第5章 ティルノーグの器とオグンの実力
††(ティルノーグ視点)
ティルノーグはとある男の告白を聞き驚いた。
今まで一介の軍師だと思っていた男が、実は天秤評議会の軍師だったのだ。
男は悪びれずに言う。
「天秤評議会の軍師は、その存在を隠すもの。そのことについては悪いとは思っていない」
不貞不貞しい態度に、白鳳騎士団の千人隊長達は怒ったが、団長であるティルノーグはそれをなだめる。
「いや、この男の言葉には一理ある。そもそも天秤評議会の軍師とは、そういう存在だ。名乗れぬ事情があるのは承知している」
それに、とティルノーグは続ける。
「この男の知謀に頼っていたのは俺自身だ。今まで散々利用して、正体を隠していたからと糾弾するようでは、将としての器が問われるわ」
その言を聞いた破軍のオグンは、にやりと笑う。
「さすが、俺が主と定めた男。想像以上の器量だ。ならば、俺がお前を利用して、内乱を起こさせたことには気が付いているか?」
ティルノーグは即座に返す。
「気が付いているさ。俺もそこまで馬鹿じゃない」
「気が付いていた上で、この破軍のオグンを利用していた、ということか」
「その通り。俺は王妃を憎んでいた。お前はこの国に内乱を起こさせたかった。二人の目的が一致しただけさ」
「ならば、利用し終わった後は、俺を消す気か?」
オグンは問う。
ティルノーグの返答はオグンの満足行くものだった。
「その通り。もしも我がエルニカに仇なすと判断すれば、俺は覇王アカムとて、いや、建国王ゼノビアとて許さない」
「良い返事だ。つまり、まだ俺は力を振るっていいということだな」
ティルノーグは返答するまでもなくこう言い放った。
「破軍のオグンに10000の兵を与える。白銀のエシルを名乗る小癪な小僧とラドネイの首を持って参れ!!」
破軍のオグンは、小脇に抱えていた戦斧を振り回すと言った。
「今までは軍師として力を貸していたが、今、この場からは将としてお前に力を貸そう」
その様子を見たティルノーグ以外の将は息を飲む。
その巨漢と筋肉は、軍師の範疇に収まるものではなかったからだ。
この男は軍師である前に、一人の戦士であった。
††
ティルノーグは、まず後背の安全を確保することにした。
王都にいる2万の兵を削ぐことにしたのである。
王都グロリュースには王妃の手勢2万がいるが、ティルノーグはあえて戦闘を避けていた。
理由は城攻めをしてもなんの得もないからである。
城攻めには多大な犠牲をともなう。同じエルニカ人同士が争っても仕方ないのである。
しかし、状況は変わった。
ここで勢力を削いでおかねば最悪フィリスの軍勢と挟み撃ちにされる可能性もあった。
その危険を避けるには、どうしても王都の軍勢を削いでおかねばならない。
ティルノーグは、破軍のオグンと相談すると、王都の軍勢を城の外へおびき出す作戦を採用した。
「やはり、王都の市民に被害を出したくない」
それがその作戦を採用した理由だったが、部外者であるオグンもそれに賛成した。
「どのみち、城攻めは被害が大きすぎる。下策中の下策だ」
「しかしどうやっておびき出すのです。相手は今まで亀のように引き籠もっていた連中ですぞ」
ティルノーグの配下はそう心配したが、ティルノーグには考えがあった。
「今まで亀のように引き籠もっていたのは、自分たちが不利だと思っていたからだ。だが、今はどうだ? 敵にとっての味方、つまり王女が立ち上がったのだ。やつらは今頃捕らぬ狸の皮算用をしているはずさ。今、城を打って出れば勝てるのではないか、と」
破軍のオグンは更に補足する。
「王都の手勢の目がくらむよう、本陣はこのままラドネイの領地に向かって貰う。そうすれば奴らは嬉々として飛び出してくるはずだ」
「し、しかし、それでは王妃と王女の軍に挟撃される心配があるのでは?」
ティルノーグの部下の心配にオグンはあっさりと答える。
「俺が10000の兵でやつらを待ちかまえるのだ。負けるわけがない」
その言葉は大言壮語のように聞こえたが、そうではなかった。
