第1章 戦の後始末
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セレズニア歴1012年、丑の月――
その月は、ハザン王国北部にある要塞、マリネスカ砦が、とある軍師によって陥落させられた年として、歴史書に記載される年となった。
マリネスカ砦とは、ハザン北部、ジルドレイ帝国とエルニカ王国の国境線沿いにある要害で、30年ほど前に建設されて以来、ハザン王国の北方防衛の要をになってきた。
しかし、その年の丑の月、マリネスカ砦は、建設30年の時を経て初めて持ち主を替えることとなった。
マリネスカ砦は、エルニカの王女フィリスと、その軍師カイルによって奪取されたのである。
あるいは、マリネスカという女性名詞から表現するに、純潔を奪われた、と表現してもいいかもしれない。
ともかく、マリネスカ砦の最長部に掲げられている国旗は、ハザンの黄金獅子ではなく、エルニカの緑陽大樹だった。
それは丑の月が終わり、寅の月になっても同じだった。
なぜならば、この砦を再奪取しようと現れた軍勢も、カイル達は、はね除けてしまったからだ。
王都の援軍、イカルディ王子とギュネイ王子の軍勢2万も、ものの見事な手際で壊滅させたのである。
さすがは伝説の軍師、天秤評議会の白銀のエシルの手腕、といったところだが、この戦の指揮をとったのは白銀のエシルではない。
たしかにこの砦には、白銀のエシルが滞在していたが、フィリスという王女に仕える軍師は、実は白銀のエシルではなかった。
カイルは、白銀のエシルの名を騙る偽物であって、本来、軍師でも何でもない、ただの詐欺師だった。
数ヶ月前、とある奴隷商人から、本物の白銀のエシルを救い出した際に、その印綬を盗み出し、以来、白銀のエシルの名を騙っているだけの詐欺師なのである。
そんな男が、歴史上初めて、マリネスカ砦を落とし、2万もの大軍を壊滅させたのだから、歴史とは本当に面白い物である。
そして、その面白い歴史とやらは、更に激動することになる。
寅の月も終わりかけの白竜の日、この砦に意外な訪問者がやってきたのだ。
マリネスカ砦の門が開け放たれ、ハザン人がそこを通るのは、丁度一ヶ月ぶりだった。
僅か一ヶ月前までは、その門を多くのハザン人が利用したのであろうが、今はエルニカ人以外、利用することはない。
軍師カイルは、砦の建物から、その人物がやってきたことを確認した。
その人物とは、先日、カイル達クルクス軍団と槍を交えた将軍、ギュネイ王子だった。
カイルは、先日、正面から渡り合った敵将を頭上から鑑賞する。
「ふむ、なかなか男前じゃないか」
それが素直な感想だった。
少し目つきは悪いが、なかなかの美男子である。
さすがは王族だけある。
「まあ、王族ってのは基本美形だよな。そりゃ、王様は美人とやりたい放題だもん」
と、カイルは少し品のない感想を漏らす。
その言葉を聞き漏らさなかったエリー、本物の白銀のエシルは同調する。
「確かに造形の悪い王族というのはみたことがないな。初代国王は蛮族の様に筋骨隆々の無頼漢でも、数代でスポイルされて、皆、軟弱な美形になってしまう」
さすがは何百年も生きる伝説の軍師様の言葉である。真実みがある。
「しかし、それはハザンやエルニカ、ジルドレイのような文化国であって、アシュハール騎馬王国や、イシュタニア両王国のような、マッチョ主義の国は違うぞ。皆、筋骨隆々の偉丈夫だ」
「ほう、つうか、ロウクスはどうなんだ? あの国も軍事国家だろう」
「そうだな。あの国もそっちの系譜だ。だが、今は事情が異なるな」
「どういう意味だ?」
「いや、今はあの国に王族はほとんどいない。現国王、北方の龍星王フォルケウスがほとんど殺してしまったのだ」
「……なるほどね」
とカイルは肩をすくめる。
「つまり、北方の龍星王フォルケウス様が、一人で顔面偏差値を上げてしまった、ということか」
カイルはそう吐息を漏らしたが、とあることに気がつき、エリーの方に振り向く。
「……ん? つうか、お前、フォルケウスと会ったことあるの?」
内に湧いた疑問を尋ねた。
カイルの素朴な疑問にエリーは答える。
「ここ数十年、ロウクスには足を踏み入れたこともないよ」
