閑話
王の目覚め。
独りぼっちの女王陛下。
ロディウスを逃がしてから、ロザリアの毎日は嵐のようだった。
性別を偽り、名を偽り、嘘にまみれた毎日。
味方など、一人もいはしない。ロザリアは、偽りの王だから。クレアも、元々はいわゆる護衛兼スパイだった。彼女の動向を探るため、余計な事をしたら、消すためだけに、王の叔父の命令で側にいた。
それでも、ロザリアは弟が無事でいてくれたら、それで良かった。
日々が過ぎていく。少しずつ、回りを見渡す余裕が出てきた頃、この国の状況に愕然とした。
ロザリアは、自分に力が足りないばかりに、重臣が税を着服し、政治が腐敗しきったことを嘆いた。
ロザリアは、先ずクレアを味方につけた。
「私は必ず叔父上よりも偉くなる。私の味方になってちょうだい。私が不利になったなら、自分で責任全てを持つわ。危うくなれば、見棄てて構わない」
クレアは、いつもの笑顔を消し、無表情でロザリアに話した。当時のロザリアは知るよしも無かったが、それこそが、クレアの素であり、彼女なりの信頼の証でもあった。ロザリアは、クレアの興味をひいた。
「…知っていたんですね。スパイと知って側に置くなんて、ローズ様はなんて面白い人なのかしら。いいでしょう。私が貴女に飽きるまで、という期限です。それで良ければ、協力しましょう」
「ありがとう」
クレアは予想以上に有能で、それから、更に多忙になった。叩けばいくらでも埃は出てくる。しかし小物を退治しても仕方ないのだ。叩くなら、大元を狙わねば。
策略、陰謀。相手を味方につけ、あるいは裏切り、ロザリアはついに本当の意味で王座に就いた。
実権を握り、少しでも民が楽に暮らせるようにと努力した。
自分が偽りの王であることへの罪悪感からか、必死に良き王であろうとした。
しかし、もちろん彼女を疎み、消そうとする者は少なからずいた。民を救おうとする政策は、今まで甘い汁を吸っていた重臣には不利益なもの。数えきれないぐらい暗殺されそうになった。
1つ、また1つ。傷痕は増えていく。傷つきながらも、ロザリアは王であり続けた。
無事か否かも解らない、大切な弟を思いながら。
本当の意味で信頼出来る者がいないまま、独りぼっちの女王陛下は戦い続けた。
全く終わりなど見えない日々の中、自分の理想を追い求めた。亡き父のような治世を成せるよう、努力を惜しまなかった。
クレアに休めと叱られるほど、働いて、働いて、働き続けた。
それから、更に彼女に試練が訪れる。
隣国・針との戦争である。
何が引き金になったかは、解らない。どちらから仕掛けたのかも、今となっては解らない。
しかし、戦争は始まってしまった。ロザリアは綱の王として、戦いに身を投じた。
それは、正に地獄だった。
片付ける間もなく積み重なった死体は腐臭を放ち、生きた者達が呻き声を上げているも、踏みにじり、傷つけ、殺す。
気が狂ってしまえたならと思うほどの、惨状。
「これが、戦争」
戦場に立ったロザリアは、呆然と呟いた。クレアが、ロザリアに告げる。
「ロディウス様、ここは危険です。どうかお戻りください」
「私だけ、安全な所に居ることは出来ないわ。そんな私だから、貴女は居てくれるのでしょう?」
少しだけ、悪戯っぽく言ってみせるロザリア。
「さすがは、我が君。でも本当に危険になったら、当て身をくらわせてでも連れ帰りますよ」
どこか冷たい微笑で、物騒な事をクレアは告げる。クレアはロザリアといる時は素で接することが多くなった。
ロザリア自身は、それをクレアなりの信頼なのだと思い、密かに喜んだ。
針は軍事兵器が多彩で、数で勝っているが綱は苦戦を強いられた。つけこむべきは、攻撃が単調であること。
針は奇襲に弱く、策を講じる事で、なんとか綱も渡り合っていた。
「敵襲!!」
…それは、油断したというより他、無かった。
針にも軍略を駆使出来る者がいたのだ。そして、その男は、無謀にも本陣に乗り込み…
ロザリアの右目を奪った。
右目の視力は戻らないと、医者に告げられた。
そんなことは、ロザリアはどうでもよかった。右目より、痛いのは心。
針の奇襲により、綱は壊滅的な被害を受けた。
昨日、笑いかけてくれた男は、動かない。
沢山食べろと山盛りスープを盛ってくれた兵士は、その両腕を失った。
