二人で歩く季節
夏は苦手だ。
暑くて。
眩しくて。
焼け付くような日差しを避けても、逃がさないとばかりに纏わりつく熱く蒸した風。
食欲がなくなり、生きているのが不思議なほど生命力に乏しい毎日。
それなのに。
隣に立つこの人は一体なんなんだろう。
春から梅雨にかけては穏やかで淡々としたイメージなのに、この日差しの中、颯爽と、力強さを感じるほど背筋を伸ばして歩いている。
夏男か?夏男なのか??
スーツのくせに。
靴下に革靴のくせに。
なんで、そんなにも爽やかに笑っていられるの???
「次は14:30のアポイントか。
ここから二駅だね。
佐倉さん、時間潰しかねて歩かない?」
歩く?
歩く??
、、、ナニコノヒト。
馬鹿なの?
今日の気温知らないの?
トカゲなの?
まさか地球人じゃないの?
「佐倉さーん?聞いてる?」
「聞いてます。 14:30。大丈夫です。どうぞお好きなだけ歩いてください。私は地下鉄に乗ります。時間ならどのようにも潰します。どうぞお構いなく。」
ボソボソと、最低限のエネルギーでどうにか発言した私は、同じく消費カロリー最低限を目指して、静かにゆっくりと地下鉄の入り口に向けて一歩ずつ歩き出した。
ただでさえ、汗がだらだらと流れる不快感に加えて、この暑さに頭がふらふらしだしている。
無理。
もう、この暑さ、無理だから。
私は、肌寒いぐらいがいい。
汗って、なんでしたっけ?の季節に生きていたいの。
「えー?佐倉さんと一緒に歩きたい」
もう無視だ。
となり、いや、もう後ろか。に立っている瀬川主任から、今日は営業についてきてほしいと言われ、いきなり一緒に外回りに出たが、入社からずっと事務しかしていない私が一体何の役に立つというのか。
午前中に回った会社は3件。
口を開いたのは、お世話になっております、と、ありがとうございました、だけ。
瀬川主任の仕事を初めて目の当たりにしたけど、その空気感、その緩急巧みな話術に、圧倒された。
邪魔にならないよう控えて、帰社後に必要な処理を付箋に書いておくのが精一杯。
なぜ、私なんかを同行させたんだろう。
いつもなら、この時間は、部長に孫馬鹿話に付き合わされ、田中さんからの嫌味を聞き流して、後輩の計算書に赤を入れたり、営業からの電話に対応して資料をメール添付しているころだ。
もちろん、涼しいオフィスで。
ヨロヨロと、長距離徒歩に向かないヒールで日陰を歩く。
ずっと下を向いて歩いてるから、歩道のタイルのパターンを覚えてしまった。
赤、赤、白、茶色、白、茶色、革靴。
、、、革靴?
重たい頭をあげると、そこに、隠れ夏男瀬川主任が首を傾げて立っていた。
二駅分、歩き始めたんじゃなかったの?
「佐倉さん、大丈夫?」
「はあ、、、あ、次の資料は、、、iPad見ていただければ、ファイルに入ってると、、、」
瀬川主任からまた目線がタイルへ。
あ、タイルの間に雑草。
強いなあ。
「、、、お世話になっております。クリエイト叶の瀬川です。
今日は14:30に近田さんとお約束で、はい、今から向かいますので、はい、あ、そうなんですよーはははは、はい。よろしくお伝えください。」
爽やかな応対だなあ。
外回りって、気遣いの連続なんだなあ。
事務職として、営業から学ぶべきことがある。
あるけど。
でも、今日はもう無理だ。
明日頭がクリアになってから考えよう。
赤、赤、白、階段のグレー、白線、一段下がって、グレー、白線、一段下がってグレー、白線、に、かぶって革靴。
また革靴?
「佐倉さん、ほんと大丈夫?
今日はここまでで直帰していいから。
僕が連絡しておくし、心配いらないから。」
「はあ、ありがとうございます。」
瀬川主任はお日様の下、ジワっと汗をかきながらも、朗らかに笑顔を見せている。
こんな風にも笑う人だったとは知らなかった。
このうだるような暑さの中、爽やかな夏男スマイルは、爪で引き裂きたくなるぐらい憎たらしい。
「あの、明日も外回りですか?
できれば、事務に戻していただきたいのですが、、、」
「うーん、それは困るんだよねー」
「田中さんに代わってもらいましょうか」
田中さんなら暑さも日差しも汗も、憧れの瀬川主任のためならエンヤコリャ。
きっと一も二もなく付いて行きますよー!
「田中さんは無理」
え?
思わず顔を上げると、困ったような顔の主任が。
「無理?」
「無理」
「え、でも、、、」
「無理」
、、、こわれたの?
