7月編 第1話 生活の始まり
ノベルゲームのほうが全然進まずに、こちらで7月編のノベルゲームにはないエピソードを執筆しました。
今回は入院することになった洋一の入院初日の出来事について書いてありますので、ぜひご一読ください。
「う、うぅ……」
俺はあの日いつの間にか意識を失い倒れてしまっていたらしく、知らぬ間に病院に運ばれた。そして目覚めると、心配そうに俺の方を見ていたメガネをかけた黒く短い髪のナースが俺を心配そうに眺めて立っていた。
周りには心電図モニター、自分の腕には点滴の注射針が刺されている。
「どこか痛いところや苦しいと思うところはありませんか!?」
俺が目覚めた瞬間にナースは問診を始めた。
「だ、大丈夫です」
俺には倒れる直前からの記憶がない。学校に行くところまでは覚えている。
だが、それから先は思い出そうとしても靄がかかっている。ただ、何か心地よい夢を見ていたような気分だった気がする。
「すぐに担当の医師を呼んできます!」
ナースは飛んでいくかのように病室を飛び出した。
数分後、慌てた様子で主治医らしき白衣を着た男性の医師がやってきた。ナースと同じく問診を行い、瞳孔の確認などをした。
「あなたの名前はわかりますか?」
何を馬鹿げた質問を……と思っていた。
しかし、俺はすぐに自分の名前が名乗れなかった。苗字の頭文字である《か》だけが浮かび、その後の文字が一切浮かび上がらない。
「か……か……」
俺はただひたすら頭文字を繰り返す。しかし、それより後は結局浮かび上がらなかった。
「あなたの名前は片瀬洋一さんですよ」
主治医は俺の名前をはっきりゆっくりと発した。
《カタセヨウイチ》
確かにしっくり来るが、漢字が思い浮かばない。
「記憶障害あり……と」
主治医がカルテに記入した。
俺は今、どんな状況に置かれているのか、全く分からなかった。
「あの……ちょっといいですか?」
俺は恐る恐る主治医に聞く。
「どうしましたか?」
主治医はほうれい線を浮かばせた笑顔で俺の方を向く。
「今ってどんな状況……なんですか?」
主治医は少し黙り込んだ。何か知られてはいけないことでもあるのだろうか。もしくは何か俺に大事な何かを告げなくてはいけないのだろうか。
俺の中の疑問は増すばかりだ。
「どこから話したらいいんだか……」
主治医は頭を抱えて考え込んだ。ナースを呼び、主治医と何か話しをしている。おそらくは俺に伝えることを整理しているのだろう。
「それではお話しします」
俺は次の言葉を聞いた瞬間に緊張が絶望に変わった。
「片瀬洋一さん、貴方は現代の科学技術では完治することが不能な病にかかってしまいました。貴方は先ほど、学校にて意識を失われ、一時的に心停止状態にまで陥りました。そのため、洋一さんは一時的な記憶障害が起きています。少ししたらそれは治ると思います。ですが……洋一さんの命はこの病気にかかったことにより、もって一年でしょう……何も役に立つことが出来ずすみません……」
途中から主治医は下を向いて話した。
(ちょっと待ってくれ……俺はあと一年しか持たない身体になってしまった……ということなのか?)
俺は主治医にそう質問したかった。しかし、俺の口は動いても出てくるのは空気だけで、声を発することができなかった。
「残念ですが……我々には何も手は出せない状態なのです……」
ナースが悲しそうに言う。声の発し方から、おそらくは本当のことなのだろう。
「洋一さんには二つ選択肢があります。一つは、少しでも長く生きるために治療を行う。そしてもう一つは、苦しまずに残りの人生を過ごし、何も悔いがない状態で逝く。このどちらかを選択してください」
これが保健の授業で学んだ《インフォームドコンセント》というものなのだろう。
この一生涯でその決断を迫られるのは年をとった時だろうと勝手に自分で思い込んでいたが、実際には十代でそうなるということから、俺は心の中にすっぽりと穴が空いたような気がした。
(もうどうにでもなれ!)
(どうせ俺はもう死ぬんだ!)
