9月編 第3話 夢の中で
2ヶ月ぶりにあの夢の中へ…
この世界って何のために存在しているのだろう…
夢の中、あの時と同じ学校。俺は約2ヶ月ぶりにこの世界に帰ってきた。
「久しぶりだね」
前とは違って黒髪の少女の顔には靄がかかっていない。
優しげな顔は、見ていて安心する。
謎の少女は無邪気に手を振っている。俺は手を振り返すと、ゆっくりとその少女の元へと歩み寄る。
「久しぶり。まさかまたこの空間にやって来てしまうとは思わなかったよ」
少女は無言で校舎の中へと入っていく。俺も慌てて後ろを歩く。
「この世界はね、洋一くんの深層心理から生み出されたものなの。だから洋一くんは自由に行動できる。でも、この世界は《夢であって夢ではない》ものなの」
「深層心理?なにを言ってるんだ、君は……」
少女は歩みを止めてクルッと回って俺の方を向く。
「洋一くんのここにある本当の世界なんだよ?」
少女は自身の頭を指差して言った。
「なあ、いくつか聞いていいか?」
「うん、いいよ」
少女はニコッと笑う。
「まず君の正体だ。君は一体何者なんだ?」
「うーん」
少女は腕を組んで考え込む。
「それについてはまだ答えられないかな……まだその時じゃない。でも私だけ洋一くんの名前を知ってるのはフェアじゃないよね。だから仮称だけど《葉月》と呼んでくれるかな?」
「わ、わかった。じゃあ葉月、次の質問だ。何で俺は学校を夢の中に作り出したんだ?」
「それはね、洋一くんが一番未練が残っている場所だからだよ。だから、学校で何か未練があるんじゃないんのかな?」
学校に未練があるのか。俺は過去を振り返ってみる。確かに急に倒れたのは学校だ。そして、仁太や潤也と共に学校を卒業できないのは俺の中では未練なのかもしれない。だが、それはもう仕方がないことなのだと俺はずっと言い聞かせてきた。しかし、俺の深層心理は嘘をつくことができなかったようだ。
「そうか……未練があったのか」
「そう、だから洋一くんの未練を晴らすためにこの世界は存在すると言っても過言ではない。だけど、それも今は実現ができないんだ。だからもう少しだけ待ってくれる?」
「ああ、いいだろう」
俺は頷いた。その瞬間に、葉月は嬉しそうに微笑んだ。
(やはり、あの子には会ったことがあるような気がする)
そう思って記憶を辿るがそんな記憶は存在していない。
「まだ記憶が戻っていないのね……」
葉月が不安そうにしている。
(そんな顔で見ないでくれ……俺だってこのうやむやはなくしたいんだ!)
「どうやら今日はここまでのようだね。前も言ったけど私はあなたのことを覚えてるから。この世界に呼ばれたときは何か現実で私に関する何かが動き出したのかもしれない。だから、このことだけは絶対に忘れないで!」
最後は叫び声のような気がした。またしばしの別れだ。
「葉月、君は強いよ。たとえ相手が覚えていなくても屈強な精神で俺に話しかけてくる。そんな人間に俺もなりたかったよ……」
『大丈夫だよ。洋一くんは今の生活でどんどん成長しているから!』
どこからか葉月の声が聞こえるが、葉月の姿はない。
「そうか……俺は知らぬ間に成長しているのか……」
今は実感がないが、いずれはそのことも自覚するのだろう。
やがて朝日が昇り、優しい風が吹き出した。
「またな……葉月」
静かに目を閉じる。
『うん、またね!』
またどこからか葉月の声が聞こえた。周りはもうすでに真っ白だ。
「不思議なやつだ」
だんだんと意識が薄れ、現実に戻される。
「うーん……」
小さな声と共にベッドから起き上がる。時間は午前11時。日はすでにほぼ真上に来ていた。
「お目覚めですか?」
ちょうど遼子が治療薬を持って来た。
「はい、おはようございます」
「まあ、今はもうこんにちはが正解ですね」
遼子は微笑んだ。
「確かにそうですね。遼子さん、こんにちは」
「はい、洋一さん、こんにちは。それじゃあ、今から治療を始めますね」
遼子は点滴の準備を始めた。
「はい、お願いします」
軽く一礼する。
「それじゃあ、腕を出してください」
俺は無言で腕を差し出す。
チクッという感覚と同時に、何かが流れてくる感覚がする。
いつも同じ治療をしているのに何故か特別に感じたのだ。
(あの夢を見たからなのかな……)
遼子が退室していくと、俺は密かに記入している紙の束を取り出す。
「今回の夢であったのは……」
俺は夢を思い返しながら紙に書いていく。
謎の少女の名前は葉月であること、この夢は俺の深層心理から作り出された《夢であって夢でないもの》であること、学校生活に未練が残っているということで、夢の舞台が学校あるということなど。
まだまだ謎は残っている。彼女の正体、俺の学校生活の未練などが挙げられるが、一つのうやむやだけは、初めて夢を見た時からなくなることがなかった。
俺はどこかで葉月に会ったことがあるということだ。しかし、過去の記憶を辿ってもその記憶は存在しない。だが、その記憶にも何か断片的に切り取られたような気がするのだ。
特にその記憶があるのはちょうど父が事故死をした10歳の時の記憶だったのだ。
「俺の父さんの事故死と何か関係があるのだろうか……」
考えれば考えるほど、頭が痛くなるくらいにその記憶は途切れていく。そして、忘れてはいけないはずの俺の父さんの記憶が少しずつ消えていく。
「だめだ……その記憶だけは……」
その記憶を少しでも記録しようと、紙に殴り書きをする。しかしながら少し書いたところだけで、そこだけぽっかり穴が開いてしまったかのように真っ黒になってしまった。
結局書き切れたのは、父の名前と母のあの言葉だけだった。
(悔しい……悔しすぎる)
俺は目を腕で覆って静かに嗚咽を漏らしていた。
もしかしたら、病気のせいなのかもしれない、そう思った途端に自分自身を恨んだ。薬の副作用なのか、それとも病気が進行してしまうとこうなってしまうのかは不明だが、ただ唯一言えることは一番残っている《記憶》が消えてしまうということだ。だから今回は父の事故の記憶が消えてしまったのだ。そう考えると、葉月のこともよくわかる。一番記憶に残っていた人物の記憶が一番最初に消えてしまったのだ。
「こんなの……もう何もかも消えてしまうしかないじゃないか」
俺はただただ悔しかった。今の自分の絶望的な状態が、感知不能の病気にかかってしまった惨めな自分が……