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第2章 心優しき巨人

   †


 カイル達の追跡を始めた配下の後ろ姿を見送ると、ユーフォニアは転がっている死体に蹴りを入れた。


「この役立たずめ。あいつらのすぐ側に居ながら、捕らえるどこか、逆に人質にされて」


 それはユーフォニアの本音だったが、蹴り上げた死体は、申し訳なさそうに許しをこうた。


「ユ、ユーフォニア様、も、申し訳ないだ。ど、どうか、お許しください」


 その言葉を聞いたユーフォニアの反応は冷淡だった。


「なんだ、生きていたのね、あんた」


 ユーフォニアは、喜ぶでもなく、怒るでもなく、興味なさげに言った。

 ただ、思いの外頑健なことだけは驚いたようだ。


 ジジンは、主であるユーフォニアに願い出る。


「お、おでも、あいつらを捕まえる仕事をさせて欲しいんだな」


 その言を聞いたユーフォニアは侮蔑の意を隠さない。


「あんたに何ができるというの? その歳で戦士にも慣れない落ちこぼれが。敵が敵だとも分からない間抜けなのでしょう? てゆうか、あんたみたいなのがなんで今まで生かされてきたの?」


「……お、おでは確かに、ウ、ウスノロの役立たずですだ。で、すが、おでの兄者は一族イチの戦士です。お、おでも、兄者みたいになりたい。あ、兄者の役に立ちたいんです」


 その言を聞いたユーフォニアは首をひねる。

 なにか記憶に引っかかるものがあったのだ。

 ユーフォニアはとあることを思い出すと尋ねた。


「一族イチの戦士? もしかしてゲヘルのこと?」


「そ、そうです、兄者はゲヘルといいます。ジュオンの一族の勇者です」


 その言を聞いたユーフォニアは思わず笑い声を漏らしてしまう。


「あの男が一族イチの勇者? ちゃんちゃらおかしいわね」


「………………」


「その勇者様という奴は、先日の戦闘で死亡したわ。その役目も果たせずにね。報告によればあのカイルって子と決闘して敗れたようだけど、あんな詐欺師に負けるなんて、それでよく一族イチの勇者が名乗れるわね」