事実、破軍のオグンは、その言葉を現実のものにする。
王都の包囲を解き放った反乱軍――、
それを奇貨(好機)と見た王都の守備隊は、城外に飛び出てきた。
15000の兵である。
5000の兵を出し惜しみしたのは、王妃とその一派の臆病風のためであるが、それでも反乱軍との戦力差は圧倒的であった。
しかも反乱軍は撤退する形となる。
王都の守備隊は反乱軍の後背を突けるのだ。
敵は抵抗する暇さえなく、崩壊するはずである。
――しかし、王都の守備隊を指揮していた将軍、ケイロスの目論見は見事に外れた。
「敵を包囲殲滅せよ。敵兵は長きに渡り王都を包囲しており、疲れ切っているはずだ。今こそ敵を殲滅する好機ぞ!」
ケイロスは部下を叱咤激励したが、その言葉が末端の兵まで届くことはなかった。
それよりも先に、破軍のオグンが戦場に現れたからである。
オグンは愛用の戦斧シュバルツ・シュルトを振り回しながら、王都の守備隊の中に飛び込む。
ケイロスはその自殺志願者をあざ笑うかのように命令する。
「馬鹿め、一人で飛び込んでくるとは、そんなに死にたいのか。誰か、あの猪武者を討ち取れ! 討ち取ったものには褒美を取らすぞ!」
それに呼応したのは、ケイロス配下の勇将、ワグナスという男だった。
この男は自身の身長よりも長大な大剣を使いこなす男だった。
一振りで10人の兵を斬り払った伝説を持っている。
ワグナスは、
「その記録を11に伸ばす前に、あの男の首を持って参りましょう」
と、大剣を抜き放つと、馬を駆り、破軍のオグンのもとへ向かった。
オグンもそれを遠目から見つめると、ワグナスとの一騎打ちに応じた。
ワグナスの得物は大剣、
オグンの得物は巨大な戦斧、
ある意味、見応えのある戦いであった。
オグンもそのことを指摘する。
「見上げんばかりの巨大な大剣だ。それを軽々と使いこなす、なかなかの勇者と見た」
「貴様こそ、見慣れぬ戦斧を使うようだ。剣と槍が戦場の華と主張する連中より、よほど好感が持てるぞ」
ワグナスはそう言うと巨大な剣を振り下ろした。
ワグナスの剣に、二の太刀はない。
今までこの大剣をかわされたことがないからだ。
この速度で放たれた大剣を受け止めるのは不可能なのである。
――否、不可能で《あった》と言い換えた方が適切であろうか。
オグンはワグナスの大剣を戦斧で受け止めると言った。
「なんという速度、それになんという力、このような剣戟を受け止めるのは何十年ぶりのことであろうか」
そしてワグナスの大剣を跳ね返すと言い放った。
「そしてこのような勇者の血を浴びるのもまた何十年ぶりのことか」
オグンはそう言いきると、戦斧にてワグナスを一刀のもとに切り伏せた。
戦場に鮮血が舞う。
オグンはそれに見とれながら、こう言い放った。
「――やはり勇者の血という奴は何度見ても美しい」
と――。
その光景を遠目で見ていたケイロスはオグンの武勇に恐れおののいた。
「ば、馬鹿な、ワグナスがやられただと!?」
しかもその動揺は個人レベルで収まることはなかった。
「ワ、ワグナス様が敗れたというのか?」
「あの男は化け物か? 一刀で何人の兵士を斬り殺すというのだ」
「ゆ、弓矢も小枝のようになぎ払うとは人間の技ではない」
ケイロスの動揺が伝染した兵士達は、こぞって王都へと逃げ帰った。
ケイロスはその光景を他人事のように見つめると、自身は兵とは逆の方向へ馬を走らせた。
「このままむざむざと逃げ帰ったら、王妃は俺を許すまい。あのあばずれに殺されるくらいなら、亡命した方がましだ」
或いはこの男には先見の明があったのかもしれない。
小賢しい政治の論理ではあるが、ともかく、逃亡先にセレズニア北部を選んだのは時節をわきまえていた。
エルニカとジルドレイの国境線に立った男は祖国に向かって言った。
「ティルノーグの若造が勝つか、フィリスという小娘が勝つか、俺には分からない。だが、この国も長くはあるまい。こんな小さな国の中で争っているようでは、この戦乱の時代を生き延びることなどできるわけがない」