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第20話

 Side紅。


 最後の昔話。


 炎の悪女の物語。


 私が語ろうとすると、シオンがいきなり私の口を塞いだ。


 シオンは部屋の入り口を睨んでいる。


「誰だ!」


 私も気配を探ってみた。確かに人の気配がした。


 部屋の扉が開き、金の髪と瞳を持つこの国の王・ロディウスが入ってきた。


「そこの女に用があって来たのだが、面白い話をしていたのでな。聞かせてもらった」


「盗み聞きとは趣味が悪ィな」


「ふん。すぐ気配に気がつかないとは平和ボケでもしたか」


「うるせー」


「しかし、残念だ。肝心な我が先祖の話を聞けなかった」


 私はロディウスを見た。


「貴方も聞いていく?私の目から見た話だから、伝承とかなり違うと思うけど」


「は?」


「え?」


 間の抜けた声を出す大国の王2人。


「貴方には、聞く権利があると思うの」


「聞こう」


 ロディウスはハッキリと返答した。


「他人にものを聞こうってのにその態度かよ」


「いいのよ。綱の民は炎の悪女を忌み嫌っているのだから」


 私はロディウスに絡むシオンをたしなめた。


 さあ、語りましょう。


 炎の悪女の物語を。





 まずはこの国に伝わる伝承を。



 あかく、おそろしく、うつくしいむすめは、こうのおうさまとけっこんした。


 しかし、むすめはまったくわらわない。


 おうさまは、むすめにたくさんおくりものをした。

 きれいなばしょにすませた。


 それでもむすめはわらわない。


 ゆいいつ、むすめがひょうじょうをかえるのは、しょけいにたちあったとき。

 おうはそのため、たくさんのひとをころした。ざいにんも、たみも、たくさんしんだ。


 しろのものはむすめを、おうをたぶらかすあくじょだとうわさした。

 むすめはせいかくもわるく、じぶんをかばったこころやさしいむすめもいじめてむりやりこきょうにかえらせた。


 むすめはとしをとらなかった。


 ひとびとは、ざいにんのいのちをすいとっているのだとか、いきちをすすっているとうわさした。

 こうのあくじょはばけもので、おうさまはとりつかれているとうわさした。


 おうさまがしにかけ、あくじょのなまえをよんだ。あいしていると、つぶやいた。でも、まじょはいった。


 わたしはあなたをあいしていないわ。

 ここまでつきあったのだから、やくそくはまもってちょうだい


 そして、しのふちのおうさまはあくじょにやくそくをさせられた。


 わかった。


 おうさまははっきりこたえ、つぎのおうさまになるむすこにゆいごんをのこした。


 そして、あくじょはようずみになったおうさまをやきつくし、すがたをけした。




「綱の伝承はこんなとこか」


「お前こんな話調べてどうするつもりだったのだ。無駄だろう」


 確かに炎の魔女の昔の伝承など『現在』しか見ない針では、特に無駄知識だろう。


「なんとなくだよ。俺にもわからん。初めて、自分で興味を持ったことだったからな。最初は、綱への牽制になると思った」


 ロディウスは驚いたようだ。意外に幼い表情を見せる。かなり若いのかもしれない。


「やけに正直だな。今は?」


 シオンは不敵に笑って見せた。


「こんなとこで言うべきことじゃねーし、お前はきっと信じねえ。それより紅。この伝承は真実か?」


 ロディウスは不満をもらそうとしたようだが、シオンの質問に興味があるのか黙って私を見た。


「まぁ、一部事実を含んではいるわ。処刑によくついて行かされたこととか、侍女やめさせたりとか、王を焼いたりとか」


「な!?」

「!?」


 私はゆっくり語り出す。


 綱で過ごした、愚かな日々を。



 私は、たった1人で綱に来た。まっすぐに城に入り、邪魔する兵士は焼き払った。逃げ惑うものは、放っておいた。


