第4章 マリネスカ奪取
†
マリネスカ砦攻略戦だが、カイルは攻城兵器を用いなかった。
それどころか、クルクス砦から運んできた攻城兵器は全て送り返した。
この砦は無傷で姫様の物にしたい、と思ったのだ。
その方が姫様の功績にもなる、ということもあったが、それ以上に逼迫した事情があった。
あと、一週間でハザンの王都ハザンクルスから援軍がくる、という報告があったのだ。
悠長にカタパルトを組み立てる時間もなくなった、というわけである。
だが、カイルはマリネスカを包囲するつもりもなかった。
力攻め以上に今のカイル達にはそんな余裕がない。
ゆえに、当初の予定通り、搦め手、つまり奇策で砦を落とすことにしたのである。
先日放った捕虜に、エルニカの間者をまぜていた、というのは周知の事実であるが、何も彼らは流言飛語をばらまくためだけにあの砦に送り込んだわけではなかった。
マリネスカの駐留兵が野戦に敗れ、逃げ戻ってきた際に、砦に火を放ち、門を開門しろ、という命令も彼らに与えていたのである。
そして彼らはその命令を、忠実に実行した。
命からがら逃げ帰った安住の地に、突然火の気が上がったのである。
ハザン兵にとって晴天の霹靂とはこのことであった。
疲労困憊で帰ってきたと思えばこの有様である。
ライバッハは、冷静に対処をしようとしたが、今回はその冷静さがあだとなった。
食物庫の火災に気を取られている間に、マリネスカの城門が何者かの手によって開けられたのだ。
普段のライバッハならば、いや、数日前までのライバッハならば、食物庫の火災が陽動であるとすぐに見抜いたのだろうが、先ほど大敗を喫し、自尊心を傷つけられたばかりの敗軍の将に、そんな余裕などなかった。
ライバッハは、後手後手に回りながらも、開け放たれた城門に戦力を集中するよう指示したが、カイルはそれさえも見越していた。
敵を迎え打とうと正門前に集まった兵を横目に、裏門を開き、そこから兵を投入したのである。
これは砦内を大混乱に陥らせるのと同時に、こういう意味もあった。
「逃げたければ逃げろ。俺が欲しいのは、マリネスカ砦であって、お前らの命じゃない」
カイルの言葉通り、先ほどの戦で大敗したハザン兵は、恐慌状態に陥り、ライバッハの命令も空しく、我先にと砦から逃げていった。
カイルはマリネスカ砦を無傷で手に入れたのである。
こうして、マリネスカ砦がこの地に建設されて以来、初めて異国の国の旗、つまりエルニカ王国の旗が、砦の最上部に掲げられることになった。
エルニカ兵達はその歴史的事実に歓喜の声を上げるが、その偉業を達成した軍師は、兵士達ほど喜んではいなかった。
なぜならば放っていた斥候から、数エル先にハザン軍の援軍が現れたという報告を聞いていたからだ。
フィリスたちクルクス砦の軍団は、こうしてセレズニア南部の堅牢な要塞を二つ手に入れたことになるが、だからといって幸福になれたわけではなかった。
王妃アマルダの命令は、クルクス砦の奪取だけでなく、維持も含まれていた。
クルクス砦を奪取したから、もういいや、と敵に返すわけにもいかないのである。
カイル達は、連日、ハザンの援軍の猛攻を受けることとなった。
「しかし、砦を奪うだけ奪えと言って置いて、その後の処置はまったく考えていなかったのかよ、王都の連中は」
「おそらくだが、我々がマリネスカ砦を奪取できるなど、夢にも思っていなかったのだろうな」
ウィニフレッドは皮肉に満ちた回答をしてくれる。
「そいつは心温まる話だ」
カイルもその皮肉に答えたが、皮肉ばかり言ってられないのが軍師という仕事である。
「幸い、マリネスカ砦はほぼ無傷で手に入れた。敵の援軍は2万、城に籠もればなんとかなる数ではある」
「確かに、敵はこんな事態になるとは想定しておらず、大砲の一門も用意していないからな」
「ああ、おかげでこっちは大砲の撃ち放題だ。つうか、耳が痛くてたまらないくらいだ」
カイルがそう言うと、その瞬間も、敵軍めがけて砦の大砲が撃ち放たれた。
大砲の弾がある内は、敵軍も容易には近づけないはずだ。
少なくとも兵力を集中させることは不可能なはずである。兵士を散開しながら散漫な攻撃をするしか選択肢はない。
今のところ、カイル達の圧倒的有利ではあるのだが、それがいつまで続くか、実は当のカイルも不安で仕方なかった。
案の定、カイルの不安は的中した。
砦に備蓄された大砲の弾が尽きたのである。
敵軍もそれを察すると、密集陣形を組み、王都から至急送ってきたのだろう、攻城塔も出没し始めた。
そうなれば元々数が少ないエルニカ軍は苦戦せざるを得ない。
カイルは的確な指示でなんとかしのぐが、愚痴を口にせずにはいられなかった。