ロザリアは、兵士達を必死に手当てし、看取った。体温が失われていくさまは、恐怖だった。涙を必死に堪えながら、倒れるまで働いた。
そうしなければ、泣き崩れ、2度と立ち上がれない気がしたから。
だから、クレアもけしてロザリアを止めなかった。下手な慰めをしない彼女の優しさが、身に染みた。
綱は針に敗けた。しかし、針は国境以上は進軍せず、警戒したが攻め込む様子は無かった。
ロザリアはボロボロになった軍隊を、民を救うことに全力を注いだ。そして、2度とこんな悲劇を起こさないと心に誓った。
敗戦の責任を問おうと、ネチネチ言ってくる重臣達を牽制しながらも、数年かけてロザリアはなんとか国を安定させた。
後は、綱となんとか停戦条約を結べたら…と思ったところで、情報が入ってきた。
『炎の魔女が、針に行った』
炎の魔女など、ただの伝承だとロザリアは気にしていなかったが、信心深い重臣は驚異であったらしい。
綱は騒然となった。
炎の魔女と針に怯えた挙句、どこかの馬鹿が手を出して、またあんな戦争を起こすわけにはいかないと、ロザリアが頭を悩ませた矢先、何故か炎の魔女は針の王と共に来た。
そして、針の王こそが、あの時奇襲をかけた男だった。
炎の魔女は、意外にも小さく、儚げな容姿の美少女だった。ロザリアを見て、魔女は青ざめ、言った。
「ロディリオス…」
それは、魔女に殺されたとされる、獅子王の名だった。そんなに似ているのだろうか。聞いてみようとした瞬間、気づいた。
ロディウス。
大事な弟が、そこにいた。本当はすぐにでも駆け寄り、抱きしめたかった。『会いたかった』と叫べたら、どんなに幸せだろうと、ロザリアは思った。
そんな思いとは裏腹に、必死で動揺を隠し、言葉を探した。当たり障りのない話題を選ぶ。
「残念だが、余の名前はロディウスだ。ふむ。そんなに余は獅子王に似ているかい?お前に骨抜きにされた王に」
悟られぬよう、尊大な『綱王ロディウス』を演じ続ける。
そして、更に予想外の事が起きた。
「そんな事より、俺に用事があったんだろう。コイツはただの…」
互いから目が離せない。戦場で殺しあった相手。
記憶が蘇る。無念のうちに失われていく命たち。
『死にたくない』
『帰りたい』
『母ちゃん』
『寒い』
『何も、見えない…』
『怖いよ…』
忘れようもない悪夢に、身体が震えそうになる。
それでも悪夢を振り払い、ロザリアは王でなくてはならない。手の震えは無視した。
「ふふっ、ハハハハ!傑作だ。まさか、お前が王だとは!殺し損ねて残念だった!」
笑ってみせる自分に、どうしようもなく自己嫌悪しながらも、ロザリアは必死で針の王と対峙した。
「あの時は王じゃねぇよ。皮肉なことに、あの時の成果が認められたから、俺は王になった。ここと違って針は世襲じゃねぇ」
針の王はあの時のように殺気を出したりはしなかった。
ただ、まっすぐにロザリアを見ている。その瞳は、悲しみに満ちているようで、少なからずロザリアの緊張を解いた。
「ふぅん、そうか。まぁいい。話をするとしようか…。炎の魔女、お前は自分の部屋に行け。他は客室を用意するからそちらに。邪魔だ」
本当は、ロディウスと少しでも話したかったが、王としては針の王との話が先。ロザリアは、使命を優先した。
針の王と、2人きりで取り残された。
針の王は、変わらず穏やかな空気を纏っていた。本当に、この男が自分の右目を奪い、綱を壊滅状態まで追い込んだ張本人か疑わしい程に。
当たり障り無い、無意味な会話を交わした。怨んでいるはず。憎んでいるはずなのに、針の王は1度もロザリアを責めなかった。
どうしても気になって、ロディウスの事を少し聞いたら、変な顔をされた。
最後、去り際に針の王は告げた。
「俺は、2度とあんな戦争を起こす気は無い」
ロザリアは思った。だから、我慢したのだろうか。憎くても、自分と同じで2度と悲劇を繰り返さないと決めたから。
あの日の、自分のように。
今の、自分のように。
結果として、あの奇襲により戦争は終結した。綱王としては、けして肯定出来ないけど。
「余も、そのつもりは無い。余の望みは、民の平穏だ」
「そうか」
正直なロザリアの言葉に、針の王は微笑んだ。何百人も殺した男とは思えない程に、その笑顔は優しかった。
人払いをして、ただ独りになった。クレアですら、下がらせた。