これらの感情が俺の中を支配し、動き始めた。俺は病室を飛び出し、どこか遠い場所へと向かおうとした。
どこに向かおうとしているのか、俺にはわからない。
「洋一さん!!」
遠くでナースが俺を呼んでいるが、それにも俺は聞く意味を持たなかった。
この年齢で余命宣告をされ、俺は一つの《決断》をした。しかし、俺の中での《決意》ではない。俺のメンタルがダメになった結果である。心の片隅にまだ死にたくないという想いがあるからこそこの《決意》が定まらないのだ。
走っていくうちに体の芯から何か痛みを感じ出した。
でもこれも最後だ。最後の一回。
俺は心の中で繰り返す。
そして階段を駈け上がり、最後の一段、そして最後の扉を大きな音を立てて勢いよく開けた。
俺は病院の屋上にある柵を飛び越えようとした。
しかし、そこから先の一歩がふみだせない。腕に力が入らず、小刻みに震えている。足も気づかないうちに震えていた。
(死にたく……ない……)
心の底で俺は深く願った。俺の中の《生きる》という力が《死》という結末を変えようとしているみたいだった。
再度ドアが勢いよく開く音が聞こえた。
「洋一さん!!」
さっきほどの病室にいたナースだった。眼鏡の奥には光るものがあり、額には汗が流れている。
「あ、あなたは……」
ナースが走って俺の方に向かってきた。そして、俺の体を強く抱きしめた。
「あなたって人は……もう……ダメじゃないですか!!」
「ほっといてくださいよ……どうせ……」
「どうせとか言っちゃいけません!!」
さらに抱擁が強くなる。息がしにくい……そして柔らかい感触。
「あなたは何のために今まで生きてきたんですか!?」
「俺は……」
俺にはもう何の取り柄もない。ただ、衰弱して死ぬだけなのだ。
「俺は……もう……何の取り柄もない人間なんです」
「だったらそれを見つけましょう」
ナースの口から発せられた言葉に俺は驚いた。
「……え?」
「今が何の取り柄もないんだったら、ちゃんと生きた証を残さないと……私が……許さないですよ」
ナースは声を詰まらせる。
「でも……」
「でもじゃないです! 私からは治療をすることをお勧めします。そうすれば最後まで諦めずに生きることができたって、誰だってそう思うでしょう。だから、一緒に頑張りましょう?」
俺の目に光るものが滲み、それが頬を伝って流れ落ちた。
俺の心はもう決まっていたのかもしれない。
「わかりました。治療をします」
その瞬間、ナースは俺の方をじっと見つめた。
「うん、いい目です」
ナースは涙でくしゃくしゃになりながらも笑顔になった。
「それじゃあ、病室に戻りましょうか」
俺も自然と笑顔になった。
「はい」
俺たちは病室に戻った。
「先程は失礼しました」
主治医は俺を見るや、ニコッと笑った。
「どうやら、どうするか決めたみたいですね。あなたの《決意》を聞かせてください」
俺はナースの方を見た。ナースは先程と同じくらいの笑顔を見せた。
体を主治医の方に向き直す。
「治療をします。そして、生きた証を残して、悔いのない人生だったと……言い切れるものにしたいです」
主治医は軽く頷いた。
「よく言ってくれました。それじゃあ、この病室に入院ということで、手続きをしましょう」
「お願いします」
俺は主治医に深々と頭を下げた。
病室はベッドが4つあるだけの質素な部屋だが、今のところ俺以外の入院患者はいない。少し違うが前から憧れていた、一人暮らしにもなった。
それからというもの、俺は積極的に治療を受けようとしたが、あの日のように自殺しようとしないように、また薬の投与に対する意識を持つために、カウンセリングが開始された。
入院翌日からそのカウンセリングが始まる。そのために俺は今日1日を、ゆっくりと過ごすようにと主治医から告げられた。
(病院を回ってみよう)
俺は初めての場所に小学生のような探究心に駆られ、病院内を回った。
ナースステーション、待合所、診察室など、さすが大型の病院というだけあり、最新の機器が揃っている。
一通り回り終わった後、俺は病室に戻ってベッドに腰をかけた。
(少し眠くなってきたな……)
俺は、眠気に負けて、そのまま目を閉じた。
その時見た夢は忘れられないものだった。
ふと気がつくと俺は小学生時代の姿で学校の校庭に立っていた。
俺以外は誰もいない。ただ、俺はその校庭にポツリと1人寂しく立っているだけだ。
俺はそこから動こうとした。しかし、体が言うことを聞いてくれない。
「う……ご……け……」
俺は気合で動かそうとした。しかし、腕も足も微動だにしない。
「洋一くん!!」
はるか後方から少女のような声が聞こえてきた。どうやら俺のことを呼んでいるようだ。
かろうじて頭だけは動かせたので、無理やり後ろを向く。
そこには黒く長い髪の少女が、学校の校舎の屋上から手を振っていた。
彼女には見覚えがない。顔に靄がかかっている。でもなぜか懐かしく感じる。
(あの子は……いったい……)
俺はあの少女について思い当たることはないかと今までの記憶を引っ張り出す。
しかし俺は思い出せなかった。それでも彼女は俺の名前を叫びながら手を振っている。
「せめて……手だけ……でも……」
なんとかして手を振り返したかった。
「うおぉりゃぁ!」
気合で右腕を動かした。右腕がすごく痛む。
(こんなこと気にしていられるかぁ!!)
