21話
Sideシオン
王様達の密談。
かりそめの王と偽りの王。
時間は少し巻き戻る。
俺は、紅の部屋から出た直後、義眼を赤外線の暗視モードに切り替えた。誰にも見とがめられないように、細心の注意を払い、ひたすら歩く。
やっと鳥かごのような庭園から抜け出した。誰にも見とがめられずに済み、ホッとしたのもつかの間。俺は、物陰に金色の髪を見つけた。気配を消して、待っていたらしい。
「何か用か」
「さすがに気づいたか。話がある。ついてこい」
普通なら、ついて行かない。だが、何故か俺は目の前の黙々と歩く奴に文句も言わずついていっている。
ほどなく、ピアノある部屋にたどり着いた。金の髪の持ち主、ロディウスは部屋の扉を閉めた。
「すまんな。この部屋は防音なんだ。少し狭いが、密談にはいい」
ロディウスはピアノの椅子に腰かけた。
「弾けるのか?」
ふと疑問に思い、聞いてみた。俺は初めて実際にピアノを見たので、かなり興味があった。
「まぁ、それなりだ。子供の頃から習っていた。嫌いではなかったしな」
ロディウスはどうでもよさそうに返事した。むしろピアノに興味を示す俺を不思議そうに見ている。
「…ピアノなんて珍しいか?」
「いや、針は基本的に娯楽の類いがほとんど無い。ピアノも知識はあるが、実際に見るのは初めてだ」
「…なら、仕方ない。一曲だけ弾いてやる」
言うが早いか、ロディウスの指が滑らかに鍵盤の上で踊る。
優しい、どこか悲しげな初めて聞くピアノの旋律は、どことなく紅を彷彿とさせた。
曲が終わって、俺は素直にロディウスを誉めた。
「スゴいな、お前」
「別に大した腕じゃない。初めてのピアノの感想は?」
「すごかったな。もっと針もこういうものを大事にするべきだな」
ふと、俺は笑った。自分がいつの間にか王様気取りでいたことがおかしかった。所詮俺は飾りの王。実際の権力や何に力を入れるかは『始まりの玉座』の連中が決めている。
俺は、かりそめの王だというのに。
俺は、感傷を振り払い、もう一度ロディウスに向き合った。今度は、針の道具としての顔で。
「で、アンタの用とやらは何なんだ。このかりそめの王に」
ロディウスは、先ほどまでの穏やかな表情を消し、俺に言った。
「何故、おかしいと言わなかった」
「何が」
「お前は私の右目を見ているだろう」
ロディウスの右目は、茶色だった。
あの日。俺の親友が死んだ日。 俺がレーザーナイフで切りつけた瞬間、長い髪に隠れて見えなかった右目を一瞬だけ見た。覚えている。
紅の話によれば、綱の王は金髪金瞳でなければならない。つまり、ロディウスは王の資格が無いことになる。だが、俺は知らないフリをした。
「まぁ、なんとなく」
「何故だ」
正直に答えたが、ロディウスは納得してくれそうになかった。理由なんて別に無い。あるとするなら、ひとつだけ。
「お前が、紅に似てるからかな」
「あの女に?どこがだ」
似ている。身に纏う空気が。まるで、罰を待つような雰囲気。
「責められたいと思っているところが、かな」
「な!?」
ロディウスは驚愕した。意外と表情がわかりやすい。
「俺は、お前が憎くない」
「だって、私は…」
確かに、ロディウスは俺のダチを殺した。今なら、俺はアイツを親友みたいに思っていたのが解る。あの時の俺は、アイツを変な奴と思っていた。
「そうだな。だが、アイツはもう戻らない。俺は、もう何も無くさないためにここにいる。それに、戦場に出たなら、死は覚悟している。殺さなきゃ、殺される」
「私は…」
「お前が悔いて、同じ思いをする奴を作らないでいてくれるなら、アイツも救われる。俺の願いは、アイツの願いでもあったんだ」
空っぽだった俺に、したいことをくれた。アイツだったら、もっと上手くロディウスに優しい言葉をやれたかもしれない。
今は亡き、親友だった男を思い出した。
「そうか」
その切なげな、傷ついても強いその表情は、やはり紅に似ていた。
そして、紅はとてもアイツに似ていた。どこか寂しそうに笑う、俺の親友だった男。戦争に身を投じながら戦争を嫌い、針に疑問を持っていた。
