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第4章 勝利をもたらす軍師

   †


 丑の月も終わりかけの深夜、マリネスカ砦の大門が開かれる。


 無論、ハザン軍は夜襲の警戒を怠っていたわけではなかった。

 夜間は三交代で見張りを立て、夜襲の警戒をしていたが、一ヶ月近くも平穏な夜を迎えると、自然と気が緩むものである。

 その日も、重犀騎士団の兵卒達は、見張りのかたわら、カードゲームに夢中になっていた。



 給料を全額巻き上げられたもの、

 三ヶ月は遊んで暮らせるほど儲けたもの、

 イカサマに夢中なもの、



 見張り達はそれそれ、悲喜こもごもに人生を謳歌(おうか)していたが、とがめる上官はいない。

 上官自身もカードゲームに興じているか、眠りこけているからだ。


 ありていに言ってしまえば、緊張感に欠ける様だったが、なんの問題もなかった。

 今日も大したことなど起こらず、次の見張り番たちと交代し、カードゲームに勝った者は気分良く、負けた者は苛立ちながら眠りにつくはずだった。


 だが、兵士達はその怠惰を、銅貨ではなく、その命によって償うことになる。

 酒瓶を片手にカードゲームに興じる兵士達に、雨あられのように矢が降り注ぐ。


 兵士達はその段になってやっと敵の存在を知覚したわけであるが、中にはそれでも気がつかない者もいた。

 己が死んだことさえ気がつかずに天命を終えた者もいただろう。

 それほど見事な奇襲だったのである。



 カイルは奇襲を行うにあたり、騎馬部隊を用いなかった。

 騎馬隊は確かに強力であるが、馬の足音やいななきによって、己の存在を敵に知らせてしまう諸刃の刃でもあった。


 ゆえに歩兵と弓兵を中心に出撃部隊を組織したわけであるが、その先陣を切ったのは、クルクス一の、いや、エルニカ一の弓使い、ウィニフレッドだった。


「いや、セレズニア一と言い換えて欲しいね、軍師殿」


 出撃の際、ウィニフレッドはそう言い放ったが、その大言壮語に恥じない働きを見せてくれた。


 鷹の目のウィニフレッドは、その異名に反し、フクロウの目も所有していたのである。

 ウィニフレッド率いる弓兵は、闇夜に溶け込むようにハザン軍に接近すると、正確無比な軌道で矢を叩き込んだ。


 ウィニフレッド自身、前線に立ち、次々と敵兵を(ほふ)っていく。

 敵兵にとっては、暗闇の中から矢尻の形をした死が飛び込んできたわけだから、驚愕せずにはいられなかった。


 敵兵は大混乱に陥る。

 手にしていたカードが宙に舞い、酒瓶が足で砕かれる。

 怒号が響き渡る。


 その段になってやっと眠っていた兵士達も起きることになったが、そんな醜態を間近で見せられれば恐怖が感染しないわけがなかった。


 兵士達は、枕元に置いてあった剣さえ掴めず、その場で右往左往を始める。

 指示を出すべき上官が、ウィニフレッドの狙撃で次々と討ち取られたということもあるが、それ以上に混乱に乗じて突撃してきた歩兵によって、混乱をきたした。


 不倒翁ザハードは、歩兵を指揮させても一級品だった。

 ザハードは、ウィニフレッドが奇襲を加え、ハザン軍が混乱したところを見計らうと、絶妙なタイミングで敵兵に突撃をかけた。


 無論、先陣は己自身がつとめる。

 この老人にとって先陣はこれ以上ない栄誉であり、楽しみでもあるのだ。

 ザハードは、長年共に戦場を駆け巡った、《激槍龍髭落とし》を思う存分振り回す。

 その長槍が回転するたび、血煙を巻き上げ、ハザン兵の命を奪っていく。


 ザハードは、

「我、死に神なり!」

 と叫んだが、ハザンにとってこの老人はまさしく死に神であろう。


 闇夜から現れた老人は、その槍によって次々とハザン兵の命を奪っていった。

 ウィニフレッドとザハードの連携により、敵軍はこれ以上ない混乱におちいる。


 もはやこの場に踏みとどまり、戦おうなどという兵士は一人もいなかった。

 ハザン軍の兵士達は、我先にと逃げ出したが、エルニカ軍が、いや、カイルが狡猾なのは、彼らの逃走ルートを一つに定めさせたところだった。


 カイルは、わざと一つだけ逃げ道を作っていたのである。

 それも敵軍に希望を持たせる逃げ道である。


 カイルは敵にとって友軍であるギュネイ王子の部隊がいる方向に逃げ道を作ってやると、そちらに逃げ込むよう敵兵を誘導した。


 敵軍の心理としては、無傷である味方と合流しようとやっきになるはずだ、と計算したのだ。

 だが、カイルはそれを見越して幾重にも罠を張っていたのである。



 まずは、フィリスに降伏の手紙を書かせ、イカルディ王子とギュネイ王子の連携を断っておくこと。

 そして先ほど説明したとおり、わざと逃げ道をひとつだけ作っておくこと。

 


