第2章 一難去ってまた一難
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反乱軍200の兵士を突破したとき、カイルは奇跡的に無傷だった。
真の英雄は幸運をも味方にする、とは、カイルの師匠の言葉であるが、その言葉を今更ながらに思い出した。
「……もっとも、本当に運がいいなら、こんな目には遭わないかもしれないがな」
カイルは皮肉を漏らす。
敵中を突破したのは良い。
その際に傷一つ負わなかったのも奇跡ではあるが、その奇跡はいつまでも続くわけではないようだ。
見れば一緒に逃げたはずの味方は散り散りになってしまった。
タフな連中なので心配はしていないが、合流先であるラドネイ公爵領までは一人旅を強いられそうである。
ちなみに、馬の後ろに乗せていたエリーもいない。
途中で落としたというか、逃がしたのだ。
いわゆる、
「ここは俺に任せてお前は先に行け」
を、現実で再現したのだが、その後、小説のように上手くはいかなかった。
敵兵に囲まれたカイルは、命からがら逃げ出してきたのだ。
それが今の孤独を生んでいるわけだが、ある意味、カイルはその決断をした過去の自分に感謝をしなければいけないのかもしれない。
こうして一人、辺鄙な地に逃げてきたことで、偶然、お姫様と再会できたのだから。
見れば、フィリスとアザークは数十メルン先にいた。
相も変わらずアザークは姫に付き従い、姫様は巨乳を揺らしている。
カイルは嬉しさのあまり、声を上げそうになったが、思いとどまる。
遙か前方に敵の姿を見たからだ。
悪い予感のしたカイルは、後方にも振り返る。
「……やっぱりな」
予感の的中したカイルは苦々しい言葉を漏らす。
やはりそこにも、敵兵はいた。
どうやら反乱軍に取り囲まれてしまったらしい。
フィリスを護衛しているアザークもそのことに気が付いたのだろう。脇道にそれる。
しかし、カイルはその行動に舌打ちした。
「馬鹿野郎、そっちは川があるだろうが」
見ればフィリス一行は、濁流の側で立ち往生していた。
カイルはその姿を見て、祈るように馬を飛ばした。
なんとか敵兵よりも先にフィリスと合流し、事態を打開しようと図ったのだ。
「間に合え!」
そう叫びながら馬を走らせたのが、功を奏したのだろう。
敵兵よりも先にフィリス達と合流できた。
数時間ぶりの再会であるが、その第一声は、
「ちなみにお前ら? 泳げるか?」
だった。
アザークは目の前を流れる濁流に視線をやると、
「……まさか」
と、つぶやいた。
カイルは応える。
「そのまさか、だよ。ここで敵兵に捕まりたくない」
カイルも濁流に視線をやると、次いで姫様の瞳を見つめながらこう言った。
「俺を信じてくれるかい? 姫様」
姫は――、フィリスは、僅かに迷うこともなく、首を縦に振り、こう言った。
「どこまでもお供いたします」
カイルはそんなフィリスの手を取ると、一緒に濁流に飛び込む。
それを傍観していたアザークも慌てて後を追った。
その光景を十数メルン先から眺めていた反乱軍の兵は思った。
「愚かな。命を粗末にしおって」
それほどまでに目の前の川は荒ぶっていた。
濁流に翻弄され、それでも最後まで姫様の手を握りしめていたカイルだったが、やがて気を失う。
或いはそのまま永遠の眠りにつく可能性もあったが、カイルの悪運は筋金入りだった。
カイルは、下流のほとりにて目を覚ます。
目を覚ましたカイルは、当然、フィリスの姿を探すが、そこには誰もいなかった。
カイルは後悔する。
自分の選択肢を後悔してしまったのだ。
自分の行動によって、姫様を護るどころか、逆に姫の命を奪ってしまったと思ったのだ。
或いは、カイルは絶望という言葉を生まれて初めて自覚したのかも知れない。