「どうして、争わなければならないんだろう。戦争なんて、破壊しか生まないのに」
針の民らしい、黒髪と黒い瞳を持ちながら、アイツは針の民らしくなかった。針の在り方に疑問を持ち、未来を憂いていた。
生きるべきは、アイツだった。でもあっけなく殺された。アイツが嫌った戦争で。
少しずつ、失われていく体温を感じながら、俺はアイツの最期の言葉を聞いた。
「ねぇ、シオン。人間てこんなあっけなく死ぬんだ。僕はもう死ぬ。だから、1つだけ、お願い。もう僕みたいな人を出さないで。戦争を、止めて」
「やってみる」
俺は、素直にそう答えた。出来るだけの事をするつもりだった。
「ありがとう」
アイツは嬉しそうに笑って、そのまま息をひきとった。俺は、アイツの遺体を隠して葬った。あの時、何故か他の奴らみたいにアイツをバラバラにされたくなかったから。
今なら解る。俺はアイツの死が悲しかった。アイツは俺にとって大切な相手だった。
アイツの願いはそのまま俺の願いになった。
願いを叶えるには、地位が必要だった。たまたまアイツを殺した相手が大物…どころか国王だったので、綱の軍隊もさすがに退いた。その功績を利用して、俺は王になった。
王といっても、かりそめの王だが、アイツの願いを叶えるには十分だった。針の上層部は、戦争なんかに興味がなかったから。
今、たまに思うことがある。もし、アイツが生きてたら、紅とも仲良くなって、もっと針は良い国になったんじゃないかって。
今となっては、どうしようもないけれど。思わずにはいられない。
「なぁ」
ついアイツの事を思い出し、ボーっとしていたので少しびっくりしたが、俺は極力平静を装った。
「なんだ」
「お前はなんで王になった?針は、実権は王に無い。かりそめの王と知りながら、何故王になった」
俺はさらに驚いた。質問の意図が解らなかった。だが、隠すような事でもないから正直に答えた。
「死んだ…友人だった奴の願いを叶える為だった。だが、今はソレが俺自身の願いでもある」
紅に出会ってから、更に沢山の悲劇を知った。紅だけでなく、雪白や、白亜。悲しみは、連鎖する。
今、この願いは俺自身の願い。
「その願いとは、なんだ?」
「戦争を止める。悲しい奴を、増やさない。俺は、その為に王になった」
絶対に、断ち切ってみせる。この悲しみの連鎖を。
ロディウスは、何故か眩しそうに俺を見つめた。
「どうした?」
不思議に思い、聞いてみた。
「ああ、ひとつだけ先ほどの言葉を撤回してもいいか?」
「おう」
「シオン、お前はかりそめの王なんかじゃない。私とは違う」
「どうかな」
「少なくとも、私はそう思うよ」
どこか晴れやかに言う、ロディウスの嘘の無い言葉が嬉しかった。
「ありがとう」
感謝の言葉が、するりと出てきた。
あの戦場でのことを思えば、このやりとりはあり得ない。俺はロディウスの片目を奪い、ロディウスは俺の親友を奪った。
「お前こそ、俺が憎くないのか」
今もくっきりと残る傷痕を見つめる。髪に隠されているが、その痕は生々しく残っている。
「ああ。私も戦場に立っていたから解っているさ。殺さなければ、殺される。あの場所に立ったなら、恨むのは間違いだ」
ロディウスは、そっと傷痕に触れた。
「それにおかげでバレにくくなった。私が偽りの王であることが」
ロディウスは、どこか悲しげな微笑みを見せた。
「偽りの王?」
それは、意外な言葉だった。そんなにも、この国の王は金髪金瞳でなくてはならないのか。
「獅子王、ロディリオスの遺言は、今日まで守られ続けているのさ。バレれば私は民を騙した罪で殺されるだろうな」
「馬鹿げた話だな」
苛ついた口調の俺に、なぜかロディウスは穏やかに笑ってみせた。
「ありがとう」
そして、なぜ礼を言われたのかもよく解らなかった。話題を変えようと、俺は気になっていたことを聞いてみた。
「アンタ、茶希とどういう関係だ?」
「な!?」
俺の問いかけに、ロディウスは明らかに動揺した。
「知り合いかなんかかと思ったが…違うのか?」
ロディウスは俺の問いにうつむき、なかなか答えようとはしなかった。しばらく沈黙が流れ、やがてロディウスは顔を上げ、まっすぐに俺を見据えた。