 こうしてカイルは、自ら部隊を率いて、敵兵が逃げてくるのを待っていたわけである。 机上の上では完璧な作戦であるが、エリーは言った。


「もしもギュネイが我々の想像よりも大物で、私情を捨て、兄を助けにきたら? 我々は挟撃されて全滅するぞ」


 それに対するカイルの答えは、

「ギュネイが小物であることを切に願うよ」

 だった。


 エリーは呆れながら問う。


「更に付け加えれば、ギュネイがすでに姫様を諦めている可能性もあるぞ。恋に落ちたのは夜会の一晩限りだ。その後、何度も手紙のやり取りを重ねたそうだが、人間、会わなければ情も薄れるというもの」


 その疑問には断言する。


「それだけはありえない。あの姫様に恋した人間は、そうそう簡単に社会復帰できない」


「ほう、それは自分自身の経験か?」


 カイルは、それに答える代わりに言い放った。


「つうか、おしゃべりはここまで、敵兵が次々逃げ帰ってくるぞ」


 見れば確かに敵兵が迫っていた。

 エリーはそれでもその答えを聞きたかったが、さすがにそれは抑える。

 ただ、この戦が終わったら、からかいながらもう一度尋ねてやろう、と思った。



   


 結果、イカルディの部隊は全滅の憂き目に遭った。

 イカルディこそ、部下に護衛される形でなんとか逃げ延びたが(皮肉なことに弟のもとへ逃げなかったことがイカルディの命を救った)イカルディが率いていた兵達は、もはや軍団の(てい)をなさないほど散り散りになってしまった。


 こうしてハザン軍2万の内、1万が壊滅したことになる。

 これで戦力差は、4000対10000となった。

 戦力差、2倍強となり、正面から戦っても勝てない戦力差ではない。


 フィリスは、

「ローウィンの法則ですね」

 と先日覚えた兵法の基本を口にした。


 エリーは応える。

「その通り、2倍までならば正面から渡り合っても勝てる可能性は十分ある」

 エリーは続ける。


「更に言わせて貰えれば、我々は連戦連勝、士気はこれ以上ないほどに上がっている。一方敵は連敗に次ぐ連敗、その士気は想像以上に下がっているだろうな。兵力的には劣るが、実際の強さでいえば、もはや俺らが圧倒的に上回っているかもしれない」


 エリーの予言は見事に的中した。

 カイルがイカルディの部隊を壊滅させた翌日、カイルは堂々たる布陣、つまりギュネイに正面決戦を挑んだ。


 小細工なしの真っ向勝負である。


 ギュネイは、先日のウスカール救援でイカルディを破ったことを知っていた。

 奇策で兄イカルディを打ち破ったのである。

 先日の夜襲も奇策の範疇(はんちゅう)に入る策だった。


 ギュネイは無能ではない。

 兄と同じ(てつ)を踏むまいと、後方から挟撃されないように予備部隊を用意していた。


「敵軍にはあの白銀のエシルがいるという。さすがはフィリス王女、その魅力は天秤評議会の軍師でさえ虜にするということか」


 ギュネイはそう独語すると、部下に後背を固めるよう指示した。


「だがいくら伝説の軍師といっても、恐れるに足らず。ただ、後方に回り込むのが得意なだけの賢しい狐に過ぎぬ。挟撃にさえ気をつければ、負ける道理はないのだ」


 ギュネイはそう言い放ったが、数時間後には唇を噛み締め、

「……さすがは我が愛しの姫、見事な用兵である」

 と、撤退していった。


 ギュネイは兄のようにはならない、と言ったが、確かにその通りで、ギュネイはイカルディよりも柔軟な男だった。


 確かに読みを誤り、予備兵力を作ってしまったのはこの男の誤りであるが、正面決戦に及び、勝てないと分かるとさっさと撤退を始めた。


 エリーなどはその姿を見て、

「ほう、兄とは違い、引くべきところをわきまえているではないか」

 と、賞賛した。


 カイルも全くの同じ意見で、カイルがもしも敵将と同じ立場なら同じ決断をくだしていた。


 ただ、カイルはお人好しではないので、敵軍が撤退を始めると、追撃をすることは忘れなかったが。


 こうしてカイルは、ハザン兵に強烈な印象を残した。

 ウスカール救援に引き続き、ハザン国内でも巨大な武勲を打ち立てたのである。

 或いは、その名声は、ハザンやエルニカだけでなく、セレズニア全土に響き渡ったかもしれない。


 フィリス・エルニカの軍師カイル、またの名を白銀のエシル。


 数十年前にジルドレイの皇位継承戦争で活躍した軍師が、また歴史の表舞台に現れたのだ。 




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