入れられないってんならお前さんとこの終末期病棟だっけか?そこの奴らを皆殺しにしてやる』
「み、皆殺し?」
『それが嫌ならとっとと要求は受け入れるんだな。あ、そうそう、警察に通報したら容赦なくぶっ殺すからな。お前たちの電話は全て聞かせてもらう。まあ、終末期病棟の奴らにはよろしく伝えとけ』
どうして奴らが終末期病棟のことを知っているんだろう。
あれは一般にも公表されていないものなのに……。
「どうしてあなたがこの病棟の──」
ここまで言ったところでプツッという音共に電話が切れた。
そしてその日の午前中に臨時で会議が行われ、今後の方針について話し合った。
「今月いっぱいは面会も禁止、厳戒態勢を敷く。また、保護対象者については24時間の監視をすること。治験薬についても慎重に処理をしろ」
そして、今に至る。
私は洋一に不安を与えたくなかったためにこのことは一切話さなかった。
そして、今回洋一たちに話すにあたって終末期病棟の名前は伏せて説明した。
「──というのが今回の件の真相です」
あまりの出来事に俺は驚いて言葉が出なかった。
それと同時にある決意をした。
「なら俺にも何か手伝わせてください」
俺のせいでこうなったんだから俺が終わらせるんだ。
だけど遼子は首を縦には振らなかった。
「いえ、今回は何もしないでください」
「どうしてですか?」
「今、洋一さんが動くと命が危ないんです。だから、だから……」
遼子は泣きながら訴えた。
「わ、わかりました」
今回は静かに過ごすんだ。
「洋一くん、これでいいの?」
玲衣は反対のようだ。
「いいんだ。そうしないと玲衣も風子さんも危ないんだ」
「私たちの心配をしてるの?」
風子も心配そうだ。
「俺のせいで玲衣たちを危険な目には合わせたくないんだ。だから、今回は納得してくれ」
俺の呼びかけに二人は頷いた。
これでいいんだ。
安全に暮らせればいいんだ。
しかし、すぐにそれは打ち砕かれた。
「パンッ!」
という渇いた音。それと同時に悲鳴も聞こえた。
「まさか!」
「オラァ、お前ら俺たちの要求が聞けねえってのかぁ?」
犯人グループだ。
「洋一さんたちはここで待っててください!」
遼子が飛び出す。
「遼子さん!」
俺は呼び止めた。
「大丈夫です。今回の件で防弾チョッキが支給されてます」
そうして遼子は病室を出て行った。
その直後、またも渇いた音が響く。
「遼子さんっ!」
俺は病室を飛び出そうとした。