「あれは、私の弟。あれが、本当のロディウスだ」
にわかに信じられるような事ではない。だが、俺はそれが事実であると確信した。
最初、この国に初めて訪れ、俺とロディウスだけで話をしたとき。
「あの者は、なんと言う?」
「あの者?」
「茶色の髪と瞳の青年だ」
「ああ、茶希か」
「茶希?」
「あまり俺も詳しくは知らねぇが、炎の魔女に拾われた子供らしい」
「…そうか」
その時のロディウスの表情はどこか優しく、どこか悲しげで。
その後客室に通された時、茶希に聞きたかったが聞けなかった。聞いたところで、茶希は昔の記憶が無いから無駄だったろうが。
俺は、ロディウスに向き合い告げた。
「何故、俺にそんな話をする?」
こんな話は弱みでしかない。晒せば自分が明らかに不利になる。
「解らない。似て、いるからかもしれない」
「何が」
「私と、お前が。立場も、望みも」
「望み?」
「私は、私の望みは争いを起こさないこと。私に継承権が無いと知れればたちまちこの国は争い、自滅する」
「何故」
「居ないんだ。この国には、正統な継承者が。だから、私は偽りの王になった」
その静かな強い声は、凛と響いた。
「守りたい。父様が愛したこの国を。民が幸せに暮らせる国を造りたい。私は、どうなってもいいから」
ハッキリと響く強い言葉。ロディウスの強さが、そのまま言葉として現れているようだった。そして、同時に儚さ、脆さを感じた。
「お前も、偽りの王なんかじゃないんじゃないか?」
「え?」
ロディウスはきょとんとしている。小さな子供みたいなあどけない表情。
「国を守りたいと思える、民のために働いているやつこそ、本物なんじゃねーか?」
「…そう、なのか?」
「少なくとも、俺はそう思う。王なんて、変わり者しかやりたがらねーよ。面倒」
「ふふっ」
ロディウスが笑顔になる。
「だから、自分がどうなってもいいからなんて、もう言うな。お前に何かあったら悲しむ奴が絶対いる」
クシャッとロディウスのふわふわの金髪を撫でた。柔らかい髪。紅のサラサラの髪とは違う感触だった。
そして、ふと気づく。紅が…白亜が必死で俺に語っていたのはこういう事だったのではないかと。きっと誰か、傷つけば傷つく人がいるから。傷つかないでくれと。
それは、理解してしまえばとても簡単な事だった。
「私に、そんな資格ないよ。民を騙し続けた、罪人に幸せなんか来ない」
寂しげな、何かを諦めた悲しい微笑みをロディウスは向けた。そしてその表情はハッキリ紅と重なって、俺は柄にもなく必死になった。
「そんなわけあるか」
「え?」
「幸せに、なれよ」
「おい」
「お前だけが悪いわけじゃない。お前は私利私欲のためにやったわけでもない」
「それは、そうだけど…」
「頼むよ、幸せになってくれ」
ロディウスの細い肩を掴んだまま、寄りかかった。微かに震える俺の手に、ロディウスは何も言わなかった。表情は見えなかったが、ロディウスが困惑しているのはハッキリ解った。
ただ、沈黙だけが流れた。
どれだけそうしていただろう。どちらともなく身体を離した。
「誰と、重ねていた?」
「は?」
「さっきの言葉だ。私だけに向けた言葉ではないだろう」
「…ああ。紅に、炎の魔女と重なるんだよ、お前は」
「そうか。似てると言ったのは、お前で2人目だ。どこか本当に似ているのかもしれんな」
まだ、沈黙が流れる。少し気まずい空気を打ち払うように、俺は本題を告げた。
「お前は、何故俺をここに呼んだ?」
ロディウスは目をぱちくりさせながら俺を見た。
「は?」
予想に反して間の抜けた返事が返ってきた。この反応を見る限り、ロディウスは知らなかったようだ。
「俺は、この国の王に強引に呼びつけられて来たんだがな」
ロディウスが青ざめる。ついで、力なく首をふった。
「…知らない。私は、呼んでない」
その意味を、考える。少なくとも、ロディウスは嘘をついていない。
「嵌められた、かな」
外に声が届かぬ部屋に、俺の呟きは静かに響いた。どうやら、ただでは済まないようだ。
到来するであろう嵐を思い、俺はため息をついた。