 ユーフォニアは無遠慮に言い放つ。

 ジジンは沈黙せざるを得ない。

 あの兄者が、一族で一番強い兄が戦死したというのだ。

 それも先ほどジジンが助けた男の手によって。


 ジジンは、文字通り、ジュオンの一族の落ちこぼれだった。

 この歳になっても戦士の集団に入れて貰えず、炊事洗濯しかさせて貰えなかった。


 ジュオンの一族は戦士の集団である。

 戦えぬものは、一人前でない、否、人間としてさえカウントされない。


 村における立ち位置は最下層となり、子供からも馬鹿にされる存在となる。

 特にジジンのように図体がでかく、身内に多くの戦士を輩出する一家に生まれてしまえば、その風当たりはより大きくなる。


 事実、ジジンは幼き頃より、いじめを受け、一族中から小馬鹿にされてきた。

 しかし、そんな落ちこぼれの弟でも、兄は弟のことを(かば)ってくれた。


「こやつがデカイのはいつかその身体で大きな剣を振るうため。こやつの心根が優しいのはその優しさによって一族の者の命を守るため。どうか長い目で見守ってやって欲しい」


 ジジンの兄であるゲヘルは、ことあるごとにそう言って弟を(かば)った。


 ――そんな兄が死んだのだ。


 ジジンにとってそれは喪失を意味し、絶望を意味したが、不思議とカイルのことを恨む気にはなれなかった。

 それよりもジジンが気になったのは、兄の最期の様子だった。


 ジジンの尊敬する兄は、

 ジジンに戦い方を教えてくれた兄は、

 一族最強の勇者である兄は、

 どのような最期を迎えたのだろうか。

 それだけが気になった。


 ゆえに、ジジンはユーフォニアに尋ねた。

「あ、兄者は、せ、戦士らしく、ジュオンの一族の勇者らしく戦い、果てることができましたか」

 と――。


 弟の万感の思いがこもった質問に、ユーフォニアは冷淡に答える。


「手柄を立てずに犬死にした人間に勇者はいない」


 そして、間髪入れずにこう続けた。


「犬死にした兄の汚名をそそぎたければ、カイルかフィリスのどちらかを殺しなさい。それがお前にできる唯一の道よ」


 ジジンは、絶望以上の喪失感を味わいながら、ユーフォニアの命令に従った。





 ウスノロの木偶の坊の後ろ姿を見送ると、断裁のユーフォニアは舌打ちを漏らした。

 ジジンのウスノロ具合に呆れたわけではない。

 むしろ、自分のウスノロさに呆れたのだ。


 見れば目の前にあるみすぼらしい小屋から、二人の男女が出てきた。

 それはユーフォニアが殺害を命じた男女、カイルとフィリスだった。


「はーあ、私ってば間抜けだわ。灯台元暗しってほんとね」


 ユーフォニアは観念したように漏らす。


「そうでもないぞ、お前の部下は一応、小屋の探索はしていった」


「ちなみにどこに隠れたの?」


「ドアの後ろ」


 カイルは即答する。


「案外、ドアの後ろってのは盲点なんだ。部屋を開けて、中に誰もいなければそのまま見過ごす。ましてや急いでたら尚更だ」


「私ならさすがにクローゼットの中くらいは調べるけどね」


「あの小屋にそんな大層なものはないよ。椅子とテーブルくらいだ」


 カイルはそう言い切ると、かたわらに置いていた大鎌に視線をやったユーフォニアを一刀の元に切り伏せた。


 妖艶で蠱惑的な美女の首が空中に舞う。

 その光景は、どこか幻想的で、まるで神話の一節のようだった。


 フィリスは目を背け、カイルは一顧(いっこ)だにしない。 

 正直、カイルは女を斬るのは初めてだった。


 ましてやこんなに()い女を斬るなど、想像したこともなかったが、それも仕方ないことだった。


 断裁のユーフォニアという女はそれほどまでの存在なのである。

 冷酷で酷薄な女だから斬り捨てたのではない。


 頭が回り、腕が立つから仕留めざるを得なかったのだ。

 実際、ここで斬り捨てていなかったら、逆にカイルが殺されていただろう。


 見た目はともかく、カイルは断裁のユーフォニアの実力を過小評価していなかった。ほんの刹那でも逡巡(しゅんじゅん)していれば、首を刎ねられていたのはカイルの方だったはずだ。


