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第5章 王妃と王女

   †


 カイルとフィリスは王都までの道筋をひたすらに走った。

 クルクス一の牝馬(ひんば)と、クルクスで二番目の牡馬(ぼば)に跨がり、100エル以上の距離をたったの数日で走破した。


 それは馬の名手でしかなしえない偉業であった。

 フィリスはそれほどまでに馬の扱いが上手いのである。男であるカイルが後れを取るくらいだった。


 二人は王都までやってくると、固く閉じられている大門の前で叫んだ。


「ここにおわすは、エルニカの第3王女にして、クルクス砦の主、フィリス・エルニカである。王女の帰還である。門を開けよ!」


 カイルがそう叫ぶと、半刻後に門扉が開け放たれる。

 半刻もかかったのは戦時ということもあるが、王都に籠もる連中の臆病さも示していた。


 たった二人の人間を迎え入れるのにも議論せねば気が済まないほど追い詰められているのだろう。


「まったく、池にカエルが飛び込んだだけでも逃げ出しそうな勢いだな」


 そんな連中が役に立つだろうか? カイルは不安になったが、そのことは表に出さなかった。


「役に立たないのなら役に立たせるまでさ」


 カイルはそう呟くと、王妃に面会を求めた。





 面会を求められた王妃は、腹心である軍務大臣に話しかけられた。


「王妃、王女が面会を求めていますが」


 王妃はしばし沈黙すると、軍務大臣アルフォンスの顔を見つめる。


「はて、(わらわ)に娘などいたかな」


 その言を聞いたアルフォンスはさすがに呆れる。


「……王妃よ、貴方の娘が我々のために立ち上がり、反乱軍と戦ってくれているのです。そのような態度は冗談でもされぬ方がよいかと」


「妾は冗談は好かないがな。まあよい、通せ。久しぶりに顔を見るのも悪くない」


 王妃がそう命令すると、フィリス一行は即座に呼ばれた。

 こうして、一方的に娘を憎む母親と、それでも母を憎めない少女との面会が始まった。


 王妃アマルダは開口一番に言った。


「フィリスよ、遠路はるばるご苦労様です。今回の一見、病床にあるお父上も喜んでおられますよ」


「誠にございますか? 父上が目を覚まされたのですか?」


 フィリスは尋ねる。


「いえ、陛下は未だ昏睡しておられる。これは妾の想像です。なにせ、後継者に定めていた娘が、その期待に応え武勲を打ち立て、王家の危機に立ち向かっているのです。陛下が目を覚まされれば喜び勇むことでしょう」


