それから……2(ティエリ視点)
翌日、僕はコデルロスを引き連れて、サーヤ殿のお見舞いに向かった。何でも、サーヤ殿は魔帝を浄化してから倒れてしまい、それほど重傷でもないのにずっと目を覚まさないのだという。
オーレリアン殿下はサーヤ殿を心配して、付きっきりで側から離れようとしないらしく、殿下への戦勝を寿ぐ挨拶も兼ねて、サーヤ殿にあてがわれている客室に足を運ぶ事にしたのだ。
サーヤ殿が眠っている部屋の前には、近衛騎士リュカとグレンが警備として立っていた。チラリと頭から足下まで確認しても、リュカには掠り傷程度で怪我らしい怪我が見当たらない。コデルロスとは別の意味で化け物か。
一晩寝たらグレンはあっさり回復したのだろう。「隊長、天官様、おはようございまッス」と、いつもよりも抑え目な声量で敬礼してきた。彼の独特の尊敬語は奥が深い。
「リュカ、天官のティエリ殿がサーヤ殿への見舞いを希望している」
「ティエリ殿、無事にお目覚めになられてようございました」
コデルロスが進み出て率直に申し立てると、近衛騎士リュカは目を細めて頷く。
「騒いでサーヤ殿の身に負担を掛けたくはないと、オーレリアン殿下は医師と女中頭以外の入室を謝絶されておいでです。
しかし天官のティエリ殿のお見舞いでしたら、ご一考されるでしょう。少々お待ち下さい」
こういう時、天官の身分は便利だと思う。
学問と医療を学び、かの方への信仰を布教する聖職者であり、瘴気を祓う技術を身に着けた最高位の特殊技能者。
王族と天姫が対等であるように、最高位の貴族家である公爵家の当主と天官は、ほぼ等しい権威を有する。貴族と異なり実権などはないけれども。
近衛騎士リュカが、客室の扉にノックをしようと振り向いた、その時だった。
室内から何か重たい物が倒れる音がして、微かにだがオーレリアン殿下の驚いた声が漏れ出て聞こえてきたのは。
「殿下!?」
近衛騎士リュカは即座に扉を開け放ち、コデルロスとグレンは一瞬にして戦闘体勢に入る。
そして、コデルロスの背中越しに僕の目に飛び込んできた光景は。
「ティエリちゃん、元気になったんだね、良かった!
見ての通り、私も元の身体に戻ったよ!」
天姫フリークで、まだ見ぬ天姫を裏切れぬと女性を遠ざけていたオーレリアン殿下が、僕よりも年若いいたいけな少女を、肌も露わな格好にさせて床に押し倒しているという、大変珍しい光景だった。
長い黒髪に同色の瞳をしたあどけない少女の傷跡一つない素肌に、直接絡み付いているのは……ええと、包帯、かな? 下半身には辛うじてブカブカなズボンが引っ掛かっているのが見えるけれど、胸は今にも包帯の隙間からポロリといきそう。
……オーレリアン殿下って、特殊な性癖持ちだったんだ。コデルロスは普通で良かった。ほんと知りたくなかったなあ、人様の、ましてや主君と仰ぐ王太子殿下の秘められた緊縛閨事情なんて。
僕が現実逃避をしている間に、パタムと閉じられる扉。
「積年の懸念や問題も一挙に解消されましたし、我々は清々しい気持ちで王都に帰還出来そうですね」
近衛騎士リュカは爽やかに言い放ち、再び直立不動の警護体勢に戻る。
「申し訳ございません、ティエリ殿。殿下はただ今、ご覧になられたように少々取り込み中でございますので、あいにくお取り次ぎが叶いません」
「……そのようですね」
僕としても、あんな場面に出くわせば頷いて引き下がるしかない。
天姫フリークである事は知っていたけれど、オーレリアン殿下があそこまで即物的だとは流石に予想していなかった。
……ええと、取り敢えずの着替えは多分、僕が準備した方が良いんだよね? 正確なサイズが分からないから、本当に当座のものになりそうだけれど。今から街に下りて、本人の好みに合致した服を探してきてあげた方が良いかな?