 カイルは、

「すまないな。お互い地獄に落ちると思うが、地獄で会ったら、今度は酒くらい交わそうや」

 と、ユーフォニアの生首に語りかけると、振り返る。


 そこには、騒ぎを聞きつけたジュオンの一族の男達がいた。


「さすが暗殺者の一族、この物音を見逃すわけがないか」


 カイルはそう吐息すると、今度は彼らに立ち向かった。

 剣の腕には自信があるカイルだが、だからといって彼らに勝つ自信はなかった。


 一対一、或いは姫様さえいなければ、やり過ごすことくらいはできるだろうが、幼い頃から鍛練を重ねた暗殺集団に一人で打ち勝てるほどの実力はカイルにはない。

 カイルはある意味、死を覚悟しながら剣を振るった。





 カイルの袈裟斬りは、容赦なく空を斬る。

 主を失い混乱することを願ったカイルだが、ジュオンの一族はそんな甘ちゃんではなかった。


 主の死体を冷酷に見下ろすと、わずかばかりも動揺することなく、襲いかかってきた。


 しかも彼らが狡猾(こうかつ)なところは、自分たちに時間の余裕があることを知っていることだった。


 どんなに待ってもカイル達に援軍が現れることはない。

 一方、ジュオンの一族は、時間が経過すればするほど増員される。

 この森は彼らの本拠地なのだ。


「さすがにこれはもう駄目かな?」


 カイルがそう思い、諦めかけた頃、事態は急変する。

 更に悪い方にだ。


 全身に矢傷を受けた男が、カイルの前に立ちはだかった。

 ジジンである。

 ジジンは裂帛(れっぱく)の気迫で尋ねた。


「イ、イルカ、お、お前が、お、おでの兄者を斬ったというのは本当か?」


 その気迫に、思わず他の男達は立ち止まる。

 それはカイルも同様だったが、こう尋ねるしかなかった。


「お前の兄貴? 名は?」


 ジジンは答える。一言、

「ゲヘル」

 と、だけ――。


 その名前を聞いたカイルは、前日の戦闘を明瞭(めいりょう)に思い出す。

 ゲヘルという戦士と戦ったことを。

 その戦士の腹をかっさばき、その男を冥府に送ったことを。


 カイルは今更隠し立てする気はなかったので、正直に答えた。


「ああ、斬ったよ」

 と――。


 その言葉を聞いたジジンは、みるみるうちに顔を真っ赤にさせ、こう尋ねた。


「お、おまえが、お、おでの兄者を……」


「戦場でのならい、とはいわない。俺は自分が死にたくないが為に相手を斬り伏せた。お前には俺を憎む正当な理由があるし、俺を斬る権利もある。つうか、よーしらんやつに殺されるくらいなら、お前がいいかな」


 カイルはそう(うそぶ)くと、剣をジジンに向けた。

 ジジンは、カイルを睨み付けるとこう言った。


「あ、兄者は、どんな男だった?」

「どんな男?」


 兄弟のくせにどんな男だとは意味不明な問いだったが、カイルは答えた。


「すげえ男だったな。全身が殺気に満ちあふれてて、まったく隙がない。一体、どんな鍛錬をしたらあんな勇者になれるんだ、と思ったかな」


「………………」


 ジジンは沈黙し、カイルは言葉を続ける。


「勝てたのは、恐らく偶然だ。もしも次があれば死ぬのは俺の方かな」


 それは世辞ではなくただの事実だった。

 あのとき勝てたのは、ウィニフレッドという稀代の弓使いが居たからだろう。

 敵兵は常に彼を視界に入れて置かねばならず、その分、実力を十分に発揮できなかったはずである。


 一対一で戦えば負けていたのはカイルのはずだった。

 と、カイルは思ったことを正直に話したつもりだが、ジジンは何も反応しなかった。


 ただ、

「そうか……」

 と、その場に立ち尽くしながら、うわごとのように「兄者」と繰り返すだけだった。


 その姿を見た他のジュオンの一族は、ジジンに仇討ちをする気がないと察したのだろう。

 割り込むようにカイルに斬りかかってきたが、カイルはそれをいなすと、大声で言い放った。


「姫様!! 是非もない。ここは俺が引きつけるから、川まで走ってまた飛び込んでくれ」


「カイル様は死ぬ気ですか? ならばわたくしもお供します」


 フィリスは即座にそう返すが、そんなことを許されるわけがなかった。

 だが、カイルはそれ以上説得することはできなかった。

 見れば敵の援軍が現れ、退路が完全にふさがれたからである。


 カイルはその光景を見ると、今度こそ死を覚悟した。

 或いは姫様だけでもと思ったが、カイルの行動は遅すぎたのだ。

 悔やんでも悔やみきれなかったが、カイルの足下に弓矢が突き刺さったとき、大男のうめき声が聞こえた。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉ!」



