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夕日の音

作者: やき

 ある穏やかな秋の午後、窓からは柔らかい日の光が差し込んでいた。入院した響きを見舞いに来た美香が病室のドアを開けると、そこには1週間ぶりに見る友人の力ない笑顔があった。見舞いに来た美香を見て、いつものように明るく微笑んだその顔はそれでもどこか哀しく、さみしげだった。

「心配したよ!響!」

 いてもたってもいられず飛びついた美香を、響はやさしく両手で包んだ。

「だいぶ具合はよくなったよ。少しくらいならもう動いてもいいって。」

「とりあえず元気そうでよかった。事故にあったって聞いた時には死んじゃったかと思ったんだよ!」

「ははは、そんな簡単には死なないよ~。」

 響はそう笑った。

「いやでも。前の僕は死んでしまったかもしれないなあ。」

 目を落として包帯の巻かれた自分の手を眺める響は、静かな悲哀に満ちていて、美香はそんな響を見たことはなかった。夕日は沈みかけていて、病室に吹き込む風は少し強くなったような気がした。


 病院からの帰り道、歩きながら美香は響のことを考えていた。せっかくお見舞いに行ったのはいいものの、悲しげな響にかける言葉も見つけられず、ろくに話もしないままそそくさと出てきてしまった。

「あんなことになったなら、それも仕方ないよなあ。」

 溜息とともに美香はつぶやいた。


 事故にあった日、響は自転車に乗っていた。信号が青に変わり、渡ろうとしたところを信号無視したバイクと追突した。追突したバイクはすぐさま逃げたが、けがを負った響は動くことさえできなかった。その後、通行人によって発見され病院に搬送されたが、あと少し遅ければ出血多量で死んでいたかもしれないというほどだった。

 幸い一命はとりとめたものの、3週間ほどの入院と手に大きな後遺症を抱えてしまうことになった。彼の命であったその両手に。

 響はピアノが大好きだった。それはそれは死ぬほど好きだった。6歳のころから習いはじめ、9年間一度も弾かなかった日はないというくらいピアノが好きだった。全国大会でも何度か入賞したことがあるほどの腕前で、将来はプロのピアニストになるんだとって微笑む響のピアノを放課後の音楽室で聞くのが、美香にはとても幸せな時間だった。

 でも、もうその時間は2度と訪れない。重度の障害を手に負った響は、ピアノを弾くのはおろか、重いものをもつことさえ難しくなると診断された。響のピアニストになるという夢は、完全に断たれてしまった。


 こんなことになってしまった響の気持ちを考えて、美香はまた大きなため息をついた。美香は響のことが好きだ。美しい音色を奏でる響に、憧れとともに甘酸っぱい感情を抱いていた。そのことを伝えようと思いながらも、楽しい友人関係を壊したくなくて2年もその気持ちを胸の奥にしまっていた。

 そんな気持ちを抱いているからこそ、美香は響にあのままでいて欲しくないと思った。美香は笑顔の響が好きで、さみしそうな響は見ていられなかった。


 数週間がたち、美香は何度かお見舞いに行った。行くたびに体の状態は良くなっていっているらしいが、響きの表情が前にように明るくなることはなく、むしろどんどん暗くなっていった。そんな響をみていることに、美香は耐えられなくなっていった。このままでは響がだめになってしまうと思った。

(何とかして響を変えないと)

 そう思い響を励まそうと決心したのは、響の事故からちょうど1っか月が立った日だった。


 翌日、美香は響の病院に向かった。この日もまた夕日のきれいな午後だった。ドアを開けるとそこにはいつものように響がベッドに座っていた。

「またお見舞いにきたよ。」

「いつもありがとうね。何もお礼できなくて申し訳ないよ。」

「気にしないで。それより今日は話があるの。」

「どうしたの?」

「響どうして学校に来ないの?お母さんに学校に行っていいってお医者さんが言ってたって聞いたよ?響がいない学校は寂しいよ。」

「うん。そうだね。」

 響は眼をそれしてうつむいた。

「でも、学校に行きたくないんだ。」

「どうして?」

「学校だけじゃない。もう何もする気が起きないんだ。もう...ピアノは弾けないんだ...。」

「どうして。ここにいても毎日座って、陽が昇って沈むのをただ眺めているだけじゃない。」

「それでいいんだ。ピアノを弾けなくなった僕はもう...。」

「このままでは響がだめになっちゃうよ。たとえピアニストに慣れなくてもこれからの人生できっと楽しいことはあるよ。ピアノが弾けなくてもいいことが、」

「いやだめなんだ!ピアノが弾けない僕にはもう...価値はないんだ。」

 響の目から涙があふれた。

「そんなことないよ!」

「あるよ!」

「ないってば!...だって、だって私は響のことが...響のことが好きだから!...好きで好きでたまらないから!たとえピアノが弾けなくても、響に笑顔で隣にいてもらいたいから!」

涙とともに、胸の奥にしまっていた気持ちがあふれて止まらなくなった。

「美香...。」

響は少し驚いたような顔をした。でもすぐに目を伏せて窓の外を眺めながら響は言った。

「美香。好きっていってくれたその気持ちはとても嬉しいし、心配してくれていることもすごくありがたいと思う。」

響のその言葉に少し安堵しながらも、その先に緊張していた。少し間をおいて、響は

「でもね。...でもやっぱり僕はピアノがなければだめなんだよ。美香が僕に恋しているように、僕はピアノに恋をしていた。その気持ちは今でも薄れることはないんだよ。たとえ叶わない恋になってしまったとしてもね。だから...だから君の気持ちに応えることはできない。」

響の目からあふれた一筋の涙が頬を伝い、夕日の受けて悲しげな光をきらめかせた。

美香は何も言うことができず、足早に病室をでた。


 病室をでてトイレに入った途端、美香は泣き崩れた。振られたことよりも、響が変わってしまったことが悲しかった。前のような響は、もう2度と戻ってこない。そう考えると、涙があふれて止まらなかった。空いた窓から、バイクの音が聞こえてくる。その音がどうしようもなく恨めしくて、やり場のない怒りと悲しみに、ただただ泣くことしかできなかった。外では冷たい初雪が降りだしていた。


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