第2章 さいさきの悪い旅立ち
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ラドネイ公爵領への旅の同行者も決まり、後は実際に公爵領にある彼の城へと向かうだけなのだが、それは想像したよりも遙かに困難をともなった。
ラドネイ公爵領は、丁度、王都グロリュースを挟んだ正反対の位置にあり、距離にして300エルほど離れているのである。
「いや、まあ、距離はいいんだけど、問題なのは、王都の向かい側にある、ってことだよな」
カイルは溜息をつく。
つまり、カイル達は、王都を包囲している反乱軍の横を通過しなければならないのだ。
反乱を起こし、王都を占領しようと躍起になっている兵士達が、のこのことやってきたフィリスを見逃すわけがない。
いや、必ずフィリスを捕縛しようと、その牙を剥いてくるだろう。
カイル達は、蜘蛛の糸を張り巡らし、手ぐすねを引いて待ち構えている巨大蜘蛛の横を通過しなければならないのだ。
それがどんな困難をともなうか、溜息しか出ないのも仕方ないことだった。
そんな姿を見たフィリスは慰めるように、こんな提案をしてきた。
「王都周辺の主要街道は、敵軍に支配されていますが、ぐるっと回り込むことはできないでしょうか?」
フィリスは、手で大きく弧を描く。
可愛い仕草と提案であるが、却下せざるを得ない。
理由は、時間が掛かりすぎるからだ。
カイルの代わりにウィニフレッドは答える。
「ハザン経由でブリューンに行き、南側から公爵領に入る。確かに安全なコースだが、今の我々には時間がなさ過ぎる」
ウィニフレッドは、「残念ですが」と敬愛する姫に添える。
「そうですか……」
フィリスは声のトーンを落とす。
公爵への直訴を真っ先に支持したフィリスだったが、危険な旅には反対の立場だった。それは自分のためではなく、部下のためである。
この姫はどこまでも家臣思いであった。
例えば、今ここで、反乱軍の手の者が現れ、我々を包囲したとしよう。
その数が圧倒的で、勝ち目なし、と判断すれば、フィリスは己の身を差し出すことで敵軍に降伏することだろう。
なんの迷いもなく、ためらいもなく、である。
カイルはそのことを熟知していたので、横にいるアザークに向かってこう言った。
「――俺が合図をしたら、お前は姫と共に馬を走らせろ。いいか? 全力でだぞ。絶対に振り向くな」
アザークもただならぬ気配を察したのだろう。
いつもの皮肉を口にすることなく、
「――分かった」
と、一言だけ口にした。
それが合図となった。
先ほどまで木陰に隠れていた連中が一斉に街道に飛び出してきた。
赤茶げたターバンで頭部を隠し、マントを羽織った異形の人間達だった。
彼らが反乱軍の手のものではない、とすぐに分かったが、かといって味方でないこともすぐに判明した。
ターバンの合間から漏れる黒い瞳、そこからは殺意以外のものを感じ取れなかった。
実際、異形の男達は、なんの前口上もなく、投擲武器を投げ放ってきた。
「チャクラム!」
そう叫び、かわすようにうながしたのは、ウィニフレッドだった。
カイル一行はその指示に従う。
ウィニフレッドは続けざまに言った。
「あの武器、あの格好、どうやら、あいつらは、呪穏の一族のようだな」
「ジュオンの一族?」
カイルは尋ねる。
「ああ、セレズニア南部の森、不惑の森の住人だ」
「森の住人か、童話を連想するな」
「言われてみればその通りだが、童話は童話でも、奴らの役所は、血に飢えた狼というところだろうな」
「つまり説得の類いは無駄ということか?」
「その通り。やつらは獣だ。交渉ごとは無益」
「だが奴らにも飼い主はいるのだろう? それともタダ働きが趣味なのか?」
「無論、ただ働きが趣味の人間などいないだろう。奴らにも飼い主はいる、という噂はある。……あくまで噂だが」