エリーはそう返したが、ならばなぜフォルケウスが美形だと断言するのだろうか。
カイルは尋ねる。
それに対する答えは、とてもシンプルで納得がいくものだった。
「北方の龍星王などというキザな異名を持つ王が不細工だったら、詐欺以外の何物でもないだろう」
エリーはそう言い放ったが、カイルも確かにその通りだと思った。
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マリネスカの司令官室、つい先日までハザンの将軍、ライバッハという男が偉そうにふんぞり返っていたはずの部屋は、奇妙な既視感があった。
クルクス砦の司令官室と似ているのだ。
偶然の一致、という奴だろうが、元来、砦とは貴族の居住する場所ではなく、機能美を重視するところ。
案外、どこの砦も似たり寄ったりの内装をしているのかも知れない。
カイルはそう思いながら、司令官室に集まった面子を見やる。
まずは、カイルの部屋からのこのこと付いてきた少女エリー。
銀髪の髪を持った美しい少女で、一見、貴族の令嬢を思わせる容姿をしている。
だが、彼女は貴族の令嬢などというお上品なものではなく、天秤評議会と呼ばれる組織の軍師だった。
天秤評議会とは、この大陸に1000年前から存在する秘密結社で、各国の戦争に介入することにより、国家間のバランスを維持してきた組織だ。
そう聞くと一見、正義の組織に聞こえなくもないが、本人曰く、
「天秤評議会はそんな甘っちょろい組織ではない」
のだそうだ。
大陸を統一しようとする覇王が現れれば平気で暗殺もするし、民を平然と虐げる王の傘下に入り采配を振るうこともあるらしい。
要は、このセレズニア大陸を統一させないためならば、「悪」だろうが「正義」だろうが、まったく関係なく、介入し、相手をぶちのめすらしい。
物騒で剣呑な組織だが、天秤評議会は、1000年もの間、そうやってこの世界を守ってきたのだ。
ただ、その1000年もの伝統も、最近、とある人物によって打ち破られたらしい。
その男の名は、漆黒のセイラム。
白銀のエシルの弟、つまりエリーの実弟だ。
長年の伝統を捨て去った理由は知らない。
尋ねてもエリーが教えてくれないからだ。
だが、漆黒のセイラムは、大陸に調和をもたらす、という天秤評議会の志を忘れ、自ら大陸を統一する道を歩み始めた。
エリーは――、本物の白銀のエシルは、それを阻止するため、大陸中を駆け巡っていたわけだが、そこでカイルと出逢うことになる。
不幸にもカイルはこの女に見初められてしまい、なし崩し的に軍師の道を歩まされているというわけだ。
カイルは大きく吐息を漏らしたが、後悔しているわけではなかった。
確かに詐欺師から軍師にジョブチェンジは、本意ではなかったが、それでも実利がないわけでもなかった。
カイルはその実利の方に視線を向ける。
その実利とやらは、金貨や食べ物ではなく、絹のドレスをまとった天使だった。
天使は、今日も朗らかな笑みで、カイルの視線に答えてくれる。
彼女の名はフィリス・エルニカ。
セレズニア南部にあるエルニカ王国のお姫様であり、カイルの上司である。
カイルは今、白銀のエシルの身分を騙り、この王女の軍師を勤めているのだ。
ちなみになぜ、詐欺師のカイルが一刻のお姫様の軍師を勤めているのかといえば、その理由は彼女の胸にあった。
――いや、その大きさではなく、胸の中の方だ。
カイルは、彼女の国を思う気持ち、民を思う気持ち、いや、このセレズニアの未来を憂う気持ちに感化されたのだ。
決して顔とスタイルが好みのど真ん中だったから仕えているわけではない、と、ここに明記しておこう。
いや、すげい可愛いけど。
……これ以上見ると、誤解を与えそうなので視線をそらす。
カイルは、次に、その横に控える青髪の騎士に視線をやる。
彼、いや、彼女の名はアザーク。
フィリスの真横にぴったり付いていることからも分かるとおり、フィリスの親衛隊の隊長である。
カイルは彼か彼女かで迷ったが、彼女で統一しようか。
てゆうか、この男、実は女なのである。
女であることを隠してフィリスに仕えているのだ。
いわゆる男装の麗人という奴だ。
