第13話
Side紅。
母と息子。
罪人は幸せから目を逸らす。
シオンに泣きついて、目が覚めたら、見慣れた木の天井。
ぐるりと見渡すと、お気に入りの緑で統一されたカーテン、ベッド…自分の部屋であることを認識する。
ちょっと待て。
私は泣き疲れ、眠り、ここまで運んでもらったという事だろうか…がくりとうなだれる。一体いくつの子供だからそんなことになるのか。
きっと、シオンのあの雰囲気がいけないのだ。
許してくれる。
甘えていいのだと、言ってくれる。
それは、紫苑とは真逆の所だった。紫苑は、私に甘えていた。私にだけ、心を許していた。彼は賢く、寂しく、強い人だった。
鏡を覗き込む。よかった、目は腫れていない。確認するとお腹が空いているのに気が付いた。
控え目なノックの後、エプロン姿の茶希が入ってきた。
「母さん。…あ、起きたんだ」
手には美味しそうな料理。小さな鍋の中身は、ポトフだった。
ふと、思い出した。
小さな頃、茶希はやたらポトフを作っていた時期があった。
「そういえば、茶希昔やたらにポトフ作ってなかった?」
茶希は顔を赤くした。
「母さんが初めておいしいって喜んでくれたから、また作れば喜んでくれると思ったんだ。僕が料理を好きになったのは、母さんに喜んでもらうためだ」
「…茶希?」
正直、びっくりした。茶希は今までこんな風に自分の考えを話すことはなかった。
まっすぐに私を見つめる瞳に、強い意思の光を見た。
「母さん、僕は母さんに感謝してる。母さんの子供で、よかった。返せないぐらいに、たくさんもらったものがある」
「…茶希?」
家族なのだから気にしなくていいのと言いたいのに、茶希の瞳が、その言葉を飲み込ませた。
「母さん、幸せになって」
「私は…」
「その為なら、なんでもするから。母さん、僕は母さんが大切なんだ。だから、幸せでいてほしい」
茶希は、はい、と私にポトフを渡すと出ていった。
温かいはずのポトフは、何故か寂しい味がした。
心の中を見透かされたみたいで、ドキリとした。
私は、自分に幸せになる資格など無いと思っているから。
ポトフを食べ終わり、お皿を片付けようと台所に行くため階段を降りた。窓から外を眺めると、もうすっかり夜なのか、薄暗くなっている。
基本的に彩の森の住居は大木を利用しているため、縦長である。
ちなみに、3階に茶希・朱里の部屋があり、2階に私の部屋と客間(シオンは客間にいる)
1階が一番広く、共有スペースとなっている。台所、風呂、食堂がある。
台所には茶希がいた。明日の仕込みをしているらしい。茶希はすぐに私に気付いた。
「ああ、いいのに。僕が片付けるよ」
「いいの。たまには母さんらしいことしなきゃ」
服の袖をまくり一緒に皿を洗って、下ごしらえを手伝った。
昔は毎日のように、一緒に作っていた。
最初、茶希は誰とも口をきかない子供だった。警戒して、毛を逆立てた子猫みたいで。
いつからだろう。
こんなに心を許してくれるようになったのは。
いくあてがないから、引き取った。部屋も空いていたし、深い意味などなかった。
いつからだろう。
こんなにこの子の幸せを願うようになったのは。
紫苑が死んでから、取り返しがつかない罪を犯した。沢山の人を殺した。
紫苑が死んでから、世界は色を失った。世界は灰色で、雪白が死んだ時、涙も出なかった。まるで、他人事のようで。
紫苑が死んでから、彩に戻って、少しずつ世界は色を取り戻した。
でも、私の罪は消えないから、魔女として生きていくしかない。
忘れてはいけない。
私は、ひとごろしなのだから。幸せになど、なりようもない。そんな資格、ありはしない。
火葬をするのは、忘れないため。
私は、自分の罪を見続ける『私はこうやって、何人も何人も殺した』ということを。
それは、私の戒め。
「母さん?」
茶希に声をかけられて、はっとする。いつの間にか考え事に没頭していたようだ。
「なんでもないわ」
そう言って、茶希に笑顔を向ける。そう、なんでもないこと。当たり前のこと。
茶希は、泣きそうな、困ったような表情で言った。
「母さんてさ、笑ってもどこか悲しそうだよね」
「茶希?」
「僕は、ずっと見ていたはずなのに、それにすら、気付かなかった。自分しか見ていなかった」
茶希が私を抱きしめた。茶希は、泣き出す手前の表情だ。何が悲しいのか、私にはわからない。
「母さんは、僕に幸せになって欲しいと思う?」
「当たり前でしょう。茶希は血の繋がりが無くても、大切な私の子供だもの」
「うん。僕も母さんが大切だから、幸せになって欲しいと思うんだ。僕と同じかそれ以上に。僕はもう、守られるだけじゃなく、母さんを守りたい。お願いだ。自分自身を傷つけないで」
びっくりした。
小さな私の子供は、いつの間にかこんなにも成長していたのだ。
その優しさに応えられない、自分が悲しい。
「母さんはね、人を沢山殺したの。私に、そんな資格ないわ。貴方の母さんである資格すら、本当はないのよ」
「僕は、知らない何百、何千人より、母さん一人が大事だ。それとも、僕が誰かを殺したら、母さんは僕に不幸になれって言う?」
「…言わないわ。怖くないの?」
スッと茶希の頬に手を伸ばす。
私は、人殺しなのに。
「母さんは、僕を殺せない。怖くないよ。さっきも言ったけど、知らない誰かより、母さんが大事」
まっすぐ見つめる瞳はどこまでも優しく、優しい言葉に、泣きたくなる。
「なんで、そんなに優しいの」
「母さんが、くれたんだよ。教えてくれた。だから、少しでいいから、返したい。母さんほど、上手くできないかもしれないけど」
もう一度、茶希は私に願った。
「幸せに、なって」
その優しい言葉に、応える術を持たない私は、泣くしかなかった。
幸せになる資格など無いのに、私も願ってしまいそうで、ただただ泣き続けた。




