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それから……1(ティエリ視点)

 

 ドタドタ! と、大きな物音がして、僕は目を開いた。ふと気が付けば、びっくりするほど身体が楽になっている。

 寝台から身を起こしても、周囲には誰もいない。瘴気との戦いで意識朦朧としていた間には、代わる代わる誰かが付き添ってくれていた気がしたのだけれど。客室の外からは、絶えず騒がしい声や物音が飛び交っている。


 窓から差し込む日差しは暮れかかっていて、こんな時間だから夕餉の支度に皆大忙しなのだろうか。

 寝間着の上にショールを羽織り、廊下に顔を出してみる。王都を発って最初に逗留した太守の館には違いがないが、やけに騒がしい。


「ねえ、何かあったの?」

「お目覚めになられたのですね、天官様!」


 白い布を大量に抱え、廊下を走り抜ける若い女中さんに声を掛けてみると、彼女はパッと表情を輝かせた。


「実はつい先ほど、魔帝討伐に向かわれた騎士様方お戻りになられたのです。

激しい戦いだったのでしょうね、どなたも満身創痍で……」


 夜襲防衛戦で、既に都市の治療院や天官学府は怪我人いっぱいで、討伐隊の騎士達の治療の為、この太守の館を開放して女中達は手当てに奔走しているらしい。

 僕が声を掛けた彼女も、足りなくなった包帯を補充する為、新品のリネン類を代替品として取りに来たところだったのだ。


「状況は分かった。僕もすぐに着替えて手伝いに行くから。教えてくれて有り難う」


 一礼して忙しなく駆けてゆく女中を見送る暇も惜しみ、急いで着慣れた制服に着替えて帯を結ぶ。

 一階の大広間は、足の踏み場もない程に怪我人で溢れかえっていた。バタバタと行き交う人々の間を縫い、運び込まれてきた顔見知りの騎士達の傷口を洗い、消毒したり薬を塗り込み、ガーゼを当て。手当てを施す。


「う、うう……も、もう駄目ッス……」

「こら、しっかりしろグレン、傷は浅いぞ!」


 きゅう……と、疲労からか貧血による体調不良か、弱々しく呟くグレンに呼び掛けつつ腕の傷に手当てをして包帯を巻いてやると、グレンはうっすらと目を開いた。


「て、天官様……お願いッス。オレの事は良いから、隊長を……隊長を……」

「そうだ、コデルロスは?」


 僕が広間を見回しても、コデルロスの大柄な身体が見当たらない。


「た、隊長は……オレを庇って……」

「え……!?」


 つう……と、グレンの頬に涙が伝う。僕はやけに胸騒ぎがして、身体が震えて……


「お前達、しっかりしろ!

精が付くよう、肉を仕留めてきたぞ! 腹一杯肉を食って力を付けろ!」


 その時、大広間の出入り口をバンッ! と開け放ったコデルロスが、大きな鹿を担いでズンズンと足を踏み入れてきた。

 袖や襟から包帯が巻かれているのが見て取れ、彼もまた軽傷とは言い難い負傷度にしか見えないのだが、彼が体力お化けである事を僕はこの身を持って嫌と言うほど知っている為、このような事態を目撃しても全く驚かない。ただ、(ああ、コデルロスらしいなあ)と思うだけだ。


「隊長はオレを庇って魔物をぶっ飛ばし続けた挙げ句、死線を潜り抜けたオレ達に肉を食えと……ううっ、魔物を思い出して食欲なんか湧かないッス……」


 お前紛らわしいよ、グレン。


「コデルロス様、ここは怪我人が大勢寝ているんですっ!

狩りの獲物を担いだ泥汚れまみれのまま足を踏み入れないで、そちらは厨 (くりや)に運んで下さい!」

「む、失礼した」


 女中頭に一喝されて、コデルロスは気まずそうに謝罪している。


「……天官様、どうか隊長を……思いとどまらせて、オレらの胃に優しいご飯をっ……」


 そう僕に遺言を託すと、グレンはガクリと倒れ伏した。一応診察するけれど、命に別状は無さそうだ。

 いくら大きな鹿でも、怪我人全員の胃袋をはちきれんばかりに満たす事は不可能なのだし、コデルロスが厨に向かうのは放っておく事にした。コデルロスのように、お肉が食べたい騎士も居るだろう。

