閑話
知らない表情。
『強い人』
紅の息子、茶希はイライラしていた。それというのも、シオンが来てから。あまりの殺気に研究所の職員もびびっていた。
「なぁ、大丈夫か?」
何故人は、大丈夫じゃないときにこう聞くのだろう。声をかけた比較的年若い職員はわりと茶希と仲がよく、世間話もする。
「大丈夫?誰が?僕か?」
オーラが黒い。身の危険を感じた年若い職員は追求を諦め、仕事に戻った。
茶希はイライラしていた。理由は簡単。嫉妬である。
大切な母。
大事に思うただ1人。
そのどちらも離れてしまったような気になった。仕事のために一時離れたが、紅を見つめていたシオンが気になった。母にまたちょっかいを出すかもしれない。そう考えたら、いてもたってもいられず、
「僕、気分悪いので早退します!」
茶希は研究所を飛び出した。葬儀の場にまだ居るかもしれない。必死に茶希は走り、見た。
そこに、まだ2人はいた。
紅が、泣いていた。
茶希は、紅が泣くところなど見たことが無かった。外見は小さくとも、紅は茶希の『母』だった。とても強い人だと思っていた。
「かあさん?」
目の前の光景が、信じられない。あれは本当に紅だろうか。茶希は初めて、紅がただの子供の様に見えた。
そして、恥ずかしくなった。
完全に強い人間なんて、居はしない。それを考えもしなかった自分が、茶希は恥ずかしかった。
母の気持ちを考えたことなんて無かった。
茶希は、走り出した。何も考えたく無かった。ただ、逃げ出したかった。頭が真っ白になるまで走って、何かに足を取られて転んだ。
「あ、痛…い。」
つまづいた何かが動いた…というか、茶希は昼寝していた朱里につまづいたらしい。
いつの間にか、葬儀の場から森を抜け、草原の広がる広場に出ていた。ここはたまに、兵士達の訓練の場になっている。
「…悪い」
最悪だ。今日は、最悪な日だ。茶希は泣きたくなった。
「あら?どうしましたの?」
さらに、朱花まで来た。この場にはいないが、兵士が訓練してたのかもしれない。丁度茶希は聞きたいことがあった。
「…朱花は、母さんが泣いたとこ、見たことあるか?」
「ありますわ」
「いつ!?」
茶希の様子に驚いた朱花。マイペースに、朱里が答えた。
「針で、おれと、大ばあちゃん…と、朱花と、シオン様…で」
「またアイツか…」
茶希はガリガリ頭を掻いた。
「また?」
「シオンだよ…なんなんだ!アイツは!」
怒りに任せ、木を殴り付けた。木の葉がいくつか舞い散る。
朱里が、茶希をぺしっとはたいた。
「八つ当たり…ダメ」
『ね、茶希。いつかはこの木も、精霊になるかも知れない。このこが、茶希のせいで人を恨んだら嫌でしょう。怒りをぶつけてはダメ。茶希は強い子だから、ちゃんと自分の怒りを飲み込んで、一番いい方法を探せるよね?』
いつか、余所者で、身寄りもないから苛められた時の言葉が蘇る。
茶希は今と同じように苛立ちを木にぶつけ、紅にいさめられた。
手を、さしのべてくれた。
家族という居場所をくれた。
寒い夜は、一緒に寝てくれた。
優しい言葉を数えきれないぐらいもらって、いつしか、寂しく思うことはなくなった。ここが茶希の居場所なのだと疑わなくなった。
ここに居ていいのだと、思えるようになった。
茶希は思う。
自分は貰うだけで、何か少しでも返せただろうか。
あの、優しいひとに。
気が付いたら、涙が溢れていた。
「!?」
朱里は驚いてた。強く叩いたつもりはないのに、茶希が泣き出したからだ。実際に本気で殴り付けたとしても茶希は泣かないだろうが、朱里は知るよしもない。
「なぁ、僕、母さんに貰うだけで、何か返せたかな」
「茶希?」
「悔しいんだ。ずっと、近くにいたのに、苦しんでいることすら気付かないで!もっと、沢山泣きたいことはあったはずなのに!!」
茶希は泣き叫んでいた。悔しい。今頃気付くなんて。
「…でも、大お祖母様は、茶希に気付いて欲しく無かったかもしれませんわ」
「え?」
「大お祖母様は、茶希を大事にしていました。私も、解る気がします。自分を必要としてくれる相手。大お祖母様にとっても、茶希は居場所だったのだと思いますわ。茶希を守ることで、自分の居場所を作ったのかも」
紅=ランフォードは、ここ、彩においてあらゆる意味で特別だ。
崇拝する者
化物扱いする者
憧れる者
邪魔だと思う者
純粋に母として慕ってくれる。人間として、紅をみる者は意外に少ない。
紅にとっても、茶希は特別なのだと、朱花は思った。
「それ…に、これから、支えたら…いい」
「私達もいますわよ」
2人は笑ってみせた。茶希の涙は止まっていた。遅いかもしれないけど、これから出来ることはあるはずだ。後悔するより、今出来ることを。すればいい。
支えられるだけの、自分になる。今度は絶対に、気付いてみせる。守られるだけでなく、守りたい。
どれだけ頑張っても、母さんがくれた物には適わないけど。そう、茶希は思った。
茶希はまっすぐに2人を見据え、笑った。
「ありがとう」
2人も初めて見るぐらい、晴れやかな笑みだった。




