くじびき
私が住んでいる街では毎年、夏が過ぎる頃に三日間のお祭りが催されます。
いつもは無人のシャッター通りのこの街の通りも今日ばかりは賑わいを感じます。
街の通りには様々な屋台が並び、子どもから大人まで買い物をしていました。
くじびきの屋台の前には小学生くらいの子どもが数人いました。
それを見た私は今年もお祭りの季節を感じました。
私が子どもの頃の話をしましょう。
お祭りの初日。
街に十数人の小学生の連中がいた。その中に小学生の僕もいた。
お祭りになると僕は母に、おこづかいとして2000円札のお金をもらい街へ繰り出す。
前日、学校で友人達とお祭りの日に遊ぶ約束をしていたのだ。
連中は獅子や山車を見ながら歩いていたが、その中の僕はそれに目もくれず延々と続く屋台ばかり見ながら歩く。
伝統行事には興味がなかったのである。
そんな中、連中はくじびきの屋台の前に来た。
ガキ大将格の少年が(ガキ大将といっても腕力はなかったが)くじびき屋台の景品を眺めていた。
周りの少年もそれに倣って景品を眺める。
僕も眺めて見て、まず、普通に買ったら数万円もするゲーム機が目に付いた。
隣にいる友人に聞けば、なんと当たりを引けばゲーム機が貰えるらしい。
そのゲーム機が欲しいなあ、と思った僕はくじびきをしようと、先にくじの紙をめくる友人を待ち、
店主に「一回いくらですか」と聞いた。
店主は「200円だよ」と答えると1000円札を出しお釣りを貰い、くじを一回引いた。
くじを引き紙をめくるとハズレと書いてあった。
「もう一回」と言うとまた財布から200円を出し払う。
僕はもう一回引きました、またハズレだった。
店主は「くじの紙の裏の模様が重なっていると当たりやすいよ」と言った。
他の友人は「ウソだよ」と言っていましたが、僕は店主の言葉を信じまた引く。
三度目の正直、しかし繰り返してもまた外れ、10回目に引いたころには財布にあったお金は、
屋台のお金を集める透明の箱に入っていた。
しかし親切な店主は努力賞と言ってエアガンのおもちゃをくれたのだ。
だがもうこの日はお金が無くなってくじを引けないので、僕はつまらないエアガンで遊びつつ日が暮れるのを待ち、連中は解散し家に帰った。
次の日。お祭り中日。
大切にしていたお年玉の残りの3000円を財布に入れ、今日も街へ繰り出す。
今度は連中たちと別のくじびき屋台に行ってみた。
この屋台にもお高い豪華賞品が並ぶ。
店主に「一回いくらですか」と聞く、店主は「300円だよ」と答える。
また10回引けるのだから当たるだろうと、当たる確率もしらない僕は10回くじを引いた。
全部ハズレだった。店主に絞り取られた気持ちであった。
店主からは努力賞のスリングショットのおもちゃを貰ったが嬉しくはなかった。
僕はつまらないスリングショットの遊び方もわからないまま日が暮れ、連中は解散した。
お祭り最終日。
前日からの悔しい気持ちでいっぱいであった僕は母に頼み込み1000円を貰う。
200円なら5回、300円なら3回くじが引ける。
また連中と3軒目のくじびき屋台にいったのだった。
一回いくらか聞くと、なんと店主は「400円だよ」と答える
これでは2回しか引けない、だが昨日までと違ってくじの枚数が少なかった。
「確率的にこれなら当たるか」と思い一回引いて外れたが、もう一回引ける。
しかしその時、店主はくじの入った入れ物に新しいくじをつぎ込み始めたのだ。
こうなるとくじの当たる確率が下がる。僕は店主をせこいと思ったが、
最後の「勝負」をした。結果ハズレであった。
隣にいた友人はくじびきを「詐欺だよ」と言い今日はくじびきをしていなかった。
僕は貰った努力賞のつまらないクルマのプラモデルを街のごみ箱に捨てた。
一方、友人達は屋台のからあげを食べ、屋台のかちわりを飲んでいた。
僕は残った200円でかちわりを飲み、感動するほどとても美味しいと感じた。
僕はもっと前から。からあげやかちわりを買えばよかったと思った。
その時、以前、父から「くじびきなんかやるなよ」と言う言葉を思い出した。
ごみが散乱する街の通り。お祭りが終わると多くの人で賑やかだった街の通りにごみが散乱する。
お祭りが終わり人が消えごみだらけの街の通りを歩き学校へ行く。
行く途中はごみだらけの街の通りだが、学校から帰る時には掃除されていて街の通りが元の無人のシャッター通りに戻る。
私はお祭りの季節になると毎年くじびき屋台でのことを思いだすのです。