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第3章 カイルの講義

 

   †


 フィリスへの軍略の講義は、砦内の会議室で行われた。


 講師は無論、カイル。

 そして生徒はフィリス。


 二人だけの愛の教室が営まれる――


 はずだったのが、やはり邪魔者は消えてくれなかった。


「私はカイル様の弟子だから、カイル様の講義を聴く権利があるよな」


 と、エリーが割り込んできたからだ。


 カイルはこめかみをひくつかせつつ、

「いやあ、エリーにはもうさんざん講義してるし、今更いいんじゃね?」


 と、睨みをきかせたが、エリーは、


「いやいや、師匠の講義は、何万回聴いても為になります」

 と、さっさと自分の席を見繕うと、そこに座った。


 カイルはそれでもエリーを追い払おうと思ったが、昨晩、一夜漬けに協力してくれたことを思い出すと、そうも邪険にはできなかった。


 カイルは軽く落胆すると、講義を始めることにした。

 カイルは、席に着いた二人の受講生を見やると、まずこう宣言をした。


「つうか、さすがお姫様だ。高価な紙のノートを持参とは」


「はい、カイル様の言葉を一字一句聞き逃すまいと、持って参りました」


「うむ、良い心がけだ。だけど、メモなんて取らなくていいぞ」


 その言葉を聞いたフィリスは、

「え?」

 と問い返す。


「これは俺の師匠の持論だが、人生にメモを取るに足りることは二つしかない。ひとつは商売の帳簿をつけるとき、二つ目は物語を紡ぐとき、この二つだけだ」


 カイルは続ける。


「メモを取らなければ覚えられないことなんて、結局はどうでもいいことだし、肝心なときに思い出すことができないことだ」


「だからメモは必要ない、と?」


「ああ、紙代も馬鹿にならないし、さっさとしまってくれ」


 フィリスはカイルの言葉に納得すると、さっそくノートとペンを仕舞った。

 カイルはエリーにもこれくらいの素直さがあればいいな、と思いつつ、講義を続けた。


「さて、いきなり偉そうな出だしで始まったが、あまり肩肘張らないで聞いてくれ。結局、軍略で大切なことは一つしかないんだ」


「一つだけしかないんですか?」

「ああ、その通り、それだけだから、メモも取る必要はないんだ」


 カイルは続ける。


「軍略書ってのは、集団戦で相手に勝つために、大昔のインテリどもがああだこうだと理由をつけて書き記してきたが、最初期に書かれた一番有名な軍略書はたったの数十ページしかないんだぜ」


「トランの兵法書のことでしょうか?」


「ああ、それそれ。元々は羊皮紙にしてたったの30枚くらいの分量だったそうだ。後の人間が注釈などを足して水増ししてしまったけど、それでも200ページに満たない」


「我が国の建国王が注釈を入れたものもあります」


「そそ、後世の人間が勝手に解釈を追加して、今に至るってわけだ」


 カイルはそこで一呼吸置くと続ける。


「しかも、その30ページに書かれていることも勿体ぶって書かれているが、たった一言に集約できる。要は、戦はするな、どうしてもしなければならないなら、自分よりも弱い奴と戦え、それだけだ」


「自分よりも弱い奴と戦う……」


 フィリスはうつむき、考え始める。


「ですが、毎回、そう都合良く行くのでしょうか? 世の中には自分よりも強い人間で溢れていると思うのですが」


「その通り。腕っ節に自信があっても、自分より強い奴なんて世の中にはゴロゴロいるし、ましてやそれが集団レベル、国レベルになれば、自分一人の力じゃどうにもならない」


「はい、ですから、わたくしは強者に立ち向かう方法、どうやったら強者に勝てるか知りたいのです」


「さっきも言ったとおり、戦の必勝法はたったひとつだけだ。それは自分よりも弱い奴と戦うこと。それしかない」


 カイルがそう断言をすると、フィリスはしゅんとなる。

 まあ、気持ちは分からなくもない。


 カイルも若かりし頃は熱量にあふれていて、自分よりも格上の相手に喧嘩を売ったり、大物相手に詐欺を働こうとしたが、そこから得た教訓は、やっぱりトランの兵法書と同じだった。


 自分よりも強い人間と戦ってはいけない、それにつきるのである。


 フィリスはおそらく、エルニカという国と、他の国を比較し、落ち込んでいるのであろう。

 やがて訪れるであろう戦乱に不安を抱いているのかも知れない、

 或いはやはり王妃との確執に思い悩んでいるのだろうか。


 カイルは色々な考察をしたが、それを言葉に出すことはなく、代わりに彼女の希望の蝋燭に火をともすことにした。


「つうか強者が弱者に勝てない、そう断言すると、多くのものは、じゃあ、世の中、なにをやっても無駄だよな、となり、無気力になっていくんだよな。もしかして姫様もその口か?」