「……お、オーレリアン」
ひたすら口をぱっかりと開いて、身体が凍り付くように止まっていたコデルロスが、ようやく声を発した。本当に、コデルロスは近衛騎士のクセに突発的トラブルに弱いな。少しは同僚の柔軟な適応力というものを、見習ったらどうなんだろう。
「りゅ、リュカ! サーヤ殿の休んでいる部屋に、不審な娘が侵入していたぞ! 今すぐ捕らえねば!」
そして、我に返ったコデルロスはやっぱり石頭だった。この堅物っぷりが、可愛いと言えば可愛い。
人の出入りに細心の注意を払い、庭や扉に交代で警護の人間まで立てている三階の客室に、よく晴れた日中から窓も閉めたまま侵入出来る娘というものがいたら、それはもう普通の人間ではない。そもそも、サーヤ殿が寝ているはずの寝台が空だったし。
「コデルロス……本当に近衛騎士ですか、あなたは?
警護対象者を注意深く観察するという、基本的な姿勢を……」
「近衛騎士リュカ、婚約者殿には僕が言って聞かせますから。殿下のお側でお騒がせする訳には参りませんので、下がらせて頂きます」
やや呆れた眼差しを向けられ、コデルロスの直情径行が爆発しそうになったので、僕はコデルロスの腕を引いて場所を変える事にした。
何だかんだと、僕にあてがわれている客室へと戻ってきてしまった。
「コデルロス、あれは恐らくサーヤ殿です」
コデルロスが何か言う前にと、僕が開口一番に告げると、コデルロスは唇を引き結んだ不機嫌顔に、疑問符をいっぱい浮かべていた。
「初めに違和感を持ったのは、婆様が水晶を使って映し出した『サーヤ殿の元の世界の本来の姿』を見た時でした。
何だかやけに小さいな、と思ったのです」
他にも、違和感は様々なところに潜んでいた。口調や嗜好、精神性、些細な仕草に内股の歩き方。オーレリアン殿下へ向ける眼差し。まったくもって、大柄で男性的な容姿のサーヤ殿には不釣り合いなそれら全て。
「サーヤ殿は初対面の時から一貫して、主張していましたね。
自分は本当は女だ、この身体はかの方からの借り物だ、心は女なのだ……
『彼女』を『彼』として対応していたのは我々の方であって、サーヤ殿は何一つ偽ってなどおりません」
オーレリアン殿下はきっとあれだ。天姫フリークの勘が本能的に働いて、男性の身体でのサーヤ殿に、あれだけ惹かれていたに違いない。
お前らちょっと距離感おかしくないか? と尋ねたくなるようなスキンシップを、人前でも平然と行っていたのだ、あの王子様は。晩餐会の時なんか、太守の眼差しが時折不安げに揺れていたんだ。『え、うちの王子様って実は衆道趣味?』と!