 大地を揺るがさんばかりの声であった。

 大気は震え、剣をかまえ飛び込んできた暗殺者の心胆を寒しめるほどの(とどろ)きであった。


 ジジンは――、ジュオンの一族の落ちこぼれは、近くにあった大木をその膂力(りょりょく)によって引き抜こうとする。


 そんなことができる人間などいようはずはないが、ジジンは人間であることを忘れたかのように、それを実現させる。


 全身の筋肉が浮き上がり、血管が針金のように盛り上がる。


 まさしく化け物じみた力で、大木を抜き放つと、ジジンはそれを振り回しながら言った。


「こ、この男、イ、イルカは、おでが殺す。い、一対一でだ。正々堂々での勝負でだ。じゃ、邪魔をする奴は、絶対に許さない」


 呆気(あっけ)にとられたジュオンの一族の男達だったが、彼らも戦士である。黙っているわけではなかった。


「何を、この落ちこぼれめ! 貴様、戦士でもないくせに、我らの戦の邪魔をするな!」


 そう言い放ったのは幼き頃よりジジンを苛めていた同年代の男だった。

 ジジンはその言葉に怒ることはなかった。


 だが、男が次に発した言葉は許さなかった。


「そもそも、俺はお前とお前の兄貴が昔から気に喰わなかったのだ。なにが、一族イチの勇者だ。軍師風情に討ち取られるとは情けない」


 男は、己の舌によって、自分の死刑執行書にサインをした。

 ジジンは、怒り狂うと、巨木で男をなぎ払った。

 先ほどまで男の居た場所には、肉塊と血の吹きだまりしか残されていなかった。


「ら、乱心したか、このウスノロめ!!」


 そう叫んだ戦士達は、次々にジジンに飛びかかったが、ジジンは小バエでも払うかのように男達を吹き飛ばしていく。


 その姿は、伝説の巨人テイタムを想起させる。

 それほどまでにジジンの動きは、人間離れしているのである。

 まるで神話の一場面をそのまま再現したかのような動きだった。


 しかし、ジュオンの一族の戦士達もただの人間ではなかった。

 ジジンが手強い男であることを悟ると、すぐに動きを切り替えた。

 つまり、誰かが犠牲になっている間に、残りの人間が斬りかかるのである。


 通常、そのような馬鹿げた戦法をとる人間などいなかったが、ジュオンの一族は違った。

 敵を討ち取るためならば、相手を(ほふ)るためならば手段を選ばない。


 多くの戦士達が、己を犠牲にして、一族全体の利益を図るのだ。

 まさか男達もこの戦法を一族の人間、それも一族の落ちこぼれに使おうとは、夢にも思っていなかったはずだが、使わざるを得ないほどに追い詰められていたのだ。


 ――結局、ジュオンの一族 VS ジジンの戦いは、引き分けに終わった。


 その場にいる男すべてが死ぬか倒れ落ちると、ジジンも同じようにその場に倒れ込んだからだ。


 見ればジジンの身体からは、おびただしい量の血が流れ落ちている。

 全身という全身に矢傷を受け、身体中に斬撃を受けていた。


 ジジンがまだ生きているのは、ただの奇跡の産物でしかなく、偶然でしかなかった。

 このまま放置すれば、ジジンは間違いなく死ぬであろう。


 ――いや、例えここで介抱したとしても、ジジンが生き延びる可能性は限りなく低いだろう。


 カイルは、姫様と顔を見合わせると、無言でうなずきあった。


 姫は己の衣服の一部を切り破り、即席で包帯を作るとそれをジジンに巻いた。

 肌の一部が露出したが、まったく意に介する様子がない。


 一方、カイルは無言でジジンを担ぎ上げた。

 このように重い物体を今まで持ち上げたことなどなかったが、カイルはそれでも男を担ぎ上げた。


 文字通り小山を持ち上げるかのような苦労を味わったが、カイルはこう口にするだけだった。


「ぜってえに死なせないからな!」


 カイルは、自分よりも何倍も重量がある大男を担ぎ上げ、ラドネイ公爵の館まで走った。


 比喩ではなく、本当に走った。


 道中、カイルは自分の人の良さと馬鹿力に呆れたが、それでもこの男の命を救わないわけにはいかなかった。




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