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第1章 ハザンのものはハザンに

   †


 ハザン国の王子、ギュネイは、この年に26歳になる青年である。

 貴公子然とした顔立ちと、武人らしい体格を併せ持ち、なかなかの偉丈夫である。


 さぞや宮廷ではモテるように見受けられるが、意外なことに独身を貫いていた。

 その理由は、4年ほど前に、とある夜会で一人の少女を見初(みそ)め、惚れてしまったからだというのが、もっぱらの評判だった。


 ――その少女とはフィリスのことだが、ギュネイはエルニカ一可憐な少女に心を奪われてしまったのだ。


 しかし、当時のフィリスは10歳の少女である。

 その少女に求婚するなど、小児性愛者のそしりはまぬがれないであろうが、ギュネイは平然としていたそうだ。


「俺は今のままの彼女を愛しているが、5年後の彼女も愛しているだろう。無論、10年後も、20年後もだ。例え彼女が年老いても、骨となってしまっても、この気持ちは変わることはないだろう」


 と、宮廷内で公言をしていたそうだ。


 それはギュネイの兄であるイカルディに言わせれば、

「視野が狭い。世の中には女があふれているのに」

 となり、


 エリーあたりに言わせれば、

「小児性愛者の必死な弁明」

 ということになるのだろうが、カイルには違った見解があった。


 カイルはギュネイと会うなり、感心したのである。


 ギュネイという男は、

 4年も会うことがなかった少女を、

 先ほどの戦で自分の恋心を利用した少女を、

 自分を戦場で完膚なきまでに叩きのめした少女を今でも愛しているようだった。


 ギュネイは、この部屋に入るなりひざまずき、4年ぶりの再会を涙ながらに喜んだ。


 使者として、王族として、ましてや交渉の席でひざまずくなど、有り得ないのだが、ギュネイはまったく気にすることなく、

「4年ぶりの再会、この日を一日千秋の思いで待っておりました」

 とフィリスにささやいた。


 その目はまさしく恋する少年だった。

 カイルはしばし、ギュネイとフィリスの再会を見ていたが、そんなカイルにエリーは横槍を入れる。


「嫉妬しないところは立派だ。同じ女を愛したというシンパシーがあるのかな」


 カイルは小声で返す。


「うるせえ、大人の余裕って奴だよ。姫様があんな男に惚れるものか」


「それは分からんぞ。女というものは基本、王子様に弱いものだからな。それに、あの王子様はお前のように胸ばかりをみず、まっすぐに瞳を見つめる。女とは案外、男の視線に敏感なのだぞ」


「むむぅ……」


 その言を聞き、一瞬、心配になってしまうカイルだったが、その後、カイルが心配したような事態にはならなかった。


 礼節上、フィリスは自分の手の甲に唇を触れさせることを許したが、それ以外は特に感情の変化を示さず、

「遠方よりお越しくださり、大変恐縮なのですが」

 と、前置きをすると、実務に入ることにしたようだ。


 つまり、いつも執務室で見せている仕事モードである。

 そこには恋する乙女成分は、一分子も含まれていなかった。


 エリーはその姿を見て、

「なるほど。市井(しせい)の娘は王子様に恋焦がれるものだが、逆にお姫様は下衆(げす)な男を好むという話を聞いたことがある」

 という感想を漏らした。


「……つうか、なんで俺を見つめるんだよ」


「いや、下衆で良かったな、と温かい視線を送っているつもりなのだが」


 カイルは、「ふん」と鼻を鳴らすと、フィリスと同じく、仕事モードに入った。





 ハザンの王子、ギュネイがこのマリネスカ砦に訪れたのは、フィリスに求婚を申し込むため、

 ――という訳ではない。


 無論、数年ぶりの再会を心から喜んでいるようだったが、それは副産物でしかなかった。

 彼は、ハザンの王子として、ハザンの将軍として、より大きな物を得るためにこの砦にやってきたのだ。


 その大きな物とは、このマリネスカ砦そのものだった。

 ギュネイはこの砦の返還を求めにやってきたのである。


 無論、それは虫の良すぎる話であった。


 最初、その話を聞いた彼の部下達も、

「早々都合良く行くわけがありません」

 と、反対した。


 だが、ギュネイはこうも思っていた。


「まさか、あの少数で、マリネスカ砦を落とし、我が兄の重犀(じゅうさい)騎士団と、我が賢狼(けんろう)騎士団が打ち破られるとは夢にも思っていなかった」


 だが、とギュネイは続ける。


「それはどうやら敵も同じようだ。それを証拠に、せっかく、砦を落としたというのに、エルニカからまったく援軍がこない。これは噂通り、フィリス王女が王妃から見捨てられている、とみて間違いないだろう」


