女王なつきとお城のタネ 2章
二
次の日――。
なつきはランドセルをしょって「いってきます」と家を出ると、一人で学校へむかいました。
これまでなつきはずっと、ゆきちゃんといっしょに登校していました。どちらかが風邪でもひかないかぎり、雨の日も風の日も雪の日も、いつもいっしょだったのです。
でも、今日からは……。
五月でした。なつきが通う桜ヶ(が)丘小学校へとむかう道には桜の木がたくさんはえていて、気もちのよい薄緑色の葉をつけていました。けれど、そんな春らしい風景も、なつきの心を明るくしてはくれませんでした。
その日、なつきはゆきちゃんがいなくなってしまった席を見つめながら、ぼんやりと授業を受けました。そうです、なつきとゆきちゃんはクラスも同じだったのです。
(授業って、つまんないな……)
なつきは心の中でため息をつきました。なつきはかなり勉強ができるほうで、算数でも理科でも、教科書を読めばほとんどわかってしまいます。テストだって、たいがいは百点です。
勉強ができない子たちは、そんななつきのことをうらやましく思っています。
けれど、そもそもなつきは算数や理科を学びたいとは思っていませんでした。
(どこかに、女王様になる方法を教えてくれる学校があったなら……。あたし、だれよりも熱心に授業をうけるのに。だれよりもいっしょうけんめい勉強して、女王様になってみせるのに!)
そうです。なつきには夢があります。だけど、なにをどうすればその夢をかなえられるのか、だれ一人として、教えてくれる人がいないのです。
さて。
なつきがゆきちゃんといっしょに入っていた演劇クラブは、月水金の放課後と決まっていました。この日は木曜日で、演劇クラブはありませんでした。
なつきは放課後になると、図書室へむかいました。
(親友のゆきちゃんがいなくなったんじゃ、楽しめない気がするし、もう演劇クラブはやめちゃおうかな……)
そんなことを思いながら、本棚の間を歩き回りました。
女王様になりたい! と願うなつきは、女王様や王女様の物語が大好きなのです。とくに、かしこくて勇気もある、よい女王が、みんなをみちびいてしあわせにする、そういうお話は大好物です。そういうお話を読むと、うきうきわくわくが止まらなくなります。
(ゆきちゃんがいなくなって、つらい……。この気もちをまぎらわせてくれる、そんなお話ないかな……)
といっても、この学校の図書室はそれほど大きくありませんから、本の数だってかぎられています。なつきは、この図書室にある、女王様や王女様の物語を、もうほとんど読みつくしています。
(ないかなあ。まだあたしが読んでいない、女王様や王女様の物語……。ううん、むしろ――そう! 『これを読めばだれでもなれる! 女王様になる方法』みたいな本ってないかなあ。そんな本があったら、あたし、なにもかも丸暗記しちゃうくらい熱心に読むんだけど)
そんな本あるわけない、と思いつつも、なつきは(そんな本があってほしい)と願い、本の背表紙を眺めながら歩きました。
と……。
百科事典や伝記をまとめて置いている本棚にさしかかった時のことでした。この本棚には、むかしほんとうにいた女王――エジプトのクレオパトラやイギリスのヴィクトリアなど――の伝記も置かれています。
「えっ?」
なつきは思わず声をあげて、一冊の本の背表紙を見つめました。
それは、百科事典と同じくらい大きくてぶあつい本でした。
背表紙にかかれているタイトルは、なんと、『女王様になれる本』!
(こんな本、あったっけ……?)
なつきは首をかしげながら本をみつめました。つやつやとした緑色の絹ばりで、背表紙の文字は金色。こんなに大きくて目立つ本、本棚を見れば誰だって気がつくはずです。なのに、なつきがこの本を目にしたのは、まちがいなく初めてのことでした。
(これ、誰かが長いこと借りたまま返さずにいた本なのかなあ。それとも、新しく入った本?)
ともあれ、なつきにとっては、とても興味をひくタイトルです。しかも、背表紙の金色の文字はきらきらと光って、まるでなつきにむかって「さあ、手にとって」と呼びかけているように思えます。
なつきは手をのばして、『女王様になれる本』を静かに、そっと、本棚からひきぬきました。
「あれ? 軽い……」
不思議なことに、ずっしりと重そうな見た目の本なのですが、手にとってみると、羽根のように軽くて、まるで重さがないみたいでした。それだもので、なつきはまたまた首をかしげてしまいました。
表紙には、『女王様になれる本』と、背表紙よりも大きくて太い金色の文字でかかれています。そっと表紙をなでると、絹ばりのつるつるした手ざわりが心地よくて、なつきは思わず顔をほころばせました。
(女王様になれる本。てことは、女王になるための知識がかかれているの?)