「なんだよ、勿体ぶるなよ、飼い主って誰だ?」
カイルはそう問うたが、ウィニフレッドは沈黙によって答える。
そして、数秒ほどカイルの瞳を見つめた後に言った。
「……天秤評議会」
その単語を聞いたカイルは思わず言葉を失い、同時に横にいるエリーの姿を見てしまう。
「………………」
エリーは沈黙によってカイルに応じたが、今のカイルにそのことを問いただしている時間はなかった。
ジュオンの一族が、第二陣、第三陣のチャクラムを放ってきたからである。
カイルはそれを避けると同時に、腰の剣を抜きはなった。
「応戦するぞ!」
不意を突かれたカイル達だが、ここにいる連中は一騎当千の猛者ばかりである。臆病者は一人もいなかった。
それぞれ、剣に弓と、得意の武器を構え始める。
こうしてジュオン一族とカイル達の戦闘が始まった。
カイル達はまず相手の裏に回り込むかのように、移動する。
理由はフィリスとアザークを追わせないためだ。
カイルはフィリスとアザークの姿が小さくなったのを確認すると、戦闘の指示を始めた。
戦闘の指示――、
といっても、今回の戦は小規模である。
カイル達一行は30人に満たない。
一方、敵方も数は多くない。
20人程度であろうか。
この戦力差ならば、カイルが指揮をとる必要などない。
――はずであったのだが、その目論見は外れた。
ターバンの一団は、カイルが想定したよりも遙かに腕の立つ連中だった。
将兵の中から選りすぐりの一団を集めたカイル達一行と五分に戦っているのである。
ターバンの男達は、その奇異な格好同様に、奇異な武器を使ってくる。
先ほどのチャクラム(円形状の投擲武器)もそうだが、手に持っている武器もエルニカではあまり見かけない湾曲した片刃剣だった。
しかも、煤でも塗られているのだろうか、刀身は真っ黒である。
「……まるで暗殺者集団です、と誇示しているようだな」
カイルはそう漏らしながら、斬りかかってきた男の剣を受け止める。
見事な膂力だった。
細身の身体なのに、力強い。
カイルはその剣を押し返すと男に言った。
「つうか、ジュオンの一族だったか。なぜ、俺達に襲いかかる?」
カイルの問いに男は無言の剣によって応える。
男はカイルの首筋を狙って、しなやかに剣を振るう。
カイルはすんでのところで避ける。
「おいおい、普通、悪役ってのはここでベラベラとしゃべるものだろう」
「……よくしゃべる軍師だ」
男はようやく、カイルの問いに応じてくれた。
「ちなみに雇い主は誰だ、なんて無粋なことは尋ねないぜ。言っても答えてくれないだろうしな」
でも――、
とカイルは、相手に剣を突き入れる。
男はひらりとかわすと、軽業師のように後転する。
「…………」
見事なものである。
もしもこの男が自分を殺しにきた暗殺者でなければ、しばし見とれていたことだろう。
しかし、今のカイルにそんな悠長なことをしている暇はない。
速攻でこの男を殺し、戦闘の指揮をとらなければ、下手をすれば全滅してしまう可能性もある。
見れば、クルクス砦の連中は、苦戦を強いられていた。
皆、異形の集団の奇怪な動きに惑わされ、浮き足だっている。
カイルはその姿を横目で見ると、勝負を決めることにした。
「ちなみに、お前の名前は?」
カイルは最後に男の名前を尋ねる。
答えぬかと思ったが、男は一言だけ、
「……ゲヘル」
と、言い放った。
或いはゲヘルは、カイルのことを一人前の戦士として認めてくれたのかも知れない。ジュオンの一族というのは、戦士に敬意を払う一族でもあるのだ。
カイルは、
「まあ、知ってると思うが、俺の名前はカイル。白銀のエシルという通り名があるが、それは借り物だ。ほんとはただのカイルだ」
と、言い放つと、頭を低くしながら、相手に詰め寄った。
それを見たゲヘルも同じように駆け寄ってくる。