 私は、謁見室に辿りつき、綱王・ロディリオスと対面した。

 やっと見つけた、紫苑の仇。

 この人を殺せば、この復讐の旅は終わる。


 終わる、はずだった。


 あの、私に父親を殺された少年の声が蘇る。


 私は、もう誰も殺したく無かった。本当は、理解していた。復讐は、悲しみを拡大させていくだけの、無意味なもの。


 私は、間違っていた。


 私の心をどうしようもない悲しみが支配する。


 私を、金の瞳が見つめる。ロディリオスは言った。


「余が憎いのだろう。殺さぬのか?」


 私が炎を使えば、一瞬で殺せる距離。


 憎かった。でも、もうあんなに激しい怒りの炎は心に無い。だから、冷静に目の前の男を見ることが出来た。


「死にたいの?」


 周囲がざわめく。私は、ロディリオスが死にたがっているように見えた。


「さてな。では、こういうのはどうだ?そなたは余の妃になる。ならば、余は、いや綱は永劫に彩に手出しせぬ」


「…証拠は」


「約束を違えたなら、余の命をくれてやる」


「何故、私を?」


「面白そうだからだよ」


「…いいわ。ただし、条件がある」


「言うてみよ」


「私は形だけの妃であり、貴方は触れてはいけない」


「よかろう」


 目の前の男は何を考えているのか、さっぱりわからなかった。ただ、わかったのは1つだけ。


 少なくとも、この男は嘘をついていない。


 そして、罪を重ね続けた私が少しでも紫苑が愛した彩を守る助けになるのなら、そう思った時、私は迷わなかった。


「いいわ、貴方の妃になる」


 こうして、私はロディリオスの形だけの妃となった。



 あの時、私は見てみぬフリをしていた。きっと、今の私だったら、手をさしのべた。


 だけど、あの頃の私には出来なかった。


 強すぎる悲しみと後悔で、自分を保つので精一杯だったから。


 私は綱王の妃として最初は後宮に入れられた。王は、毎日私に会いに来た。


「今日も変わらず仏頂面だな、我が妃よ」


「…………」


「そなただけだ。余の思い通りにならぬのは」


「…………」


「余が憎いか?」


「…憎いわ」


「そうか」


 こんな不毛なやりとりを、ロディリオスは喜んだ。薄々とは気づいていた。


 この男は、孤独なのだと。


 綱王・ロディリオスの周りには、常に人がいた。だが、周囲は全て彼の傀儡であり、命を賭して彼を諫める…所謂いい臣下はいなかった。彼が心許せる存在、彼を否定するものはあの時、国のどこにもいなかった。


「余は、間違っているのだろうか」


 彼は私の部屋に入り浸っては弱音をこぼすようになった。


「さあね。答えを既に持っているくせに、聞くのは止めて」


「厳しいな」


 ロディリオスは適当に返事をする私に何度も何度も話しかけた。どこか嬉しそうに、どこか悲しそうに。


 あまりにもロディリオスが私の部屋にばかり来るため、後宮で私は少しずつ嫌がらせをされるようになった。


 最初は、ロディリオスがプレゼントしたドレスが引き裂かれていた。

 次は、靴や物がよく無くなった。

 私は、いつ王を殺すかもしれない魔女への警告かなと思っていた。むしろ、悪意が心地よかった。


 人殺しの魔女にふさわしい扱い。ドレスは勿体無いと思ったけれど、私を憎悪する存在に、心が軽くなった。


 私を憎んで

 私を許さないで


 今思えば、ロディリオスとあの頃の私は、よく似ていた。





 まるで、鏡のように。




 私は嫌がらせを放置した。次第に嫌がらせはエスカレートし、ついにロディリオスの知るところとなった。ロディリオスは、嫌がらせをしていた側室の1人をあっさり処刑した。

 私は、ロディリオスに抗議したが聞き入れられず、さらにあの後宮の真ん中にある鳥籠のような部屋に移された。常に兵士が見張り、世話役のメイドかロディリオスしか話相手がいなかった。


