第14話
Sideシオン。
鋼への誘い。
それぞれの想い。
その時、俺は、彩の重職の文官と交易関連の話をしていた。友好条約を結ぶにあたり、お互い少しでも優位に立っておきたいのは当然だ。腹を探り合い、面白くない会話をしていた。
バタバタと走ってくる音がした。音は部屋の前で止まり、ノックされた。
「入れ」
文官が入室を許可した。入ってきたのは、まだ年若い文官だった。
「今、大事な話をしているところだ。重要な用事であろうな」
鋭い文官の視線に、年若い文官はすっかり萎縮してしまったらしく、なかなか話そうとしない。
「ま、いいじゃねーか。俺は辛気臭い話に飽きてきたとこだ。気分転換に聞かせてくれや」
ニッと笑ってみせると、いくらか年若い文官の緊張も解けたようだ。ビシッと姿勢を正し、大きな声ではっきり言った。
「恐れながら、申し上げます!ただいま、鋼から使者が参りまして、シオン様に面会を求めております!」
「マジでか」
俺は頭が痛かった。確実に鋼に情報が漏れているということだ。
「すまないな、話は後だ」
着ていたマントを翻し、俺は若い文官に案内を頼み、部屋を後にした。
案内された先は謁見室だった。不思議な海の中のように青い空間。雪白の記憶の中、500年前と変わらない風景の中に、彩国国王、白亜、紅までもがいる。
王の前にひざまずいている男がいた。男は赤いロングコートを着ていた。
確か、鋼の軍服。しかも、それなりに高位のものしか着れないものだ。
男はまっすぐに俺を見て、言った。
「針国国王・シオン=リドナー殿とお見受けします。不躾で申し訳ないが、我々の王に会っていただきたい」
「…嫌だと言ったら?」
「武力も辞さないでしょう」
殆ど脅しだが、軍事大国である鋼だ。相手が要求に応じなければ、それくらいはするだろう。降参のポーズを取りつつ、俺は言った。
「わかった。…が、まだこちらでしなきゃならん仕事がある。2~3日後に迎えをよこせ。あんたが今すぐ報告に戻れば、丁度いいだろう」
「理解いただき、感謝します」
赤いロングコートの男は、素早く立ち去った。俺はそれをのんびり見つめていたが、急に寒気がしてきた。
「シオン!」
「シオン様!」
紅と白亜がほぼ同時に駆けよってきた。
「どう考えても罠でしょう!どうするおつもりですか!」
「なんて無茶いうの!了解する必要なんて無かったでしょう!」
2人とも凄い剣幕で、次々に俺を責めた。暫くは大人しく聞いていたが、だんだんとイライラしてきた。
「仕方ねーだろ!俺1人で済むなら、安いもんじゃねーか!針は彩みたいに、人間を個として見ていない。俺はただの道具だ!死んだって、誰も困ら…」
パァン!!と小気味よい音がした。俺は白亜に頬を叩かれていた。
何故か、叩いた方が泣いていた。
「…叩いて、ごめんなさい。でも、私はシオン様をお兄様みたいに思っています。シオン様が死んだら、私は泣きますわ。嘘つき。誰にも、同じ思いさせないっていったくせに」
ぼす、と力なく白亜の拳が俺の胸に叩きつけられる。
「うそつき…」
ぼす、ぼす、と何度も何度も白亜は俺に拳をぶつけた。痛くないけど、痛かった。すごく痛かった。
白亜は、それから暫くして、
「シオン様なんか、大嫌いですわ!」
と叫んで出ていった。紅は白亜が出ていったのを見届けると、
「痛ぇ!」
俺の脛を思いきり蹴飛ばした。
「私の娘を泣かさないでもらえるかしら」
紅の笑顔は物凄く怖かった。一睨みでヒトが殺せるんじゃないかと思う程に。
「まぁ、済んだことは仕方ないですね」
ふぅ、と紅はため息をつくと、彩国国王にとんでもないことを言った。
「陛下。私も鋼に参ります」
周りにいた兵士、文官、王までもが、一斉にざわめいた。