 ギュネイはそう宣言をし、駄目で元々、といった気持ちで使者を送ってきたのだが、ある意味、彼の予想は完璧に当たっていた。


 フィリス達は、マリネスカ砦を落としたものの、持て余している面もあったのである。

 確かにマリネスカを抑えておけば、ジルドレイやハザンに対する抑えに丁度良かったが、それはエルニカに潤沢(じゅんたく)な兵があればこそだった。


 いや、潤沢な兵というよりも、王都の連中、つまりフィリスの母、王妃アマルダにこの砦を守る意思があるかないかがすべてであった。

 フィリスは砦陥落以来、王都に援軍を寄越すように毎日のように手紙を送っていたが、その返事はいつも同じだった。


「王都に余剰戦力なし。貴軍の兵力のみで保持せよ」


 つまり、王妃一派は、マリネスカをハザンに再奪取させることにより、フィリスの戦功を帳消しにしようと計っているのは明白であった。


 ギュネイはさすがにそこまで見通せていなかったが、その直感により、交渉の余地があることだけは感じていたようだ。


 実務協議を始めると、こんな提案をしてきた。


「もしも、この砦を返して頂けるのであれば、我らは、エルニカとの間に和平条約を結ぶ用意がある」


「和平条約……、ですか?」


 フィリスはつぶやく。


「その通り。今後、三年間にわたり、我が国の兵は、エルニカに一歩たりとも踏み入れさせない。もちろん、国王の署名を持ってそのことを文章にする用意もある」


 その言葉に反応したのは、フィリスではなく、カイルだった。


「だが、おたくの兄貴、イカルディ王子は、宣戦布告もなしに、つい先日、うちらの島を荒らしてくれたぜ? そんな王太子のいる国を容易に信じてよいものか」


「その件は大変申し訳なかったと思っている。兄の愚行、弟の俺が代わりに謝らせて貰おう」


 ギュネイはそう言うと素直に頭を下げる。


「だが、この和平は、国と国が結ぶもの。容易に破棄はできない。約束を違えれば、ハザンの名が地に落ちるからな」


 そんな態度を取られれば、カイルとしても強く出られなかった。


「それにではあるが、実は今のハザンに、他国を攻める余裕などない。だからこの和平は、エルニカのためでなく、ハザンに、いや、俺のためにあると思ってくれて構わない」


「ギュネイ様のために、ですか?」


 ギュネイの意外な言葉に、フィリスは反応する。


「その通りです。フィリス王女。つまり、俺は、このあと、この国で内乱を起こすつもりです」


 ギュネイはざっくばらんに己の秘密を打ち明けた。


「内乱と言っても、父王に反乱を起こすのではありません。兄であるイカルディを討つための兵をあげるのです」


 その言を聞いたカイルは、「おいおい」と言葉を上げる。


「その言葉が本当か嘘か、判断できないが、仮に本当だとして、俺達にそんな大事なことを打ち明けてもいいのかよ」


 カイルは当たり前の質問をした。


「隠すようなことではない。数週間後にはセレズニア中に広まる噂を前倒ししているだけだ」


「お前は俺があくどい軍師だってことを忘れているんじゃないか? そうだな。俺ならば、お前の兄貴に事前に知らせる。そして、イカルディに援軍を送って、イカルディを次期王にするな。そうした方がお前を王にするよりも、相手にしやすい」


「なるほど、馬鹿が国王になった方が隣国にとっては有利だからな」 


 ギュネイはそう笑ったが、ひとしきり笑うと、こう付け加えた。


「だが、そのような真似、貴君がするとは思えぬ」

「根拠のない自信だな、どこから湧いて出るんだ?」


「理由はいくつもあるが、その一つは貴君が天秤評議会の軍師だということ。天秤評議会は大陸のパワーバランスを維持するのが目的なのだろう? このままハザンを攻めて、エルニカの勢力を伸張させるとは思えない」


