第3章 俺はこの手のゲームに負けたことがないんだぜ?
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ウィニフレッドの館は、想像以上に粗末だった。
まずは扉からしてきしきしと軋み、耐用年数を遙かに超過している年代物だと推定できる。
玄関もとても貴族が住む部屋とは思えないほど、散らかっている。
ウィニフレッドは、カイル達が部屋に入るなり、好きなところに座るよううながしたが、一体、どこに座ればいいというのであろうか。
「………………」
カイルは取りあえず、ホコリまみれの椅子を見つけるとそこに座った。
サクラは立ったままウィニフレッドの言葉を待った。
「さて、サクラ殿と、その従者、遠路はるばる我が館へようこそ」
「いや、どちらかと言えば自分が従者ですぞ、ウィニフレッド殿」
サクラは訂正したが、ウィニフレッドは、
「まさか、信じられない。自分はてっきり、どこぞのお姫様と、その下男が自分を訪ねてやってきたのだと思いましたよ」
と、わざとらしく返した。
その台詞を聞いたカイルは、ザハードから聞いた情報を再確認した。「なるほど、確かに聞きしに勝るキザ野郎だ」と。
「まあ、どちらが主でどちらが従者かなんてどうでもいい。つうか、お前が男嫌いで女好きなのは承知しているから、単刀直入に問うぞ。ウィニフレッドよ、クルクス砦に、いや、姫様のところに戻ってきてくれないか」
「なるほど、本当に単刀直入だな」
「回りくどい言い回しをするほど、歳を取っていないものでね」
「ならば私も単刀直入に応えよう。『断る』と」
「理由を尋ねてもいいか?」
「理由は、そうだな、宮仕えに疲れたとでもいおうか。私は束縛されるのが嫌いなのだ」
「それだけか?」
「それだけで十分だろう。私を束縛することは神にも叶わない。私を独占することはどんな美女にも不可能なのだよ」
ウィニフレッドはそう言うと、「ふっ」と己の金髪を掻き上げる。
貴公子然とした容姿もあいまって、似合うことは似合うが、男から見ればキザな野郎、という感想しか浮かばない。
「そうか、束縛されたくないからこんな山奥で隠遁生活を送っているんだな」
「その通り。ここならば、世の女性が私を取り合いすることもないし、穏やかな人生を送れる」
「へえ、女好きだと聞いていたが、案外淡泊なんだな」
「私はすべての女性の幸福を願っているのだよ。私を巡って争う姿は見たくない」
「立派な心がけだ。俺はてっきり、姫様にこっぴどく振られたので、傷心を癒やすために引き籠もってる軟弱野郎だと思っていたのだが」
その言葉を聞いたウィニフレッドは、本日初めてその柳眉を動かす。
「……なんだとッ」
ウィニフレッドは口を開く。
「この私が姫様に振られたから出奔した、貴様はそう言っているのか?」
と詰問してきた。
「それ以外に聞こえるなら、俺の言い方が悪かったんだろうな」
カイルはエリーの口調を真似る。
「ふざけるな! 私はそのような恥知らずではない!」
「お前のお前に対する評価は俺は知らん。だが砦の者は、皆、そう言っているぞ」
「な、なんだと、クルクス砦の者はそんな誤解をしているのか……」
ウィニフレッドは驚愕する。
「た、確かに、私は姫様に懸想していたし、アプローチもしていた。だが、振られたくらいで出奔するものか」
「じゃあ、なんで出奔したんだ?」
カイルは問うたが、ウィニフレッドは口よどむ。
今更抗弁するのは、この男の美学に反するそうだが、そのような誤解を受けたとあっては、アルフォンス家の家名に傷が付く、ウィニフレッドはそう前置きすると、出奔した理由を話し始めた。
「私が出奔した理由は、姫様の奉為だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「告白してきた部下と顔を合わすのが可哀想だから、という理由か?」
カイルは冗談めかしていったが、ウィニフレッドは、「そうではない!」と続ける。
「そういう恋愛感情を抜きにして、私があの砦に留まるのはまずいと思ったのだ。お前は、姫様のお立場を理解しているか?」
「ん? クルクス砦に配属された姫将軍だろ? この国の第四王位継承者だ」
「それと同時に、お母上が、この国の実権を握るアマルダ王妃だ。王女と王妃の間柄はすこぶる悪い」
その言葉を聞いてカイルは、「なるほど」と察した。そしてウィニフレッドはカイルの予測通りの言葉を吐いた。
「アマルダ王妃は、フィリス王女のことを目の敵のようにされている。その才を恐れているのだ。自分の息子、アレクストの王位継承を脅かすのではないか、と信じ込んでおられる。病的なまでにな」