「しかし…」
彩国国王は、納得してない様子だ。それより、何故紅までも鋼に行くのか。
「…白夜?」
にっこりと微笑う紅。その笑顔は、先ほどより恐ろしい。国王も思いきりびびっている。
「わ、わかった…」
国王はがっくりとうなだれた。なんか可哀想だと思った。どこも王様なんてものは、こんなもんなのかもしれない。
俺は、紅に聞いてみた
「紅、どういうつもりだ?なんでお前まで、鋼に行く必要がある…」
紅はいきなり俺に飛び蹴りをかました。
「痛っ!案外、足グセ悪りぃな、お前」
「手より足の方がダメージ大きいですから。なんでって、誰のせいだと思っているの!シオンが心配だからでしょう!白亜まで泣かせて!」
紅は、明らかにキレた。ギッと彩国国王を睨み付け、ドスの効いた声で言った。
「行くと言ったら、行きますから」
「わかった」
国王をはじめ、文官、兵士まで、なんか沈痛な面持ちだった。皆のオーラが言っていた。
『こうなると、誰にも止められない』
それには、俺も同意したい。何を言っても聞かないだろう。紅は案外頑固だ。紅は言いたいことを言うと、
「では、準備がありますので、皆様失礼します」
と、綺麗に礼をとり、さっさと出ていってしまった。
俺は、なんだか疲れた雰囲気の彩国国王を見て、言った。
「アンタも、大変だな」
「まぁ、慣れたよ」
国王の言葉には明らかに疲労が滲んでいた。でも、どこか優しく言った。
「あの人は、母のようなものだしね。筋違いとは思うが、あの人を、頼みます。紅は、貴方に心を許しているようだ」
国王は頭を下げる。重臣が困惑している。
止めて欲しい。
紅が心を許しているのは俺じゃない。
心を閉ざさせたのは、俺じゃない。
紅の特別は、俺じゃないのに。
「わかった。紅を守る。『約束』する。ただ、アンタは勘違いしているよ。紅が心を許しているのは、俺じゃない。今も昔も、1人だけだ」
そう告げると、俺は謁見室を出ていった。振り返らずとも、困惑した王の顔が見えた気がした。
謁見室を出たが、すぐに紅の家に行く気はしなかった。
さっきの貿易の話をまたする気にもならない。
長い、何処までも続くと錯覚してしまいそうな程に長い渡り廊下を、俺は歩いた。吹き抜けになっていて、海の匂いがする。強い風が、心地よい。
渡り廊下が終わり、別棟に入った所で、細い手に思いきり引っ張られた。
俺を引っ張った相手は、俺を客室らしき空き部屋に押し込むと、
「ごめんなさい!」
いきなり謝った。
「白亜?」
いきなり謝った相手は、白亜だった。先ほど怒って出ていったのにどうしたと言うのだろう。
「怒ってねーのか?」
「怒ってますわ。ええ、それはもう怒ってますとも!謝ったのは殴った事に関してのみですわ!でも、なんで怒ったのか、シオン様、わかってないでしょう」
「う」
確かに。なんで俺が危ない目にあって、例えば死んだりして、白亜が泣くのが理解出来なかった。
白亜は俺の目をまっすぐ見つめながら話した。
「シオン様は、私や紅様が困ってたらどうしますか?」
「そりゃ、助けるだろ」
当然だ。俺に出来る事ならば、するに決まっている。
「じゃあ、仮に私や紅様が、誰かに殺されたら?」
「そんな事はさせねーが、万が一あったならきっと、探しだして殺した奴を殺すな」
「私達が死んだら、悲しいですか?」
想像してみた。紅が、白亜が、死ぬ。
怖かった。
想像すらも脳が拒否する。常に自分は殺される視点だったが…きっと、紅はこんな気持ちだった。想像ではなく、そんな現実をつきつけられた。彼女の心は一度砕け、きっと、繋ぎ治したのだ。
「…すまん」
やっと解った。
白亜が怒った理由。
『大切』だから。