俺は俺自身に心の中で喝を入れる。
[よく……耐えました……]
頭に直接、電子音によく似た声が語りかけてきた。
「だ、誰だ?」
俺は周りを見回す。先ほどの少女以外に人影はない。
(今のは……?)
その瞬間、今まで岩のように硬かった体が急に自由に動かせるようになった。
「これならっ!」
急いで先ほどの少女がいた校舎の屋上を目指す。
階段を駈け上がる音だけが学校内に響く。
そして屋上の扉を開けると、一気に外の空気が流れ込んでくる。
屋上には真っ赤な夕日が差し込み幻想的な光を生み出している。
「あの子は……」
俺は屋上にいたの少女を探した。
少女は屋上の網にもたれて立っている。何かもの寂しげだが、少女の顔には靄がかかっているため表情が見ることができない。
「やっと来てくれた」
初めて俺を呼んだ時の声で、俺に語りかけた。少女は今にも泣きそうだったが、耐えているように聞こえる。
「君は……何者なんだ?」
少女に質問をする。彼女は何も言わずにはぁとため息をついた。
「やっぱり……覚えてくれていないのね……」
俺は首を振る。
「覚えているも何も、初めて会うんじゃないのか?」
少女は俺の発した言葉に驚いたような動きをした。
「そんな……全てを失ってしまった……そういうことか……」
「いったい君は何を言っているんだ?」
俺は少女に歩み寄る。少女は後ろに後ずさりをしようとしたが、すぐ後ろには網がかかっているため、下がることができない。
「洋一くん!」
少女がいきなり叫び、俺は足を止める。
「洋一くんは覚えていなくても、私は覚えているから。それだけは忘れないで!!」
そう言って彼女は網を乗り越え、そのまま下へと落ちていった。
俺は慌てて少女がいたところへと駆け寄る。そして下を見るがそこには誰もいない。
「あの子は俺のことを……知っていた……」
俺はポツリと呟いた。
『忘れないで。私はあなたのことを覚えている。そして、いつかまた再開する日が来るから!』
少女の声はだんだんと遠くなっていく。
「再開する日……か」
どうせそんなことはないだろうなと俺は考えた。
もうすぐ死んでしまうのだから。
俺はそう自分に言い聞かせた。そうしているうちに、俺はだんだんと意識が薄れていった。
そして目を覚ますと、俺は病院のベッドに寝ていた。
「さっきの夢は……なんだったんだろう……」
俺は見た夢の内容を思い出してみる。
謎の少女、謎の電子音、再開の日……
夢には謎が残るばかりだ。考えれば考えるほど、何がどうなっているのか訳かわからなくなっている。
「あの子に……また会える……のかな……」
俺は何かを失ったような喪失感に襲われた。
夢のことを考えているうちに、夕食の時間になり、食後に両親が荷物を持ってきてくれた。
「俺って小学生の時はどんな感じだったの?」
俺は母親に先ほどの夢が離れないためか、小学時代のことを聞いた。
「それはもう、やんちゃだったよ。ずっと走り回っていたからもう大変だったなぁ」
母親は小学生時代のことを所々思い出しながら話してくれた。
「女の子の友達っていた?」
「女の子?」
母親はキョトンとしている。
「いなかったよ。急にどうしたんだい?」
少しニヤニヤしながら俺の肩を叩く。
「いや、気になったから聞いただけ」
それに母親は納得したらしく、話を終わらせて荷物を整理していた。
そして荷物整理が終わると母親はよしと言って立ち上がった。
「それじゃあ、しっかりね。また来るから元気でよ」
そう言って母親は病室を後にした。
これが騒々しい入院生活の始まりの日だった。