「……サーヤ殿が、女性……」
「と、言うかまだ少女でしたね」
「俺はっ、俺は幼い少女にあのようなっ……!?」
ガクッと床に崩れ落ちるコデルロスの肩に、僕はポンと手を置いてその顔を覗き込んだ。
「コデルロス。過失でも浮気は許さないよ?」
「違うっ! 浮気などしていないっ!」
「じゃあ良いじゃないか。
僕としては、サーヤ殿を男だと思って裸にひんむいてベタベタと触ったり、挨拶代わりに肩を組んで『俺はお前を好ましく思っている』等々、口説き文句を飛ばしていなければそれで問題無いよ」
「そ、そういう、ものか……?」
サーヤ殿はなんというか、周囲から男性扱いされても困った笑みを浮かべ、強くは抗弁しなかったし、勇者として戦いを強制されても半泣きで立ち向かうようなお人好しだった。
けれど一方で、どんな目で見られようが決して女性的な口調を崩さなかったし、可愛い服が欲しいと嬉々として言い放つような、我が道を往く一面もあった。コデルロスから受ける待遇に不満があるのなら、きちんとオーレリアン殿下に訴えているはずだ。
「なので、コデルロスのその悔恨はまるっきりただの時間の無駄です。
うじうじしていないで、僕の用事に付き合って下さい」
コデルロスは僕の言に衝撃を受けていたが、こっちはこれから大変なのだ。
******
勇者として魔帝を討伐したサーヤ殿がその後、女体化した、と正確に公表するべきか。
はたまた、勇者としての使命を果たしたサーヤ殿は元の世界へと帰還し、新たな天姫が見つかったと公表するべきか。
「どうするべきだと思う?」
サーヤ殿が女体化……いや、本人の主張曰く、元の身体に戻った? 日の午後。
サーヤ殿の変転を、期せずして目撃してしまった面子……僕、コデルロス、リュカ、グレンの四名を緊急召集したオーレリアン殿下は、精彩を欠いた表情でそう尋ねてきた。
「魔帝を討伐出来たのは、サーヤ殿の功績が大きい。その栄誉を取り上げるのは本意ではないが……
だが、サーヤ殿はただでさえ前例の無い男性天姫たる勇者として降臨され、好奇の目に曝されていたのだ。この上更に、女性化などという喜ばしいが奇想天外な事態に落ち着いたサーヤ殿が、どのような奇異の目で見られ、扱われるかと思うとっ……!」
会議テーブルに着いたオーレリアン殿下は苦悩し、頭を抱え。
女性化した事自体は嬉しいのですね、殿下。
「オレはむしろ、今のサーヤ殿の浄化の力が、正確なところはどうなっているのかが最大の気懸かりッスね」
魔帝は浄化されたとは言えど、全ての瘴気が消え去った訳ではなく。魔帝に仕えていた、災いの魔獣達は一頭を仕留めたのみ。
サーヤ殿には今後も、浄化の力を行使してもらわなくてはならない。
それを念頭に置いているのか、グレンが腕を組んで重々しく告げた。
「オレだって、バッシバッシ一撃で魔物を薙ぎ払う快感を味わってみたかったのに、殿下ばっかりズル……んぎゃっ!?」
コデルロスから無言の鉄拳が脳天に、オーレリアン殿下からの拳が腹に決まり、グレンは床にボロ雑巾のように打ち捨てられた。……グレンお前、怪我人のクセに無茶しやがって。
「き、貴様っ! い、言うに事欠いてサーヤ殿の浄化の力を自分もふるってみたいだと……!?
私のサーヤに背中へ密着して頂き、腰に腕を回される事が必須条件だと、そうと知った上での世迷い事か!? そのような不届き極まりない願望を抱くなど許しがたい!」
ぶるぶる震えて嫉妬と独占欲に満ちた怒声をうっかり者のグレンに浴びせかけ、逆上しかかる殿下。
いつの話なのかは知らないけれど、つまり殿下はその不届き極まりない状態を甘受し体験した、と。
グレンは必死で首をブンブンと左右に振り、潔白を訴える。抱き付く必要云々は、完璧に彼の思考の外にあったに違いない。
「オーレリアン殿下」
近衛騎士リュカが柔和に目を細めて、激高するその背に語り掛けた。
「殿下は、問う相手を間違えておいでです」
「……何?」
怒らせていた肩を抑え込み、オーレリアン殿下は近衛騎士リュカに振り返る。
「そういった事は、当事者であるサーヤ様がお考えになり、決断して頂くべき事柄でしょう。我々は相談に乗り助言や手助けをしても、彼女の意志を蔑ろにするべきではありません」
殿下はハッと息を飲み、「あ、ああ」と首肯した。
「そ、その通りだな……
ティエリ、すまないがサーヤ殿に尋ねてきてはくれないか?
その、サーヤ殿には先ほどの部屋で、昼食を取ってもらっている……」
「……ええ、それは構いませんが……?」
サーヤ殿をこちらに呼ぶだとか、直接殿下が足を運んだり、配下のグレンに言付けを頼むだとか、色々と方法はあるだろうに。何故わざわざ、間に僕を介そうとするのだろう?