少なくとも、不幸になって欲しい相手では無いから。
傷つかないでほしい。
死なないでほしい。
幸せでいてほしい。
想像もしていなかった。自分にそんな想いを寄せてくれる相手なんて。
「貴方の国では、仕方ないことなのかもしれませんが…やっぱり心配だから、私も行きますわ」
「は!?」
白亜はにっこりと笑ってみせた。誰かに似ている…紅だ。先程の紅の笑顔にそっくりだと思った。
何を言おうと、聞く耳持たない決意がひしひしと伝わってくる。
俺は抵抗を諦め、白亜にズルズル引きずられて謁見室に戻る羽目になった。
白亜に引きずられ、再び謁見室に戻った。彩国国王が、驚いた表情で俺達を見ている。彩国国王が口を開く前に、白亜は告げた。
「私も、シオン様と共に鋼へ参ります」
彩国国王はもちろん、場にいた重臣達も驚いた。
「ならん!」
彩国国王はなかなか威厳ある態度で白亜に言ったが、白亜はにっこり笑ってみせた。
「あら、陛下はシオン様と私を結婚させたいのでしょう?私、シオン様と片時も離れたくありませんの」
絶対嘘だ。
なるほど。この為に俺を連れて来たのかと、納得する。だが、危険かもしれない所に白亜を連れて行きたくはない。本当は、紅だってきてほしくないのだ。
「駄目だ」
俺は、はっきり言った。
「どうしてですの?」
「お前の安全を保証してやれない。俺は、白亜が大事だ。…針にはない概念だが『妹』みたいに思っている。危険な目にあわせたくない」
「私、自分の身ぐらいは守れますわ。水都もいますし」
「…死ぬときは、一瞬だ。少なくとも、お前はそれを知っているだろう?」
たとえ、守護精霊がいたとしても、紫苑は死んだ。
「シオン様は、精霊すらいないでしょう!私は絶対行きますわ!シオン様が本気で私を妹と思うなら、私を守ってくださいませ!」
「…ぷっ」
面白い。
「ふっ、アハハ、アハハハハ。あー、なぁ、彩国国王さんよ。どうにもこの国の女は強ぇなぁ。勝てる気がしねぇ」
ゲラゲラ笑う俺を、皆不思議そうに見ていた。彩国国王だけは、がっくりした様子だ。
「私の身内の女性陣が強すぎるだけだ。この国の女性全てがこんなじゃない。…好きにしなさい。ただし、護衛はつけるよ」
「お父様!」
ぱぁっと嬉しそうな表情の白亜。
「じゃあ、準備してきますわ」
と言うが早いか、凄い速さで走り去ってしまった。
「ちなみに、護衛は…」
「朱里と朱花だよ。あの2人は、武力的に彩国1の契約者だからね…済まないな。うちの女性陣が…」
「ああ…本当に大変なんだな。アンタ」
疲れきっている様子の彩国国王に、同情した。
そして、どっと疲れたと思いながら紅の家に着いたら、こっちも修羅場だった。
「どうして母さんまで行かなきゃいけないんだ!」
「だからね、茶希…」
珍しく紅は押されている。茶希は本気で怒っているようだ。丁度いい。
「紅。鋼に行くのは止めたらどうだ?」
茶希を援護したつもりだったが、この一言が、紅に火をつけてしまった。
「誰の為だと思っているの!貴方が心配だからでしょう!もともと私が貴方を彩に招かなければ、こんなことにならずに済んだかもしれないのだから、私自身にも責任があります!絶対、行くから!!」
珍しく感情的な紅に、茶希は驚いていた。しかし、少し考えた素振りを見せるととんでもない発言をした。
「母さん、絶対に行く気なんだ。じゃ、僕も行くから」
「え?」
「は?」
茶希は息を吸い込むと、さっきより大きな声で言った。
「僕も行く!」
「「え――――!?」」
俺と紅は盛大にハモりながら絶叫した。その後、2人がかりで説得したが、茶希の意思は固く、成功しなかった。
俺は正直、親子だからといって、頑固まで似ないで欲しいと思った。




