第4章 エルニカ最大の貴族
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不惑の森での襲撃を乗り切ったカイル達一行は、今、ラドネイ公爵領の一歩手前にいた。
ここまでくれば、ジュオンの一族も、反乱軍も容易にやってこれないが、カイルは急いでいた。
背中に血だるまの大男を抱えていたからである。
男の名はジジン、ジュオンの一族の落ちこぼれで、カイルの命を狙う男でもある。
フィリスは、ジジンに感謝しており、好意さえ抱いていたが、こうも思っていた。
「カイル様、もしもジジンさんが快復されたら、決闘になると思いますが、それでも彼を助けますか?」
カイルは答える。
「まあ、こいつの兄貴を殺したのは事実だからな。寝首をかかれるくらいなら、決闘に応じてやろうと思っている」
カイルは肩越しにジジンの様子を確認すると、そう言い切った。
それに、と続ける。
「もしもここにこいつを置いていったら、姫様の足も止まっちまうだろう?」
「………………」
フィリスは答えを避けたが、カイルにはそれで十分だった。
この優しいお姫様が、怪我人を放置して旅を続けるわけがないのだ。
だからカイルにジジンを見捨てる、という選択肢はなかった。
この巨大な物体を手放す気にはなれなかった。
カイルはラドネイ公爵の城に向かうまで、わずかばかりも速度を緩めることはなかった。
エルニカの南東部にあるラドネイ領は、一貴族のものとしては最大を誇る。
見渡す限りの平地で、広大な麦畑が広がっている。
その規模は、ブリューン六公国の大穀倉地帯、『偉大なる平坦地 (グレート・プレーン)』に次ぐものがあり、エルニカの台所を支えているのはこの地といってもいいかもしれない。
カイル達はそんな田園風景を抜けると、巨大な城を見上げた。
ここがカイル達の目的地、ラドネイ公爵の居城、月光城である。
「でけえな、クルクス砦の比じゃない」
カイルは率直な感想を漏らす。
そんなカイルにフィリスは説明する。
「この城は、エルニカの王城に次ぐ規模を誇っています。またその美しさは、多くの吟遊詩人達がこぞって詩にするほどです」
「なるほどね。てゆうか、これだけ立派な城を持ってるってことは、さぞ兵隊もたくさん抱えてるんだろうな」
「ラドネイ公爵お一人で、1万の兵を動かすことも可能でしょう」
フィリスは言い切る。
カイルは、
「1万か、それプラス、ラドネイ派の貴族がこちらに付いてくれれば――」
カイルは皮算用をしながら、月光城へと入城した。
カイル達が入場し、まず行ったことは、医者を呼ぶことだった。
ジジンの手当てをして貰うのである。
現れた医者は、ジジンの異形な風貌と、カイルの体力に驚いた。
「よくもまあ生きてこの城まで運び入れたものだ」
「それは俺が一番驚いているよ。で、助かりそうなのか?」
「一番の驚きはこの男の生命力だよ。常人ならばとっくに死んでいる」
医者が太鼓判を押してくれたが、そういう言い方をされると心配になる。
しかし、今のカイルには、皮肉を言う余裕はない。
ジジンを背中から下ろした瞬間、へたり落ちてしまったのだ。
カイルは心の奥底から睡眠を欲した。
「今なら、フィリスと同じベッドでなくてもいい」
そんなことをつぶやいてしまうくらいに疲れていたのだ。
しかし、だからといって、本当に寝てしまうわけにはいかない。
まだラドネイが味方に付いてくれると決まったわけではないのだ。
最悪、すでに敵に通じている可能性もある。
のんきに爆睡する余裕など今のカイルにはない。
――それに、
クルクス砦の連中も気がかりである。
なるべく敵との抗戦を避け、戦力を温存しておくよう指示を出してあるが、カイルが指示を出したからといって、敵兵が襲ってこなくなるわけではない。
なし崩し的に戦に巻き込まれ、今頃大敗している可能性もゼロではなかった。
もちろん、カイルはクルクスの連中を信じていたが、それでも急ぐに越したことはなかった。
カイルは、この城の執事長を名乗る男に、ラドネイへの面会を願った。
執事長はうやうやしく頭を下げると、主へ取り次いでくれた。
フィリスとカイルが、ラドネイの執務室へ入る。
カイルは部屋に入ると必ずその部屋の調度品をチェックする。
あとでちょろまかすため……、
――ではない。
部屋というのはその持ち主の個性が表れる。
詐欺を働く場合、相手の性格を把握するのは、必要最低条件であった。
また、ラドネイの性格を確認することは、このあとに行われる交渉にも役に立つはずだった。
カイルは部屋を軽く見渡す。
ラドネイの執務室は、一言で表すれば、
「質実剛健」
だった。
フィリスの部屋のような可憐さや華やかさはない。
またカイルの部屋のように汚れているわけもなく、機能美と優雅さにあふれていた。
調度品も最低限だが、どれも最高級のものである。
ただ、気になるのは壁にかかげられている絵が非常に稚拙なことだった。
正直、これだけが奇妙に浮いていた。
そんなカイルの視線を察したのだろう。
ラドネイは答えを教えてくれた。
「それは娘が描いた絵なのだよ。お恥ずかしいかぎりだ」
そう言いながら頭をかく壮年の大貴族。
カイルは視線をラドネイに移す。
エルニカ一の大貴族、名をアルベルド、性をラドネイ。このラドネイ地方を治める領主だ。
大貴族だけあり、立派な身なりをしている。
上背もあり、体格も整っている。
生まれながらの貴人という奴で、例え農夫の格好をさせて農村にまぎれ込ませても、その高貴さは隠せないタイプだ。
ただ、貴族であることを鼻にかけるようなタイプでないこともすぐに分かった。
