想像力の価値
花は人を喜ばせるために咲いているわけではない、って話を時々聞きます。まぁ、それはそうですよね。虫を呼んで受粉するためだったりするので、人間は関係ないと思います。
でも「私には関係ない」って考え方、ちょっぴり寂しくなりますね。
虫の合唱は、人間に聞かせるためのものではない。川や滝の音も、心地良い森の香りも、雲や雷も、私を癒そうとしているわけではない。星々の輝きも、人間のためのものではない。
そんな風に考えだすと、グッと世界が小さくなる気がします。
だから逆に、「これって私を楽しませようとしているのかも」と考えるようにしています。勝手に好意を寄せ、善意として受け取ってしまうわけです。
落ち込んだ時、空に虹が出たら「慰めてくれてありがとう」。
夕暮れ時の景色が綺麗だったら「素敵なアートをありがとう」。
星空にも、「今日も姿を見せてくれてありがとう」。
自意識過剰のようにも思いますが、おしゃべりしているような気持ちでいる方が楽しくなります。
そもそも、本当にまったく関係がないものだったら、私たちはそれを認識すらできない気がするのです。虫たちも私たちも動物です。入ってくるのは生きるために必要な情報であるはずです。
あと、想像力を勝手に広げて遊んでいます。時々電線に止まってじっとしているトンビやカラスがいますが、あの子たちは何を考えているんだろうとか想像すると楽しいです。
明日のスケジュールを考えているのかもしれないし、疲れて休んでいるのかもしれない。景色に見とれたり人間観察をしたりしているのかもしれない。哲学や考え事とかかも。
そして想像力は、人の意見にまで広げてしまいます。
芸術的なものを見て感動して、その後作り手さんの「こういうことを伝えたかった」という意図を聞いて、「でも自分は違うテーマを感じたなぁ」と思ったらその考えも大切にします。
私の作品も自分が「こういうことが言いたい」と意図しているのとは違う受け取り方をして、別の事を想像してくださる方がいるかもしれませんが、それも含め作品の可能性ということですね。
「可能性」って一つだけの意見で縛っちゃわない方が良いんですよね、結局。人の意見を聞いて「そんな言い方する?」「それはないんじゃない?」と気になってしまうことはあるのですが、全員が違う視点だからこそ、多様化していて面白いんです。
自分と似たような考えの人間ばかりだったら、斬新なものは生み出されない気がします。
見渡す限り既視感のあるものばかり。なんの刺激もない。それじゃつまらないですよね。
意見を認め合うところまではいけなくても、人の考えを聞いて怒るのではなく、冷静になれるようにしたいものです。「なるほど、多様な価値観があるから私も色々な雰囲気の人間や作品に出会えて、楽しめるんだな」と。
合わない方の意見を見るとしんどくなり、可能性と視野が狭くなったように感じます。文章であっても多少分かります。
そういう時は読まなくていいと思いますが、もしうっかり見てしまっても、モヤモヤすることなく前向きに考えられるようになりたいです。
結局すべては想像だと思います。「みんなこう考えている」という常識や暗黙の了解も、本当に一人一人の心の奥底まで覗けるわけではないのだから分かりません。全員微妙に認識が違うはずです。
団結力があるように見える組織であっても、それぞれ一人の人間です。人間には必ず、個性や性格があります。
だから私も、自分の考えや想像力の価値を認めると同時に、人の考え方を認められるよう視野を広げていきたいです。
ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。




