第1章 詐欺師と貧乳軍師
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結局、あのあと、山賊の親玉は子分どもを見捨てて一人逃げ帰っていった。
それを見ていた残りの手下も戦意を喪失、散り散りに消えていった。
最初は体勢を立て直し、仕返しにくるのでは、と臆病な村長は震えたが、その兆候はまったくなかった。
おそらくではあるが、部下を見捨てた親分に付き従うほど、子分共も馬鹿ではないということだろう。
だが、捕縛した山賊は、10人にのぼる。それらの処置に紛糾した。
山賊に家族を殺された者は当然縛り首を主張したが、心優しい村人の中には、それに反対する者もいた。結局は大多数の意見を採用し、王都に使いをだし、裁判にかけるという案が採用された。
その後、負傷した者の手当、死亡した者の埋葬(村人山賊問わず)に忙殺されたが、それにも目処がつくと、盛大な宴が始まった。
村を救った英雄をもてなす宴である。
当然、主役はカイルその人だった。
カイルは村にやってきたときよりも遙かに丁重なもてなしを受ける。
つうか、こいつら、最初の持てなしのときは加減してやがったのか、と思わなくもなかったが、宴の主役というのは何度なっても気分がよいものである。
カイルは、
「この村にある上等な酒は全部俺のところに持ってこい」
と宣言し、それを実行させると、夜が明けるまで酒をあおった。
正直、酒はそれほど好きではないのだが、今夜なんだかとても呑みたい気分なのである。
カイルと、それを取り巻く談笑の輪は、明け方近くになっても欠けることはなかった。
空も白み始めると、人の輪は徐々に欠け、皆、それぞれの家に戻っていく。
カイルは共に戦った者たちの姿を見送るととあることに気が付いた。
「ん、そういえば何人か欠けてるぞ」
もちろん、何名かは帰らぬ人になったのだから、宴に参加できるわけなどないのだが、生きている人間も何人か見かけないのだ。
「おい、そこの自警団員その1、おまえんとこの弓使いはどうした。見かけないぞ?」
自警団員の答えは素っ気ないもので、「どこかで恋人としっぽりやってるんじゃないすか。あいつ、ああ見えてモテるから」だった。
「なんだとぉ、あんな、犬みたいな顔をしていながらモテるのか。これだから田舎娘の趣味は分からん。じゃあ、狩人のあいつ、ほら、ブタイノシシみたいな顔をしたあいつはどうだ?」
それに答えたのはもう一人の若者だった。
「そういえばあいつも宴が始まってから一切見ませんね。あいつは女にモテるわけがないし、大の酒好きだし、なんか変すね」
「ったく、どいつもこいつもハレの宴をぶち壊しにしやがって、見かけたら、二次会に強制参加させてやる」
カイルはそう言うと、おもむろに立ち上がる。
「エシル様、どちらに?」
「ション便」
カイルは一言残すと、草むらに向かった。
すでに女の姿はなく、男だけなのでその辺で垂れ流しても良かったのだが、こう見えてもカイルは村の英雄なので、あまり品のないことはできなかった。
茂みの奥まで行くと、もそもそと用を足す。
昨晩から信じられない量の酒を飲んでいるので、出る量がおびただしい。
しかし、明け方の清浄な空気も相まって、至福の時でもあった。まあ、明日の目覚めは酷い二日酔いが確定しているだろうが。
用を足し、その場を立ち去ろうとしたのだが、カイルは思わずその場に立ち尽くしてしまう。
一瞬にして酔いが醒めるとはこのことだった。
見ればカイルの眼前に、刀を握りしめた大男が立ち尽くしていたのである。
血走ったその目からは、殺気と狂気以外を感じ取ることができなかった。
カイルは思わず、
「よ、よう、久しぶり」
と挨拶してしまう。
男は、山賊の頭は、カイルの冗談に付き合うでもなく、こう言い放つ。
