9月編 第4話 心配、そして事実
「洋一くん……」
玲衣は心配そうに覗き込んでいる。
「ごめん、今は一人にさせてくれ」
俺は一人立ち上がり、点滴器具を引きずりながら、病室を後にする。
(病室を飛び出したのはいいが、どこに行こうか……)
今の俺は行く当てがない。だからといって病院を出ていくわけにはいけない。
「屋上にでも行こうか……」
俺はゆっくりと階段を上って屋上の扉を開く。
「はぁ」
俺はため息と同時に椅子に腰をかけた。
「そういえば入院初日も屋上に来ていたっけ」
俺は入院初日のことを思い出す。
不治の病に侵され、自分自身に絶望した挙句、屋上に飛び出して自殺をしようとしたが、死ぬことへの恐怖からなかなか身を投げ出せず、遼子によって止められた。
「あれからもう2ヶ月か……遼子さんには悪いことをしてしまったな……」
そして今もまた病の進行にショックを受け、一人になろうとこの屋上にやってきてしまったのだ。
セミたちが最期の気力を振り絞ってミンミン鳴いている。
「洋一さん!」
バタンという大きな音とともに扉が開き、遼子が慌てた様子でやってきた。
「大丈夫ですよ。あのときみたいにはしませんから」
俺の言葉に安心したのか、遼子は胸を撫で下ろした。
「それならいいんですが……何か悩み事ですか?」
「はい、ちょっと病気のことで……」
俺は先ほど起こった記憶障害について涼子に話した。
「そんなことが……」
「だから、気分転換がてら屋上にやってきたというわけなんです」
「そうですか。主治医の方に診てもらったほうがいいのかもしれませんね。今からでもできますが、やりますか?」
遼子は手に持っていたバインダーから一枚の紙を取り出した。
「お願いします」
俺はすぐにその紙に署名をして検査を受けることになった」
脳のX線検査など、様々な検査をして、終わったのは夕日が病室内に射し込み始めた頃だった。
「洋一くん、大丈夫なの!?」
病室に戻ると、玲衣が心配そうに駆け寄ってきた。
「大丈夫だ、なんともない」
俺はそう答えたが実際は大丈夫ではなかった。
検査終了後、すぐさま検査結果が出た。
「結果はあんまりよろしくないですね」
「やっぱりそうでしたか……もしかしたらとは思ったんですが」
主治医は検査結果の用紙を手渡した。
「脳に異常は見つかりませんでしたが、洋一さんの仰るとおり、一部の過去の記憶においての障害があることがわかりました。今回、検査に際して洋一さんの卒業アルバムなどを使用させていただきましが、特に洋一さんにとって大切であろう思い出がまるごと消えていました」
「……」
俺は何も答えることができなかった。
「この病気の新たな症状の一つでしょう。治療薬に関しては従来の抗がん剤ですので、記憶障害が出ることは突然変異がない限りはあり得ません。そのため、今後も病状の進行によっては新たなしょうがいが出るかもしれないので注意しておいてください。なお、この件は他の患者さんには言わないようにしておいてください。もしかしたら、パニックになってしまうのではと思いますので……」
「わかりました……」
俺は小さく一礼をしてから、診察室を後にした。
そして今に至る。
「それならいいんだけど……」
「今日はもういろいろありすぎて疲れたから休むことにするよ。遼子さんがきたら伝えておいてくれ」
「うん、わかった」
玲衣は静かにカーテンを閉めた。
俺はゆっくりベッドに腰をかけて横になった。
時間は18時をもうすぐ回る頃だ。少し早いが寝ることにした俺はゆっくりと目を閉じた。
「洋一くん……」
玲衣は心配そうに俺のベッドをずっと見て立っていた。
そこに遼子が病室に入ってきた。
「玲衣さん、どうかしたんですか?」
「い、いえ、なんでもありません」
「それならいいんですが、夕食が準備できましたので持ってきたのですが、洋一さんは?」
「洋一くんは今日はも疲れたから休むって言ってました」
遼子はそっと俺のベッドを覗き込む。
俺はその時すでに眠っていた。遼子が俺の寝顔を見てクスッと笑ってから玲衣の方に向き直す。
「じゃあ玲衣さんだけでも食べちゃってください」
「わかりました」
遼子はワゴンから夕食を持ち出し、玲衣のベッドに置いた。同じように今度はあまり音を立てないように俺のベッドに夕食を置いた。
「いただきます」
玲衣は一人静かに夕食を口に頬張った。
それから約7時間後、23時頃に俺は目を覚ました。
「まだ11時か……ん?」
俺はベッドの机にあったラップがかけられた食事を見た。おそらく遼子が善意で置いてくれたのだろう。
お盆には二枚のメモが置かれていた。
『本日はお疲れ様でした。お腹が空いたら食べてください。明日の朝に取りにきます』
とだけ書かれていた。字から見て遼子だろう。そしてもう一枚のメモには
『今日はいろいろゴメンね』
玲衣が書いたのだろう。玲衣の悲しそうな表情が浮かび上がる。
『俺の方こそゴメン』
俺は玲衣が書いたメモの裏にそう書いて、物音を立てないように玲衣の棚にそのメモを置いた。
誰にだって言えないことはある。玲衣にも、そして俺にも。
だからこれからもこの病気に呑み込まれないようにこの時からその日にあったことを日記につけようと思い、一冊のノートに今日あったことを記していくことにした。
(これで少しでも忘れないようにしないと……)
ただただ必死に今日は友人、親しい関係の人物の名前を記していった。