 その言葉を聞いた姫様は、

「わたくしは違います!」

 と断言する。


「よし、いい表情だ。つうか、トランの兵法書って奴は、30ページにまとめられているから、すげい誤解を受けやすいところがある。当時、紙も羊皮紙も高かったから、詰め込みすぎたんだな」


 カイルは続ける。


「確かに自分より強者に立ち向かうのは馬鹿のすることだが、強者に立ち向かわなければならないときなんて、人生において何度もある。そういうときはどうするか?」


 カイルはそこで言葉を区切る。

 フィリスはカイルの次の言葉を待つ。


「答えは『逃げる』だ」

「逃げるのですか? 戦場から」

「ああ、そうだ。負けるよりは遙かにましだからな」


「ですが、逃げ回っていれば、兵士からはもちろん、民からも見捨てられませんか?」


「負けるよりはマシだ。兵は負け戦が何よりも嫌いだからな」


「兵は負け戦が嫌い……、確かに彼らにとって生きて帰れることが何よりもの褒美ですよね」


「逃げる、という言葉に負の感情が付きまとうが、そんなに悪い言葉じゃないぜ。それに、逃げろといっても、ただ漠然と逃げろって言っているわけじゃない。確かに意味のない逃亡は敗北にも等しい」


「それでは意味のある逃亡とはなんなのですか?」


 フィリスは食い入るように質問する。


「そうだな、逃げて時節をうかがう、というのも大事だ。強者は常に強者でいるわけじゃない。このエルニカだって昔は強勢を誇ったが今じゃ見る影もないだろう? あ、やべ、これは不適切なたとえかな」


「……いえ、気になさらないでください、本当のことですから」


「まあ、ジルドレイ帝国も昔は小さな王国の集合体だった。要は何が言いたいかといえば、永遠に強勢を誇ることはできないのだから、一時は堪え、相手が弱まるのを待つのも立派な戦略ってことだ」


「なるほど、確かにその通りだと思います」


「それに自分より弱いものと戦え、という教えにもいくつもの解釈があり、今みたいに時期を待って戦え、や、或いはあらゆる謀略を用いて、相手を弱めろ、という解釈もある。実際、俺は謀略を駆使して、相手を弱めてから敵を撃破したことが何度もある」


 カイルは誇って見せたが、それは先日おこなった対盗賊戦のことを指している。


 あれも根底にはトランの兵法があった、と今では思う。

 実力の劣る村人を指揮して勝つには、あの方法しかなかっただろう。


 それに、カイルは詐欺師になってからも似たような経験を何度もした。

 街の有力者と対峙しなければならなくなったときは、有力者の悪い噂を流し、部下の離反を図ったし、疑り深い相手を騙すときは、入念な下準備を重ねて、相手を上回ることを常に心がけた。


「つまり、実力的に相手が上回っていても悲観することはない、ということですか?」


「その通り。つうか、人間、悲観ほど悪いことはないからな。落ち込めば落ち込むほど、視野が狭まっていき、アホな行動を取るようになる。そうなれば一気に強者に飲まれて、戦うどこの話ではなくなる」


「なるほど、確かにその通りです。将の気持ちというのは兵に伝搬(でんぱん)する、と、以前家庭教師から教わったことがあります。わたくしが弱気になってはいけないのですね」


「その通り。小難しいことを言ったが、俺が言いたいのはそのことだ。お姫様が浮かない顔をしていたら、砦の兵士達が動揺する。だからお姫様はいつもみたいに微笑んでいてくれ――」