首を捻りながら会議室の扉を開けると、扉の前で警護していたオーレリアン殿下の近衛騎士と、昼食を食べ終えたらしきサーヤ殿が押し問答をしているところだった。
……殿下、コデルロス。慌て過ぎてサーヤ殿に警護の者を付け忘れていたんですね? 客室を抜け出して、堂々と出歩いているじゃありませんか!
「ただ今、室内では会議中です。許可の無い方はお通し出来ません」
「この部屋にオーレリアン殿下がいらっしゃるんですよね?
私の保護者は殿下なんだから、取り次いで頂けば許可は下りますってば」
「そのような通達は受けておりません。お引き取り下さい」
「こんなに頑なに私を阻むなんて、中ではいったい、どんな秘密会議が……!?」
クワッと目を見開き、わなわなと震えて呟くサーヤ殿を、警護の騎士が不審人物を見やる眼差しで観察している。
違います、サーヤ殿。その者はあなたにとっては苦楽を共にした討伐隊の仲間でも、彼にとって今のあなたは殿下の親しい人間だと名乗る、身元不明の見知らぬ不審な娘だからですっ! 問答無用で追い払われないのは、ここが太守の館の奥まった迎賓館で、滅多な人物はそもそも館内には入ってこられないという認識のお陰です。
「何をしているんですか」
「あ、ティエリちゃん!」
何故だか頭痛を覚えながら僕が呼び掛け歩み寄ると、サーヤ殿は長く伸びた黒髪を揺らして振り向き、僕の姿を確認するなりパッと表情を輝かせた。
そして、僕にとってはリボンやレースが過剰に装飾された、子どもっぽい少女趣味としか思えない桃色のワンピースの裾を摘んで、サーヤ殿はえへへと笑み崩れる。うん、今の彼女には少し丈が長かったようだ。
「この服、ティエリちゃんが買ってきてくれたんだよね?
有り難う! すんごく可愛くって嬉しい!」
そのサーヤ殿の発言に、近衛騎士が困惑気味に見やってくる。今の発言は、この少女は僕の身内だと周囲に知らしめるようなものだ。実際には違うけれど。
女性に衣服を買い与えるのは身内の義務、もしくは恋人や婚約者の権利だ。天姫であるサーヤ殿の場合、その後見であり保護を受け持つ国王王妃両陛下か在位中の天姫たる婆様が、必ず本人の為に誂えたご衣装を用意するのが習わしだ。
なので、僕は突発的なトラブルの為に代理で見繕ってきたに過ぎない。
「僕は取り急ぎ当座を凌ぐ為に、既製品を持ち帰ってきただけのお使いですから。
あなたに衣装を買って下さったのはオーレリアン殿下です。お礼でしたら直接殿下に申し上げて下さい」
代金は絶対に私が出すからな!? と、服を受け取りながらしつこく幾度も念押ししてきた殿下の姿は、まだ僕の記憶に新しい。本当は自分が選んで何着も仕立ててやりたいのに、今すぐ必要で時間が無いとしきりと悔やみ、それはそれは不服そうで。
男性が贈った服を女性が着るという行為は、『あなたになら脱がされても良いわ』という承諾の意味に直結している。何が何でもよその男に出させてなるものか、という鬼気迫る気迫を纏っていた。うちの王子様の今後が不安だ。
僕がしれっと『この娘はオーレリアン殿下が口説いている相手です』と暴露ると、近衛騎士は目を剥き、意味が分かっていないらしきサーヤ殿は「うん、分かった」と、あっけらかんと頷く。
男性だと思っていた頃はその見上げる巨躯から、僕より年上なのに稚気に溢れた頭のやや鈍い変わり者の男にしか見えなかったけれど。今こうして本来の身体に戻ってからのその言動を見ていると、サーヤ殿は外見も中身もあどけない少女である。
「僕は丁度、あなたの部屋へ行くところだったのです。殿下がお呼びです。お入り下さい」
いちいち間に人を介するのもまどろっこしい。向こうが出向いて来てくれたので招き入れてやると、サーヤ殿は軽い足取りで入室し、室内ぐるりと見渡した。
「殿下!」
「さ、サーヤ殿っ!?」
会議室の席から慌てた様子でガタッと立ち上がるオーレリアン殿下に、サーヤ殿は迷わず真っ直ぐ駆け寄る。
