女王なつきとお城のタネ 4章
四
「あ」
なつきは目をしばたたきました。
そこは太陽の光がふりそそぐ、広い草原でした。風が吹くたびに、たけの短い草がやわらかく波うって、水面のようなきらきらした光をはなちます。
なつきは、そんな草原のどまんなかに、たった一人、ぽつんと立っていました。
おずおずと手を見ると、ひとつぶのタネがあります。
「夢じゃ……なかったの……?」
本物だとたしかめたくて、手をにぎりました。すると、かたいタネの感触が伝わってきました。
「夢じゃなかったー! やったぁー!」
なつきは青空をふりあおいで、大声でさけびました。
こんな、どこだかわからない場所に一人ぼっちでほうりだされたら、普通の女の子はこわくて、さびしくて、泣きだしてしまうかもしれません。
けれど、なつきの心は火のように燃えさかっていました。女王様になりたくてなりたくて、でもなりかたがわからなくて、つまならないなあと感じていた日々。けれど今、なつきは女王になる最初の一歩をふみだしたのです!
「よぉーし!」
さっそく、なつきはかがみこみました。この広い草原のまんなかにお城のタネを植えれば、まわりには邪魔になるものがありませんから、いくらでも好きなだけ、お城を大きく育てられることでしょう。
でも、タネを植えようとしかけたところで、なつきは手を止め、考えこみました。
女神エルメディアは、このタネを植えて生えてくるのは小さな小さなお城で、赤ちゃんがミルクしか飲めないように、砂と水をまぜた泥でないと食べられないといっていました。そうなると、砂と水が必要です。シャベルとかバケツとか、そういう道具もいります。
そこでなつきはタネを植えるのを中断して立ち上がり、まわりをきょろきょろと見回しました。
どこまでも続くと思えるほど広い草原で、地平線を眺めることができるほどです。でも、遠くにはかすかに森が見えます。そしてまた、森があるのとはぎゃくの方角に、家らしき建物が、かろうじて見えます。
「うーん……よし」
なつきはタネを服の胸ポケットにしまいこむと、家をめざして歩きはじめました。
草原はやわらかくて、ひと足ごとに、気もちよい感覚が足の裏から伝わってきます。なつきは足どりが軽くて、スキップしたいくらいでした。
けれど、目ざす家は、なつきが(このくらいかなあ)と思うよりずっと遠いようで、なかなかたどりつけません。
(それだけ、この草原が広いってことだよね)
なつきはとちゅうで一度、足を止めてふりかえり、草原を眺めました。
今は、だだっ広いだけの草原です。でもなつきはこの場所に、雲つくような大きなお城がそびえ建つ様を想像して、わくわくしました。その想像のお城には広いテラスがあって、女王であるなつきは、天気の良い日にはテラスで眺めを楽しむのです。まわりには大臣や騎士や道化師や侍従などがいっぱいいて、なつきが「まあ、いい天気ね!」といえば、たちまち「さようですね、女王陛下」とこたえるのです。また、テラスには大きなテーブルがあって、その上には新鮮な果物やおいしい料理が山ほどならんでいて、なつきは景色を楽しみながら、むっしゃむっしゃとおなかいっぱい食べるのです……!
「やるぞぉー!」
いよいよやる気が出てきて、なつきはさけびました。
と……家のそばでなにかが動くのが見えました。なつきの声がとどいて、家の人が気づいたのでしょうか?