 アマルダは限りなく優しく言い放ったが、最後にこうも付け加えた。


「――もしも目を覚ませば、ですが」


 最後の言葉には、父王はもう目を覚まさない、この国は自分と息子の物だ、と誇示しているかのような口調だった。


 フィリスはそんなことなど百も承知なので、今更傷つきはしなかったが、尋ねずにはいられなかった。


「……母上、どうして母上はわたくしをそんなにも憎まれるのですか? なぜ、弟だけをそんなにも愛されるのですか?」


 直接の問いだった。

 今までそんなことを尋ねたことはない。

 感情が高ぶり、思わず口に出てしまったのだ。


 軍略を語る会談の場には相応しくない言葉だった。

 だが、アマルダは正直に答える。


 アマルダは、フィリスとカイルを除く人間をすべて人払いすると言い放った。


「それは貴方が国王陛下の娘だからですよ、フィリス」


「私が国王陛下の娘?」


 フィリスはその言葉を意外に思った。

 フィリスは自分はトリステンの娘ではないと思っていたからだ。


「その通りです。宮中では貴方は不義の子と(ささや)かれていますが、貴方はまごう事なき陛下の娘。だから妾は貴方が憎いのです」


「しかし、それは弟も同じなんじゃないのか? なぜ、姫様だけ憎む」


 なぜかこの場に留まることを許されたカイルが尋ねる。


 アマルダはその問いに他人事のように答える。


「そうですね。たとえ話をしましょうか」


 アマルダはそう前置きをすると、とある人物の昔語りを始めた。



「昔々、エルニカという小さな国の王都に一人の娘がいました。


 娘は城下で知らぬ者がいない器量よしでしたが、ある日、王宮に召し出されました。

 娘の美貌に目を付けたとある大臣が、娘の親に金を積み、国王の側室にしようとしたのです。


 国王は武勇に優れ、戦いしか知らぬような男でしたが、一目で娘を気に入りました。


 この世には戦い以外の喜びがあることを知ってしまったのです。

 国王は側室にした娘を大層可愛がりました。


 この国と引き替えにしても惜しくないと公言させるほどに、娘を気に入ってしまったのです。


 しかし、娘は一国の王に愛されても、浮かぬ顔をしていました。


 この世の(ぜい)を尽くした御馳走を毎日のように並べられても、今まで見たことのない(きら)びやかな宝石や衣服を与えられても、心が満たされることはありませんでした。


 なぜならば、娘には想い人がいたからです。

 娘は幼なじみである家具職人の男を愛していたのです。


 ですが、娘はその思いを胸に秘めていました。


 国王の側室となった身、その恋は諦めなければならない、と自分に言い聞かせていたのです。


 ――ですが、そんな娘の心の声を王は聞いてしまったのです。


 城下に流れる噂話を耳にしてしまったのか、或いは手の者を使って探らせたかは定かではありませんが、王は娘の幼なじみを見つけ出すと、その腕を切り落としこう言いました。


 その腕では二度と娘を抱くこともできまい。

 その腕では二度と家具を作ることもかなうまい。


 王は憎しみを込めてそう言い放つと、娘の幼なじみを森に捨て去りました。

 腕を切り落としただけでは飽き足らず、男を狼に喰わせようとしたのです」


 王妃アマルダはそこで言葉を句切ると、カイルの方へ振り返る。


「たとえ話ですが、そのようなことをする王の子を愛することができる母親などこの世にいましょうか?」


「………………」


 母親ではない。母親にはなれないカイルには答えようがなかったが、カイルは当然の疑問を口にした。


「……その口ぶりだと、フィリスの弟、アレクストは、国王の実子じゃないということになるが」


「それは貴方の想像にお任せしましょう。ですが、もしもそうならば、建国王ゼノビアの血筋は途絶えるということになりますね」


 アマルダは、「ふふふ……」と妖艶に笑った。


 そして今度はフィリスの方へ振り返ると、

「貴方はそれでもこの国を、いえ、この王家を救おうと兵を動かすつもりですか」

 と尋ねた。


 フィリスはしばし呆然としながらも、しっかりと《母》の目を見つめ返した。

「わたくしが何者であるか。この場で語るのは相応しくありません。いえ、そもそもわたくしが何者であるかなど関係ないのです。わたくしはただ、この無意味で無残な内乱を即座に収めたいだけなのです」


「口清い言葉です。それほどまでに王位が欲しいのですか?」


「わたくしは王位に就くつもりなどありません。母上が弟アレクストを王に望むのであれば、私は弟の即位に尽力しましょう」


「……ゼノビアの血筋が途絶えてもよいのですか? ……、いえ、これは仮の話ですが」


「この世に途絶えなかった王朝などありません。もしもアレクストがゼノビアの血筋でなくても、それは天命だと思っています」


 フィリスはそこで言葉を句切ると、はっきりと宣言した。




「わたくしが願っているのは、国民の幸せのみです。


 わたくしは幼い頃、城下で育ちました。優しい養父母に巡り会えました。


 色々な人たちと接することができました。


 わたくしはそこで学びました。  

 国が民を生み出しているのではなく、

 民が国を生み出しているということを。


 国はなくなってもまた作ればいいのです。


 しかし民はそうはいきません。

 民のいない国ほど無残で滑稽(こっけい)な国はありません。

 人々の笑顔がない国ほど恐ろしいものはありません。


 だから私は守りたいのです。

 人々の命を、

 人々の暮らしを。


 そのために王位が(かせ)になるのであれば、そんなものはわたくしには必要ありません。


 今のわたくしに必要なのはたった二つ」



 フィリスはそう言いきると、



「それは世界一の軍師カイル様と、

 母上の軍勢だけでございます。

 他には何も望みません」



 と、毅然(きぜん)と言い放った。



「………………」


 王妃アマルダは、そんな娘の姿を見つめると、重々しい口を開いた。


「……いいでしょう。兵は貸しましょう」


 アマルダはそう言うと、

「……それではもう語り合うこともないですね。武運を祈っています」

 と、形ばかりの挨拶をして、その場を立ち去った。


 カイルはそんなアマルダの後ろ姿を見つめると思った。


(娘に似て不器用なかあちゃんだな)


 と――。





 王都の軍勢を引き連れ、出立したフィリス達を見下ろすと、アマルダは口を開いた。


「兵共がいなくなって静かになりましたね」


 そんな王妃に、腹心である宰相が近寄り言った。

 

「王妃様、軍勢を王女にお貸ししたようですが、宜しいのですか?」


「………………」


 王妃は沈黙によって答える。


「まあ、確かにここで意地を張り、兵を動かさなければ、王子の即位どころの話ではありませんが……」


 しかし、と王国宰相であるアスターは続ける。


「ですが、ここでフィリス王女に軍勢を貸すのは妙案にございます。兵の中に暗殺者を紛れ込ますこともできますからな」


 その言を聞いたアマルダは、宰相の方を振り向くと言った。


「……妾はそんなに冷酷な女に見えますか?」


 王妃の意外な反応にアスターは答えを窮する。


 無論、「その通りでございます」などと返せるわけもなく、アスターは言葉を濁した。


「……それでは何もされないおつもりですか?」


 王妃は首を振る。


「なにもせずに手をこまねいているのも性分にあいません。せめて神に祈ることにしましょうか」


「王女と反乱者が共倒れすることをですか?」


 王妃は首を振る。


「いえ、このエルニカという国が未来に続くように、――です」


 王妃はそう言うと深く目を閉じた。




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