第1章 王都騒乱
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こうして、カイル達は、マリネスカ砦から遁走した――、
というのはいささか人聞きが悪いだろうか。
仮にギュネイ王子がエルニカで起きた内乱のことを知っていても、彼は和平を拒むことはなかっただろう。
ギュネイはギュネイで他国にかまっていられない事情があったからだ。
ただ、もしもエルニカで内乱が起きていることを知っていたら、条文の最後に書き足された文字も消されることになったかも知れない。
金貨5000枚は大金である。
王都で内乱が発生し、一刻も早く自国に戻りたがっている連中に気前よく払ってやる金額ではなかった。
カイルは、クルクス砦への道すがら、
「我ながら詐欺師としての才能は衰えていないな」
と、ほくそ笑んでいた。
それを真横で見ていたエリーは言う。
「まさか、詐欺師に戻りたいというんじゃなかろうな」
「答えは差し控えるが、いつ軍師を失業しても困らない、ということだけは確かだな」カイルはそう言い切ると、馬を走らせた。
エリーは馬車に乗っているが、カイルは馬に乗っていた。
カイルは一刻も早くクルクスに戻り、その後の策を練りたかったのである。
或いは、エリーなどが心配する必要もなく、この男はすでに軍師という職業の深みにはまっているのかも知れない。
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エルニカ王国で内乱が発生した、という報告を聞いたのはつい先日のことだった。
カイルはその報を聞くと、即座に箝口令をしき、国境線を封鎖した。
いずれ必ずばれることではあるが、数日だけでも遅らせることができれば、と思ったのだ。
カイルの涙ぐましい努力は、金貨5000枚で報われることになったが、喜んでばかりもいられなかった。
自分の仕える主の国に内乱が巻き起こったのだ。つまり必然的にカイルもその内乱に巻き込まれたも同義なのである。
カイルは、大きく溜息を漏らすと、内乱についての情報をまとめた。
エルニカの王都で内乱が起きたのは、寅の月の始めだった。
カイル達がマリネスカ砦を占領し、一息ついていた頃である。
今にして思えば、その頃から王都に送っていた使者が帰ってこなくなった。
おそらく、内乱を起こした者たちに囚われてしまったのだろう。
さて、その内乱の首謀者だが、名はサーパス、姓をティルノーグという。男爵家の当主で、決して身分の高い男でもないし、宮廷内で力を持っている男ではない。
ただ、この男は16で戦場に立って以来、あまたの武勲を打ち立ててきた。
その武勲により、白鳳騎士団の団長となったサーパスは、以来、エルニカを代表する武将として、内外にその実力を示してきたのである。
そんな男が、内乱を起こしたのだから、王都はさぞ混乱したことだろう。
実際、王都は大混乱に陥り、平常心を欠く行動に出てしまった。
白鳳騎士団立つ!!
の情報を得た王都の指導者、つまり王妃一派は、狼狽のあまり、白鳳騎士団の討伐に向かう、という選択肢を選ばなかったのである。
国内最強との噂の白鳳騎士団であるが、その数はたかだか5000そこそこ、王都には常に3万前後の兵士が控えており、圧倒的に優位な兵力差だったのだ。
しかし、あの気位の高い王妃は、なぜか討伐軍を組織せず、静観のかまえを見せた。
そして悠長に王都から内乱を見守っている間に、同調者が各地から現れたのである。
この国の王妃アマルダは、病に伏せている国王に代わり、政治の実権を握っている女である。
女の身でありながら、なかなか政治的なセンスがある人物のようで、今まで大過なく国政を運営してきた。
だが、アマルダは、この国の政治を、自分とその側近だけで運営し、自分の意に沿わない人間をことごとく遠ざけた。
ある功績のある将軍は、公の前でその将軍位を剥奪され、地方の砦に飛ばされた。
ある心ある官吏は、王妃の豪遊を諫め、国庫と私財を区別するように訴えたが、身分を剥奪され、国外に追放された。
一方、自分の手下には惜しみなく富と地位を与えたため、有力者の半数は見て見ぬ振りをし、王妃の機嫌をとっていたのだが、その裏では王妃を殺したいほどに憎んでいた人間もいたというわけだ。
以上、これが今回の内乱の発端であるが、それを改めて説明したカイルは、まずフィリスに意見を尋ねた。
「さあ、どうする? 姫様のかあちゃんのピンチだが、助けにいくかい? それとも無視するかい?」