近づいてゆくにつれ、家のそばに誰かが立っているのだとわかりました。どんどん近づいてくるなつきを、(いったい誰だろう?)と見つめているようです。さらに近づくと、家のそばに小さな畑があり、そこになつきとほぼ同じ年かっこうの男の子がいるのだとわかりました。
「こんにちはー!」
家につくと、なつきは大きな声で男の子にあいさつしました。
その男の子は、肌が白くて、きれいな薄緑色の髪をしていて、瞳は金色でした。つまりそう、女神エルメディアと同じ色です。
「……こんにちは……」
なつきは言葉が通じるかちょっと不安だったのですが、男の子はちゃんと返事をしました。
「あのう、誰ですか? 旅の人、ですか?」
男の子は気味悪いものを見るような目をなつきにむけながら、たずねてきました。
「あたし、なつき。渡邊夏姫。女神エルメディアから、女王となって緑の民をみちびくようにたのまれて、ぜんぜんちがう世界からやってきたの。あなたは誰? 緑の民?」
「はい。僕は緑の民の、ハーディンといいます。でも、あの、なつき……さん。いったいなんなんですか? 女神様? 女王?」
「いや、だから、あたしは女王なの。女神から、女王になって緑の民をみちびきなさいっていわれたの。だから女王なつき」
自分でいって、なつきは感激しました。女王なつき。いい響きです。
でも、男の子はきょとんとした様子で目をしばたたき、あいかわらず、気味悪いものを見るような目つきをやめません。
「それより、ハーディン。あなたは、ここでなにやってるの?」
「僕ですか? 僕はこの家で、おじいちゃん、おばあちゃんと暮らしています」
その時、家の裏手から、コケーッ! 鳴き声が聞こえてきました。ニワトリを飼っているのでしょう。
「そのおじいちゃんとおばあちゃんはどこ?」
「今は、村へ出かけています。大人たちが集まって、話しあいをするとかで」
「ふうん、近くに村があるんだ。村はどこ?」
「この先に雑木林があって、その林にあるふみわけ道をたどった先です」
「その村には、女神エルメディアをあがめる緑の民がいっぱい住んでいるの?」
「ええ、まあ。もっとも、そう大きな村ではありませんけど」
「ちなみに、ハーディン。おじいちゃん、おばあちゃんと住んでいるっていったけど、お父さんとお母さんは?」
「だいぶ前にはやり病で亡くなって……」
「……そう」
なつきはハーディンを観察しました。ちょっと気弱そうなふんいきですが、すっきりとした顔だちで、すらっとした身体つきの男の子です。土とほこりでよごれたつなぎの服を着ていますが、もっといい服を着たら、さぞやかっこいい見た目になることでしょう。
「ところで、あのう、なつきさん」
「『女王』ってつけて。『女王なつきさん』。あ、待った。『女王なつき陛下』のほうがいいかなあ。でも『女王なつき様』くらいのほうがしたしみやすいかなあ……。ううん、『女王様』、これがいい! そう呼んで」
「ええと、女王……様。さっきからいろいろととんでもないことをいっていますが、僕になにかご用でしょうか」
「うん、そうなの。ええとね、あたし、今からあの草原にお城をたてるのよ。とんでもなくでっかいお城。世界で一番大きなお城よ!」
「ええっ!」
「といっても、いきなり大きなお城をたてられるわけじゃないの。それで、ハーディン。ちょっと手伝って。あと、シャベルとかバケツとか、道具を貸して」
「でも僕、おじいちゃんとおばあちゃんが帰ってくるまで、畑をたがやしたり、ニワトリの世話をしたりしないといけないから……」
「いいから、いいから。おじいちゃんやおばあちゃんにしかられないように、あたしが後で説明してあげる」
「でも……」
「あたしは女王なの! とってもえらいの! 『でも』なんていわずに『はい』っていいなさい。あ、そーだ! いいこと考えた!」
なつきはにっこり笑いました。
「あたし、女王だけどまだ一人も家来がいないのよ。だから、ハーディンを最初の家来にしてあげる! そう――騎士! 騎士にしてあげる!」
「ええっ! 騎士? 騎士ってあの、剣をもって勇敢に戦う、あの騎士のことですか?」
「そう、その騎士! 女王なつきに仕える騎士ハーディン。うん、なかなかいいじゃない」
「でも僕、剣なんてにぎったことさえありませんよ」
「まあそれは、後でおぼえればいいんじゃないの。いっそ今日から剣のけいこを始めたら?」
