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第1章 フィリスの手紙

   †


 黙々と手紙を書き付ける少女、ちなみにこの少女に右筆(ゆうひつ)はいない。


 右筆とは、王侯貴族などがもちいる文書専属の文官で、要は代筆屋だった。

 意外なことだが、貴族は文字は読めても、文字が書けない、という人間が多い。


 理由は、幼き頃より、右筆に代筆を任せ、文字を書いてこなかったからだ。

 つまり、貴族の男がどこぞの令嬢に送っている恋文も、真面目ぶって敵国と交わしている外交文書なども、実は本人が書いていない、ということになる。

 文字を書ける割合ならば、都市部の住人の比率の方が高いのではないだろうか。


 カイルが大陸をさまよい発見した事実のひとつだった。

 ただ、先ほどもいったように、フィリスは自分で文書をしたためている。


 カイルは、ちょいと上から覗き見たが、フィリスは、

「見ないでくださいまし、カイル様」

 と、その豊満な胸と腕で文書を隠した。文字を見られるのが恥ずかしいらしい。


 カイルは理由を尋ねた。


「わたくしの字は汚いからです」


 フィリスは言い放ったが、その豊満な胸からはみ出ている文章を覗き込むかぎりそんなことはなかった。


 ていうか、正直、滅茶苦茶綺麗だ。

 どこぞの大先生が書いたかのようだった。


「つうか、姫様、それは謙遜が過ぎるんじゃないか? すげい、綺麗だと思うが」


「……ですが、この字は、城下の私塾で覚えたものです。宮廷の皆さんには、下町の字だと馬鹿にされます」


「ああ、下町の字か。確かにそうだ。俺でも読みやすいのはそのせいか」


「……ですよね」


「でも、下町の字、大いに結構じゃねえか、貴族共の気取った文章より、俺は好きだぜ」


 カイルはきっぱりと言い切る。

 おべっかではなく、本心だ。


 その言葉を聞いたフィリスは、

「カイル様……」

 と、頬を赤らめたような気がしないでもないが、たぶんそれはカイルの都合のいい解釈であろう。


「……てゆうか、姫様、姫様って本当に下町出身なのな。前にちょっと聞いたけど」


 フィリスはカイルの質問に「ええ。そうです」と、答えたが、カイルはすぐに後悔した。


 彼女の幼少のみぎりの話を聞けば、必然的に王妃や宮廷内の話になり、彼女のトラウマを刺激してしまうと思ったのだ。


 フィリスはカイルの表情を察したのだろう。


「カイル様、気にしないでくださいまし」


 と、口を開くと、自分の出生の秘密を打ち明けてくれた。


「実は、わたくしには、現国王、トリステン四世の子ではない、という噂があります」


「………………」


 カイルは沈黙で答える。その噂はすでに耳にしていたからだ。

 その代わりカイルは尋ねる。


「その噂は事実なのかと」

 と――。


 フィリスは少し自嘲気味に答える。


「――その答えはわたくしには分かりません。わたくしと王妃の間柄を見た宮廷貴族達がささやいている噂です。真実かも知れませんし、嘘かも知れません」


 その口調は、真実でも嘘でもかまわない、という風にも聞こえた。


 フィリスは言う。


「ただ、わたくしは、子供の頃から母上にうとまれ、城下の家臣の家で育てられた、というのも事実です」


 フィリスはそう言うと、ドレスの肩口を開いて見せた。


 もちろん、姫様が露出狂になったわけでも、淫らになったわけでもない。

 そこには古傷があった。


「母上の折檻(せつかん)があまりにも酷く。それに困り果てた父上が、とある騎士の家庭にわたくしを預けたのです」


 フィリスは続ける。


「とても優しい騎士夫妻で、事情を知らないわたくしは、彼らこそが本当の父母であると思い育ちました。ですが、八つになった頃でしょうか。急に王宮から迎えがやってきたのです」


「なんでまた急に?」


「父上曰く、アマルダも大人になったし、分別をわきまえるようになった。それに、俺はお前の器量を高く買っているのだ、とおっしゃっていました」


 なるほど、フィリスの英明さを聞きつけた王が、後継者として戻した、と見るべきか。それかフィリスを政略結婚の手駒にする気だったのかもしれない。


 フィリスには二人ほど姉がいるが、一人は病弱で嫁げず、一人は嫁ぎ先に三行半を突きつけた出戻りだと聞く。


 王侯貴族にとって娘は、時に男子以上に利用価値を有することがある。

 美しく聡明に育った娘がいる、と聞けば、呼び戻すのは必然かと思われた。


「てゆうか、王宮に戻ったら、かあちゃんの折檻は直っていたのか?」


 フィリスはうなずく。


「――少なくとも直接的な暴力を受けたことはありません」


「……なるほどね」


 カイルはフィリスの言葉でなく、その瞳から、母親の愛情が僅かばかりも回復していなかったことを悟る。


 それは今にも続いているのだろう。

 いや、或いは二人の関係は一生このままなのかもしれない。


(ったく、王族ってのはほんと難儀な生き物だな)


 カイルは心の中でそんな感想を漏らすと、この話を打ち切った。

 こんな話を延々と聞いていても気分が滅入るだけだったし、今はそんなことにわずらっている時間はなかった。


 カイルは率直に尋ねる。


「話の腰を折っちまったが、頼んで置いた手紙は書き終わったか?」


 カイルは何食わぬ顔で尋ねる。

 フィリスも渡りに船だと思ったのだろう。表情を整えると、返した。


「あ、はい、これが最後となります」


 と、先ほど隠していた手紙に、自分のサインを入れる。

 カイルはそれを手に取ると、読み上げる。


「拝啓、ラドネイ公――、か」


 今は内乱の時、そして助力を頼む手紙の文面としては、ひどくおっとりしたものだったが、フィリスらしいといえばフィリスらしかった。


「これでよろしかったでしょうか?」


 フィリスは覗き込むように尋ねてくる。


「いや、まったくかまわない」


 と、カイルは断言する。

 出だしや文脈などはこの際どうでもいい。

 問題なのは、エルニカ最大の貴族、ラドネイ公爵が、この内乱でどちらに付くか、であった。


 懇切丁寧な挨拶をして味方になってくれるならばそれで良かったし、逆に猛々しく書いて味方になってくれるならばそうする。


 だが、この場合は、下手な小細工などせず、フィリスのありのままをラドネイに伝えた方が、説得しやすいと思った。


 ラドネイ公アドベルドは、元々、反王妃派の急先鋒で、王妃と敵対していた。

 それに、王妃と対抗するためか、或いはフィリスの才覚を買っているためかは分からないが、ラドネイは以前からフィリスに好意的だったらしい。


 真心を持って説得にあたれば、こちらに味方してくれる可能性は十分あった。

 王妃との確執があるのに、この時点で敵軍に寝返っていないということは、ラドネイに分別がある証拠であり、フィリスが立ち上がるのを待っているのかも知れない。


 今回の戦で見事、賊軍を打ち破れば、フィリスの発言力は王妃を超えることになる。ラドネイはその支援者として堂々と国政に復帰できるし、今後も力強い後援者になってくれるかも知れない


 カイルは、そのためにフィリスに筆をとらせたのである。


 無論、ラドネイだけでなく、まだ旗幟(きし)を鮮明にしていない貴族達にも同様の檄文(げきぶん)を送った。


ただ、彼らが、動いてくれるか、くれないかは、ラドネイ公の行動に掛かっているといっても過言ではないかもしれない。


 現時点では、それほどまでに、フィリスの下に()せ参じるメリットがないのである。




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