広い簡素な謁見室で、独りぼっちの女王陛下は呟く。
「戦争って、何なのかな…」
そこには、傷だらけの女の子が1人いた。
その呟きに答える者は、誰もいなかった。
夜になり、1日の仕事を終わらせると、ロザリアはクレアとピアノ室にいた。
ピアノに向かうのは久しぶり。いつも1人泣いていた弟に弾いていたピアノ。
ロザリアは不器用で、実の母親に傷つけられて泣きじゃくる異母弟を、上手に慰めることが出来なかった。ロザリアの母親は、体が弱く幼い頃に亡くなったが、彼女に惜しみなく愛情を注いだから、彼女はロディウスの気持ちが解らない。それゆえに、どんな慰めの言葉もうわべだけになるのではないかと思った。
また、ロディウスがロザリアと仲良くすることで、さらに弟が傷つけられるのを知っていたから、安易に近寄ることも出来なかった。
だから、いつもロディウスが泣くと言葉の代わりにピアノを弾いた。
ロディウスは、ロザリアのピアノが好きだと言ったから。ロディウスが1番好きな曲を弾いた。
それは、不器用な彼女の精一杯の優しさであり、愛情だった。
言葉を交わすことはできずとも、弟と再会出来たことを、ロザリアは幸せに思い、久しぶりだから少し指が動かないことに苦笑しながらも、穏やかな旋律を奏でた。
幼い頃のように、大切な弟を想いながら。弟の幸せを祈りながら。
何曲も、何曲も。繰り返しピアノは歌う。そして、不意にピアノ以外の物音がした。
クレアの緊張が伝わる。こんなに接近するまで気づかなかったのは、初めてだった。
刺客だとするならば、相当な手練れに違いない。咄嗟に、隠し持っていた短剣をいつでも使えるよう準備する。
そして、扉が開かれると、そこには…記憶よりずっと大きくなった弟がいた。
あの気持ちを、どう表現したらいいか解らない。
嬉しかった。嬉しいなんて何万回言っても足りないぐらい。
無事だった。
生きていて、くれた。
それだけでも、よかったのに。
今、目の前にいる。
この、腕の中に。
幸せだった。守りたくとも、離れることしかしてやれなかった、大切な、今となっては唯一の肉親。
弟から、話を聞いた。弟は、炎の魔女に拾われて育ったとのことだった。一緒にきた青年・朱里とは兄弟のように育ったと、昔よりずっと影の無い笑顔で話す。
炎の魔女を語る弟の表情から、魔女は弟を大切にしてくれていたのがよく解る。
ロザリアは、弟が幸せに暮らしていたことに安堵した。
それと同時に、少し複雑な気持ちになった。ロザリアが王になったのは、ロディウスを守るためという理由も、少なからずあったから。
本来ならロディウスに会うのはまずい。ロザリアの正体が明かされれば、死は免れない上に、せっかく立て直した国も、また動乱に陥るだろう。
そんなロザリアの考えを見透かしたのか、朱里は優しく言った。
「茶希のお姉さん、困らせたり、しない。ローズちゃん、頑張り屋。エライ」
それは、独りぼっちになってから、初めての優しい言葉。
頑張るのなんて、当たり前だった。ロザリアは天才でもなんでもなかったから、努力しなければ何も出来なかった。
全て自分で掴み取るしかなかった。
他者に欺かれていないか、常に注意せねばならず、裏をかんぐる自分に嫌悪を 抱いたこともある。
母が亡くなり、弟と離れてから初めての、裏表が無い優しい言葉に、ロザリアは真っ赤になって俯いた。
それから、さらに茶希は言った。
「僕は姉さんを守りたい」
離れてから、時が過ぎた。
もう、泣かされてばかりの弟はいないのだ。この子は、1人でだって生きていける。
もう、大丈夫なのだと安堵すると共に、ロザリアは寂しくなった。でも、クレアや茶希や朱里にぎゅうぎゅう抱き締められて、そんな気持ちはどこかにいってしまった。
気づいたら、皆で笑っていた。
弟達が部屋に戻り、ロザリアもクレアを下がらせ自室に戻ったが、どうしてもロザリアは炎の魔女にお礼が言いたかった。
ロザリアがあげたくてもあげられなかった言葉と心。
あの子を幸せにしてくれた。1人でも迷わず歩いて行けるよう、見守り、育ててくれたことは、どれほど感謝してもしたりない。
しかも、好都合なことに、魔女は魔女専用の部屋…後宮の最奥に1人でいる。
ロザリアは、兵士に気づかれぬよう、そっと自室を後にした。