「僕の家に剣なんて置いていませんよ。それより、騎士になるとなにかいいことあるんですか? まあ、騎士って貴族だから、領地をもって、だまっていてもお金が入ってきて、いい暮らしができるそうですけど……」
「領地? お金? うーん、今はむり。だけど、ゆくゆくはそういう暮らしができるようになると思う。なんたってあたしは、女王として、緑の民がよりよい暮らしができるようにみちびくんだから」
「ほんとうかなあ……」
「ちょっと、なんで疑うの? しつれいなこというと騎士にしてあげないわよ」
「ええと、じゃあ、とりあえず――騎士にしてください」
「なにその『とりあえず』って。まあでもいいわ。あたしの前で片膝をついて」
なつきは以前に劇で演じた、騎士を任命する女王を思いかえしながら、ハーディンに命じました。ハーディンはまよい顔になりましたが、ためらいがちに、なつきの前で片膝をつきました。
「ハーディン。女王なつきの名のもとに、あなたを騎士に任じます」
ほんとうは剣で相手の肩をそっとたたくのですが、持っていないので、かわりになつきは手でハーディンの肩をたたきました。
「…………」
「ハーディン。『つつしんで拝命いたします』っていうの」
「つつしんで拝命いたします」
「よぉーし! これでハーディンは女王なつきに仕える騎士よ。あ、もう立っていいわ。じゃ、さっそくだけど、あたしがお城をたてるの手伝って!」
「手伝うって、いったいなにをどうしろと?」
立ち上がったハーディンは、少し頬を上気させていました。なつきと話すうちに、だんだん楽しくなってきた様子です。
「水がいるのよ。井戸はある? もしくは、近くに川や池や泉はある?」
「家の裏手に井戸がありますよ」
「よーし。それじゃ、あたしがいうものを用意して」
なつきは、うんとこしょ、どっこいしょ、と大あせをかきながら荷車を引き、広い草原のどまんなかをめざしました。ハーディンはその荷車を後ろから、よっこらせ、やっこらせ、と押しています。
荷車にはシャベル、水をいっぱいに入れたバケツ、深皿やスプーンなど、さまざまなものをこれでもかとばかりに積んでいました。子どもがひっぱるのはたいへんな大荷物です。
けれどなつきは、このたいへんな仕事が楽しくてたまりませんでした。なにしろ荷車を一歩また一歩とひっぱるのは、女王になるなつきの夢へ一歩また一歩と近づいてゆくのとおなじことなのです。
「さあ、このへんでいいかな」
やがて、なつきは足をとめました。
草原をわたる風が、あせでぬれた顔を冷やしてくれます。なつきは空を見上げて深呼吸し、その時になって、太陽が空のてっぺんにあることに気づきました。ということは、今はちょうどお昼でしょうか。
「あのう、なつきさん」
「『女王様』、でしょ」
「じゃあ……女王様。もうお昼でおなかがへったんで、いったん家に引きかえしてなにか食べませんか?」
ハーディンが上目づかいにたずねてきましたが、なつきは首を横にふりました。
「なにいってんの、今、いちばんいいところじゃない。これから、お城のタネをここに植えるの。このタネを!」
なつきはお城のタネをポケットからとりだし、ハーディンに見せました。
「お城のタネ……。僕、そんなの見たことも聞いたこともありませんけど……」
「そりゃそうよ、こんなタネがそのへんのお店で売ってたら、みんながみんなお城をたてちゃうもの。これはね、女神エルメディアが、女王であるあたしにくれた魔法のタネなの。植えるとお城が生えてくるの」
「ほんとうかなあ……」
「しつこいなあ、ほんとうだってば。もしうそだったら、あたし、あの女神をゆるさないから。よくもだましたわねって、ぶっとばすから」
「あのう、本で女王様や騎士の物語を読んだことありますけど、女王様って、もっと、ていねいな言葉づかいをする人じゃないんですか? それに、女神様にむかってぶっとばすなんて、あまりにも失礼なんじゃ……」
「うーん……そう?」
「ええ」
なつきは少し考えをめぐらせました。たしかに、なつきときたら、らんぼうな男の子が相手でも一歩もひるまないくらい気が強いのです。怒ると言葉づかいもあらっぽくなるし、学校の先生が通信簿に『らんぼうなところをなおしましょう』ってかいちゃうくらいなのです。