「情けねえ姿を見られちまったせいで、手下共はみんな逃げて行きやがった。こうなったら俺の山賊の頭としての道はもうねえ」
「案外、噂が広まるのが早い業界なんだな。な、なら、真面目に働いて堅気になるってのはどうだ?」
「この俺が堅気? 馬鹿を言うな」
山賊の頭はかぶりを振る。
「だが、山賊としての道は絶たれたが、俺は男だ。この借りはきっちりと返して貰う」
「というと?」
「そうだな。その粗末なものを切り落として、お前の口に突っ込んでやる」
「……まじ?」
「……と言いたいところだが、騒ぎを聞きつけて村人に加勢されても困る。だからここはお前さんの首を刎ねるだけで許してやろう」
男はそう言うと、大きく振りかぶり、巨大な刀を振り下ろした。
カイルはその光景を酒がもたらす幻覚であることを祈りながら見つめているしかなかった。この泥酔した状態では、剣を抜くことさえ叶わなかった。
正直、こんな片田舎で山賊の刀の錆になる、という最後は想定の範囲外だったが、ここで見苦しく暴れてもどうしようもなかった。
カイルは、溢れ出す己の血を浴びながら、静かに目を閉じた。
詐欺師カイル、ここに眠る。享年17歳。
カイルは自分の墓碑銘を考えながら、最後の時を待ったのだが、そのときはなかなか訪れなかった。
それどころか、まったく痛みがない。血の熱さを感じてはいるが、痛みが全くしないのだ。最初は泥酔しているせいかと思ったが、そうではなかった。
目を開けると、そこには全身に矢を受けている男がいた。
山賊の頭は、口から「くひゅぅ……」という言葉を漏らすと、そのまま倒れ込んでいった。
カイルは慌てて振り返る。
そこには銀髪の少女と、宴に参加していなかった村人達がいた。皆、村でも有数の弓使い達だ。
なんと彼らは、山賊が復讐にやってくることを見越して、草むらに待機をしてカイルを見守っていたのだ。
命を救われたカイルは、村人達に駆け寄ると、彼ら一人一人の手を握りしめ、感謝の言葉を述べる。犬ころだのイボイノシシだの言ったことなど忘れてしまうほどの勢いだ。
若者達は「村の英雄を救えて光栄です」と照れるだけだったが、それでもカイルは感謝の念を述べる。
「つうか、お前らは俺の命の恩人だ。それに、よく山賊が現れるってわかったな。ほんとなら宴に参加したかっただろうに」
その言を聞いた村人達は、互いの顔を見合わせながら、不思議そうな顔で問い返す。
「エシル様はまだ酔ってらっしゃるようですね。山賊の頭が復讐にやってくるから、茂みで待機しろ、と命令されたのはエシル様ではないですか?」
「え? 俺、そんなこと言ってないけど?」
「いいえ、ちゃんと命令されましたよ。お弟子様のエリー様からちゃんと言付かりました」
その言を聞いたカイルの視線は、銀髪の少女エリーに注がれる。
まじまじと見つめるカイルに、エリーは歩み寄ると耳元でこう囁いた。
「いいから、エシル様を演じろ、偽エシル様」
カイルは、少女の銀髪と、手元にある光り輝く印綬を見比べて、とある結論に至った。
伝説に寄れば、この印綬、決して持ち主の元でしか光らないらしい。
ゆえに、天秤評議会の軍師の身元を示す証拠になるのだという。
そんな話を思い出した。
そして持ち主の元を離れたのになぜか光り続ける印綬。
最初は、持ち主の元から離れても暫くは光り続けるのかと思ったのだが、どうやらそうではなかったらしい。
持ち主はすぐ近くにいたのだ。
カイルは、本物の白銀のエシルはやっぱり銀髪であったこと、
そして身の丈3メルンの大男ではないこと、
そしてそのエシルが自分の命を救ってくれたことを再確認すると、
「う、うむ、これも俺様の神算鬼謀よ。皆のもの、御苦労であった」
と、彼女の薦め通り、偽エシルを演じきることにした。