 私の最初の世話役は…どこか白亜に似ていた。容姿ではなく、性格が。ソバカスだらけの日焼けした肌、明るい茶色の髪。彼女は私の境遇に同情し、優しかった。明朗快活で、ハキハキとした少女。


 でも、何よりそれが辛かった。


 私はそんな価値のある人間じゃないから。でも、手放せなかった。お日様みたいな笑顔は、無くした過去みたいに綺麗で、辛くても見ていたかったから。



 でも、それも長くは続かなかった。



 私がたまたま鳥籠の外にこっそり散歩に出たとき、私の世話役と側室達がもめていた。話をまとめると、私の世話役に私を暗殺させようとしているのだと解った。しかし彼女は…


「お断りします」


 はっきりと断った。私は驚いた。


「私を口封じしたければ、するといい。私は紅様を裏切らない」


 聡い彼女は自分の立場を理解した上ではっきりと断った。凛と佇む彼女は、とても美しく、私は気がついたら彼女と側室の間に立っていた。


「去りなさい。今なら聞かなかったことにしてあげる。それとも私に、殺されたい?」


 出来る限り壊れた笑みを浮かべてみせた。側室達は一斉に逃げていった。


「あの…」


 私に触れようとした彼女を、私は拒絶した。


「貴方には失望したわ」


 それから、彼女を私の世話役から外させた。そして、無理矢理故郷に帰らせた。

 巻き込みたく、無かったから。彼女に危害を加える輩が無いよう、兵士に見張ってもらった。


 私の初めての願いを、ロディリオスは喜んだ。

 見返りに、私は彼が触れることを許した。


「そなたは変わっているな、妃よ」


「…何が」


 ロディリオスは私の髪をいじるのが気に入ったらしく、飽きずに結ったり櫛ですいたりしていた。


「気に入ったなら、手元に置けばよかろう」


「殺されるとしても?」


 私はこの時初めて、ロディリオスをまっすぐに見つめた。まるで最初に出会った時のように。

 ロディリオスは明らかにうろたえていた。


「どれだけ力があっても、死は一瞬よ。私は…守りきる自信がない」


 だから、誰も傍に寄せ付けない。大事だからこそ、遠ざける。もう、耐えられない。大事なものが消えるのは。


「…失言だった。そなたは、失ったのだったな」


 ロディリオスは馬鹿では無かったから、私の言葉の意味をくみ取り、謝罪した。


「そうよ。だから、私は貴方を許せない」


「そうだ。許さないでくれ…だが、余はそなたから奪った者が羨ましい。余には、余が死んだとて、嘆くものはおるまい」


「そうね。きっといないわ」


「酷い妃だ。否定してはくれぬのか」


「優しいのではない?貴方が求める言葉をさえずるからこそ、貴方は私の所に来るのでしょう」


「そうだな」


 ロディリオスは私を抱きしめる。私は抵抗しなかった。不快ではないけど、心地よくもない。ロディリオスは私にとって空気のようだった。


 本当は、側室の何人かは彼の死に涙を流すと思ったけど、ロディリオスはその言葉をきっと信じないと思い、言わなかった。


 私は…私達は閉じた時間の中にいた。何も信じられない、終わりの時の中に。

 無意味な時間。

 私は少しずつ感情を無くし、最後にはロディリオスに連れられ、処刑に立ち会う時だけ顔をしかめるのみとなった。その為か、よく立ち会わされた気がする。

 処刑を見るのは嫌いだった。あのあかを思い出すから。

 でも、目をそらせなかった。それは、今までの自分への、罰みたいな気がして。


 少しずつ、軋んで、歪んでいく、心。


 私は血の赤を見ても、僅かに顔を歪めるのみになった。うなされ続けた悪夢にも慣れ、心を無くした。


 それから数年が無駄に過ぎた。

 私は優しかった彼女以外の世話役に心開くことはなく、適度に嫌がらせして世話役を次々辞めさせた。