「まあ……そうね、そうかも。今後は気をつけるわ。とにかく、今からこのタネをここに植えるから。するとお城が生えてくる! これが劇ならみんなが感動する場面なんだから、ハーディンもおなかがへったくらいのことはがまんして」
「はあ。だけど、僕、野菜を育てているからわかるんですけど、タネって、植えてもそんなにすぐ芽が出てくるものじゃありませんよ」
「野菜ならそうかもしれないけど、これは魔法のタネなの!」
なつきはかんしゃくをおこしかけたもの、(いけないいけない、もっと女王様らしくふるまわないと)と思って、深呼吸をひとつしました。
「とにかく植えないことには始まらないし……シャベルをとって」
「はい」
ハーディンからシャベルを受けとると、なつきは足もとをざくざく掘りました。
「こんなものかなあ」
とりあえず二十センチほどの深さの穴を掘ったのですが、ハーディンが「えっ。それじゃ深すぎませんか?」と口をはさみました。
「そう?」
「ええ。僕はふつうの野菜しか育てたことありませんけど、こんな深い穴にタネを植えることはありません。ちょっと、シャベルを貸してください」
ハーディンはシャベルの先でなつきが掘り返した土をほぐし、穴へもどしました。それから、シャベルではなく手を使って土をさらにていねいにほぐした上で、三センチほどの深さの小さな穴を作りました。
「これでいいと思います」
「じゃあ、植えるね」
なつきはそっとタネを穴に入れると、土を軽くかぶせました。
「で……水をかけて湿らせたほうがいい……よね?」
こういうことにかけてはハーディンのほうがずっとくわしそうなので、なつきは意見をもとめました。
「ええ。でも、かけすぎちゃだめです。ほんの少しでいいんです」
ハーディンは荷車からバケツを下ろすと、水をひしゃくで少しだけすくいとり、タネにかぶせた土にかけました。
「これでよし、と。でも女王様、ふつうは、タネって芽が出てくるのに、早くても二日や三日は――」
ハーディンがいいさした時、いきなり、土がもこもこと動きました。
「えっ!」
「あっ!」
なにごとかと二人して見守っていると、ぴょこん、となにかが土の中から飛び出しました。
「あああああああああああああああ! お城! やったあー! お城だー! ちゃんと、お城が生えてきたー!」
なつきはこうふんのあまり髪が逆立つような思いでした。
土から生えてきたそれは、たてよこ高さ十センチくらいの、でも、お城っぽい形をしたものでした。
「うわあ! ほんとうだ、これって、ほんとうに魔法のタネだったんだ!」
ハーディンも、かなりおどろいています。
「あたしのお城! この女王なつきのお城!」
なつきはしゃがみこんで、生えてきたばかりのお城を見つめました。
「かわいい……!」
かわいらしくて、いとおしくて、指でそっとさわると……お城なのに、まるでゼリーかこんにゃくみたいにぷにゃぷにゃです。
プフー。
小さな小さなお城は、人間の赤ちゃんのような声を出し、いやいやをするように身体をゆすりました。よくよく見ると、小さな穴、いいえ、口があります。
「あ、これ! この口にね、赤ちゃんにミルクをあげるみたいに、水で砂をといた泥を食べさせてあげるの。すると、どんどん大きくなるんだって! 女神がそういっていたの!」
「うわあ。野菜とはぜんぜんちがう……」
「よぉーし!」
なつきは荷車で運んできた砂――ハーディンの家の裏手にあるニワトリ小屋のそばでかきあつめた白い砂――を深皿ですくいとると、バケツの水をひしゃくでくんで入れ、手を使ってねりました。
「こんな感じかなあ」
小指の先につけた泥を、そっと口に入れてあげると、お城はちゅうちゅう音を立てて泥をしゃぶりました。
「わあ、くすぐったい……!」
「女王様、僕もやってみていいですか?」
「うん、いいよ」
ハーディンも同じように泥を指先につけて、お城に食べさせてあげます。お城はちゅうちゅう音を立てて泥をしゃぶりつくすと、プミィー、プミィー、とかわいらしい鳴き声をあげました。もっとほしがっているようです。
それを見ていたなつきのおなかが、くぅーと鳴りました。そういえば、なつきもおなかがへっています。
「ねえ、ハーディン。ひとまず家へ帰って、あたしとハーディンの食べものと飲みものをとってきてくれる? あたしはここにとどまって、このお城にどんどん食べさせて、どんどん大きくしているから!」
「わかりました! いってきます!」