しかし、部屋には先客がいた。盗み聞きは悪いと思ったが、丁度獅子王の話をしている。ロザリアも、自分の祖先に興味があった。
アッサリ見つかってしまったが、魔女は気にした様子もなく、獅子王と魔女の物語を語ってくれた。
魔女は嘘をついていないと思った。獅子王は、自分の祖先ながらしょうもない奴だと思った
金の髪と瞳を持つ者を後継者にするよう言ったのは、きっと魔女に忘れられない為だと思う。
獅子王は愚かだ…と思いながら、少しだけ、ロザリアは気持ちが解る気がした。
大切な者に、忘れられたくないという、悲しい願いだけは。
針王はまだ魔女に話があるようだったので、ロザリアは気をきかせて1人部屋を後にした。
魔女の為の箱庭は、相変わらず美しかった。維持費がバカにならないから迷惑だが、ロザリアもこの庭は嫌いではなかった。
ふと、ロザリアは1つ針王と話したかったことを思い出し、針王を待つことにした。
しばらくして、針王は魔女の部屋から出てきた。
話があると言うと、針王は素直についてきた。ロザリアの命令で常に兵士が寄りつかないピアノ室に移動した。
自分の片目が金ではなかったことはもちろん、戦争を本当にする気がないのかを、確かめておきたかった。
針王…シオンの話を聞くうちに、ロザリアはシオンがすごいと思った。
シオンの親友を殺したロザリアを『憎くない』と言えるだけでもすごい。ロザリアはシオンを目にしただけでも、未だに手が震えている。
あんなことが無ければ、きっと尊敬し、いい友人となれたかもしれないとさえ思った。
ロザリアは、この日初めて『王』というものについて真剣に考えた。
仕事が多忙すぎ、考える暇も無かったが、よく考えてみると『王』と言われ思い出す存在がいた。
今まで、ロザリアにとって『王』とは父のことだった。
尊大で、公平。威厳にみちた、尊敬すべき父。きっと、ロディウスを演じる時は無意識に父の姿を思い出していた。
シオンは父とは違うタイプだが、やはり尊敬すべき『王』だった。自分の力で国を変えようとする、尊敬すべき同志。
そして、ロザリアはシオンと別れ、1人考える。
本当の、自分の望みは何かを。
王としてではなく、ロザリア自身の心からの願い。
初めて、必死に考えた。
結局答えは出ないまま、翌日を迎えた。
シオンは『嵌められた』かもしれないと言っていた。ならば、とロザリアは状況を逆手に取ることにした。
重臣も集まる、この場で恐らく何かを仕掛けてくるだろう。それをぶち壊しにするために、偽りの王は高らかに宣言した。『針との和平』を。
ロザリアの目論見は半分成功し、半分失敗した。重臣達を混乱させたが、結局自分が女であり、王の資格を持たない事が露見した。
いつかこんな日が来ると、ロザリアは思っていた。
怯えたこともある。
何故、自分は男ではないのかと、この身を呪ったこともある。
偽りを続けることを嘆いたこともある。
それでも、けして後悔してはいない。自分で選び、望んで歩いた道だから。
そして、ロザリアはずっと、自分は報いを受けるべきだと思っていた。シオンの言葉は正しい。ロザリアは無意識に『罰せられる』のを待っていた
だけど。
「あなたこそ、何故、解らない?ローズちゃんは、いい子だよ」
ロザリアは、何故朱里達が自分を庇うのか解らない。
「私は、ロディウス様…いえ、ロザリア様に忠誠を誓いました。奴隷だった私達を取り立ててもらったご恩は忘れていません。貴女は、身分に囚われず、平等だった。私の主は、貴女だけ。貴女が誰でも、構わない」
「俺もだ。戦争の最中、アンタは…いや、陛下は後ろでふんぞり返っているだけでなく、俺らを助けようとした。命に上など無いと、必死に手当てしてくれた。俺の兄弟の為に、泣いてくれた。俺の主は、アンタだ。王とか名前なぞ、関係無い」
優しい言葉をくれる人たち。そんな資格、無いのにと思う。
「ロザリア様、私は、ずっとロザリア様の味方です。諦めないで」
立場が危うくなれば見捨てるようにと言ったのに、クレアもロザリアの側にいる。味方だと、言ってくれる。
「こんなに、慕ってくれる人達が居るようだけど、諦めたら、この人達に失礼なんじゃない?姉さま」
差し出された、手。
やっと、ロザリアは自分の本当の願いを見つけた。
『大切な人たちを守りたい』
もう、女王陛下は1人じゃない。
女王陛下は、迷わない。