なつきはどきどきわくわくしてきました。これはぜひ借りて、家に持ち帰り、ゆっくりと読みたいものです。
でも、裏表紙をめくってみて、なつきはまたしても「あれ?」と首をかしげてしまいました。この図書室の本はすべて、裏表紙をめくると図書カードを入れるポケットがあり、誰がいつ借りたか記録される……はずなのですが……この本にはそれがありません。
「うーん……」
なつきはなんだか少し気味が悪くなってきました。でも、この本を借りたい! 読みたい! という気もちはどんどん高まってきて、おさまりません。
「よし」
なつきはひとりうなずくと、本をカウンターへ持っていって、図書室を管理している彦山先生に「この本、借ります」といいました。
「おや?」
彦山先生はもう髪がすっかり白くなってしまったおじいさん先生ですが、ものおぼえがとてもよくて、一度でも顔を見て名前を聞いた生徒のことはかならずおぼえています。
ところが、そんな彦山先生が首をかしげて「こんな本、図書室にはなかったはずだが……どこにあったのかな?」とたずねてきました。
「えっと、伝記とか百科事典とかが置いてある本棚です」
「あの本棚に? 保護者のかたが学校に寄付するつもりで置いていったのかな」
彦山先生はなつきがしたように裏表紙をめくって図書カードを入れるポケットがないと知ると、思案顔になりました。
「君はたしか、六年三組の渡邊夏姫ちゃんだね?」
「はい」
「『女王様になれる本』か……。まあ、君なら図書室をよく利用するし、まじめな子だから、だいじょうぶだろう。じゃあこの本、ほかの本と同じように二週間の期限で貸すとしよう」
彦山先生は記憶力がばつぐんなので、なつきがこれまでに借りた本から、女王様や王女様の物語が大好きな子だと知っているのです。なつきの顔にも(早く借りて、家に帰ってじっくり読みたい!)とかいてありましたし、さほどまようことなく貸し出してくれました。
「先生、ありがとう」
「なに、いいさ。君のように本をたくさん読む子が、もっと増えてくれるといいんだが」
そんなわけで、『女王様になれる本』を借りたなつきは、急いで下校しました。
ランドセルには入らないほど大きな本なので、両手で胸にしっかりとかかえて、さっさかさっさか、早足で歩きました。もういっそのこと、走りだしたいくらいの気分で……いつしかなつきはどんどん早足になり、家に着くころには走るのとかわらないくらいの足どりになっていました。
「ただいまー!」
「あら? お帰りなさい」
今朝家を出た時のなつきは、ゆきちゃんがいなくなったさびしさでしょんぼりと肩を落としていましたから、お母さんは帰宅したなつきが大きな声で「ただいま」をいったのが意外そうな顔つきでした。
なつきは、まずは自分の部屋へいってランドセルと『女王様になれる本』を机に置くと、キッチンへ行きました。
ヤカンに水を入れて、お湯をわかします。紅茶の缶を開けてティーポットに葉を入れます。ティーカップも用意し、お皿にクッキーを数枚のせ、部屋へ運ぶためのお盆も用意して――。
「学校で、なにかおもしろそうな本が見つかったの?」
お母さんは、なつきが本やマンガを読む時は、紅茶とクッキーの用意をしてからじっくり読むと知っているので、そうたずねました。
「うん、まあ」
お湯がわくまでの時間なんてたいしたことないのに、なつきはヤカンの口についた笛がピィーッと鳴るまでがまちどおしくてなりませんでした。
音が鳴ると、すぐにティーポットへお湯をそそぎ、お盆を持って部屋へ。
机にお盆をのせ、いすに腰をおろすと、(さあ、読むぞ!)となつきはどきどきしながら最初の一ページをめくりました。
女王様になりたい、あなたへ。
この本に、あなたの物語を記してください。
女王様の数だけ、女王様の物語があるのです。
最初のページには、そうかかれていました。しかも文字は金色! ずいぶんと手がこんでいる本です。
しかし……。
「えっ? あれっ?」
なつきはうろたえました。
次のページは白紙。
その次も。
その次も、その次も、その次も――。
「なにこれー!」
なつきは大声をあげました。まっしろ! 最初の一ページのほかは、メモ用紙みたいになにもかかれていません!
なつきはぼうぜんとしました。が、すぐに、むらむらと腹がたってきました。
『女王様になれる本』! そんな本があったらいいなとなつきがずっと願っていた本! すっごく期待して、わくわくどきどきしながら借りてきたのに、なにもかかれていないなんてあんまりです!
なつきは、親友のゆきちゃんにいじわるした子をぶっとばしちゃうくらい、ちょっと……いえ、かなり……らんぼうなところがある女の子です。それだもので、怒るとなるとすごいことになります。
なつきは怒りにまかせて、このふざけた本をひっつかむと、壁にむかってぶん投げようとしました。
…………。
……………………。
でも、かろうじて思いとどまり、本を机に下ろしました。
期待が大きすぎたせいか、今度は逆に、悲しくなってしまったのです。
「女王様になれる本なんて……。そんなつごうのいい本、あるわけないか……」
肩を落として、なつきはつぶやきました。
「それにしても、なんなんだろう、この本」
誰かのいたずらにしては、あまりにも手がこんでいます。
なつきは不思議に思って、(そうだ、どこかに作者の名前や、本の値段がかかれているはずだけど)と考え、本をぱらぱらめくり、あちこちを調べてみました。
ところが、どういうわけか、ふつうの本ならあるはずのものが、なにひとつかかれていません。
「うーん……。大きなメモ帳……なのかなあ……」
なつきは最初のページに記されていた言葉を、もう一度読みなおしました。これはひょっとして、女王様になりたい人が、(あたしはこんな女王様になりたいっ!)って思いを、自分でかき記すための本なのでしょうか? もっともそれなら、そのへんで売っているノートにかけばそれでことたります。
なつきは紅茶をひと口だけ飲み、クッキーを一枚だけ食べると、机を離れてベッドであおむけになり、天井を見上げました。
「あーあ……。ゆきちゃんはいなくなっちゃうし、へんな本にひっかかっちゃうし、なんなんだろう、もう……」
つぶやいて、目を閉じました。誰しも、嫌なことが続くと、心がつかれてしまうものです。
そのつかれのせいか、まだ夜でもないのに、なつきは眠ってしまいました。