ハーディンはいうなり、だっと走りだしました。
なつきは夢中になって、指先に泥をつけてはお城にしゃぶらせ、また泥をつけてはお城にしゃぶらせ、と飽きることなくくりかえしました。
「女王様、もどりました。……ああっ! 信じられない、もうこんなに大きくなってるなんて!」
やがてもどってきたハーディンは、お城を見て目を丸くしました。お城は、早くも、生まれた時の倍くらいの大きさになっています。
「ハーディン、ほら、さわってみて。最初はぷにゃぷにゃのやわらかいお城だったのに、今はもうそれほどでもないよ」
「どれどれ……。ほんとだ……」
「ハーディン、先にお昼をすませちゃって。食べおわったら、あたしと交替ね」
「はい」
ハーディンは家から持ってきたサンドイッチを食べながら、なつきのすることを見まもりました。
お城は、身体が大きくなったのにあわせて、口も大きくなっています。
「いたっ!」
人さし指でお城に泥をあたえていたなつきは、指先にいたみを感じてあわててひっこめました。
「どうしたんですか?」
「……かまれた。口に歯が生えてきているのかな……」
なつきは草むらに腹ばいになり、お城の口をのぞきこみました。すると、小さな、きらりと光るなにかが見えました。
「あ、やっぱり。まだ小さいけど、歯が生えてきてる」
「じゃあ、指で食べさせると危ないから、スプーンを使ったほうがよさそうですね」
「うん」
なつきはお城をそだてる作業をハーディンと交替すると、バケツの水で手をあらい、サンドイッチを食べはじめました。
「あ……。この卵と鶏肉のサンドイッチ、おいしい。おじいちゃんとおばあちゃんが村へ出かけているってことは、これ、ハーディンが作ったの?」
「ええ」
「へえー。料理、うまいんだ」
「料理なんて、そんなたいしたものじゃありませんよ。おばあちゃんが作るシチューのおいしさにくらべたら、このサンドイッチなんて、たいしたことありません」
「でもこれ、おいしい。うん、とってもおいしい」
なんてことをしゃべっているあいだも、お城はハーディンがスプーンですくっては運ぶ泥を食べつづけています。このお城は食べても食べても食欲がつきない食いしんぼうらしく、ハーディンが手をとめると、生えたての小さな歯をかちかち鳴らして(もっと!)とせがむのです。
いつしか、お城は一メートルくらいの大きさになっていました。口にあたる穴は、お城の裏手にあるのですが、その口の大きさもすでに十センチくらいになっています。
と、カキン! とするどい音がしました。
「あっ!」
ハーディンが声をあげ、「女王様、これ……」とスプーンを見せました。
「ええっ! スプーンのはしっこが欠けてる!」
「これって、もうスプーンをかみくだく力があるってことですよね?」
「うん! それだけじょうぶな歯とかむ力があるなら、もう泥じゃなくて、ふつうの土や石を食べられると思う!」
そこでハーディンがシャベルでそばの土を掘って山にし、それをなつきがスプーンですくっては、どんどん食べさせました。お城は、かりかりこりこり、音を立てて土と石をかみくだいて食べ、さらに大きくなってゆきます。
なつきとハーディンは時間がたつのをわすれて、お城をそだてました。日がかたむき始めたころには、お城はなつきやハーディンの背の高さをこえるほどの大きさ……二メートルくらいになっていて、そのころにはもう、二人はシャベルでざくざく土を掘ってはお城の口に放りこんでいました。
「うわあ……! かっこいいお城! いかめしい!」
なつきは大きくなったお城を眺めて、感激しました。以前、写真でドイツのノイシュバンシュタイン城――ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとなったお城です――を見たことがあるのですが、ああいうきれいで気どった形のお城ではありません。武骨で、角ばっていて、がんじょうそうで……つまりそう、『強そう』なお城なのです。
「でも、まだまだ人が住める大きさじゃありませんね。もっともっと大きくしないと!」
「うん! あ、そうそう、ハーディン」
「なんですか」
「ハーディンは女王なつきに仕える騎士だから。住めるくらい大きくなったら、このお城に住まわせてあげるから!」
「ほんとうですか? やったあ! よぉーし!」
二人して、ますますやる気になり、せっせとお城に土を食べさせ続けます。