「オーレリアン殿下、約束守ってくれて有り難う。可愛い服買ってくれて嬉しいです。
ね、どうかな、似合う? 似合う?」
裾を軽く摘んでその場でクルリと回転してみせると、スカート部分の裾が空気をはらんで開花した花弁のようにふんわりと広がって浮き上がり、結われていない長い黒髪と共に舞う。
オーレリアン殿下は頬どころか耳まで真っ赤にして、口元を手で押さえ無言でコクコクと頷いている。
サーヤ殿は何が嬉しいのやら、始終ニコニコとやけにご機嫌だ。
「それで、私を呼んだ用件って何?」
サーヤ殿から話し掛けられているのはオーレリアン殿下なのに、殿下は全く口を開こうとしないで、こちらへひたすら必死に目配せを寄越してくる。
……いったい何なんだ?
このまま、何故か困りきっているオーレリアン殿下がどう出るのかを眺めていたい気もしたが、サーヤ殿を困惑させる訳にもいかない。仕方がなく、近衛騎士リュカと代わる代わる今後の事についての懸念を説明して聞かせると、サーヤ殿は両腕を組んだ。
「そっか、この世界では性別が変わるなんて前例が無いんだね」
……サーヤ殿の言い方ではまるで、サーヤ殿の暮らしていた元の世界ではそう珍しい現象ではないかのようだ。
「そうだなあ……
さっき、ご飯を食べた後、試しに『祈りの浄化』をしてみたの。自分でも、能力の如何は重要だなって思ったし」
そこで、以前教わった姿勢を取り、天に祈りを捧げると……簡単に浄化の光が飛んで溢れ出ていったらしい。
やって見せて欲しい、と近衛騎士リュカから請われ、サーヤ殿は躊躇いなく会議室の床に跪き、両手を組んで祈りを捧げ……その身体から眩いばかりの白光が弾け飛び、周囲へと広がってゆく。……間違いなく、本物の浄化の光だ。
「だから多分、私にはもう、『戦う浄化』の力は発揮出来ないんだと思う。
いつか強大な魔物が現れた時、今回のような勇者としての働きを期待されても、応える事が出来ない。それならいっそ、対外的には勇者は使命を果たして元の世界に還った、そういう事にした方が良い」
僕が思っていたよりも、サーヤ殿はサーヤ殿なりに考えていたらしい。
「陛下や婆様、それから一部の信用の置ける者には、黙り通しておく訳にはいかんだろうな」
コデルロスが無表情のまま呟く。そうですね、と、サーヤ殿も相槌を打った。
それはそうと、オーレリアン殿下はいったいいつまでサーヤ殿に目をやっては逸らし、口を開いては閉じて黙り込む、無意味な動作を繰り返す気なんだろう。
「それはそれで、勇者のサーヤ様がいつどう天に還ったのか。
新しい天姫はいつどこからどのように現れたのか。
まずはその辺りの誤魔化し方から、骨が折れそうですね」
近衛騎士リュカは肩を竦め、矛盾しない展開にするには、怪我を癒やす為に天に還られ、かの方は新たな天姫様をお導き下さったとするか……などと頭を悩ませ始める。
「サーヤ殿が天姫様ッスかー。
天姫様になんかなったら、隊長の扱きに耐える頭数が減っちまうッス。相対的にオレの訓練内容が……はーっ」
「な、何か私だけブラックから抜け駆けしたみたいでごめんね、グレン君?」
グレンお前、サーヤ殿に愚痴るなんてどこまで命知らずなんだ。噂の上司と心を広く持てない主君が、背後からお前を睨んでいるんだが、いつ気が付くのやら。
そこは喜ぶべきだぞグレン。我が婚約者殿は、見どころの無い男にわざわざ時間を割いたりはしないから。
******
それから、王都への帰還の道中。輜重隊の荷馬車の御者台に座っている僕の下へ、オーレリアン殿下が周囲をキョロキョロと見回しつつ、コソコソと馬を寄せて「ティエリ」と呼び掛けてきた。
オーレリアン殿下の向こうでは、我が婚約者殿が胡乱な眼差しでこちらを注視してきている。
「どうかしましたか、殿下?」
「その……なんだ。ティエリぐらいの年頃の娘と、どうやったら会話が出来ると思う?」
