第3章 新しい仲間はキザな弓使い
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サクラは、カイルの命令には絶対服従するつもりだった。
もしもカイルが死ねというならば、死ぬつもりであった。
サクラはカイルに惚れているのだ。
惚れた男がそう命令するのならば、それも仕方ないと思っていた。
サクラは惚れっぽい乙女なのだが、惚れっぽいゆえに一途なところもあるのだ。
姉御――、白銀のエシルあたりに言わせれば、
「ほんと、甲斐甲斐しい女だよ、君は」
ということになるのだろうが、確かに自分で言うのもなんだが、甲斐甲斐しい女である。
サクラは、カイルの命令通り、一人、ウィニフレッドの館に戻ると、彼の胸に飛び込み、こう言った。
「抱いてくださいまし、ウィニフレッド様」
この台詞はカイルが用意したものだ。
もしも自分で用意すれば、ッス、とか、あります、とかいう語尾が付いたかもしれない。
それでは殿方も萎えてしまうだろう。
しかし、ウィニフレッドは、サクラの肩を掴み、サクラを軽く押し戻すと、こう言った。
「自分を傷つけるな。それに私は君を抱いても、君の主に仕える気はないぞ。逆にこんなことをさせる君の主を軽蔑するだろう」
その行動と言葉は、貴族として、人として賞賛されるべきものだろう。
思いの外、聖人的なウィニフレッドの対応に、サクラは驚いたが、すぐに次の言葉を紡ぐ。
「いえ、これは自分――、じゃなかった。わたし個人の行動です。主とは関係なしにウィニフレッド様に抱かれたいのです」
ちなみにその言葉を聞いた聖人ウィニフレッドの反応はこうだった。
「なんだ、それを先に言ってくれ。実は君を一目見たときから、なんて素敵な《女性》だと思ったんだ。君と一夜だけでもいいから、夢を共有できたら、なんと素晴らしいことか」
サクラは沈黙する。
やはりこの男は聖人ではなく、性人だと思ったのだ。
ウィニフレッドは、善は急げとばかりに、サクラの腰を抱くと、サクラをベッドルームへといざなった。
しかし、意外なことに、ウィニフレッドはサクラを客室の前まで送り届けただけだった。
「あれ? わたしのことは抱かれないので?」
サクラは不思議そうに問い返す。
「君と一夜の夢を見たい、というのは嘘じゃないよ。ただし、やはり、僕は弱みにつけ込むような真似はできない」
ウィニフレッドはそう微笑むと、サクラに背中を見せた。
サクラはその背中を見送るしかなかったが、そんなウィニフレッドに、カイルは声をかける。
「なんだ、口ではなんだかんだ言っても、女一人だけない意気地なし野郎だったか」
ウィニフレッドは無粋な侵入者に視線を向けると言った。
「なんだと? 貴様、また喧嘩を売ってるのか?」
「喧嘩を売ってるんだよ。ちなみになぜ、お前がクルクス砦を出奔したのか。こんな山奥に引き籠もってるのか。その理由も知っているぜ」
「なんだと?」
ウィニフレッドはそんな馬鹿なことがあるか、とカイルを見つめたが、カイルの横にはウィニフレッドの従者がいた。
つまり、従者の少年がすべてを話してしまったわけだ。
この少年は、金で口を割るタイプではない。
カイルに脅されたか、或いは騙されたか、定かではないが、ともかく、カイルはウィニフレッドの秘密を知ってしまったらしい。
「てゆうか、姫様に振られた、ってのはお前自身が流した噂らしいな」
「姫様を愛しているのは事実だよ」
ウィニフレッドはおどけながら返す。
「おまえが姫様に振られたという噂を流したのは、姫様のもとから去る方便だったんだ。お前は、出奔する数ヶ月前、あの砦で恋人を失っている」
「………………」
ウィニフレッドは沈黙によって答える。
カイルはかまわず続ける。