と……。
「ハーディン……? いったい、なにをしているんだね? これはいったい、なんなのだね?」
声をかけられて、なつきとハーディンは顔をあげました。
髪がすっかり白くなったおじいさんとおばあさんが、おどろいた顔でお城をながめています。
「あ。おじいちゃん、おばあちゃん……。あれっ? もう夕方……?」
ハーディンは薄赤く染まった空を見上げてつぶやきました。
「ハーディンや、その女の子は、だれなの?」
おばあさんがたずねたので、なつきはハーディンがこたえるより先に、「あたしは渡邊夏姫。女神エルメディアにたのまれてやってきた、緑の民をみちびく女王です!」と元気よくこたえました。
「女王……? 女神様にたのまれたって、いったい……」
「これは、お城……に見えますが……」
うろたえるおじいさんとおばあさんに、ハーディンが「もうじき夜だし、家に帰ってゆっくり説明するよ」といいました。
「女王様。このお城、だいぶ大きくなったけれど、まだまだふつうの家より小さくて中に入れる大きさじゃありません。今夜は僕の家に泊まっていってください」
「ありがとう、そうさせてもらうわ。じゃあ……あたしのお城、またね。明日、またいっぱい食べさせてあげるから、ゆっくり眠るのよ」
なつきはお城にそうつげて、今日の作業をきりあげることにしました。
なつきはハーディンの家に入ったところで、おなかがぺこぺこだと気づきました。運動会やスポーツテストの時でさえこんなに運動はしないってくらい、今日は一日じゅう、身体を動かしっぱなしだったのです。
「ともかく、この家にお客さんが来るなんてめずらしいことだわ。たいしたものはないけれど、たくさん食べていってね」
ハーディンのおばあさんはそういって、ふかしたジャガイモと、具だくさんのシチューをテーブルに並べました。
「いただきまーす!」
なつきは日本人ですから、食べる前のあいさつはこれです。でもハーディンたちは「いただきます」ではなく、「草木と水の女神エルメディア様。たくさんの恵みをおあたえくださり、ありがとうございます」と、手を組み、目を閉じて、祈りの言葉をささげました。
「あ。香辛料がきいていて、すっごくおいしい!」
シチューをひと口食べるなり、なつきは目をかがやかせました。ハーディンが、おばあちゃんの作るシチューはとてもおいしいといっていましたが、まさしくその通り!
「まだまだたくさんありますから、たりなくなったら、えんりょなくいってね」
「はい!」
もとより、なつきはつまらないえんりょなどしない女の子なのです。むしゃむしゃがつがつ、まるで男の子のようにおなかいっぱい食べました。
さて……。
「女神エルメディア様が、あなたを女王にするとおっしゃった、ですって?」
なつきが事情をかいつまんで説明すると、おじいさんもおばあさんも口をあんぐり開けて(なにいってるんだろう、この子は)といいたげに顔を見あわせました。
「僕も、さいしょはうそじゃないのかなって思ったんだ。でも、きっとほんとうのことなんだと思う。おじいちゃんもおばあちゃんも、あのお城を見たでしょ? 魔法のタネから生えてきた、魔法のお城なんだよ!」
でも、ハーディンが大よろこびでそういうと、おじいさんは「ふうむ」とうなりました。
「女神様が、わしら緑の民をたすけるためにこのかたをつかわしめてくださった……? にわかに信じがたい話だが、しかし、たしかに大きなお城があればたすかる。巨人たちがきても、大きなお城に立てこもれば、あるいは……」
「巨人?」
なつきがおうむがえしにたずねると、おじいさんは心なし顔を青ざめさせてうなずきました。
「女王様。わしらは、もともとは――まだハーディンが生まれる前の話ですが――ここよりも東にある森に住んでいたのですよ。ところがその森に、どこからか、おそろしい巨人たちが移り住んできたのです。巨人たちは、わしらが育てた作物やニワトリやブタやウシをうばう、それはもうひどいやつらで……。といって、とてつもなく大きくて力のあるやつらなので、わしらが戦ったところで勝ちめはありません。それで、わしら緑の民はとうとうたえかねて森をはなれ、このあたりで暮らすようになったのです」
「ふうん。その東の森って、草原の遠くにかすかに見えていた、あの森のことですか」
