第2章 正義の味方らしいやり方
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ジュオンの一族の屈強な男10人を従え、小屋を取り囲んでいたユーフォニアだったが、いらだちを隠せなかった。
さきほどから投降をうながしているのに、返事がまったくないからである。
ユーフォニアはその美しい顔を歪めると、
「これだから下品な男は嫌なのよ。礼節もわきまえないから」
と、部下達に火矢を用意するように命令した。
出てこないのであれば、炎と煙によっていぶり出すだけ。
素性の知れない詐欺師と、その詐欺師を軍師だと思い込んでいる娘には、丁度良い薬となるだろう。
そう思ったユーフォニアは、腕を上げ、矢を放つことを命令しようとしたのだが、それはすんでのとこで制止される。
絶妙のタイミングで男達が出てきたからである。
小屋から現れた影は三体、ひとつは小山のような大男で、残りは標準的な男女のものだった。
つまり、カイルと、フィリス、そしてジジンのものである。
ユーフォニアは、この粗末な小屋に住まうジジンという男の名前さえ知らなかったが、このジュオンの一族の男が、役立たずだということは知っていた。
元より、今回の命令、ジュオンの一族の戦士、すべてに召集令がかけてある。
だのにこの男がここにいるということは、一族から戦士として認められていないということだ。
それだけでもユーフォニアにとって腹立たしいのに、このうすらデカイ男は、ユーフォニアの苛立ちを更に助長させる。
なんと、この男、カイルとかいう詐欺師に剣を突き立てられているのだ。
つまり、この男は、フィリス一行を捕らえるどころか、ユーフォニアの足を引っ張る木偶人形だった。
ユーフォニアの表情の変化を確認したカイルは、正義の味方らしく、堂々と主張する。
「おっと、一歩でも動くなよ。一歩でも動けば、お前達の仲間の命はない」
その言葉を聞いたジュオンの一族の動きは止まり、
人質にされているジジンは、
「……うう、ひ、どい」
と、うめき声を上げる。
さすがに爽快な気分ではいられなくなったカイルは、小声で弁明する。
「すまないな。命の恩人に恩を仇で返すような真似をして。もしも、この窮地を乗り切り、いつか再会することになったら、絶対恩返しするから、それで許せ」
無論、それが免罪符とならないことは分かっていたが。それでもカイルはジジンに謝るしかない。
姫様の命を救う最善の方法は、これしかないのだ。
カイルは、悪役になりきると、ユーフォニアに交渉を持ちかけた。
「このまま俺達を逃がせば、この男の命は保証する」
ユーフォニアは尋ねる。
「その男の命を助ける、という保証は?」
「それは俺を信じてくれというしかない。いや、フィリス王女の名誉を信じてくれ。俺の主は俺に卑怯な真似はさせない」
「……今現在、やっていることは卑怯ではないの?」
「そうだな、どちらかといえば卑怯だが、何百年にも渡って暗殺組織を育てているあんたらの方がエグイと思うぜ」
「蛇の道は蛇よ。各国の王族は、我々を暗殺しようとすることもあるわ。保険はどんな人間にも必要でしょう?」
「そうやって1000年もの間、歴史をコントロールしてきた気になってたのか」
「実際、1000年のもの永きの間、我々は、この大陸を統一する勢力の誕生を拒んできたわ。統一戦役や解放戦争の二の舞は二度と起こさせなかった。その結果だけは褒めて欲しいものね」
「エリーも似たようなことを言っていたよ」
「あら、そう。あのこんまいのは嫌いだけど、意見が合うこともあるのね」
「だが、エリーとお前らが決定的に違うのは、エリーは今もその理想を信じ、戦っているってことだ。お前らみたいに途中で投げ出し、逆にこの世界を滅茶苦茶にしようだなんて思っていない」
「この世界を滅茶苦茶? それは見解の相違ね。我々、いえ、セイラム様ならば、例え統一王を誕生させても、うまくコントロールしてくださるわ。このセレズニアは、一人の王のもとで協力し合い、より技術と文化を発展させていくの。やがては他の大陸でさえ、その威光は届くことになるでしょうね」
「このセレズニアを征服した次は、よそさまの大陸という訳か」
「そこに大陸があるのなら、征服するのが筋というものでしょう」
「かもな。で、セレズニアを征服して、よその大陸も征服して、次はどこだ? 夜空に煌めく星々でも手に入れるのか? 地の底にあるという伝説の国も従えるのか? サクラの故郷、ニホンとかいう国も攻め甲斐がありそうだ」
「その口調、セイラム様を馬鹿にしてるみたいだけど、お生憎さま。私にその手は効かないわ。それに、貴方の意見も素晴らしいと思うもの。セイラム様は、この世の全てを手に入れるべきだわ。夜空に煌めく星々も、燦々と輝く太陽でさえも、神々が住まう地でさえも、そこに住む者達は門前を綺麗にはいてセイラム様を迎え入れるべきなのよ」
ユーフォニアはうっとりとした瞳でそう言い放った。
カイルはその瞳に、恋する乙女の成分と、狂人独特のそれを感じ取った。
ゆえに、これ以上議論しても無駄だと、実務的な話に入った。
カイルは、ユーフォニアに、「どこまでも征服しろ、二人で異世界にでも行っちまえ」と聞こえないように言い放つと、こう言った。
「さて、長話も過ぎたが、さっきの提案について聞こうか?」
「さっきの提案?」
ユーフォニアは首をひねる。
「俺達をこの場で逃がす逃がさない、の話だ。この男の命は、俺達の名誉にかけて保証するが――」