二人とも、一撃で勝負を決めるつもりだった。
カイルは剣を横なぎに払い、
ゲヘルは縦に振りかぶった。
二人の剣が同時に振り下ろされた瞬間、
剣と剣が刹那の挨拶を交わした瞬間、
ひとつの生命がこの世から失われた。
ばっくりと腹を割かれた男は、
「……お見事」
と、一言、遺言のように言葉を漏らした。
この勝負の勝者カイルは、それを耳に焼き付けると、男の死を確認した。
見事な腕前であり、二度と戦いたくない相手だったが、カイルは男の死を見届けると、即座に振り返った。
今のカイルに戦士の死を悼んでいる時間はなかった。
カイルは劣勢となっている味方に、的確な指示を飛ばした。
カイルが指揮を採り始めると、味方は息を吹き返し始めた。
すでに何人かは倒れ込んでいたが、それでもクルクスの連中はタフだった。
「白銀のエシル様が、カイル様が我らの指揮をとってくださるぞ。カイル様の知謀に、我々の力が加われば、万の兵とて恐るるに足らず!」
味方は、次々と敵兵を倒していく。
カイルは用兵家の端くれとして、それを満足げに見守っていたが、いつまでも軍師気分で観戦しているわけにはいかなかった。
事態が急変したからである。
後方から指揮をしていたカイルは、遙か遠方に無数の影を見つける。
この騒ぎに気が付いた反乱軍が、軍を差し向けてきたのである。
「これだけ騒げば当然といえば当然か……」
カイルはそう吐き捨てると、退却することにした。
「三六計逃げるにしかず」
カイルは逃亡という言葉を恥だとは思っていなかったし、そもそも戦うのは下策と思っていた。
今、ジュオンの一族は崩壊しかけており、逃げ出すことも不可能ではないだろう。
カイルは数メルン横で弓を構えている男に話しかける。
「おい、ウィニフレッド、そろそろ逃げるぞ」
ウィニフレッドは、弓を振り絞りながら答える。
「待て、今、いいところなのだ」
ウィニフレッドはそう言い放つと、弓を解き放つ。
解き放たれた矢は、まっすぐにジュオンの一族の右目に突き刺さる。
ウィニフレッドはのたうち回る男を見つめながら、抗議の声を上げる。
「っち、お前が話しかけるから手元が狂ったではないか。可哀想に、楽には死ねんぞ。あの男は」
慈愛にあふれた悪魔はそう漏らすと、カイルの方に振り向く。
「というか、撤退か。まあ、潮時かも知れない」
ウィニフレッドはキザな口調で、撤退する旨を了承した。
撤退――
いや、言葉を飾っても仕方ない。
カイル達一行の逃亡は困難を極めた。
瓦解しかかっていたジュオンの一族だが、カイル達の逃亡を黙って見逃すことはなかった。
背中を見せた瞬間、次々に斬りかかってくる。
そしてそれらを運良く切り抜けても、前方にいるのは、反乱軍の兵達だった。
その数はざっと200。
簡単に突破できる数ではない。
カイルは馬の後ろに乗せたエリーにつぶやく。
「さて、後門にジュオンの一族、前門に反乱軍、お前ならばどちらに行く」
エリーは「そうだな」と返すと、
「私なら横だな。敵中突破は避けたい」
と、アドバイスをするが、こうも付け加える。
「だが、お前は私の意見に従うつもりはないのだろう?」
背中から聞こえる言葉には、皮肉が満ちあふれている。
カイルはその皮肉を無視するように、問い返す。
「つうか、どういう根拠でそう思うんだ?」
エリーは言い切る。
「理由はただひとつ、あの敵兵の先に姫様がいるからだ」
カイルはにやりと笑うと答えた。
「分かってるじゃないか。今更、姫様の後を追わない理由はない。一刻も早く合流して、ラドネイ公爵の首根っこを掴んでやる」
カイルはそう嘯くと、敵陣に向かって馬を進めた。
クルクスの連中もカイルに付き従う。
200の兵は、血走った目でカイル達を迎え入れたが、彼らは知らない。
カイル達一行が、何倍もの大軍を打ち破ってきた勇者であることを――