第5章 フィリスの影武者
†
カイルはそんなことは百も承知していた。
これからフィリスに提案する作戦は、彼女にとって辛いものになることを知っていながら提案するのだ。
カイルはフィリスの陣中を訪れると、挨拶もせずに言った。
「姫様、これから二人で王都に向かうぞ」
いきなりの乱入にアザークは怒ったが、フィリスは困惑しながらも応じてくれた。
「……王都……、に参るのですか?」
「ああ、虚飾と繁栄の都、グロリュースにおもむいて貰いたい」
「しかし、今は戦の最中です。大将であるわたくしと軍師であるカイル様が陣を空けるなどあってはならないことです」
「ああ、もしもそんなことが兵達に知られれば、士気が下がり、この膠着状態も一瞬で崩れ去るだろうな」
「ならばそのような真似はできません。わたくしは最後までこの場に留まり、兵と運命をともにしましょう」
「勘違いするな。なにも俺は姫に逃亡を勧めているんじゃない。逆にこの戦に勝利する鍵になって欲しいんだ」
「……わたくしが、鍵に、ですか?」
意図が掴めないフィリスはカイルの顔を覗き込む。
「ぶっちゃけてしまうと、これから王都に行って、姫様のかあちゃん、いや、王妃アマルダを説得して欲しいんだ」
「母上を説得?」
「ああ、先日、王都の軍勢は反乱軍にしこたまやられたが、王都が落ちたわけじゃないし、守備兵もまだ健在だ。1万前後は戦える兵が残っているはず」
「母上から兵を借り受け、反乱軍の後背を突くのですか?」
「その通り。奴らは王妃が亀みたいに閉じこもってるからと、安心しきっている。それに王都の兵を合わせれば数の上ではこちらが上になる。この膠着状態を絶対に打破できるはずなんだ」
「……なるほど」
と、フィリスはうなずく。
しかし、その心中には思うことがあるようだった。
彼女の表情はそれを物語っていたが、それについて答えたのは、親衛隊長のアザークだった。
「馬鹿者! お前はフィリス様の気持ちを考えないのか?」
「考えているさ。考えた上でお願いしている」
カイルは無表情に言い放つ。
「フィリス様はこれまで何度も、いや、生まれて以来ずっと王妃に粗略に扱われているのだ。いや、言葉を飾っても仕方ない。王妃に疎まれ、憎まれているのだ。そんな人物に助けを請いにいけというのか?」
「その通り。そもそも今助けているのは俺達の方だ。助けられる方も手を伸ばすくらいのことをして貰わねば、どうしようもない」
「……そうかもしれない。しかし、王妃はフィリス様を暗殺するかも知れないぞ。今ならば反乱軍の仕業と発表すれば、国民は皆信じる」
「そのような真似は絶対にさせない。だから俺自ら乗り込むんだ」
「っく、しかし……」
軍師であるカイルにそこまで断言されてしまえば、アザークも反論に窮する。
そもそも、カイルの進言を拒否する気など、当の本人にはないのだ。
フィリスは常にカイルの言葉を信じていた。
「アザーク、わたくしは、カイル様の作戦を了承するつもりです。確かに今のままの状況ではいずれ負けてしまうかも知れません。それに負けないにしてもこのままではエルニカ人同士の血が無意味に流れてしまう」
「……フィリス様」
アザークはフィリスの決意を感じ取り、言葉を失う。
「――というわけだ。すまんが姫様を借り受けるぜ」
そう言うとカイルは姫に手を伸ばした。
姫も手を伸ばすと、二人の手はひとつになる。
「ま、待て、王都に行くことは許可したが、手を繋ぐことは許可していない」
「お前の許可がいる理由がよくわからん」
「いるのだ! なぜならオレはフィリス様の親衛隊長だからだ!」
おそらく、子供の頃よりそうして異性との交際を邪魔してきたのであろう、アザークは強引に二人の間に割って入るとこう言った。
「さて、王都におもむくのはいいが、どのルートをたどる?」
強引すぎる行動にカイルは呆れたが、一応、答えてやる。
「無論、まっすぐ! と言いたいところだが、迂回する。さすがに姫様を危険な目に遭わせたくない」
「良い心がけだ。では、このルートを使おう。馬を飛ばせば3日で到着できるだろう」
アザークは地図を指さし言う。
そして馬の手配を始めるが、カイルはそれに水を差す。
「何をしているんだ?」
「何をって、出発の準備だ。早ければ早いに越したことはなかろう?」
「俺が言っているのは、馬を三人分用意しているってことだ。もしかしてお前も行く気なのか?」
「当たり前だろう。オレは王女の親衛隊長だぞ? オレがいかねば誰が行く」
アザークは当然のように言ったが、カイルは当然のように断った。
「駄目だ。お前にはやって貰いたいことがある」
カイルはそう言い切ると、用意してあった金髪のカツラをアザークにかぶせる。
「う、うわ、なにをするのだ!?」
アザークは抵抗したが、かまわず続ける。
「てゆうか、さすがに俺は出て行くが、そこの侍女、オレの代わりにこの服をこいつに着せて、メイクもしてくれ」
フィリスの横に仕えていた侍女マリーはうなずくと、カイルの命令にしたがった。
――数分後、戻ってくると、そこには美女が一人増えていた。
カイルは、《フィリス》に扮装したアザークに、一言漏らす。
「ほう、馬子にも衣装というが、これはなかなか……」
それがカイルの率直な感想だった。
アザークは元々《女》が男装をした変わり種であったが、やはり、女の格好をさせれば一廉の美女であった。目鼻立ちが整っているのである。
マリーも追随する。
「おひいさまそっくり、とは申しませんが、遠目から見れば誤魔化せるかと」
「それで十分だ」
カイルはマリーの手際を褒めたが、アザークは抗議する。
「オ、オレにこんな恥ずかしい格好をさせてどうする気だ!」
「わ、わたくしの格好が恥ずかしい……」
「あ、いえ、けしてそのような。言葉の綾という奴です。ええい! カイルよ、姫様を傷つけてしまったではないか、責任を取れ!」
「責任は取れないが、理由は教えてやるよ。つうか、戦の真っ最中に姫様を本陣から離すわけにはいかないだろ。クルクスの連中ならば理由を話せばなんとかなるが、反乱後に加わった貴族に知れたら、あっという間に見放される」
「むう、確かに」
アザークは納得するしかない。
「というわけで、お前には姫様を演じて貰う」
「………………」
アザークは沈黙によってその役目を引き受けると、カイルはフィリスに振り返り、こう尋ねた。
「さて14年以上フィリス・エルニカを演じてきた本人として、フィリスを演じるにあたってアドバイスをすることはあるか?」
カイルは冗談めかしながら尋ねた。
フィリスもそれに応じる。
少し戯けながら、
「そうですねえ。本物より少し可愛すぎるでしょうか」
と、少女らしい笑顔で笑った。
どうやらアザークが戸惑っている姿がおかしくて仕方ないようだった。
本来の性別に戻ったことを恥じらうアザーク、
年相応に笑うフィリス、
その姿を見られただけでも、この作戦を実行して良かったのかも知れない。
カイルはそう思った。