 ギュネイはカイルが本物の白銀のエシルであることを前提にそう言った。


「それに、俺の愛する王女はそんな真似をしない。その王女に仕える軍師もそうであると俺は信じている」


 ギュネイはまっすぐにこちらの瞳を見つめながら言った。

 カイルもギュネイの瞳を見つめたが、本気で言っているようだ。

 この男、どうやら隠し事や(はかりごと)とは無縁な男らしい。


 カイルは大きく溜息をつくと、この男を認めることにした。

 ――少なくとも、和平という言葉に嘘がないことを認めたのだ。


 カイルはフィリスの方を見つめると、《当初》の予定通り、ハザンと和平を結ぶ路線で話を進める了承をとった。

 フィリスはうなずくと、それを認めた。


 カイルはまずこう説明をした。


「ハザンとの和平、実はこちらも模索していなかったわけじゃないんだ」


 その言葉を聞いたギュネイは、意外そうな顔をしなかった。

 やはりこの男、有能だ、カイルはそう思った。


「てゆうか、ジルドレイで起こった、一連の話は聞いているか?」


「ジルドレイ帝国の帝都が落ちたという話か?」


「さすがに耳ざといな。こちらにも今朝、伝わったばかりだというのに」


「情報はフィリス王女の笑顔の次に大切なのでな」


「ならば話は早いが、北方の龍星王フォルケウスは、つい先日、帝都を落とした。僅か4万の軍勢で、12万のジルドレイ軍を打ち破ったんだ」


「あのジルドレイの強兵12万をたったの4万で打ち破ったというのか……」


 ギュネイは当然の感想を口にする。


「仔細はまだ届いていないが、ラクチェ女伯爵は、幼い皇帝マルムマリア二世を王都から脱出させ、地方に落ち延びたらしい」


「まだ、帝国全土の占領に成功したわけではないのだな?」


「帝国は馬鹿広いんだ。隅々まで征服するには時間が掛かるだろう」


 カイルはそう言いきるが、「ただし」と付け加えた。


「近い将来、龍星王は必ずその牙をセレズニア南部にも向けてくるだろう。そうなれば、この砦は最前線となる」


「貴国のクルクス砦もな」


「その通り。つまり、エルニカはたった一国でロウクス王国とことを構えなければならないんだ。つうか、そんなのは不可能だわな」


 カイルは正直に己の内を吐露する。


「――なるほど、つまり、マリネスカ砦を我が国に返し、和平を結ぶのもやぶさかではない、と受け取ってもいいのかな?」


「そう受け取って貰って構わないが、それは俺だけの話だ。命懸けで戦った将兵が、ただで砦を返すと言ったら、なんていうだろうか」


 カイルはわざとらしく肩をすくめてみせる。

 カイルの演技に気がついたギュネイはこう言った。


「なるほど、貴殿の気持ちは分かった。つまり、貴軍の将兵が納得する物を形として表せばよいのだな?」


 カイルは、

「そういうことだ」

 と、おどけてみせた。


 ギュネイはやはり有能な男で、カイルの言葉ですべてを察すると、和平の同意書に、とある一文を書き足した。


 その文とは、賠償金の支払いだった。


 ハザンは先日のウスカール侵略の謝罪として、金貨5000枚を支払うと約束したのである。


 目ざとい条文であるが、それゆえにギュネイも納得した節がある。

 無欲な人間ほどかえって信用されないのが、世の常であった。

 条文を一から読み直し、納得したカイルは、あとは姫様の領分、とばかりに和平の合意文書をお姫様に手渡した。 


 そして、

「あとは任せるわ」

 と、やる気のなさそうに部屋を出る。


 おそらく、いや、部屋に残されたギュネイは確実にこう呟いているだろう。


「あの男が本当に白銀のエシルなのだろうか?」

 と――。


 無論、それは正解なのだが、カイルはそれでもギュネイの前で自分を飾り立てるような真似はしなかった。


 むしろ、いつもよりも緩慢に、やる気なさげに、部隊撤収の準備を始めた。

 その姿を司令官室から覗き込んでいたギュネイは、更に疑惑を深めたことだろうが、そんなこと、別にどうでも良かった。


 いや、むしろ、もっともっと疑念を持ったり、或いは嘗めて欲しかった。

 その晩、ギュネイを持てなす宴が開かれたときも、カイルはわざとやる気のない態度を見せた。


 エリーなどは、

「演技などしなくてもいつものままでいいのに」

 と、皮肉を言ってきたが、カイルは念には念を入れた。


 マリネスカ砦返還の日、カイルは、ハザン人にケチを付けさせないほど見事な手際で砦を返却した。


 奪取したときより小綺麗に整えられているくらいである。

 そして、ギュネイ達に見送られながら、粛々と、だが悠然と軍を撤収させた。

 その雄偉な行軍は、後に語りぐさになるほど立派なもので、多くのハザン人が感心した。


 カイルは、マリネスカ砦が見えなくなるまで、その行軍をたもつ。

 そして小高い丘を越え、マリネスカが見えなくなった瞬間、こう言い放った。


「つうか、おすましモードはここまでだ。お前ら、ダッシュで逃げるぞ!」


 その命令を聞いた将兵は、

「おう!」

 と、応じる。


 そして恥も外聞もなく、隊列を乱しながら、走り出した。

 無論、ハザン軍は、カイル達がそんな姿で逃げ回ってるなど知るよしもない。


 なぜならば、彼らはまだ、エルニカ王国の王都で内乱が発生している、という情報さえ得ていないのだから。




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