「ええ、その森です。ところが、わしらが森をはなれてくらすようになってもなお、時たま、巨人たちが森を出て、悪さをしにやってくるのです。先日も、やつらが夜中に村へやってきて、みんなで育てていたブタを何頭も持っていってしまったのです……。わしらはほとほとこまっていて、今日も、村のみんなが集まって、なにかいい知恵はないものかと相談していたのですよ」
「それで、なにかいい知恵は出たんですか?」
なつきがたずねると、おじいさんはしらが頭を横にふりました。
「いいえ、なにも。昔そうしたように、この地をすててもっともっと遠くへ移り住んではどうかとの意見が出たのですが……しかし……。せっかくたてた家や、たがやした畑や、掘った井戸をほうりだしてまたべつの土地へ移るなんて、そうかんたんなことではないので……」
「でも、あなた。あのお城がもっともっと大きくなったら、みんなで住めるんじゃないかしら。がんじょうなお城で、巨人が来ても中へ入れないとなれば、野菜や穀物だってお城に入れておけば守れるわ」
おばあさんの言葉を聞いて、ハーディンも「そうだよ! きっとそうなるよ!」とこうふんぎみにいいました。
「その巨人って、この家をおそったこともあるんですか?」
なつきがたずねると、おじいさんが「いえ、この家は村から少しはなれてぽつんとたっているので」とこたえました。
「よーし。じゃあ、ハーディンのおじいちゃんとおばあちゃんは、明日の朝、村へ行って、みんなにお城のことを説明してください。そして、力仕事ができる人をいっぱい集めて、こっちへよこしてください。みんなの力をあわせて、魔法のお城に土や石をいっぱい食べさせて、もっともっと大きくするんです。それも、なるべく早く!」
「おお……! そうですな、では、そうしましょう。いやあ、女神様がつかわしめた女王様、ですか。ハーディンとそうたいしてちがわない年かっこうなのに、しっかりしていますなあ」
おじいさんはとても感心した様子でした。
「ううん、ハーディンだってしっかりしていますよ。あたしがお城のタネを植えて育てるのを、こころよく手伝ってくれたんですから。ねっ!」
なつきがほほえみかけると、ハーディンはしごくまじめな顔でうなずき、「おじいちゃん、おばあちゃん。僕、女王様につかえる騎士になったんだ」とつげました。
「なに、騎士とな!」
「まあ! でもハーディン、あなた剣の使いかたなんて知らないでしょう」
おじいさんもおばあさんも不安げな顔つきになりましたが、ハーディンは「そんなの、これからおぼえればいいことだよ」といいました。
「じゃあ、そういうことで。今日はつかれたし、あたし、もう寝ますね。そして明日は、朝起きたら、すぐにまたお城を育てる作業にとりかかります」
こうして夕食をおえたなつきは、ハーディンの部屋へ案内されました。
「女王様、ここで寝てください」
「あれ? でも、ベッドがひとつしかないけれど」
「僕は床に寝ますから、女王様がベッドを使ってください」
「いいの?」
「床に干し草をひきますし、毛布もありますから、だいじょうぶです」
「そう。じゃあ、お言葉にあまえて……。でもね、ハーディン」
「なんでしょう」
「あたしは、いい女王だから。受けた恩は倍にしてかえすし、嫌なことされたら百倍にしてたたきかえすの」
「うわあ……」
「だから、今日こうしてハーディンや、ハーディンのおじいちゃんやおばあちゃんによくしてもらったこと、わすれないよ。お城が大きくなったら、ハーディンたちのために、いい部屋をあてがってあげる!」
「やくそくですよ!」
「うん。じゃあ、えーと、指きりげんまんしとく?」
「なんですか、それ」
「小指をだして。こうやって、指をからめて……」
指きりげんまん、うそついたら針千本、のーます。
「さあ、これでちゃんとしたやくそくになったわ」
「じゃあ、女王様。ランプ、消しますね。おやすみなさい」
「うん、おやすみなさい」
なつきは毛布をひきあげて目を閉じました。
(それにしても、巨人かあ。あの女神様、そんなことひとこともいってなかったなあ。そういうのって、あらかじめ説明してくれなきゃだめじゃない。そういえばあたしにお城のタネを渡した時も、ベッドに横になったまんまだったし……。女神様といっても、けっこういいかげんな人なのかなあ)
そんな思いがよぎってちょっぴり不安になりましたが、すぐに眠気がやってきて、なつきは眠りの海へと落ちていったのです。