取り敢えず、この王子様から僕は女の子だと認識されていないという事は分かった。
「これまで通りに振る舞えば良いのではありませんか?」
要するに、サーヤ殿と話したいけどどう接したら良いのか分からない、という事でしょう? あれだけ人前で堂々といちゃついてきたクセに、いったい今更何を言っているのだろう、うちの王子様は。
「こっ、これまで通りっ!?」
驚愕に声をひっくり返らせながらのけぞって、顔を一瞬で赤らめるような、そんな反応を示さずにはいられない。サーヤ殿といったいどんなやり取りをしていたんですか、殿下。
「む、無理だっ。
ただでさえ私は、サーヤ殿の繰り出す謎の衝撃波と心臓攻撃に耐えられそうに無いというのに、あのような振る舞いはっ……!」
以前は何を振る舞っていたのかを、臣は拝聴しとうございませぬ。
「殿下、サーヤ殿の繰り出す衝撃波と心臓攻撃とは、いったい何の事ですか?」
婆様に未来予知のお力があるように、サーヤ殿には自らの身を守る不可思議な御業でも操るのだろうか?
「サーヤ殿がそこにおられるだけで手足が動かなくなり、振り向いて微笑み掛けられるだけで弾き飛ばされそうな不可視の衝撃が全身を襲うだろうっ!?
見ているだけで心臓が激しく動悸し、痛いほどになり声も出なくなるだろう!?」
「あいにく、存じ上げません」
「なにっ!?」
いったい何だそれは。うちの王子様はこう見えて、僕とは別次元を生きているのだろうか。
困惑していると、会話にひたすら耳を傾けていたらしきコデルロスが馬を寄せ、「オーレリアン」と静かに名を呼んだ。
「その衝撃波と心臓攻撃とやら、俺にも身に覚えがある」
「本当か、コデルロス!」
「ああ」
喜色を浮かべるオーレリアン殿下に、コデルロスは無表情を取り繕って重々しく頷く。
男性にだけ罹る奇病か何かか? しかし、僕はそんな症例を学んだ記憶が無い。
「初めに言っておくが、オーレリアン。それは最も軽微な初期症状だ」
「なん……だと……?」
「初めはそう、見ているだけで何も言えないんだ。
やがてそれは次第に夜の夢に現れるようになる。
繰り返し、繰り返し、幾夜も現れるそれに渇ききり、遂に耐えかねたお前が、幻惑のうちに罪深い甘露を一度でも口にしてしまえば」
「……してしまえば?」
深刻な声音で語るコデルロスに、オーレリアン殿下がゴクリと喉を鳴らし、促す。
「その甘美さに、二度と後には戻れない。
ただただ許しを請い、渇きに怯え、甘露を独占し飲み干そうと躍起になるあまりに溺れ沈む」
「そんな……私はいったいどうすれば……!」
彼らが何を語らっているのか、抽象的過ぎて僕には全くさっぱり分からない。コデルロスとオーレリアン殿下が通じ合えるのは、長年の幼馴染みとしての付き合いの長さゆえ、だろうか。
「快癒する手立てならば、無論、ある。俺も経験者だと言っただろう」
「おお、本当かコデルロス!」
「耳を貸せ、オーレリアン」
馬を寄せ合った彼らが、何やらもしょもしょと内緒話をしている姿を僕は呆れた眼差しで横目に見やってから、馬の足を少し速め、僕は背後の幌を掛けた荷台を振り返った。
「……と、まあ、殿下は謎の衝撃波とやらを受けているようですが。どうしますか、サーヤ殿?」
「うーん」
上からすっぽりとフード付きのマントを被って人目を忍び、輜重荷馬車の荷台に乗り込んでいたサーヤ殿は、荷台の縁に腕を乗せて御者台のすぐ後ろに腰を落ち着けた。オーレリアン殿下は、サーヤ殿は太守が用意した貴人用の馬車に乗っていると思い込んでいる。
「オーレリアン殿下が身動きが取れないのなら、私の方からグイグイ押していけば良い、って事だよね」
「……積極的ですね」
にっこり笑って言い放つサーヤ殿に、流石に僕も呆れてしまうが、サーヤ殿はふふんと胸を張る。
「言えないばっかりに苦しかったからね。これからは我慢する必要も、身を引く理由も無い訳だし?