そもそも、血だらけのジジンを見てすぐに医者を手配してくれたのはこの男だった。
並の貴族ならば、絨毯が汚れるからと、馬小屋にでも通されたことだろう。
それだけでもこの男に好意を持つ理由になるのだが、カイルは慎重に尋ねた。
「お初にお目に掛かります。俺は、……天秤評議会の軍師、白銀のエシル。本名はカイルです」
カイルは腕を差し出すのを忘れたが、ラドネイは気を悪くすることなく、自ら腕を差し出してきた。
握手をするが、その握手はおざなりではなかった。
「わざわざ、遠いところから御足労頂き、有り難きこと。天秤評議会の軍師を客人として迎える僥倖、この月光城、建城以来の名誉です」
ラドネイはごく当たり前の言上を述べると、単刀直入に尋ねてきた。
「この時勢、反乱軍がうようよと徘徊する中、この城を訪ねてきた、ということは、このラドネイの去就について尋ねに参ったのですかな?」
カイルはうなずくと、フィリスは、
「その通りです」
と、言葉を発した。
「今回の反乱、明らかに反乱軍に義はありません。たしかに母上は……、いえ、王妃殿下は国政を思うがままにしておりますが、それでもそれを理由に弓を引くは、王家に対する反逆です」
「確かに、アマルダ王妃の行動は目に余るものがありましたが、民を虐げたり、国を売るような真似はしなかった。ましてやあの王都には、病に伏せている国王陛下もおられる。そのような中、反乱を起こすなど、王権をないがしろにするも同然」
ラドネイはそう言い切ったが、
「――しかし、反乱を起こしたティルノーグの気持ちも分からなくはないですな」
と、冗談をめかした。
不謹慎ではあるが、同調せざるを得ない。
それに、ここでアマルダのことをかばいだてするようでは、逆に心の内になにかある、と勘ぐってしまうだろう。
もしも、それさえも計算に入れて会話をしているのならば、ラドネイという男、凡人ではないが……。
カイルは色々と考察したが、答えが出るわけではなかった。
ゆえに、直球勝負で挑む。
「てゆうか、俺らは、ラドネイ公爵にこちらの陣営に加わって欲しいと思っている」
「こちらの陣営? アマルダ王妃一派のことですかな?」
「いいや、フィリス一派だ」
「ほう、つまり、姫様はやっと独り立ちをする気になった、と?」
「そう解釈して貰ってかまわない」
カイルがそう言いきると、ラドネイの視線はフィリスに向けられる。
彼女の意思を確かめようとしているようだ。
フィリスはラドネイをまっすぐに見返すと、宣言した。
「わたくしは、このエルニカのため、いえ、このセレズニアに住まうすべての民のため、己の命を捨てる覚悟をしています」
フィリスは己の胸の内を披瀝する。
「壮大な志ですな。ですが、志だけでは民も兵も付いて参りませんぞ。具体的に何をなさる?」
「戦のない世を作り上げます。そうすれば、税金を今の半分にできるでしょう。民は喜んで働くようになり、食べられる食料も増えます。そうなれば、たくさん子供が増えるでしょう。子供が増えれば笑顔をも増えます。笑顔が増えれば人は幸せになります。人が幸せになれば、自然と戦争がなくなる――、わたしはそんな世界が作りたいのです」
「なるほど」
ラドネイは一言漏らすと、姫の言葉を考察した。
抽象的で夢物語のような話だが、不思議と説得力のある言葉だった。
普段なら歯牙にもかけない理想論だったが、この娘――、この王女が口にすると、なんと耳障りのよいことか――。
しかしラドネイはそれだけでは心動かされない。
「それではフィリス様、その理想の世を作るために、まずは何をなさる?」
フィリスは答える。
「まずは王都を包囲している反乱軍を打ち破ります」
「ほう」
ラドネイはそう漏らす。
「王都の連中、特に姫の母上は、姫の理想を必ず邪魔をするでしょう。それでもお救いなさるか?」
「王都には、病に伏せている父上もいます。それに弟や姉君たちも。わたくしは見捨てることはできません」
「あくまで、母上ではなく、お父上と、ご兄弟のため、と申されるか?」
「………………」
フィリスはしばしラドネイの瞳を見つめたあとに答えた。
「……母はわたくしを憎んでいるようですが、わたくしは母を憎んではいません」
その言葉に葛藤があるのは隠せなかったが、ラドネイはあえて尋ねる。
「臣は、大昔より、それが不思議だった。なぜ、あのような愛情とは無縁のお方を母上と呼べるのか。なぜ、恨み節を言葉や形にしないのか。それをうかがいたい」
ラドネイは、フィリスとアマルダの関係を他人事ながら奇異の目で見ていた。
実の娘を目の敵のように憎む王妃と、それでも母に付き従う王女。
童話ならばありふれていたが、これは現実だった。
ラドネイは、王妃と対立しており、その対抗馬としてフィリスを望んでいた時期もあったが、フィリスに反骨心がないため、その機会を失していた。
フィリスがもしも母親に対抗する意思を示していたら、当時のラドネイは喜んで彼女の後援を引き受けていただろう。
ともかく、その答えを知りたかったが、フィリスの答えはラドネイの予想外のものだった。
フィリスは答える。
「母上は、この美しい世界にわたくしを産み落としてくれたのです。その恩人をなぜ恨むことができましょう」
フィリスは、まっすぐに、よどみのない瞳でそう言い放った。
ラドネイは、その瞳を見て、
『この娘の言葉に嘘はなし』
と、感じ取った。
また、その態度に感銘も覚えたが、それでも彼女に味方する、という言葉を発することはできなかった。
ラドネイには、フィリスに味方できない事情があるのである。