「くそ、誰だよ、クルクスから持ってきた大砲を送り返しちまった奴は」
「お前だ」
カイルの愚痴に冷静な突っ込みを入れるのは、銀髪の少女エリーだった。
「じゃあ、この砦の食料庫に火を放った馬鹿は誰だ。あれで長期戦が難しくなったではないか」
「それもお前だな」
エリーは淡々と言い放つ。
「ちなみに、最終的にこの遠征を決めたのも、小細工でこの城を奪ったのも、お前だ。お前はこの軍の軍師として、この戦に勝つ義務があるのだ」
「……義務か、嫌いな言葉だな、権利なら好きだが」
「なら放棄するか?」
カイルは「まさか」と続ける。
「未だに軍師になったという自覚はねえが、それでも一度引き受けた仕事を無責任に放り出す真似はしない。俺の役目は、なるべく味方の兵士を殺さず、生きて故郷に帰してやることだけだ」
エリーはその言を聞くと、立派な心がけだ、と口元を緩めた。
そして心の中で、
「お前はもう立派な軍師だよ」
と不肖の弟子を褒め称えたが、言語化することはなかった。
代わりにカイルに背を向けると、こう言い放った。
「大砲を送り返したのも、食料庫に火を放ったのも、最上の策だったと思う。味方の犠牲を少なく、マリネスカ砦を奪うにはあの方法しかなかっただろう。お前は、最上の策を思いつき、実行したんだ。何も恥じる必要はないぞ」
カイルは珍しく人を褒めるエリーの後ろ姿を眺めながら、眼下に広がる光景を見下ろした。
2万の兵が、血気になって砦を落とそうとしている様は、まさしく圧巻であった。
詐欺師という職業を続けていたら、決して見られなかった光景である。
もっとも、そんな絶景を見るために軍師に鞍替えしたつもりなどないのだが――
ともかく、カイルはこの状況を打破するため、フィリス達のもとへおもむいた。
フィリスのもとへおもむくと、丁度王都へ送っていた使者が帰ってきたところだった。
カイルはフィリスの表情で、王都との交渉が決裂したことを悟った。
「援軍はなしか」
カイルはぼつりともらす。
マリネスカ砦を奪った際、最初におこなったのが、エルニカの王都グロリュースへの報告だった。
王妃アマルダにマリネスカ奪取の報を知らせ、援軍を要求したのだ。
当然というか、当たり前の行動で、どんな凡将でも同じことをするだろうが、王都、というか、王妃の答えは冷淡なものだった。
アマルダはただ一言、
「大儀である」
と使者に言うと、
「引き続きマリネスカ砦を保持すること」
とだけ言い捨て、使者に取り付く島も与えなかったという。
理不尽な話ではあったが、意外な話ではなかった。
特に王妃の性格を熟知するフィリスは最初から予期していたようで、使者を送る前からカイルにこう漏らしていた。
「カイル様、無理難題なのは承知していますが、現存の兵力だけで戦うことも想定しておいてください」
フィリスの予想は見事に当たったわけであるが、そのことを喜ぶ者は誰もいなかった。
誰彼となく、食料の話題となる。
「このマリネスカは、クルクスに劣らない堅城ですが、食料が心許ない。補給路を断たれている以上、あと数ヶ月で食糧は尽きるでしょう」
「まあ誰かさんが半分焼いちまったからな」
カイルは悪びれずに言う。
「つうか、みんなも分かっているだろうが。敵の兵力は現状で5倍以上だ。城攻め3倍則だっけ? そんな法則に照らし合わせれば、近いうち、必ずこの砦は落ちるだろう」
「食糧の問題もありますが、敵は王都から更なる援軍を期待できますが、我らにはそれがありませんからな」
ザハードはカイルの言いたいことを要約してくれる。
「ならばこの砦から打って出て戦うか?」
そう提案したのは、若手の千人隊長達と、ウィニフレッドだった。
「しかし、敵の数は2万、こちらは連日の激戦で4000まで数を減らしています。勝てるでしょうか?」
フィリスは率直な疑問を口にする。
一同の視線がカイルに注がれる。
勝てるか否か、それは白銀のエシル様の知謀に掛かっている、というわけだ。
頼る方は伝説の軍師に頼っている訳なのだから、それは心強いだろうが、頼られる方はたまったものではなかった。
なぜならばこちらはつい先日まで詐欺で日銭を稼いでいたケチな悪党なのである。真横にいる本物のエシルならともかく、そうそう策略など思いつくわけもなかった。
だが、カイルはこの軍団の軍師である。
軍師が将兵に迷っている姿を見られるわけにはいかなかった。
カイルはしばし熟考すると、重い口を開いた。
「……打って出よう。このままではじり貧だ。食糧が尽きて降伏するか、破城槌で城門を破壊されて雪崩れ込まれるかの二択だと思う」
こうして、クルクス軍団は野戦に打って出ることが決まった。
――決まったが、まだカイルの中に、必勝のプランが生まれたわけではなかった。