殆ど触った事もない武器を渡されて、魔物と戦えって言われる方がよっぽど怖くて大変だったもん」
目指せ完全陥落! などと拳を突き上げるサーヤ殿。この小さな少女に、勇敢さと強敵にも怯まず突き進む意志を植え付けたのは、間違いなくオーレリアン殿下だ。自分がやった事の結果と責任は、甘んじて受けてもらおう。
サーヤ殿と目が合っただけで挙動不審になる恋愛初心者のオーレリアン殿下が、いったいいつまで紳士面を保って格好をつけていられるのか、僕は他人事として観賞させてもらおうと思う。
温泉である。
効能は擦り傷切り傷打ち身その他多数の為、帰還の道中にももちろん立ち寄る。一日では王都へ辿り着かないので、天幕も張って一泊する。
「殿下、さあ、温泉入ろう?」
「いやっ、サーヤ殿はティエリと一緒に、だなっ……?」
「えー? でも殿下、仲間と裸の付き合いがしたかったから、前回は恥ずかしがる私を引き入れたんだよね?
王族と天姫は対等なら、今度は私が裸の付き合いがしたいから、殿下は恥ずかしくても私と温泉に入るべきだよ。それでようやく対等だよね?」
「ぐはぁっ!?」
顔を真っ赤にして恥ずかしがる殿下の腕を引き、意気揚々と温泉へ向かうサーヤ様。
わたしは無言の涙目で助けを求めてくる殿下に微笑し、外で警護についた。
あなた方がサッサと入浴を済ませてくれないと、怪我人が温泉につかれないのですよ。
臣が思いますに、サーヤ様は存外メンタルが弱いので、一度素直に欲に身を任せて殿下の雄の一面でも見せてしまえば、傍若無人な振る舞いなどすっかりなりを潜めるかと。
というか陛下は孫の顔見たさに殿下付きの近衛をせっついてきているので、いい加減そろそろ観念して頂きたいのですが。男性体のサーヤ様とはあれだけいちゃついていたくせに、女性体のサーヤ様とでは未だに殿下からは手さえ握れないとか、どんだけヘタレなんですか。
「ちょっ……」「待っ……」「いや、え?」「だ、だだだだ駄目だそこは自分で洗うからっ!!」
おやおや。ひたすら殿下の切羽詰まった声が聞こえてきたかと思えば、腰にタオルを巻いた泡だらけの殿下が飛び出してきて、男性的やむを得ぬ身体状況故に朽ちた床へうずくまってしまわれた。
そんな殿下へ、スッと傍らに膝をつくコデルロス。
「オーレリアン」
「コデルロス……私は、私はっ」
「何、安心しろ。あの激戦を潜り抜けたんだ。今夜くらい、お前が愛しの天姫様としっぽり英気を養っても、バチは当たらん」
「コデルロスーッ!?」
どうやらコデルロスは、数日前のからかいを根に持っていたらしい。
さっさと腹を括ってしまえば良いのに、殿下は本命へは奥手すぎるほどに奥手だったのだなあ。そんな風に、わたしは平和を噛み締めるのである。