10月編 第6話 おかえり
玲衣が謝ってから数日後、俺はやっとの思いでHCUから出ることができた。
だけど、まだ油断はできないと主治医からは言われたが、少しだけ気が楽になった。
やっと玲衣に会える。
触れられる。
ついにこの時が来たんだ。
病室の前で、ガチガチに緊張してきた。
扉の取手に手をかけようとした時だった。
「洋一くん!!」
と勢いよく玲衣が飛び出してきた。
「うわああ!」
びっくりした。
なんで急に玲衣が出てきたんだ?
ごつんという音と共に俺たちはその場に倒れた。
細かく言えば、玲衣が俺に馬乗りになっている。
「いててて……」
「いたたた……あ、ご、ごめん」
玲衣が今の状況にびっくりして飛び上がる。
そこまでびっくりしなくていいのに……。
「大丈夫か?」
「う、うん」
玲衣の顔は真っ赤だ。
今にも顔から蒸気が出てきそうなほどにホカホカになっているだろう。
「よいしょっと」
起き上がって玲衣に手を振る。
「ただいま、玲衣」
忙しいやつだ。
次は感極まって泣き出した。
「うん、お帰りなさい、洋一くん」
やっと触れられた。
やっと……。
嬉しかった。
約1週間ぶりの抱擁。
玲衣の嗚咽と、心臓の音が聞こえる。
玲衣も嬉しかったのだろう。
「……ごほん」
病室の奥を見ると遼子がいた。
人に見られた。
恥ずかしい。
「玲衣、遼子さんが見てるよ?」
玲衣は動揺するどころか、さらに強く俺を抱きしめる。
「うん、知ってる」
なるほど、玲衣と遼子はグルというわけか。
戻ってきて早々に俺に恥ずかしい気持ちを味わせようとしているみたいだ。
まんまとハメられた。
でも今はどうでもいい。
「ありがとな、玲衣」
いつのまにかそう呟いていた。
久しぶりに助けを求めたあの日、ずっと付きっきりで俺の名前を玲衣は呼んでくれたんだ。
だから、俺は意識を失った後も、彷徨うことなくまたこの世界に戻ってくることができたんだ。
「うん」
しかし、いつまで続くんだ?
病室のドアの前で抱擁をしているからか、周りの目が気になり出した。
「玲衣、そろそろ」
「いやだよ……」
名残惜しそうだ。
「とりあえず病室に入ろう。そしたらまたやってやる」
「ホントに?」
やめろ。
その上目遣いは反則だ。
可愛すぎる。
「ああ、本当だ。だからとにかく病室に」
「うん」
いつ見ても玲衣の笑顔は眩しい。
やっと病室に入った後、遼子は俺を見て笑いだした。
「ちょっと、遼子さん、なんで笑ってるんですか!?」
それでも遼子は笑うのをやめない。
「だって、お二人さんがすごいお似合いなんですもの」
遼子に言われると、何か説得力があるというか、お似合いという言葉に照れてしまいそうだ。
「そうですよ。私たちはお似合いなんですよ。ね、洋一くん」
玲衣の今の言葉には絶対にハートマークが付いているだろう。
「洋一さん、お帰りなさい。ずっと待ってましたよ」
そんな大袈裟な。俺はたったの1週間ほどしかHCUに入っていなかったはずなのだが。
「いま、そんな大袈裟なって思いましたね?」
「げっ」
思わず口に出てしまった。
まさか遼子に俺の心の中を読まれてしまうなんて。
「私だって寂しかったんですよ?」
遼子も今にも泣きそうな顔をしている。
なんだ、この病院の人は涙腺が緩すぎなんじゃないか?
そう錯覚してしまうほどに皆よく泣く。
もっとも俺も例外ではないが……。
「たった1週間、洋一さんにはそう思えるのかもしれません。しかし、私たち、この病棟の看護師にとっては患者さんがICUやHCUに入ったり、急に倒れたりするとすごく心配になるんです。もうすぐ死んでしまうんじゃないかって。早く帰ってきて欲しいと願い続けるほど、体感的には患者さんが帰ってくるのが遅く感じてしまうんです」
そうなのか。
俺は何も知らずにたった1週間と思っていた。
でも、遼子たち看護師にとっては、急病で別の場所に行ってしまうと、早く帰ってきて欲しいと願うのは必然的。
そして、それは玲衣も同様だろう。
「玲衣も……なのか?」
また無責任な質問をしてしまった。
俺はなんて最低な人間なんだろう。
「私もだよ。この1週間は、孤独との闘いだったんだよ。毎日起きたら洋一くんがいる。それが当たり前な日常だったから」
ごめんな、玲衣。
俺、何も知らずに……。
「これからはまたいつもの日常に戻れるんだ。だから、また一緒に思い出を作ろう」
「うん、洋一くんといっぱい楽しい思い出を作る。この残り少ない人生をつまらないものにしたくないから」
「そうですよ。私も一生懸命サポートします」
遼子もいつになく前向きだ。
明るい未来が待っている。
そう信じて俺たちは突き進むんだ。
そうしていれば、いつか大きな奇跡が起こるかもしれない。
そのいつかを今を生きる自分のために……。
「よろしくお願いします!」
今までの感謝と、これからよろしくお願いしますの意を込めて深々と一礼をする。
その時の俺の表情はどんなものなのだろうか。
明るく澄んだ目をしているのだろうか。
『大丈夫、今の洋一くんはすごく輝いているよ』
葉月?
『うん。まずはお帰りなさい』
ああ、ただいま。
『もう、心配したんだから』
ごめんって。
けど、俺が帰ってこれたのは葉月がいてくれたからでもあるな。
自分を信じることを教えてくれなかったら、もう自暴自棄になって、この世界に戻ることを拒んでしまっていたのかもしれない。
だから、ありがとう。
『いいってことよ』
じゃあ、また成長できたときにまた会おう。
『うん、その時までしばしお別れだね。でも、会える時はそう遠くないと思うよ』
葉月の言葉は少し嬉しそうだ。
どうして?
いや、今はそんな模索はしなくてもいいか。
まずは、この人生を楽しむんだ。
仲間たちと共に!
と思った矢先、不幸なニュースが流れた。
「洋一さん、玲衣さん、大変です!」
遼子が慌てて病室に入ってきた。
何事だ?
「と、とりあえず落ち着いてください。どうしたんですか?」
「こ、これを……」
遼子の手に持っていた文書を見る。
『仮称による死者の発生について──』
「この病気で死者が出た?」
嘘だ。
信じられない。
「はい、そのため治験の時期を早めると通達がありました。洋一さん、明日から治験をお願いします」
何がなんでも急すぎる。
「わ、わかりました」
明らかに遼子も動揺している。
とにかく今はこの通達に従うしかない。
それしか、同じ患者を救う方法はないのだから。