その辺の事情はカイルも知っていた。フィリスはなぜか実母から疎まれ、命まで狙われるほどの関係であると。
アレクストという男子に王位を継がせたいという気持ちは分かるが、同じ腹を痛めた子だというのに、なぜ、そのような気持ちに至るのか、カイルには分からなかった。
「……つまり、お前さんは、あの砦に留まると、アマルダ王妃の疑惑を買い、ひいてはお姫様に迷惑が掛かる。そう思って砦を出たのか?」
「その通りだ。俺は一騎当千の男だ。あの砦には不倒翁も居るというのに、俺のような勇者までいるとあっては、王妃の疑惑をまぬがれない。そう思い、砦を辞したのだ」
その言を聞いたとき、カイルは納得した。
初めて会ったときから、キザな奴ではあるが、悪い奴とは思わなかった。
姫様の名を口にするときも、思慕の感情に加え、庇護の感情も交じっていた。そんな男が振られたくらいで出奔するなど、おかしいと思っていたが、裏にはこんな事情があったのだ。
カイルは、同じ姫様を愛する男として、この男に敬意のようなものを抱き始めたが、その口から出た台詞は、尊敬の念とはほど遠いものだった。
「なるほど、なるほど、まあ、口ではなんとでも言えるよな。つうか、俺ならばそんな回りくどいことはせず、姫様の側を離れず、命を懸けて守るけどな。ま、振られたから出奔したんじゃない、ってのは一応信じてやるけど、とどのつまり、お前は姫様を護る自信がなかったんだろ? 自分の命を惜しんで逃げ出したんだろ? てゆうか、俺としてはそっちの方が恥ずかしいから、まだ振られて逃げたって噂の方がマシだと思うけどね」
カイルは精一杯、できるだけ相手の感情を逆なでするような物言いを使った。
ウィニフレッドはカイルの挑発に見事に乗る。
「な、なんだと、貴様ぁ!」
そして横に立てかけてあった弓を手に取ると、弓弦に手をかけた。
弓というのは強力な兵器であるが、弱点もある。接近戦には滅法弱いのだ。
カイルの剣技ならば、弓を放たれる前に一刀のもとに斬り伏せることも可能だったが、それはしない。
なぜならば、カイルにはこの男の弓の技が必要だからだ。
「貴族を侮辱したからには、覚悟はできているのだろうな、軍師殿」
「覚悟なら親が死んだときにしている。あとはもうのたれ死ぬしかないってね。ま、運良くこの歳まで生きながらえたが、心残りがないわけでもない」
「ほう、できることなら叶えてやるぞ」
「そうか、なら、セレズニア歴1143年ものの白ワインが飲みたいな。あの年は近年にない当たり年だった」
「白ワインか。私も白派だ。私はワイン党だからな。今、従僕に伝えて用意……」
ウィニフレッドが最後まで続けなかったのは、とあることに気がついたからだ。
「――馬鹿者。今はセレズニア歴1012年だぞ、お前はあと何年生きるつもりだ」
「148まで生きて、ひいひい孫あたりに愚痴を言われるのが俺の夢だ」
カイルがそう戯けると、ウィニフレッドは毒気が抜かれたのだろうか、「アホらしい」と弓を床に置いた。
「撃たないのか?」
「撃たない。アホを射殺すほど矢は安くない」
「いい心がけだ。俺の寿命を2年ほど分けてやってもいいくらいだ」
「……強欲な奴め。146まで生きるつもりか」
ウィニフレッドは呆れながら言う。
「というか、もういい。私を侮辱したことは不問に付そう。だが、私はもう誰にも仕える気はない。だから去れ」
「誰にも仕える気はないか。つうか、それは本心か? お前は、今、こう思ってるんじゃないか? なんなんだ、目の前に居るこの男は、この男は本当に軍師なのか? こんな軍師見たことがないぞ、と」
「………………」
ウィニフレッドは沈黙する。
「お前は俺に興味が湧いてるはずだぜ。もしかしたら俺ならば姫様を護り、この国を安寧に導くことができるかもしれない、そう思いつつあるはずだ」
「……自意識過剰な男だな」
「だが、興味を抱いている、ってのは間違いないだろう?」
「………………」
ウィニフレッドは再び沈黙する。沈黙とは古来より肯定と相場が決まっている。
ウィニフレッドはしばらく沈黙した後に、その重い口を開いてこう言った。
「……いいだろう、去れといっても素直に去りそうにない、ということだけは分かった。だからお前にチャンスを与えよう。いまからいくつかゲームを始める。そのゲームにひとつでも勝つことができたら、お前の部下になってやる」
カイルは、「男に二言はないな」とは問わない。
ただ、
「いいだろう。つうか、俺はこの手のゲームに負けたことがないぜ? それでもいいのか?」
と、問うた。
ウィニフレッドは、
「奇遇だな、私も同じだ」
と、返すと、ゲームの説明を始めた。