カイルはこいつを初めてみたときから、女みたいな奴だな、実は女なんじゃね? と思ってきたが、案の定、女だった。
胸を触って確認したからだ。
アザークがなぜ、男の格好をして騎士をしているか、事情は知らないが、ともかく、本人は必死でその事実を隠していた。
ある日の深夜、アザークがカイルの部屋を訪ねてきたことがあった。
アザークが女だとばれてから数週間経ったころだったろうか。
正体がばれて以来、
「っく、殺せ」
としか言わない間柄になっていたため、驚いたカイルだったが、部屋にやってきて、こんな台詞を吐いたアザークにはもっと驚いた。
「オレもこの世の世知辛さと、お前の世界の常識はわきまえているつもりだ。それに一度女を捨てた身、どんな辱めを受けようとも耐えてみせる」
アザークはそう言うとベッドの上で大の字になり言った。
「さあ、この身体、好きにするがよい。ただし、一度限りだぞ。その代わり、オレが女であることは誰にも漏らすな」
そう言うとアザークは歯を食いしばり、瞳を閉じた。
……つうか、これではカイルが悪役そのものなので、丁重にお帰り願ったが、アザークとはこういう馬鹿な思考をする娘なのである。
直情型というか、頭が弱いというか――
ていうか、本人はまったく気がついていないようだが、この砦でアザークが女だということに気がついているものは結構いた。
皆、可哀想だから騙されている振りをしているのだそうだ。
特に、姫様の侍女連中には完全にばれていて、「姫様のために男装をする女騎士、いいわあぁ」、と小説の題材にされたりしている。
また、アザークの部下、親衛隊の面々にもばれているようだ。
己の上官が、必死で隠している(つもりになっている)ので、何も言い出せないらしい。
ただ、バレバレなのに、ばれていると思っておらず、気高く采配を振るう様は、なぜか騎士道精神を刺激するものがあるらしく、
「アザーク様を全力でお守りしろ!」
と、部下達の忠誠心をよりあついものにしていた。
とまあ、以上がマリネスカ砦の司令官室に集まっている連中である。
個性的な面々であるが、悪い連中ではなかった。
というか、姫様の下には悪人はいない。
変人はいるが、いけ好かない奴は一人もいないのだ。
姫様の人徳が反映されているというか、姫様という光に虫が集まっているというか、カイルには判断できなかったが、ともかく、姫様と共にいるというのは、とても心地よかった。
だからカイルのような根無し草でも、違和感なく留まることができるのだろう。
そんな考察をしながら、フィリスに話しかけた。
「てゆうか、今日は気合いが入っているな、姫様」
カイルが褒め称えたのは、姫様の格好である。
もちろん、一国の姫であるフィリスは常に小綺麗な格好をしていたが、今日は特別気合いが入っている。
フィリスは少し照れながら、
「今日はマリーが朝からとても熱心でして……」
と、弁解した。
マリーとは彼女の忠実な侍女で、フィリスを着せ替え人形にすることを生きがいにしている女だ。
今回の遠征にも参加し、フィリスから離れようとしない。
カイルなどは、
「今回は戦をしに行くんだぞ、そんなに服を持ち込んでどうするんだよ」
と皮肉を漏らしていたが、マリーは、
「淑女たるもの、いえ、一国の王女様に、同じ服を月に三度以上着せる恥をかかせるわけにはいきません」
と、自ら大量の衣装箱を戦場にまで持ち込んでいた。
結果は、まあ、役に立ったといえば立ったので、慧眼といえないこともない。
まさか、ハザンの王子が、ギュネイがこの砦にやってくることを想定して、ドレスを持ち込んだわけではないだろうが。
つうか、と、カイルはフィリスに声をかける。
「その艶姿を見たら、ギュネイ王子も惚れ直すんじゃないか?」
フィリスは応える。
「まさか、4年前よりも太ってしまいましたし、呆れられると思います」
(つうか、太ったというより、乳が膨らんだというべきか……)
カイルは大胆にも胸を強調したドレスを食い入るように見つめると、自分の席に着いた。大胆な胸を持ち合わせていないエリーという娘が、小突いてきたからである。
「ギュネイ殿下のお出ましであるぞ」
エリーはそう言ったが、明らかにカイルの楽しみを邪魔しようとする行動であった。