 そして、さらに数年が経ち、私はやっと異変に気付いた。

 周囲は年老いて行くのに、私の姿は子供のまま。髪すら少ししか伸びない。

 もう20を過ぎるのに、初潮すら来ない異常な身体。それでも、私はどうでも良かった。


 ただ、時折来る懐かしい手紙に、心が軋んだ。雪白と、朱蓮は幸せに暮らしている。そう思うと、ほんの少し、灯りが灯ったような気持ちになった。


 周囲は、私が王に処刑させて、命を吸いとっているのだと、まことしやかに噂した。


 私は、本当に全てどうでも良かったから、それも放っておいた。


 気づいていた。


 ロディリオスが、私の表情を変えるためだけに、無駄な処刑をしていたことを。


 いつの間にか、ロディリオスは暴君になっていた。諫める者がいないのだから、ある意味では当然かもしれない。


 私は、あの時ロディリオスを止めなかった。私なら、出来たはずなのに。


 ロディリオスは、私だけを見ていた。


 私は、無くした過去だけを見ていた。



 よく似た2人は、いくら言葉を交わしても、ついに解り合うことは無かった。





 そして、無意味な時間に終わりがきた。


 ロディリオスは、病気がちになり、徐々に弱っていった。痩せ細り、瞳だけがギラギラとしていた。少し力を入れれば折れそうな腕の老人は、それでも未だに王だった。


 彼がいよいよ死の縁に立たされた時、彼は言った。


「紅よ、余は、そなたを愛している」


 私は、ロディリオスがもう嫌いではなくなっていた。もう死のうという人間を突き落とすのは悪趣味だと思った。かといって、ロディリオスに嘘は通じないのもわかっていた。


 だから、正直に答えた。


「私は貴方を愛していない。友だちぐらいなら、なってあげてもいいけど。それより、約束は果たしてちょうだい」


「ほんに、そなたは手厳しい」


 私の言葉にロディリオスは苦笑し、息子達に遺言を遺した。


「決して我が国から彩を攻めてはならぬ。そして、我が後継は、必ず余と同じ髪と目を持つ者とする」


 そして、最後に私に語りかけた。


「余は十分に生きた。もう未練は無い。そなたにせめて、愛する者の仇をとらせてやろう。これは余の望みでもある。病魔に侵され弱り死ぬより、余はそなたに殺されたい」


「わかった」


 苦しまないよう、私は一瞬でロディリオスを焼き尽くした。


 死の間際、体が炎に包まれた瞬間に、彼は確かに笑っていた。


「ありがとう」


 私に殺されたのに、確かに彼はお礼を言った。


「馬鹿なひと」


 私は、誰にともなくポツリとこぼした。


 それから、当然私の立場は悪くなった。もはや綱に留まる理由は無い。代替わりした王にしてみれば、私は仇みたいなものだ。


 たとえ、その死が本人の望みだったとしても。


 そんな時に、雪白から手紙が来た。


『あいたい』


 初めての彼女からの願いに、私は何故かどうしても雪白に会わなければならない気がした。その直感は正しかったと後に知ることになるけど、それはまた別の話。


 そして、炎の悪女は綱から突然姿を消した。





 私はため息をついた。


「これで、私のこの国でのお話はおしまい。大体は伝承と同じでしょう?」


「違う!」

「違うだろ」


 2人の王は同時に否定した。ロディウスが否定したことにシオンはびっくりしたらしく、ロディウスを見て黙った。


「伝承は悪意に充ちている!お前が悪いわけではないじゃないか」


「…何故、貴方が泣くの」


 ロディウスは泣いていた。何が辛いのか、私にはわからない。私が悪者になるのは無理からぬこと。


「私がロディリオスを殺したのは事実よ。それから、私がロディリオスを望んでいなくとも独り占めしたのも」


 おそらく、綱の悪女の物語を伝えたのは、ロディリオスの側室や子供たち。