 忙しそうな医師を手伝い、怪我人の看護を補佐しているとあっという間に時間が過ぎて、医師から交代して休んで下さいという勧告が僕に飛んできた。

 僕自身はずいぶん回復したと思っていたけれど、今にも倒れそうなほど顔色が悪いそうだ。立ち上がったらクラリと目眩がした。

 ……よく考えたら、到着日の晩餐以来飲まず食わずで働いていたのだから、体調を崩してもおかしくはない。


 満身創痍で帰還したと聞かされた討伐隊の仲間達が、思ったよりも深刻な怪我を負っていなくて良かったと安心しつつ、女中さんと交代して広間を後にすると、廊下側出入り口近くの壁際に丸椅子を置き、むっすりと不機嫌そうな表情で座っているコデルロスと目が合った。


「……そんなところで、いったい何をしているのですか、コデルロス?」

「あなたを待っていた」


 立ち上がったコデルロスは、僕の腕を掴んでズンズンと大股に歩いていく。


「帰還して真っ先に見舞ったら、瘴気は消え去り深い眠りに落ちていたので安心していたというのに……

狩りから戻ったら部屋から姿が消えていて、酷く心配した。病み上がりなのだから、まだ休んでいろ」

「そう言うコデルロスこそ、ずいぶんあちらこちらに包帯が見えますけれど」

「俺は単なる掠り傷だが、オーレリアンが休めとうるさいのでちゃんと座っていた」


 ムスッと不機嫌そうに唇を引き結び、僕にあてがわれている客室に僕を押し込むと、「食事を運んでくる」と言いおいて足早に出て行く。

 汚れた制服を脱いで浴室で簡単に染み抜きをして干すが、流石に全てまっさらには落ちない。

 今日は館中が忙しいので、浴室に湯を運んで貰えるべくもない。顔と手足を水で洗う。寝間着にショールを羽織って乱れた髪を櫛で梳いて撫でつけ、部屋に戻ると、テーブルの上に料理を並べたコデルロスが、むっすりと不機嫌そうに椅子に座って待っていた。


「先に食べていて良かったのに」

「ティエリに食べさせる方が大事なのだから、俺が先に食事を取っていては意味がない」

「そう。わざわざ運んでくれて有り難う。じゃあ、一緒に頂こうか」


 コデルロスの向かい側の椅子に腰を下ろしながら僕がお礼を言うと、ようやくコデルロスは眉間を元に戻して無表情を取り繕う。

 魔帝とはどんな風に戦ったのか、だとか、別室で寝かされているというサーヤ殿の容態はどうなのか、だとか。聞きたい事は色々あったけれど、僕は今、お互いが無事であった事に胸が詰まって、また減らず口を叩いてしまいそうで。

 静かに食事を終え、カトラリーを置いたコデルロスはテーブルの向こうからじっと僕を注視してくる。僕もフォークを皿に置き、水を飲む。


「ティエリ」


 この人の眼差しに熱を感じるようになったのは、いつの頃からだっただろう。


「なんです?」

「あなたがまた、そうやって起きている姿が見られて嬉しい。

瞳が輝く姿、発する声も、甘やかな温もりも、全て失わずに済んで、俺は……」

「……そういう事は、こう、テーブル越しじゃなくて僕を抱き締めながら言ってくれません?」


 じいっと一心に見つめられながら真顔で言われると、気恥ずかしいったらない。コデルロスはもう少し、小出しにするだとか、僕の心臓に合わせてくれるだとか、そういった手加減が出来ないのだろうか。出来ないんだろうな。この人、石頭で気真面目だから。

 ガタッと席から立ち上がったコデルロスは、テーブルを回り込んで僕を抱き上げ、寝台に寝かして抱き込んできた。テーブル越し激白と寝台で密着の、その中間の過ごし方をどうして思い浮かべてはくれないのだろう。両極端過ぎる。