それほどまでの喪失感だったのだが、カイルはとあることに気が付く。
すぐ近くに、とある物が転がっていることに――
それは、見覚えのある物だった。
フィリス王女がいつも身につけている装身具で、黄金色の腕輪だった。
そしてその横に続く、水の染み。
その染みは転々としており、まるで何者かが、何かを担いで通った跡のようだった。
そう、ずぶ濡れの人間をかついで歩けば、丁度そんな染みができそうな気がする。
カイルは、その染みと、姫様の腕輪を結びつけると、とっさに跡を追った。
目をさらのようにして、水のしたたり落ちた跡を追ったカイルだったが、その跡はすぐに途絶えていた。
痕跡を見失ったわけではない。
すぐ側に、みすぼらしい小屋が建っていたのである。
フィリスがそこに連れ込まれたことは明白だったが、カイルは迷った。
「……すぐに飛び込むべきか、それとも様子を見るべきか」
一応、口ではそう確認したが、腰に自分の剣があることを確認すると、飛び込んだ。
様子をうかがわずに飛び込んだのは軍師らしからぬ行動だった。
なんの躊躇もなく飛び込んだのは詐欺師らしからぬ所業だった。
だが、フィリスが何かされているのではないかと考えると、居ても立ってもいられなくなった。
カイルは粗末な扉を開け放つと、そこにいた人物に叫んだ。
「その姫様は俺の、いや、この国の未来を背負ってるお方だ。指一本でも触れてみろ、痛覚を持って生まれたことを後悔させてやる」
その言葉を聞いた男は、思わずびくりと身体を震わせる。
カイルの視界に入った男は、見上げんばかりの大男だった。
浅黒い肌と黒い瞳を持った大男で、一言で表してしまえば醜男であった。
そんな男が、今まさに、姫様に襲いかかろうとしているのだから、その男はカイルに斬られても文句は言えないはずであった。
だが――、その男は斬られることはなかった。
すんでの所でフィリスが止めに入ったからである。
フィリスはカイルと男の間に割って入ると、腕を大きく開け放ち、こう言った。
「カイル様! カイル様は誤解されています。このお方はわたくしの命の恩人です」
仮に姫様の言葉が後、数秒でも遅れていたら、男の命はなかったであろう。
それほどまでにカイルは頭に血が上っていたのである。
無礼にもカイルが斬りかかろうとしていた男は、フィリスの命を救った恩人だった。
川で倒れていたフィリスをこの小屋まで担ぎ込むと、暖を与え、介抱したのだという。
……ていうか、近くにいた俺には気が付かなかったのかよ、
という突っ込みを入れたくなったが、黙っておく。
一応、これでも感謝しているのだ。
カイルは改めて男に自己紹介――、
をするわけにはいかなかったが、一応、礼だけは言った。
偽名とともにこう言う。
「ありがとな、俺は、……ええと、イルカって言うんだ。ちなみにこの方は俺のご主人様で、マーガレット様だ」
フィリスはカイルの意図を了承したのだろう。
改めまして、と前置きすると、カイルに合わせ、
「マーガレットです」
と名乗った。
男は、
「イルカにマーガレッドか……、へ、へんな名前だな。お、おでの名前はジジン、よ、よろしくなんだな」
と、返してくれた。
男がフィリスを救ってくれたのは事実だったが、未だ身分が分からない。
用心するに越したことはない。
事実、カイルの用心は役に立つ。
カイルは、さりげなく、相手の身分と現在地を聞きだそうと言葉を選んでいたが、カイルが口を開くよりも前に、男は自己紹介してくれた。
「こ、ここは、ジュオンの一族の、隠れ里なんだな。お、お前ら、なんであんなところで寝ていたんだ?」
それを聞いたカイルとフィリスは互いに顔を見合わせる。
その表情は、
「どうやら自分たちは助かったのではなく、蜘蛛の巣の端に引っかかっただけらしい」 と、物語っていた。