「恋人の名はリオナ。あの砦で二番目の弓使いだった女だ」
「いや、一番だろうね、私の才能は彼女に遠く及ばない」
「だが、彼女は、偵察任務中、敵兵に見つかり、戦闘の末死んでしまったそうだな。しかも、彼女は味方を逃がすため、最後まで孤軍奮闘したそうだ」
「………………」
「立派な行動だったと思うが、残されたお前は戦う気力を失った。いや、生きる意味を失ったんだ。だからこんな辺鄙なところで女も寄せ付けない生活をしているんだろう?」
「……仮にその話が事実だとしてどうなる? 私の気持ちは変わらないぞ。いや、逆に意固地になるとは思わなかったか?」
「思ったよ。でも、それでもどうしてもお前には戻ってきて欲しい」
「なぜだ?」
「姫様にお前が必要だからだよ」
「………………」
「もちろん、お前の気持ちがこんなことで変わるなんて思ってないが、一応、お前の恋人の墓にいって、どうやったら、お前を説得できるか尋ねてきた」
「………………」
「何時間も、ずっとその場にいて、色々語りかけた。
お前の恋人はすっかりひねくれちまって、世捨て人になった。
どうやったら再び世に出る気になるか。
つうか、お前の恋人はインポになっちまったぞ、お前さんはそんなにべっぴんだったのか?
生きてるうちに逢って寝取ってやれば良かったな、とか、色々話した」
カイルはウィニフレッドの館の隅にある粗末な墓の前でずっと語りかけていたのだ。
しかし、死者が語り返してくれるわけもなかった。
ウィニフレッドはそれを承知で問い返す、
「で。彼女はなんと言っていたのだ」
と――。
或いはここでカイルがウィニフレッドの気をひこうと虚言を用いていれば、ウィニフレッドは一生、カイルを軽蔑したかも知れない。
カイルは、正直に己の胸の内を話した。
「あほ、俺は古代の死霊術士じゃねーよ、死者の言葉なんて聞けるか」
カイルは続ける。
「墓に話しかけたのは愚痴を言いたかっただけだ。
それに、その恋人の墓がどんなものか見たかっただけだ。
もしも過剰なものだったら、この場に戻らず立ち去るつもりだった。
ど派手な墓なんて死者にとっては住みにくいだけだからな。
そういう気遣いができんやつはいらん」
「………………」
その言を聞いたウィニフレッドは、感想を返すでもなく、一言だけ聞いた。
「お前はなぜ、私の秘密を知り得た。もしも、独力で仕入れたのなら、俺は《眼力》勝負に負けたことになるが」
カイルはどこまでも正直に答える。
「この館に来て以来、女の匂いがしないのには不審を感じていた。だから、最初からなんか訳があるな、とは思ってた。だが、お前が萎え果てちまった理由までは分からんかった。あの少年が話してくれなければ気が付かなかっただろうな」
ウィニフレッドはその言を聞くと、残念そうに言った。
「……そうか、ならばお前の部下になるわけにはいかないな」
ウィニフレッドはどこまでも現実主義者だった。
或いは意固地だった。
本当はフィリスのもとに、この男のもとで働きたい気持ちが満ちあふれているのに、その性格により素直に首を縦に振ることができないのだ。
ウィニフレッドは残念そうに腕を差し出す。
別れの挨拶のつもりだったが、それがその意味を成すことはなかった。
代わりのその握手は和解の握手となった。
カイルはその腕を取るといった。
「てゆうか、眼力勝負、実はこの俺の勝ちだ。だから部下になれ」
ウィニフレッドは問う。
「その根拠は?」
と――。
カイルはサクラの方へ振る向くと言った。
「つうか、この女、実は男なんだ」
ウィニフレッドは本日一番の困惑の表情を浮かべると、カイルとサクラの顔を交互に10回は見返した。
こうして、エルニカ一の弓使いウィニフレッドはフィリスの傘下に加わった。