「ティエリ……ちゃんと、心臓は動いているな」

「勝手に人を殺さないで」


 もぞもぞと身動きし、僕の胸元に耳を押し当てたコデルロスの漏らした呟きに、僕が抗議を込めて髪を引っ張ってやると、


「あなたが瘴気に蝕まれ魔物に変じるならば、その前に俺がこの手で殺さねばならないと思ったのだ」


 ひどく暗い声音で、コデルロスは告げた。


「じゃあ僕は、瘴気が無事に失せて命拾いした訳か。

安心してね、コデルロス。あなたが魔物に殺されたら、僕が徹底的に塩撒いてやるから」

「ああ」


 胸元に顔を伏せたまま、コデルロスはコクリと頷く。


「ティエリは温かいな」

「子ども体温で悪かったね」


 ぐりぐりとコデルロスの頭を撫でてやったら、クスクスと笑い声が響いてくる。

 顔を上げたコデルロスは、僕の手を取って甲に唇を寄せた。


「どうしてあなたには、俺の本意が真っ直ぐ伝わらないのだろう、と長らく悩んでいたが……俺の方こそ、ティエリの言葉の意味を汲み取る努力が必要だったのだな。

二人きりで抱き締めていても、照れて憎まれ口しか出てこないとは、どこまでも可愛らしい人だ」

「だから、そういう心情はいちいち声に出さんでよろしい。寝台の上で気取った戯れも要らないっ」


 カッ! と、一気に顔に熱が集まるのを感じる。腕の束縛が緩んだのを幸いに、ぐるんと寝返りを打ち背中を向けてやると、コデルロスはまだ笑ったまま背後から抱き締めてくる。


「それでは、我が婚約者殿はこういった言葉を贈られる方がお好みかな?

俺は一生涯、あなたを愛し続けるよ」


 耳元に唇を寄せて甘く囁かれた言葉に、僕は猛ダッシュでここから逃げ出して、わーわー叫びながら走り回りたいほど恥ずかしくて恥ずかしくて堪らなくなったのだけれど。何だか色々開き直っているらしき我が婚約者殿は、がっちりと腕を回して離してくれる気配が無い。


「可愛い俺のティエリ、あなたは永遠に俺だけの大切な姫君だ。

決して、誰にも、絶対に譲ったりするものか」


 耳朶を甘噛みされながら囁かれる台詞に悶えつつ、僕はそっぽを向き続けた。

 こんなものはコデルロスの本心ではなく、義務感から発せられているもので、ただ台本をなぞっただけの空虚な音の羅列だ、と思い込んでいられた頃は、平静を保って聞き流していられたのに。


 次期天姫だと思われていたからオーレリアン殿下と頻繁に面会させられて、候補者から欠格に変化したら今度は周囲から人々が遠のき。

 天官の修練を積んで自分に向き合っている間に、気が付けば身分と年齢の釣り合う異性は軒並み話が纏まっていて。「行かず後家など許されぬ」と、オーレリアン殿下に付き合って『天姫のお相手候補の補欠の補欠』ぐらいの位置に強制的に立たされ決まった相手が居なかったコデルロスと、親族から問答無用で婚約を調えさせられ。


「……ティエリがどれだけ、天姫として婆様を支えたいと真剣に願っていたのか、俺はよく知っている。ずっとずっと、側で見続けてきたのだから。

だが俺は、あの頃から……あなたが天姫でなければ良いのにと心密かに願い、候補者から外されたと知った時、心の底から歓喜したのだ。なあ、酷い男だと思うだろう?」

「まったくだね」

「天姫となってしまえば、あなたはオーレリアンのものになってしまう。その未来を思うたび、俺がどれほど苦悩し、絶望したか……」

「僕はこうして天姫にはならなかったし、コデルロスと婚約したよ。満足?」

「ああ。あなたが側に居続けてくれる限り、俺はずっと幸福だ」


 僕はもう一度、「酷い男だね」と呟いて、お腹に回されているコデルロスの手に、自分の手を重ねた。


 ……自分が天姫になったなら。その時、フラーシス国内でも最も意志を尊重される存在になれる。

 その暁には、仏頂面で幼い候補者に跪く騎士を選んで、絶対にお婿さんになって抱き上げてもらうんだ、と、幼い頃に抱いた僕の長年の想いに、全くこれっぽっちも気が付いていない石頭。

 僕の婚約者殿はこんな酷い男なので、絶対にこの昔話を打ち明けてやるつもりはない。


「コデルロス」

「ああ」

「僕もまあまあ幸せだから、許してやる」


 振り向かず呟いた言葉に、コデルロスは「光栄だ」と、笑いながら囁いてきた。



 新鮮な鹿肉は冷やして食べると生でも美味しいらしい。

 この後グレンは鹿肉の冷肉刺身をたらふく頂かされ、泣いて喜んでいた。



 それはさておき、この後のコデルロスさんのご心境↓

(俺の婚約者殿が可愛くてたまらん。

つんけんされても可愛い、素直になられても可愛い。怪我に障るから今日は駄目! と、俺の身を案じるあまり怒るところも優しくて可愛い)

 同僚が主君の行動に遠い目をしているその頃、どうやらコデルロスさんは幸せを満喫出来たようだ。

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