無理しか言わない。
「じゃあ、、、明日だけということで。」
「じゃあ、、、とりあえず、明日だけ。ね。」
ーーーー
「こんにちはー!いつもお世話になっております。クリエイト叶の瀬川と佐倉です。」
「お待ちしておりました。
早速ミーティングルームで近田部長が待っておりますのでご案内を、、、」
「あ、お構いなく。
ミーティングルームはわかります。」
昨日、元気発剌夏男と発覚した瀬川主任はミーティングルームへと颯爽と歩を進める。
快適室温のオフィス。
綺麗なオフィス。
社員さんたちの、瀬川主任への熱い視線。
人気なんだなあ。
なんだかいたたまれなくて、下を向いて歩く私は、この会社のカーペットの模様を覚えてしまった。
廊下は紺にホワイトライン。
室内は水色に薄いクリーム色のスクエア模様がちらちら。
綺麗。
ノックを三回。
瀬川主任が扉をあけ、昨日とはちがう革靴で、1個目のスクエア模様を踏む前に、
「遅いっ」
「すみません。お母さん」
そう、お母さん。
、、、お母さん??
お母さん????
思わず顔を上げて、部屋の中にいる人物を凝視。
そして、流れるような動作で私は室内へと促され、扉が静かに閉まった。
「瀬川主任?あの???」
「驚かせてゴメンね。
こちら、母なんだ。」
「母」
「彼女、パニクってるわよ。大丈夫?」
目の前に種類の違う手のひらが2つ、ヒラヒラ。
よく似た目が4つ、心配そうに私を見ている。
「あのね。佐倉さん。
今日は仕事ついでで悪いけど、母を紹介します。」
呆然としている私の右手を主任、左手を近田さん?お母さん?が握って、あら、川の字?わーい、じゃ、なくて。
「え、でも、あの、近田部長って」
「職場ではずっと旧姓なのよ。」
「え、じゃあ、じゃあ、、、あの、あの、初めまして。佐倉つぐみと申します」
何が何やら、とにかく、手を離してもらい、名刺を差し出す。
近田部長もとい、瀬川主任のお母様は、ブルブルと震える私の手を名刺ごと包んだ。
「佐倉さん、いつも息子がお世話になっております。」
「というわけで、母さん。前から話してたとおり、こちらの佐倉さんと結婚します。
9月がいいんだけど、ここのチャペル、予約お願い!」
イヤマテ。
二ヶ月後だなんて聞いていないです。
それに、エバークリスタルのチャペルは人気で結婚式の予約は一年待ち。
合掌して「お願いっ」でどうにかできるはずがない。
「ハイハイ。
もう、ようやく連れてきてくれたと思えば無茶ばかり。
うーん、じゃあ、チャペルの予約は任せてもらうから、ブライダルレストランのステンドガラスの見積もり、安くしてね。」
「それ、交渉?」
「だって今日は仕事で来たんでしょ?」
「うーん、昨日の営業先で、こちらに見合うステンドグラスを入荷できることになったから、またメールを、」
という言葉を受けて、カバンから昨日回った会社からのリーフレットと我が社の加工価格表を出して、そっと渡す。
瀬川主任、いや私の彼、ああもうっわからなくなってきた、、、彼はニヤッと笑うと、近田部長、いや、彼のお母様?ああ、ややこしい、に書類を見せた。
「というわけで、ご検討ください」
「素早い対応ね。
気に入ったわ!!
そうそう、うちのドレスを着てくれたら、我が社のポスターに載せちゃおうかしら〜?
式費用、も少しリーズナブルにできるかも〜?」
「成立!」
親子で握手。
ニッコリ、よく似た笑顔が二つ。
素晴らしい。
ん?
今、何が成立したんでしょう??
とりあえず、付箋に「見積もり、価格要検討」と、記入。
「そういう、細かな気配りがありがたくて、外回りに同行してほしいとお願いしたんだ。
で。
週末にご両親にご挨拶、も追加メモしておいて。
あと、指輪と、あ、籍いつ入れようか??重要案件だよ!!」
少しは役に立ててたのかと、ジーンと感動していたのに。
、、、もう無視だ。
ーーー
あ、白い床に、羽の模様が。
あ、参列者の床は、バラの模様が。
綺麗だなあ。
すうーっと、床の模様を追った先に、今日の主役の一人が立っている。
眩しい夏の光を、聖なる光にかえて、白いタキシードの彼。
こちらを見て、爽やかに笑っている。
大丈夫よ。
爪で引き裂いたりしないわ。
あそこまで、一歩ずつ歩いていく。
人生最初で最後の真っ白なドレスで。
苦手な夏に結婚式なんて、ありえないと思ってたけど。
今日の私は世界一の気分で、下を向かずに、彼のように力強く歩く。
チャペルの天窓からキラキラと降り注ぐ、眩しいほどの日の光を全部受け止めて。
これから全ての季節を、二人で歩いていく。
fin