10月編 第7話 治験、そして変化
翌日、《メモリーイーター》による死者の発生により、急遽始められる治験に、病院内は大慌てだ。
「薬届いてます!?」
「あと1時間ほどで到着するみたいです!」
「わかりました。私は洋一さんの部屋に行って準備をしてきます」
看護師同士の連絡の声と、足音が絶え間なく病院内に響き渡る。
「洋一さん、準備はできていますか?」
「もちろんです……とは言えませんが急遽決まったことですし、覚悟はできています」
「それならよかったです。あと1時間くらいしたら薬が届きますので、もう少し待っててください」
「わかりました」
遼子も忙しそうに病室を飛び出す。
「まさかいきなり今日からやりますなんて言われるとは思ってもいなかったでしょ?」
「ああ、びっくりだよ」
でも──。
これで玲衣を助けることができるんだ。
拒否するわけにはいかないんだ。
「頑張ってね、洋一くん」
「おう、早く薬の効果を立証して同じ病気の人を助けるんだ」
「うん、いつも通りの洋一くんで安心したよ。治験が始まるっていうから緊張で声すら出せないんじゃないかって思ってたから」
「そ、そうか?こ、この俺が緊張するわけないだろ」
いや、嘘だ。
本当は緊張して今にもこの病院を抜け出したい気分だ。
だけど、逃げ出すなんてことをしたら、それだけ治験が始まるのが遅くなる。つまりは玲衣を救える確率が格段に低くなってしまう。
だから今は俺の緊張なんて表に出していられないんだ。
「うふふ、これも洋一くんらしいや」
「ど、どういう意味だよ」
玲衣との他愛のない会話をすること、数十分。
「今届きました!」
「意外と早かったですね」
「さあ、急いで洋一さんの部屋に持っていって!」
「はい!」
こつこつという看護師──おそらくは遼子だろう──の足音と、ワゴンが動いている音がどんどん病室に近づいてくる。
「洋一さん、薬が届きました。すぐに治験を行います。要領は今までの治療と同じです。それでは、始めます」
「はい、お願いします」
左腕を出す。
針の保護キャップを外す。
腕に近づけられ、ちくっという一瞬の痛み。
そして、針を刺し終えたことを確認すると、液体の袋につけられた弁を開く。
少しずつその液体は管を通って流れ、俺の腕の血管へと流れていった。
「それじゃあ、あとは安静にしていてください。まだ副作用とかは未知数ですので、何か体に変化があったらすぐにナースコールをお願いします」
「わかりました」
「それでは失礼します」
遼子が病室を出ると同時にため息をついた。
「ふう」
「お疲れだね、洋一くん」
心配そうに俺のことをじっと見ていた玲衣が口を開く。
「たった数十秒の出来事だとは思うけど、数分、いや数時間にも思えたよ」
「さて、私ももうすぐ治療が始まりますし、ベッドに戻りますね」
「おう、頑張れよ」
「うん」
そう言って玲衣は自身のベッドに戻っていった。
無事に治験が始まったことに安心したのか、少しずつ体の力が抜けてくる。
多分副作用の一つに眠気があるのだろう。
薬の力に圧倒され、俺は眠りについた。
数時間後
「はっ!?」
急に目が覚めた。
外を見ると分厚い雨雲が空を覆っているのか相当暗くなっている。
時間は午後2時。
「今日って雨の予報だったっけ?」
俺はスマホの画面をつけて天気アプリを立ち上げる。
「あれ?」
今日の天気は晴れ。雨雲レーダーを見ても雲の影すら見えない。
壊れちゃったか?
アプリストアからもう一つ天気アプリをダウンロードして今の天気を調べる。
「こっちもだ……」
様々な天気アプリやネットの天気予報で確認するも、雨雲の気配はなかった。
「こうなったら一番信用できるホームページで」
気象庁のホームページを開き、この病院がある県を選択するも、傘のマークは一切ない。
アメダスの雨雲レーダーを見ても、周りの県にも雨雲はかかっていない。
何かがおかしい。
そうだ、玲衣のスマホで見せてもらおう。
「玲衣、ちょっといいか?」
「あんた、誰?」
「俺だよ、洋一だよ?」
「洋一?そんな名前の人なんて知らないけど。容易く私の名前を呼ばないでくれる?」
おかしい。
玲衣が俺のことを忘れるわけがない。
これは夢だ。夢に違いない。
悪い夢なんだ。早く覚めてくれ!
「そうだ、遼子さんなら──」
「遼子さん?あー、あのクソ看護師か」
「クソ看護師って……あんな優しく接してくれる看護師なんてそう多くないはずだ! そんな人のことをクソ呼ばわりするんじゃない!!」
玲衣を突き飛ばして、自分のベッドにある呼び出しスイッチで遼子を呼ぶ。
「どうかしましたか?」
「れ、玲衣が変なんです……」
「変って、どういうこと?」
何でタメ口に!?
「え?だからいつもの玲衣じゃないんです!」
「そんなことないと思うけど? それよりもあなた誰?」
遼子さんも覚えてない!?
俺の存在自体が消えている?
「早く出ていってください」
玲衣の目は今まで見た以上に怖いものだ。
「出てけ」
遼子も無理やり俺を病室の外に出そうとしている。
どうして!?
どうしてこんなことになったの!?
夢なら早く覚めて!
「洋一くん、落ち着いて!」
急に洋一が暴れ出した。
遼子の所在を答えようとしただけなのに、私を突き飛ばした。
遼子にも強く当たっている。
「もうやめて!」
「玲衣も俺のこと忘れてしまったんだろ?」
何……言ってるの?
私が洋一くんを忘れるわけがないじゃない。
「忘れてなんかいない!」
「ああ、そうさ。俺なんて所詮こんなもんだ!」
どうしちゃったの?
洋一くん!
『玲衣さん!!』
葉月さん?
『緊急事態です!』
緊急事態って……まさか、今の状況に関係しているの?
『うん、今の洋一くんに声が届かない!』
え?
声が……届かない!?
だから今暴れているというの?
もしかしたら洋一くんは苦しんでいるのかもしれない。
でも、声が届かなかったら何もできない……。
『だけど玲衣さんなら洋一くんに声が届くかもしれない。元の洋一くんに戻せるかもしれない』
え、本当に?
『うん、その方法はね──」
その方法で洋一くんを戻せるなら私はやるよ。
やるしかないんだ。