カイルがその言葉を最後まで言い切ることができなかったのは、ユーフォニアが答えを言葉で返さなかったからだ。
ユーフォニアは、横にいた戦士に命令すると、ジジンに矢を打ち放った。
「これが、私の答えよ、間抜けな軍師さん」
勝ち誇った表情をするユーフォニア。
あっけにとられるカイルとフィリス。
ジジンはただ苦痛にうめくしかなかった。
ユーフォニアは言う。
「あんた馬鹿ぁ? 価値がある人間以外、人質になるわけがないでしょう? そんな木偶の坊が交渉材料になるわけないでしょ」
そう言うと、ユーフォニアはしなやかに腕を振り落とし、他の部下にも弓を射るように命じた。
火をまとった矢尻が、空気を焼き切りながら、ジジンの身体に突き刺さる。
カイルはとっさにジジンを解放し、ジジンを突き飛ばし、自分も後続の矢を避けた。
「……っくそ、会ったときからそうだとは思ってたが、ほんと、容赦のない女だな。慈悲の心ってのがないのか」
「そんな物は母親の胎内に置き忘れてきたわ。で、どうするの、へっぽこ軍師さん、次、私が命令すれば、貴方は全身蜂の巣よ。ついでに、そこにいる役立たずもね」
ユーフォニアは小動物の命を弄ぶかのようにそう言い放ったが、その手が振り下ろされることはなかった。
カイルの横で控えていたフィリスが、カイルとジジンの前に立ちはだかり、敵兵に身体をさらしたからである。
大の字になり、ユーフォニアの前に立ちはだかったフィリスはこう言い放った。
「わたくしならば、人質としての価値があるでしょう。もしも、この方達を殺すというのならば、わたくしはこの場で自害します」
その言葉を聞いたユーフォニアは、明らかに眉をひそめた。
カイルはともかく、やはりフィリスには人質的価値があったのである。
実際、ユーフォニアは、フィリスの殺害ではなく、捕縛を命じられていた。
セイラムにそう明言されていたのだ。
ユーフォニアとしては、
「傀儡とするなら、他の王族にすべきでしょう。意のままに操れる候補者が、他にいくらでもいます」
と、具申したのだが、セイラムの答えは意外なものだった。
「あの女……、白銀のエシルが仕えている女だ。それなりの女なのだろう。一度会って話をしてみたい。それに傀儡にするにしても、あまりに馬鹿者を傀儡にしても、国は治まるまい。民もそこまで愚かではないからな」
セイラムはそう言いきると、捕縛を命じたのだが、彼は気が付いていなかった。
フィリスを捕らえる理由に、「あの女」という単語を使ってしまったことに。
今更隠し立てすることでもないが、断裁のユーフォニアは、漆黒のセイラムを愛していた。
それは天秤評議会の同僚としてではなく、一人の女としてである。
一方、その想い人である漆黒のセイラムは、女性関係には淡泊な男だった。
ユーフォニアは、同僚として、軍師としてもセイラムを尊敬していたので、あからさまな誘惑はしたことはないが、それでも人生の節々において、好意を見せてきたつもりだった。
しかし、ユーフォニアの想いが成就する兆しはまったくない。
最初は、自分に女性的魅力がないかと悩んだ時期もあったが、鏡を見ればそこには絶世の美女が映っており、魅力以前の問題であることに気が付いた。
つまり、漆黒のセイラムの中には、すでに女性が住んでいると悟ったのだ。
ユーフォニアは、その第一候補として、彼の実姉である白銀のエシル(エリー)を想定していた。
口では罵り合う二人だったが、セイラムの瞳は、常に彼女を追っているような気がするのだ。
或いはそれはユーフォニアの大きな勘違いで、ただの姉弟の情愛にしか過ぎぬかもしれないが、それでもユーフォニアはエリーが憎くて仕方なかった。
ユーフォニアは思う。
(もしもフィリスをここで殺せば、《あの女》はさぞ悔しがるのではないか)
と――。
エリーは、その身分を偽っているが、間接的にフィリスに仕えているということは、この女の才能を買っているのだろう。
龍星王フォルケウスに対抗する存在に育て上げたいのかもしれない。
軍師にとって、最高の喜びは、自分の仕える主を見つけたとき、という格言があるが、最悪の悲しみは、その最良の主を亡くしたとき、という言葉もある。
(……自分の弟子と、自分の主を同時に失ったあの小娘は、さぞ悔しがるでしょうね)
そんな結論に至ったユーフォニアは、腕を振り下ろし、フィリスを含め、全員を射殺しようとしたのだが、その手が振り下ろされることはなかった。
見れば、カイルという小悪党が、懐から何かを取り出し、叫んでいた。
「お姫様、目をつぶっていろ!」
フィリスは即座にそれに従う。
カイルの言葉は神託も同然なのだ。
ユーフォニアを除く全員が、馬鹿正直にも目を見開き、カイルの行動を観察してしまった。
カイルが投げ放った物体は、リンガ蝶の鱗粉と呼ばれるものだった。
ジルドレイ領にあるスロン島にしか存在しない珍しい蝶で、その鱗粉が空気中に舞うと、強烈な閃光を放ち、その後、濃霧のようなものが立ちこめる。
ほんの数十秒であるが、真昼でも深淵のような暗闇を辺りにもたらすのだ。
かろうじて閃光だけはまぬがれたユーフォニアは、ともかく、撃って撃ちまくれ! と檄を飛ばすが、いくら屈強な暗殺集団でも、視界を奪われた中、矢を当てることは不可能であった。
十数秒後、濃霧が消え去ると、そこには矢傷を受けたジュオン族の男しかいなかった。
ジジンのことである。
ユーフォニアは舌打ちすると、次の命令を待っている男達に言い放った。
「あの二人を生きてこの森から逃がすな!!」
男達は無言で応じると、風のような速度でカイル達の後を追った。