 カイルは、そこで言葉を止めると、劇的効果を狙ってとある言葉を付け加えようとした。


 その言葉とは、

「いや、兵士のためではなく、俺のために微笑んでくれ」

 だったのだが、その決め台詞を使うことはできなかった。


 なぜならば、今まで沈黙していたエリーが会話に参入してきたからである。


「さすが、カイル様の講義、何度聞いてもためになります」


 エリーはわざとらしくそう言うと、話題を転じさせた。


「いや、確かに戦略とは自分よりも弱い奴を見つけて叩く、のが基本だと思うのですが、世の中にはその基本を無視する奴もいまして」


 その言葉から、エリーが北方の龍星王フォルケウスと、天秤評議会の軍師、漆黒のセイラムの話をしようとしているのだと察した。


「カイル様は、北方の龍星王のご活躍、どう思っているのです?」


 恋路の邪魔をされた手前、回答したくなかったが、フィリスも注目しているため、口を開かないわけにはいかなかった。


「確か、ジルドレイ帝国との友好条約を一方的に破り、ロウクスがジルドレイ帝国に侵攻を始めたのだったな?」


 カイルの確認に答えたのはフィリスだった。


「はい、先日、その話が我が砦にも伝わりました。ザハードやアザークは不思議がっておりました。ロウクスの王は狂ったのではないか? という千人隊長もおります」


「それには同感だ……、と言いたいところだが」


 カイルは結論を避ける。

 なぜならばカイルはフィリスの知らない情報を持っているからだ。


 カイルは、北方の龍星王フォルケウスの旗下に、天秤評議会の軍師、漆黒のセイラムがいることを知っている。

 エリーの弟にあたる人物で、その実力はエリーをも凌ぐといわれているのだ。

 そんな人物を軍師に据える王が、なんの勝算もなく戦いを挑むなど、あり得ないと思っていた。


 カイルはしばし考察するが、エリーはカイルを無視し続ける。


「一見無謀に見える侵攻だ。事実、ユグノー平原の戦いにおいて、ロウクス側は大敗を喫したらしい」


「やはり多勢に無勢過ぎましたね。ロウクスの国力でジルドレイに攻め込むのは無謀すぎます」


 フィリスはそう同意したが、カイルには違う見解があった。


「いや、そうだろうか?」


 フィリスは意外な顔をしてカイルを見やる。


「俺には無謀な戦いとは思えない。いや、確かに緒戦ではロウクスは負けたみたいだが、ジルドレイはその勝利に満足せず、ロウクスの奥深くに逆侵攻していったらしい。俺はそれが失敗の元だと思う」


「ほう、というと?」


 エリーは興味深げに問う。


「ジルドレイは、防衛の任のために兵を集めたのだろう? 遠征の準備をほとんどしていなかったはずだ。それに、ジルドレイは国難に挙国一致であたるべきなのに、迎撃の任に当たっているのは皇叔(こうしゆく)のルシフェンタールって奴だけなのも気になる」


「しかし、ルシフェンタール侯爵は、強欲な人物として知られますが、決して無能なお方ではないそうです。そんなお方が三倍以上の兵を率いて、負けるとは思えません」


「俺はその強欲ってのが気になる。つうか、姫様でさえ知ってるくらいに広まってる噂なら、相当なものだ。俺に言わせれば強欲な人間ほど操りやすい奴はいないからな」


 カイルはそう言うと、「そうだな」と顎に手を添え、こう言う。


「俺ならば国内に引きずり込み、砦や街の城門を開け放って、わざと占領させる。そして食糧が尽きかけた頃に一斉に襲いかかって一網打尽にするな」


 更に付け加えれば、とカイルは言う。


「あと、可能ならば敵の補給路を断つ。いや、敵は嘗めきってるだろうから、絶対に断っておく。そうすれば敵は干上がって野戦に出てこざるをえないからな」


 その策を聞いたとき、フィリスは、

「さすがカイル様です」

 と、手放しに褒め称えたが、エリーは沈黙した。


 ただ、無感動というわけではない。

 エリーはカイルの考察が完全に正しいことを知っていたのだ。


 先ほど、北方に放っている協力者から、ルシフェンタールの敗北と死を、鏡文字(天秤評議会に伝わる秘術)によって知らされたのだ。


 しかも、カイルは戦の経緯と勝敗までぴたりと言い当てたのである。

 驚くと言うよりは、戦慄(せんりつ)せざるを得ないというのが、率直な感想だった。


(……もしかしたら私は、とんでもない化け物を弟子にしてしまったのかもしれない) 

 エリーはそう思ったが、口にはせず、こう言った。


「なるほど、確かにロウクス王国に勝機があるかも知れない。ルシフェンタールは近く敗れるだろう。だが、帝国軍の兵力はルシフェンタールだけではないぞ。ルシフェンタールが破れれば、帝都の国軍が動き出すだろう。そうだな、ざっと見繕って10万、いや、アシュハール騎馬王国やレバンナ共和国の援軍を入れれば15万に達するかもしれない。その大軍を打ち払うことはできるかな?」


 ちなみにエリーはできない、と踏んでいる。

 正確には、短期的には不可能、と言い換えた方がいいだろうか。


 セイラムとフォルケウスのことだから、いつか帝国軍を打ち払い、帝都に凱旋(がいせん)することは疑いないが、それはもう少し先のこととなるだろう。


 ルシフェンタールを倒すのはエリーも読んでいたが、さすがに帝国軍本隊と渡り合うだけの国力は、今のロウクスにはないのである。


 ルシフェンタールとの戦い同様、国内に戦場を定め、持久戦に持ち込み、帝国軍が撤退するまで待つしか、セイラム達に残された道はないはずだ。


 ――はずであるが、目の前の男、カイルの考えは違うようだ。


 カイルは、

「なんの情報もないし、確かな自信があるわけでもないが、俺は早晩、ジルドレイ帝国は滅びると思っている」

 と、刺激的な発言をした。


 エリーとフィリスは、カイルの見解に聞き入る。


「理由は俺の勘がそう言っているから、としか言えないが、俺のこの手の勘は外れたことがないんだよなあ」


 カイルはそう言うと、己の頭を掻き(むし)りながら言った。


「ま、外れてくれるに越したことはないが、姫様はそのつもりで行動してくれ。ジルドレイがロウクスに落ちれば、一気にこの砦が最前線となるんだから」




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