わざと軽い口調で言ったが、フィリスはそれに応じてはくれなかった。
「それは……」
と口にすると、以後、口を閉ざす。
少しだけ意地が悪かったかもしれない。
フィリスにとって今回の内乱は、王家の危機であり、エルニカの危機であり、身内への葛藤でもあるのだ。
フィリスはアマルダ王妃と確執がある。
確執があるが、それでも実の親子であり、その身に危険が及んでいると聞けば、平常心ではいられないだろう。
カイルの言動は無神経に分類されるものなのだろうが、それでも、彼女に決断して貰うしかなかった。
なぜならば、彼女はカイルの主であり、この砦の姫将軍だからだ。
カイルは、フィリスが決断をうながしやすいよう、他の武官達にも意見を尋ねた。
「さて、最終的に姫様に決断して貰うとして、諸将の意見も聞こうか」
まずカイルが尋ねたのは、このエルニカの宿将にして、クルクス砦の生き字引でもあるザハードという老将だった。
ザハードは、私見ですが、と前置きをした上で、助けにおもむくべきでしょう、と言った。
「理由はたったのひとつです。どんな不満があろうとも、武力によって王家に歯向かうは大罪。このようなことを許してしまえば、早晩、エルニカ王家は滅ぶことになりましょう」
もっともな意見である。
カイルは納得する。
一方、反対派の意見もある。
その代表である弓使いのウィニフレッドは、不敵に微笑みながら言った。
「しかし、ここにきて助けてくれ、というのは虫が良すぎる。王妃様が今までフィリス王女にしてきた仕打ち、或いは我々に対する行いをかんがみれば、ここで助ける義理は一切ない」
これまたもっともな意見だった。
実際、王妃一派は、カイル達に嫌がらせを繰り返し、たったの5000で難攻不落の要塞を落とせと命令したり、援軍を寄越さなかったり、間者を送ってきたりと、常にこれでもかと嫌がらせをしてきてくれたのだ。
実は感情の上では、カイルも助けに行くべきではない、と思っていた。
また、戦略的にも、ここで王妃一派が死んでくれれば、なし崩し的に姫様の王位継承が認められ、今後の戦略が立てやすい、という気持ちもあった。
だが、カイルはそれでも、今回の選択肢はフィリスに任せるつもりでいた。
助けるならば助ける、
見捨てるならば見捨てる、
どちらを選んでも、全力でフィリスを盛り立てるつもりでいた。
或いは、姫が、
「助けもしなければ見捨てもしません。内乱に呼応し、我が軍も王都を包囲しましょう」
と、言い放ってもそれに従うつもりだ。
――もっとも、
カイルの知っているフィリス王女は、口が裂けてもそんなことを言わないし、心の内に想像することすらあるまい、と思っていた。
カイルは、フィリス王女がどのような選択をするか、最初から知っていたが、あえて彼女に時間を与えたのである。
フィリスは、皆の意見をまとめると、あらかじめ用意しておいた言葉を口にした。
「――王都に救援に向かいます」
その言を聞いた諸将達はそれぞれに顔をあおぎ見た。
やはり我が姫君は我が姫君であると。
カイルもそれに同感だった。
ただ、その優しさがいつか姫の首を絞めないか、それだけが気がかりだった。
王都に救援におもむく。
決まってしまえば、クルクス砦の将兵は、いつものように沸き立ったが、ただ、それでもすぐ出兵するわけにはいかなかった。
その理由をカイルは説明する。
「つうか、ここ最近の連戦に次ぐ連戦、将兵は疲れ切っている。今戦場にのこのこ飛び込んでも死にに行くようなものだ」
「同意」
老将ザハードは短く同意する。
弓の名手、ウィニフレッドはこう付け加える。
「それに今更王都に急いだところで、体勢は変わるまい。王都には未だに2万近い兵が籠もっているし、早々負けるとも思えない」
「ちなみに、反乱軍の数は?」
カイルは尋ねる。
「3万ほどだそうだ。今のところは、だが」
「つまり、どちらが勝つか、様子見している連中がいる、ということか」
「ああ、案外、このエルニカには小ずるい貴族が多い」
「賢い、もしくはたくましいと言い換えるべきだろうな」
カイルは訂正する。
仮にカイルが同じ立場でも、同じ行動をすると思ったからだ。
ウィニフレッドはカイルと気質が似ているからだろうか、すぐに同意すると言った。
「さて、兵を休ませるのは結構、それについては大いに賛成だが、もしかして軍師殿はこのままなにもせずに、本当に兵を休ませるだけなのかな?」
ウィニフレッドは問うてきたが、もちろん、そんなつもりは一切なかった。
というか、カイルはすでに手を打っていたのである。