 きっと、彼らはロディリオスから愛されたかった。


「お前が語ったことが、嘘でないのは私にもわかる」


 ふらり、と立ち上がるロディウス。まだその瞳は揺れていた。出会った時の憎悪の炎は無く、戸惑いがはっきりと写っていた。


「ロディウス?」


 私は戸惑いながら、そっと頬に触れた。


「泣かないで」


 昔よく茶希をあやした時のように、優しく抱きしめ、背中を撫でた。

 ロディウスは私を振り払わず、じっとしていた。


「そうか、お前はあの子の『母親』でもあったな」


 ロディウスが微笑む。その笑顔は慈愛に満ちていた。


「礼をいう。あの子は、とても幸せだと言っていた」


「あの子?」


「いずれ、語る時も来よう。私は忙しい。そろそろ戻らねばならん」


「あ、うん。お疲れ様」


「お前は変な女だな。それから、針の王よ」


「なんだよ」


「このように馴れ合うのは今夜だけだ」


 ロディウスは身を翻し、夜の闇に溶けるように消えた。


「わかってるよ」


 その背中に向けた、シオンの言葉が届いたかは、わからない。


「でも、良かった」


 独り言のつもりが口に出ていた。シオンが不思議そうな顔をする。


「何が」


「わりと、話せばわかりそうだから。あの子」


 私の言葉に、子供扱いかよ、とシオンはしばらく笑い転げた。私は、そんなシオンを見つめていた。



 笑い続けていたシオンの声が、止まり、静寂が広がる。

 ふいに、互いを見つめたまま、沈黙が過ぎていく。何か話そうと思うけど、何も出てこない。


 沈黙を破ったのは、シオンだった。


「紅」


 ドキリとした。動けない。ただ、シオンに見つめられているだけなのに。


「な、に?」


 ドキドキしすぎて声が震えた事に、気づかないフリをする。

 何故だろう。今までにも、2人だけで過ごした事はあった。

 あの冷たいぷらんとでの時。

 シオンが風邪をひいたとき。

 あの舞踏会の夜。

 紫苑の最期の場所で過ごした夜。


 なのに、熱い。


 私は、おかしい。

 いつから、だろう。


「オレの国に来ないか」


 ドクン。


 心臓が跳ね上がる。一度は断った申し出。冗談で嫁に来いと言われた。あの時は、断った。


「紅」


 真っ直ぐ私を見据える、優しい瞳。


「わ、私は…」


 ダメなのに。私は紫苑が好きなのに、否定の言葉が出てこない。立っているだけで精一杯で。


 そんな私を見かねてか、シオンは私を優しく撫でた。


「返事は、今すぐじゃなくていい。まぁ、オレが爺さんになる前に頼むわ」


 柔らかい笑顔につられて、私も自然に笑顔になった。


「そんなに待たせないわ」


 私が笑ったのを見て、シオンは私の頭をグシャグシャにしてから、シオンは部屋のドアに向かった。


「今日は遅いし、もう帰るわ」


 私に背中を向けたまま、ヒラヒラと手を降った。


「うん。また、明日」


 言葉に出して、自分で驚く。私がそんな事を言うなんて。

 見えない明日を約束するなんて。

 シオンは私の動揺に気づいた様子はなかった。私を見ないまま、告げた。


「ありがとな」


「え?」


「速攻でフラないでくれて」


「あ…」


 私は返事も出来ないまま、走り出すシオンの背中を見ていた。


「ダメよ…ダメなの」


 誰も居ない部屋で、私は繰り返す。


 まだ、私は手放せない。

 放してはいけない。


 この、終われなかった初恋を。


 それは、歪み、淀み、呪いのよう。傷つくだけと、解っていても、それでも、私は手放せない。


 今は、まだ。

 今も、まだ、私は紫苑を想っている。


 想い続けなければならない。

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