ここは私立探偵事務所[第一話]
お昼休みの教室。仲の良い友人と談笑しながら弁当を食べているクラスメイト達を横目に教室を出て職員室へ向かう。
少し歩いて職員室の前に着く。ドアをノックして開ける。
「失礼します」
職員室に入ると俺を呼び出した担任の望月と目が合う。
「おう、来たか。ちょっと待ってろ」
望月は自分のデスクからファイルを一取り出してこちらへ歩いてくる。
「隣の会議室で話そうか」
そう言って俺の横を通った望月の後ろに付いて歩く。
会議室には長方形のテーブルと、テーブルを挟む形で椅子が三台ずつ並んでいた。
「なんで呼び出されたかわかってるか」
椅子に座りながら望月が話す。
望月と向かい合う形で俺も椅子に座る。
「わかりません。わざわざお昼休みにするような話なんでしょうか」
皮肉たっぷりで返すと「俺だってしたくねぇよ」と小言で返された辺り、望月の本意では無いらしい。
「進路だよ進路。お前がこの前提出した進路希望書白紙だったから聞いて来いって進路指導の奴に言われたんだよ」
頭をぼりぼりと掻きながら続ける。
「で、お前は何がしたいんだ。」
"何がしたいのか"
この問いは今の俺には答えられない難題と言って良いだろう。俺自身何がしたいのか見当すら付かない。ただ毎日を何となく生きて来たのだ。無論これからもそのつもりだ。
「今まで通り生きていきたいと思っています。普通の職に就いて、普通の毎日を送り……」
そこまで言いかけると望月が大きなため息を吐き「もういい」と手を横に振る。
「まぁ、将来のことだ。お前の中で答えがまだ出ていないなら仕方ないだろう。ゆっくり考えろとは言えん。だがもう少し待ってやってくれと俺から言っといてやることはできる」
そう言って椅子から立ち上がり会議室から出ていこうとする望月に一言「ありがとうございます」と言うと望月が振り返りクシャっと笑った。
「身近に居る大人に相談してみるのも良いと思うぞ。俺達は所詮教師だ。それに、お前に教師は向いてない」
断言された。しかし、的は射ている。
「身近な大人……か」
思い当たる人物が居ない訳じゃない。恐らくソイツこの進路相談に関しては適任だろう。確かにこの先変わらない生活を送りたいならソイツから助言を頂くのも悪くない。俺は放課後、ソイツの元を訪ねることにした。
―――放課後
俺は古めかしい小さな私立探偵事務所の前に立っていた。ドアを叩くと中から「開いている」と声がした。中に入ると事務所には似つかわしくない座り心地の良いソファーが二つ机を挟み向かい合っている。
「来ていたのか山峰。久し振りだな。」
その声の主はこの探偵事務所を一人で営んでいる西影浩司だ。その風貌はお世辞にも探偵とは思えない。気だるげな表情と目のクマがそう思わせてしまっているのは明白だろう。本人もわかっているのだろうがどうこうする気は無いらしい。
「ここはお前のような餓鬼が憩いの場とするには些かみすぼらしいと思うのだがな」
そんな自虐を交えた小言を俺の座っている向かい側のソファーに座り、煙草に火を付けながら言ってくるのだ。
「餓鬼がフォローするには少し難しい話だな」
皮肉を交えて返す。
「……まぁ良い、それで今日は何しにここへ来たんだ。依頼なら歓迎してやろう」
少し声のトーンが高くなったのは依頼かもと言う期待からなのだろうか単に煽っているからなのかはわからない。
「そうだな、依頼の様なものだ。今の俺一人じゃ答えを探し出せないことが出来たから人生の先輩に助言を頂きに来ただけだよ」
煙草を灰皿に押し付け火を消しながら「続けろ」と目で言ってきた。
「将来、今まで通り生きて行くにはどうすれば良いのか、何をすれば良いのか、何から始めるべきなのかわからない。普通の職に就ければ良いと思ってたんだ。でも、いざ将来のビジョンを考えた時にそこにはなにも無いんだよ、何も見えないんだ」
話終えると既に二本目の煙草に火を付けていた。
「俺はカウンセラーの資格は持っていないのだがな」
少しの間、事務所は煙草の葉が燃える音が聞こえるのではないかと思う程の静寂に包まれる。
「まぁ、人生は長いんだ。今悩まずとも何れわかることだろうよ。」
吸った煙草の煙を吐き、続ける。
「そもそも何故今決めなければならないと焦る必要がある。お前はまだ酒も飲めない餓鬼だ。学内と言う狭い世界しかまだ知らないのに何を決められるんだ。人から聞いただけの知識で自分を見出そうなんて砂漠で落としたピアスを探して欲しいと言われてるのと同じだろうよ」
悔しいがこういう所はしっかりと人生の先輩をしてくる。
「じゃあ俺がそのピアスを探してくれと言ったらどうする?」
「それ相応の対価をお前が出せるなら喜んで引き受ける」
即答だった。それと同時に事務所のドアを叩く音がした。
「客か?珍しいな」
それをお前が言うのかと呆れながら、茶を入れる準備をするためにソファーから重い腰を上げ、流し台でポットに水を入れ、沸す。
「そちらのソファーにお掛けください」
西影の聞き慣れない話し方に少し肩を震わせながらコーヒーを三人分作り、二人の前に置いた。依頼者と西影が向かい合って座っているので仕方なくデスクチェアーに座る。
「で、本日はどの様な御用でしょう」
依頼者が制服姿で学生とわかり不愛想になった西影に少ししどろもどろしながら依頼者は話始めた。
依頼の内容はありふれたものだった。迷子犬の捜索依頼だ。どうやら昨日の昼頃から居なくなり、暫く探したが見つからなかったらしい。
「なるほど。内容は諸々把握致しました。何かわかりましたら此方からご連絡致します」
そう言って西影は立ち上がり、名刺を渡した。
依頼者はその名刺を受け取り、何度も頭を下げながら出て行った。
「つまらない依頼を受けてご機嫌斜めか?」
冗談交じりに突いてみた。
「俺からすれば確かに心底うんざりするような依頼だ。だがな、彼女からすればこれは由々しき事態なのかもしれないだろう。引き受けたからにはやり遂げる」
ソファーに座り、コーヒーを飲む。
「いい機会だ、お前も犬探しに付き合え」
依頼者から渡された資料に目を通しながら言う。
「言っただろう。狭い学内だけでなく色々なことを経験すべきだ。安心しろ、ちゃんと給料も出してやる」
本当にこう言う所はしっかり大人だ。だからこそ俺は西影の元を訪ねたのだが。
「そうだな。今回も頼らせて貰うよ」
空いているもう片方のソファーに腰を下ろし、コーヒーを飲む。
「なら、明日の昼頃にまたここに来い。俺は別件の用があるから今日はもう帰れ」
相変わらず資料に目を通しこちらには一切見向きもせずに話す。
「わかった。今日はありがとうな」
礼を言って事務所を後にした。